「穢れ」と「言霊」の謎:その29

 

 応神天皇の御代、渡来した「和邇吉師」が日本へもたらした『千字文』(せんじもん)とは、旧約と新約2つの『聖書』に記された最も重要な部分を漢字1000字、4文字1句の漢文の歌という形で伝える内容であったが、これを子供の漢字の手習いや書の手本とした理由は、大和民族に聖書文字「漢字」の隠された意味とともに『聖書』の預言を無意識下に植え付けることであった。「和邇吉師」「王仁(わに)」とされる生没年不詳の人物とは「秦氏」の集合名で、『千字文』とは原始キリスト教徒・秦氏の呪術である。

 

 『聖書』は「創世記」に始まり「ヨハネの黙示録」で終わる。とすれば、『千字文』の最後の四文字「焉、哉、乎、也」は、「ヨハネの黙示録」において、荒ぶる破壊神ヤハウェとして再臨するイエス・キリストを示しているはずである。黙示録は「終末の日」に起きる神の軍団と悪の軍団との戦いの話を比喩的に記してあるが、その後に「千年王国」の到来を記している。ならば、『千字文』とは、「千年王国」到来に関する預言ということになるのではないか。

 

◆「ヨハネの黙示録」と「口から出る剣」

 

 「ヨハネの黙示録」では、「終末の日」が近づき、イエス・キリストが直接地上を支配する「千年王国」(至福千年期)が間近になったと説く。そして、千年王国に入るための条件である「悔い改め」を強調する内容である。

 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。(「ヨハネの黙示録」第20章4-5節)

 

 この「キリストと共に千年の間統治した」 の部分から「千年王国」(至福千年期)という言葉が生まれている。キリスト教徒は「イエス様は愛の存在」などと言うが、「ヨハネの黙示録」に登場するイエス・キリストは、日本神話で考えれば「古丹」を殺戮する「牛頭天王」であり「スサノウ」である。つまり、天照大神の荒御魂で、穏やかな和御魂ではない。だから、たとえ大和民族だろうが、「穢れたもの」は全て地上から排除する破壊神ヤハウェとして顕現することとなる。

 

 

 そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。この方には、自分のほかはだれも知らない名が記されていた。 また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。(「ヨハネの黙示録」第19章11-15節)

 この「自分のほかはだれも知らない名が記されていた」 「その名は「神の言葉」と呼ばれた」という部分だが、神以外は誰もしらない「本名」があるということだ。その名は「神の言葉」だとしている部分は、この「神の言葉」が「血に染まった衣」の名前なのか、神の名前なのかは定かではない。これはいったい何を示しているのであろうか。ここにこそ「言霊」の奥義が隠されているはずである。なにせ「言霊」とは「言葉の霊」なのである。そして絶対神ヤハウェは、肉体を持たない「神霊」であり「霊神」なのだ。この部分については後述することとしたい。

 

 黙示録では、イエス・キリストは剣を持った荒ぶる神として登場する。そして、諸国の民をそれで打ち倒す」とある。だが、いったいどうやってイエス・キリストを救世主と認めない世界の人間を倒すのであろうか。世界何十億の人間をいちいち剣で切るなんてことはしない。ポイントは「 この方の口からは、鋭い剣が出ている」である。これは「言葉」のことである。剣のような「言葉」を放つことで、神に逆らう世界の人間を討ち滅ぼすのである。どんな言葉かは分からないが、「神の言葉」という「呪術」によって人間を滅ぼすのである。それは「言霊」があるからである!「言霊」で滅ぼすのである。

 


口から出る「剣」とは「言葉」のこと

 

 「ヨハネの黙示録」第22章にはこう書かれている。

 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」(6-7節)

 「この書物」とは『聖書』のことであり、「ヨハネの黙示録」のことである。つまり、『聖書』の預言を信じ、その教えを守る者には幸せが訪れるが、そうでない者は容赦しないということだ。


 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。 (12-14節)

 

 「アルファであり、オメガである」というのはイエス・キリストのことである。創造神ヤハウェとして現れた時が「アルファ」で、終わりの時にやって来る破壊神ヤハウェが「オメガ」である。そして「それぞれの行いに応じて報いる」のである。教えを守らないで神に反逆する人間には「因果応報」となると警告しているのである。だからこそ、「ヨハネの黙示録」は千年王国に入るための条件として「悔い改め」一貫して強調するのである。

 

殺戮神ヤハウェ

 

 では、悔い改めないで者とはどんな人間を指すのか。


 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。(22章14-15節)


  しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。(第21章8節)

 

  わたしはまた、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために、集まっているのを見た。 しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行ったも、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。 残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。(「ヨハネの黙示録」第19章19-21節)
 

  「犬のような者、魔術を使う者、みだらな行いをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み行う者、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者」に対する報いは、火と硫黄の燃える池であるとしている。地獄の釜茹でだ(笑)。権力やお金にへつらう「犬」のような人間、インチキな占い師や他人を呪う呪詛を行う人間、不倫・姦淫・強姦・売春・買春・パパ活・ママ活・同性愛のような淫らな人間、人を殺す者もしくは殺人に関わるすべての者、アイドルの追っかけやAVマニア、イエス・キリストやマリアの像を拝む偶像崇拝者、嘘つきに詐欺師、正義を貫かない臆病な人間、神の存在を否定したり信仰を持たない人間は、全て火の池地獄で釜茹でなのである。

 

 そして「忌まわしい者」とは「穢れた人間」であり、そこには単に単に神道的な意味での「穢れ」とは異なる「悪魔と取引した人間」という意味が込められている。サタニスト、悪魔崇拝者である。ビル・ゲイツという人間を考えると、見事なまでに上の全ての項目に当てはまるのが良く分かる。地獄の釜に一直線ということになる。

 

 

 イエス・キリストは、獣とそれに従う全ての地上の民を滅ぼすために再臨するのである。「獣」は反キリストで、自分を救世主として崇めさせ、世界を支配する者であり、その男を救世主として崇めさせる者が「偽預言者」である。「獣の刻印を受けた者」とは「mRNA毒液」を接種した人間のことであり、「獣の像を拝んでいた者ども」とはスマホやTVを通じて、獣という偽救世主を世界を救う「救世主」として崇める全ての人間のことを意味している。

 

 世界はmRNAワクチン接種者の大量死で溢れることになるが、これは「ジェノサイド」であり「ホロコースト」であり、人類史上最大の殺人である。実はこれが「イルミナティ」が「バアル神」に捧げる「生贄」の意味なのである。創造神ヤハウェが作った人類を悪魔のための生贄にすることなのであり、だからこそビル・ゲイツは悪魔崇拝者なのだ。全てを「666」として「悪魔=ルシフェル」に捧げられる「燔祭」になっているのだが、これは左道の呪術である。「ヨハネの黙示録」に記された「魔術を使う者、人を殺す者、偶像を拝む者、偽りを好み行う者、忌まわしい者」である。


 「そこで、第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた。」(「ヨハネの黙示録」第16章2節)

 

スマホとワクチンは悪魔崇拝の道具である

 「獣の刻印」とは「666」の象徴だが、それを押された者はルシフェルの所有物を意味するため、ビル・ゲイツの母型で製造された「mRNAワクチン」は、「ファイザー」「モデルナ」「アストロゼネカ」であれ何であれ、母型は同じ「COVID-19」のスパイクタンパク質なら、それが液体であれ、カプセルであれ、噴霧式であれ全て「666」となるため「悪性のはれ物」が特徴となる。

 

 さらにコロナワクチン接種者には「悪魔の所有物」を証明する「接種証明書」に「666」のバーコードが国や自治体から与えられ、バーコードの場合は左右と中央に666があり、QRコードの場合は3カ所の口が「666」になっている。この解釈が正しければ、黙示録の時代に666の「ゲノムワクチン」を体内に入れた多くの接種者は、死後も永久にルシフェルの支配下に置かれることになる。

 

 

 こうした「獣」「偽預言者」「獣の刻印を受けた者」「獣の像を拝んでいた者ども」を駆逐するために再臨するイエス・キリストは、荒ぶる破壊神ヤハウェとして顕現する。『千字文』の最後の「焉、哉、乎、也」の四文字はそれを伝えているのである。なぜなら、「焉、哉、乎、也」は、全て「や」と読む。「や」とは「ヤ」であり「ヤハウェ」のことだからだ。さらに、「焉」の字は「終焉」(しゅうえん)という言葉に使われるように、「終わり」を表す。この「焉」の字は、「正」と「鳥」を組合せたもので、「終焉」とは「終わりの状態の意:いまわ、死に臨むこと」とある。つまり「世界のいまわの際(きわ)」ということである。

 

 2022年に書いたブログ、「世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎  <最終回>」でも取り上げたが、落語の演者の中で、最後の演目を務めることを「トリを務める」「大トリ」と言うが、「この演目やこの演技をもって本日の舞台は終わり」ということを告げるのは「終焉のトリ」で、このトリを務めるものを「真打ち」と言う。最後の演目が終われば舞台の幕が降りるのであり、その後に「ろうそくの芯を打つ=火を消す」ことで終焉とするからだ。つまり、「焉」は今の世の中という舞台を終わらせる「世界終焉=終演」の真打ちなのである。

 

 もちろん、それは荒ぶる神ヤハウェとして再臨するイエス・キリストのことで、原始キリスト教における絶対神の象徴が「鳥:

トリ」なのは、「終末の日」に再臨するイエス・キリストが「大トリ」だからである。「大鳥」「鳳」「鷲」すべて「オオトリ」と読むのはこれを意味しているのである。年末に「鷲神社」「大鳥神社」「鳳神社」「大鷲神社」で「熊手」を売る理由は、神に反する穢れた人類を根こそぎかき集めることを意味し、決して金運をかき集めることではない。逆なのだ。かき集められてしまう存在になるような生き方をしてはならないという警告なのである。

 

 

 「熊手」は、天界の三神の存在を認めず、「天照大神=イエス・キリスト」に逆らう者たちの「命を取るトリ」の「爪」を意味しているのである。その「大トリ=焉」の正体とは「焉はや・や・や(なり)」で、「イエス・キリストはヤハウェなり」と言うのが『千字文』の最後「焉、哉、乎、也」の四文字が伝える意味なのである。まるでCHAGE and ASKAの『YAH YAH YHA』である(笑)。

 『千字文』の話はまだここで終わらない。なぜなら250句の中で非常に気になる一節があるのだ。それは「龍師火帝 鳥官人皇」である。実はこの一節には古代日本が「二本」の理由が隠されているからである。

 

<つづく>