「穢れ」と「言霊」の謎:その27

 

 2024年のNHK大河ドラマは「光る君へ」である。平安時代中期を舞台に、平安時代を象徴する小説であり「世界最古の女性文学」であり、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性「紫式部」の生涯を吉高由里子が演じている。まぁ、筆者は全く見ていないが(笑)。主人公の光源氏は左大臣で、後に太政大臣にまで昇りつめる。現在でいえば首相であるから政府高官である。その光源氏がいろんなおネエちゃんたちと恋愛絵巻を繰り広げるわけで、今なら「週刊文春」のターゲットとなり、国民から総スカンを喰らう話だ。

 

 だが、『源氏物語』は恋愛小説であり、政治サスペンスではないためか、まったく「政治」の話が出てこない。この時代、藤原氏の政治は腐敗して乱れ、疫病まで発生している。腐敗しきった在日自民党のカネのちょろまかし政治やコロナ感染が広がった現在の状況の雛形のような時代であったにもかからわず、そうした話が一切登場しないのが『源氏物語』なのである。社会学者・小室直樹氏も指摘していたことだが、これこそが平安貴族なのであるり、その裏側にあるのは「言霊」と「差別」である。

 

◆無責任な平安貴族と「不適切にもほどがある」自民党議員

 

 平安貴族は国が乱れようが、疫病が流行ろうが、為政者として責任というものを全く感じさせない。とにかく無責任なのである。現在の腐りきった在日自民党政府と何も変わらない。唯一異なるのは、平安貴族には教養が必要だったが、今の国会議員はバカでもなれるし、教養がある人なんてほとんどいない点だ。以前、能楽協会の会長の観世さんとお話しした際、あまりにも文化庁長官の能楽への理解のなさを嘆かれていた。仕方ないのだ。バカでもなれるのが国会議員なのだから。

 

 まぁ、現在の文化庁長官は都倉俊一さんだ。官僚出身ではなく、ピンク・レディーをはじめとする大ヒットを生んだ作曲家だ。正月明けの音楽業界のパーティーで挨拶した際、10分くらいだったが、能登半島大地震の被害がいかに日本の文化に影響を及ぼすものなのかを原稿なしで話されていた。この時はさすがだと思わざるをえなかった。一方の音楽業界を代表する方はほぼ原稿を読んでいた(笑)。場馴れしていないことがよく分かった。こういう場面で「教養の有無」がバレる。

 

 現在の在日自民党議員は、皆さんご存知のように男も女も腐敗している。前日も和歌山市内で開いた会合にダンサーを招き、一緒に踊るわケツをお触りするわチップを口移しで渡すわパンティに差し込むわ…と、非常に「不適切にもほどがある」参加者ばかりで物議を醸した。完全に場末のショーパブの客だ(笑)。面白かったのがその言い訳だ。懇親会を企画した自民党県連青年局長の川畑哲哉県議は女性ショーパブダンサーを招いた理由について「多様性の重要性を問題提起しようと思った」と記者団に釈明している(笑)。ショーパブダンサーとLGBTは同列のものとして、多様性の重要性を問おうとしたそうだ。さすがにバカばかりだ。

 

ショーパブダンサーをお招きしての自民党の会合

”不適切にもほどがある” 自民党県連青年局長の川畑哲哉県議

 

 仮にこのショーパブダンサーが、性転換手術をしたタイ人女性(男性)ダンサーだったとしても、お尻お触りはダメだろう(笑)。在日自民党は多様性をこんな形で学んでいるのか。この川畑哲哉という県議の言い訳がさらに笑える。

 

 「本年度は多様性、ダイバーシティというところをしっかりとテーマを持って、本当に口で言っているだけではなくて、いろんな生き方をされている、あるいは色々な職業も含めてがんばられている方々にきちっと目が行き届いているかという問題提起をするような、そういう会議にしようということで進めてきました。ダンサーは本当にプロ意識を持ってしっかりとパフォーマンスをされたと考えている。ただ私の想定よりもやっぱり高揚感が特に懇親会終盤になって高揚感がでてしまって、私ももっと慎重に想定をして選んでいればよかったかと思うが反省しているところです」
 

 要は酒も入っていて、ダンサーがセクシー過ぎて「下半身が高揚してしまった」ということだ(笑)。そんなことは税金でやるな。ショーパブに行きたいなら自分で稼げ。ダンサーは営業だからまだしも、この県議は完全に不適切にもほどがある(笑)。

 


 

 さらにメディアからの質問に、この川畑なる県議は以下のように答えている。

 

 Q.口移しでチップを渡す参加者はいた? 「いました」

 Q.衣装にはさんでお尻を触る参加者も? 「ちょっと…詳細を聞かれるとちょっと記憶が、記憶をたどってからになりますね」

 

 この会合は昨年11月、在日自民党和歌山県連が主催、青年局幹部の国会議員や近畿ブロックの若手地方議員ら30~40人を集めてホテルで開催。女性ダンサーが5人いて、飲食を伴う懇親会に登場し、チップを口移しで渡す参加者がいたとされ、報道で事が明るみに出ると、会合にいた党青年局の藤原崇局長中曽根康隆局長代理が辞任した。でたー。藤原氏だ。平安時代と変わっていないじゃないか。唯一変わっているとすれば、こいつは本物の藤原氏ではない、藤原氏になりすました在日議員ということだ。もちろん中曽根とは元総理の中曽根康弘の孫で、中曽根康弘も在日の総理だった人物である。

 


 

 こいつらの受け答えがまたまた「不適切にもほどがある」のだ。

 

 「パフォーマンス途中でちょっとどうかなと思ったんですが、なかなか和歌山県連が用意したので止めるのもどうだろうかということでその場で止めませんでした」 (自民党青年局長藤原崇衆院議員)

 Q.ダンサーの体を触ったりした? 

 「私の方はそういうことをした記憶はありません」(自民党青年局長藤原崇衆院議員)

 「私も一切ありません」(自民党青年局長代理中曽根康隆衆院議員)

 Q.万が一触っていたときには議員を辞任しますか?

 「それについてはですね、ちょっと私の口からは今の時点では、私の今の認識はそういう認識であるということです。今の認識は触っていないということであります」(自民党青年局長藤原崇衆院議員)

 

 「今の認識」というのは、「酔っ払ったから覚えていないことにさせて欲しい」という意味だ。証拠が出てきたら「思い出す」というやつだ。単純にみんなスケベ丸出しなだけなのだが、笑えるのはこの事件に対して意見を言っている某女性議員センセーだ。この在日自民の国会議員の女性は取材にこう答えている。

 

 「多様性というのならば、性的少数者(LGBTQ)の人らを招くなら分かるが、今回は意味が分からない。党青年局の幹部を喜ばせたかったのでは。昨年秋といえば、党女性局の(フランス研修が観光旅行のようだと批判された)問題が尾を引いていたころ。軽率すぎる」

 

みんなで「Y.M.C.A.」ダンスか?

 

 そうそう、昨年は議員の仕事は「研修」と称した6時間だけで、3泊5日のフランス研修の残りは、パリ旅行を存分に楽しでいたオバちゃんたちがいた。もはや在日自民党は男も女も不適切にもほどがある人間ばかりだ。多分、98%は不要である。なぜ、こんな在日自民党をこき下ろすのかといえば、平安時代の為政者と意識が同じだからだ。政治のことは考えない。まぁ平安時代は貴族政治だが、今の自民党は意識は貴族だが中身は賤民ばかりである。なんて上からな感じで「賤民」などという言葉を使うと「差別だ」と言われそうだが、まさにそこに原因があるのだ。平安時代の貴族は、武士を賤民と見下していたところに最大の問題が隠されているのである。


◆官僚組織の頂点「陰陽寮」

 

 「平安時代」は、延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。平安貴族は国が乱れようが、疫病が流行ろうが、為政者として責任というものを全く感じさせないと冒頭に書いたが、「疫病」に対して手を打ったのは陰陽師ら呪術師であって、為政者の貴族たちでではない。

 疫病の大流行により朝廷は863年(貞観5年)、「神泉苑」で初の
「御霊会」(ごりょうえ)を行った。これが八坂神社の「祇園祭」の発祥である。「御霊会」は疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭で、疫病も恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられていた。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。

 

 

 2020年6月14日、疫病退散の祇園祭を斎行する八坂神社(東山区)は、祇園祭発祥の地とされる真言宗の寺院である「神泉苑」(中京区)とともに新型コロナウイルス感染症の早期終息と国家安寧を祈願する特別儀式「祇園御霊会」を神泉苑で執り行った。神仏習合の形で執り行われるのは明治以降初めてであった。平安時代も今も同じで、「為政者は何もしない」のである。実際、ペンタゴンの命令通りにインチキコロナ騒動を煽り、一番やらねばいけない時期に疫病退散の祇園祭を中止させたのは在日自民党である。民族は異なるものの、やっていることは同じなのだ。


 平安時代の864年(貞観6年)には富士山の大噴火が発生、また、869年(貞観11年)には陸奥で貞観地震が起こり、津波によって多数の犠牲者が出るなど、全国的に地殻変動が続き、社会不安が深刻化する中、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り「御霊会」を執り行った。この869年(貞観11年)の「御霊会」が祇園祭の起源とされており、2019年(令和元年)には祭の1150周年を祝うほど、長い歴史を持っている。が、インチキコロナ騒動によって、一番大切なタイミングで祇園祭は開催されなかったのである。

 

 

 「御霊会」が生まれた直接の背景は、平安京がもともとが内陸の湿地であったために高温多湿の地域であったこと、建都による人口の集中、上下水道の不備などにより、「瘧」(わらわやみ=マラリア)、「裳瘡」(天然痘)、「咳病」(インフルエンザ)、「赤痢」、「麻疹」などが大流行したこと。その原因が、先に起こった大水害によって挫折した長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で、無実を訴えながら亡くなった早良親王ら6人の怨霊の仕業との陰陽師らによる権威ある卜占があったことなどである。

 

 すべて「怨霊」のなせるわざなのである。「御霊会:ごりょうえ」とは言うものの、本当は「怨霊会:おんりょうえ」なのである。「御霊会」は1世紀後の970年(安和3年)からは毎年行うようになったとされる。これらの祭式は神仏混淆であるばかりでなく、陰陽道や修験道の儀式も含まれていた。真夏の祭となったのは、上水道も冷蔵庫もなかった時代は、真夏に多くの感染症が流行し多くの人々が脱水症状等で亡くなったことが原因の一つと考えられる。

 

 こうした「怨霊封じ」は陰陽師が中心に行われた。なにせこの時代の律令制における官僚組織の頂点は「陰陽寮」である。今でいえば内閣府を仕切るのが全て陰陽師だということだ。その陰陽師の言う通りに従って官僚である貴族たちが動いていたのである。

 

 

 正確に書けば、「陰陽寮」(おんようりょう、おんようのつかさ)は中務省に属する機関の一つで、占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署である。「うらのつかさ」とも呼ぶが、この「うら」とは、陰陽を『うら(卜占)』とも読むこと、つまり「占い」ということだが、さらに言えば「裏を司った」ということでもある。これは字源の話ではなく「言霊」である。

 「陰陽寮」のトップは「陰陽頭」(おんようのかみ)である。なんで「頭」を「かみ」と呼ぶのかといえば、「神」は「頭」に降りてくるからで、それは人体の「上:かみ」で、そこに生えているのは「髪:かみ」である。ダジャレのように聞こえるが、これは全て漢字の読みの中に隠された「言霊」である。この「陰陽頭」を始めとする幹部職と、陰陽道に基づく呪術を行う方技(技術系官僚)としての各博士及び陰陽師、その他庶務職が置かれた。一番ゆうめいな陰陽師である安倍晴明は陰陽頭には昇らなかったが、その次男吉昌が「陰陽頭」に昇格している。

 博士には陰陽師を養成する陰陽博士、天文観測に基づく占星術を行使・教授する天文博士、暦の編纂・作成を教授する暦博士、漏刻(水時計)を管理して時報を司る漏刻博士が置かれ、陰陽、天文、暦3博士の下では学生(がくしょう)、得業生(とくごうしょう)が学ぶ。宣明暦が、862年2月3日(貞観4年1月1日)から1685年2月3日(貞享元年12月30日)の823年間使用された。因みに天文博士は、天体を観測して異常があると判断された場合には天文奏や天文密奏を行う例で、安倍晴明も任命されている。

 


妖怪退治をする安倍晴明

 「陰陽寮」は飛鳥時代(7世紀後半)に天武天皇により設置され、明治2年(1869年)に時の陰陽頭であり、安倍晴明の末裔である土御門晴雄が薨じたのを機として翌年廃止された。いいだろうか。この国は明治になるまで政治の裏側をサポートし続けたのは陰陽師なのである。普通の貴族の官僚はほとんど役に立たない存在であっても、裏側を呪術で仕切る人間がいれば国は成り立つのである。表の官僚としての陰陽師があり、在野の陰陽師もいた。さらに裏側の陰陽道組織が漢波羅秘密組織「八咫烏」である。

 

 安倍晴明を育てた大陰陽師「賀茂忠行」である。陰陽の術に優れ、時の帝から絶対的な信頼を得た人物であり、特に覆物の中身を当てる「射覆」(せきふ)が得意であったといわれ、延喜年間に時の醍醐天皇からこの腕を披露するように命じられている。忠行の目の前には八角形の箱が目の前に出され、これを占った結果は「朱の紐でくくられている水晶の数珠」である事を見事的中させ、「天下に並ぶもの無し」と賞賛されたと『今昔物語』に記されている。

 

 賀茂忠行は安倍晴明を見出し、「まるで瓶の水を移すかのように」陰陽道の真髄を教えたという。陰陽道の歴史において賀茂忠行の存在は非常に重要で、それまで陰陽寮(陰陽道)の天文道・暦道・陰陽道の三部門はそれぞれ専門家による分業であったが、暦家である賀茂忠行はその職掌を越え、この三つをもすべてを掌握、陰陽家・賀茂氏を確立した。

 

大陰陽師「賀茂忠行」

 

 「陰陽道」は、後に弟子筋の安倍氏との賀茂・安倍による陰陽寮および陰陽道の独占大勢となる。実際、安倍晴明は暦家・賀茂忠行の弟子であるが、天文得業生を経て陰陽師、果ては天文博士に昇進、後には忠行の子・賀茂保憲より天文道宗家を譲られている。この賀茂氏の中の賀茂氏を特別に「鴨族」と呼び、その鴨族の中の裏にいるのが八咫烏である。たとえ、表の世界が在日の偽・藤原氏になろうが、この国の裏側は変わらないのである。そして、彼らこそが「言霊」を操ってきた呪術師なのである。

 

<つづく>