「穢れ」と「言霊」の謎:その24

 

 「汚(よご)れた仕事」を請け負うヤクザの中でも、日本人ヤクザの多くは大和朝廷と秦氏によって制圧され、東へと移動した「外物部氏」の末裔である。「ヤクザ」と書くと「暴力団」と思うかもしれないが、彼らはもともと「任侠」である。『史記』「遊侠列伝」の著者である司馬遷は、「『仁侠』の志を知らずに彼らをヤクザやチンピラなどと勘違いして馬鹿にするが、それは悲しいことだ」と述べている。暴対法の施行以降、日本のヤクザは食えなくなった。詐欺にも手を染める人間も多くなったが、それは一般人も同様である。

 

 任侠とは、仁義を重んじ、弱きを助け強きを挫くために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語である。ヤクザ史研究家の藤田五郎氏の著述によれば、正しい任侠精神とは「正邪の分別と勧善懲悪」にあるといい、 仁侠、義侠心、侠気、男気などともいう。そして、「侠」の字は「俠」とも書き、その意味は「信義にあつく、強きをくじき弱きを助ける人。男気。男だて。」である。「義の人」とはイエス・キリストである。任侠の男たちとは、本来はイエス・キリストの教えに従って「義に生きる」ことを誓った人たちのことなのである。

 


 「俠」の字は、3人の人がT型の十字架にかけられた姿である。「亻:にんべん」が付くことで、3人で磔刑に処された現人神、つまりイエス・キリストを表している。だからこそ、ヤクザの大親分はイエス・キリストなのである。イエス直系のエルサレム教団を率いていた秦氏は、原始ユダヤ教徒・物部氏を改宗させていったが、それに従わなかった物部氏は「外物部氏」となり、現代に至るまで徹底的に弾圧されてきた。

 

 それが被差別部落の人たちであり、「血の儀式」を止めなかった原始ユダヤ教徒たちである。被差別民のことを「同和」と呼ぶのは、もともと同じイスラエル民族だったことを示している。「同じ大和民族」ということなのだ。この同和の中から出てきた義侠心に溢れた者たちが「任侠団体」を作ったのだが、中でも組長=親分は三柱の神に忠誠を誓う儀式「襲名式」を行わねばならない。

 

◆任侠団体の「襲名」とは何を意味するのか

 

 「襲名」とは先人の由緒ある名跡を継ぐ行事である。 能楽・文楽・落語家など、様々なの芸能で行なわれるが、中でも歌舞伎役者のが最も豪華で社会的影響も大きい。 当事者はそれまで名乗っていた名より高い名を継ぎ、本人も観客もそれによって芸格の飛躍的向上を期待する儀式である。ヤクザの世界では、親分の地位を継承した者をその組の「跡目」と称している。ヤクザの世界ではよく次の組長の座を狙っての「跡目争い」が起きるというのはヤクザ映画やVシネの定番ストーリーである。

 

 江戸時代から続くような伝統を持つヤクザは、系譜としてその組を受け継いで行くが、その集団継承行為、すなわち跡目の譲渡及び継承の行為を「跡目相続」といっている。跡目相続はヤクザ社会では最も重要な「誓盃儀礼」で、これを「襲名式」と銘打って、祭壇を設けた式場において、羽織、袴に威儀を正した多くの客人衆の見守る中、代を譲り先代となる親分と代を受ける当代親分が交盃する。これを「跡目相続の盃」という。

 

 「山口組六代目」を例にした場合、新聞やTVなどの報道では、「特定抗争指定暴力団・六代目山口組組長、司忍(つかさしのぶ)こと篠田建市(しのだけんいち)」と紹介される。この「司忍」とは「渡世名」である。芸能人における「芸名」であり、作家のペンネームと同じである。ちなみに「司忍」の名の由来は「耐え忍んで司る」からだという。司忍組長は、1962年(昭和37年)に三代目山口組系鈴木組内弘田組に入った。中京地区の抗争では武闘派として活動、弘田組最高幹部を務めた。後に自らの組織として司興業を旗揚げしている。弘田組内で副組長若頭を歴任し、抗争でも陣頭指揮を執っていたのが司であった。


 1981年(昭和56年)7月23日、三代目山口組組長・田岡一雄が死去。弘田組組長・弘田武志は、田岡の後継者とされる山本健一と関係が近く、山本が四代目を継承すれば山口組に参加するはずだったが、山本も1982年(昭和57年)2月4日に病死。1984年(昭和59年)には四代目組長の座を巡り竹中正久と山本広が対立、弘田は山本広支持を表明したものの、司は「山口組に尽くすべき」と弘田を懸命に説得、ついに弘田は一和会にも四代目山口組にも加わらず引退を決意した。

 

 後日、弘田組長は自身の引退報告と、司に杯を下ろすよう竹中四代目に申し出、竹中はそれを了承した。竹中正久を首領に据える四代目山口組が発足した1984年(昭和59年)6月、弘田の引退に際し弘田組の構成員らを伴い「弘道会」を結成、山口組直参に昇格した。元親分の弘田の一字と、その道を行く「道」の字から「弘道会」と命名したとされる。1989年(平成元年)5月、渡辺五代目体制の発足に伴い若頭補佐に就任する。2005年(平成17年)3月、弘道会の跡目を同会若頭・髙山清司に譲って二代目弘道会総裁に就任、同時に弘田組組長をも名乗る。同年5月、五代目山口組若頭に就任し、7月には六代目山口組組長に就任した。

 

六代目山口組組長・襲名式

 

 ポイントは要所要所で「襲名式」が行われ、それを経ると、名前が変わるのである。「篠田建市」から「司忍」となり、初代司興業組長・司忍、初代弘道会会長・司忍、六代目山口組組長・司忍、となったのである。「そんなの企業も同じでしょ」と言うかたがいるかもしれないが、一般企業では「襲名式」はやらない。「株式会社ニッポン初代専務取締役・山田太郎」なんて誰も呼ばない。なぜか。「襲名式」とはイエス・キリストに誓いを立てる儀式であり、新しい「名前」を与えられる儀式だからである。なぜ、新しい名前が必要なのか。それは「言霊」の呪術だからである!

 

 これはヤクザの世界だけではない。「襲名」を行うのは、伝統芸能に加えて、茶道・華道・香道・書道なども同じである。茶道の裏千家の前宗匠・千玄室氏は、昭和24年に修行得度、斎号『鵬雲斎』安名『玄秀宗興』を受け若宗匠となる。昭和39年10月、裏千家第15代家元となり今日庵庵主として『千宗室』を襲名。平成14年12月、嫡男千宗之に家元を譲座し、汎叟千玄室大宗匠。現在は「利休居士第15代 前家元 鵬雲斎 千玄室」である。任侠の世界も同じなのである!

 

裏千家の前宗匠・千玄室氏

 

 なんてことを言うと、全国の裏千家のお弟子さんたちを敵に回しそうであるが、まぁ姉も姪も裏千家の弟子だから赦してもらおう(笑)。要は伝統芸能だろうが、任侠の世界だろうが、「襲名」を行う世界のトップは、基本的に天照大神=イエス・キリスト=ヤハウェへの誓いを立てるということだ。「襲名」とは一体何なのか?

 

 「襲名」とは跡を継ぐ「預言者」に対する「祝福」である!イスラエル民族は代々、預言者は父から子へと受け継がれてきた。ノアはセムに祝福を与え、大神権を継承した。アブラハムはイサクへ。イサクはヤコブを祝福。そしてヤコブは神の遣い(神)と一晩中格闘しても負けなかったことで、絶対神がヤコブを祝福、名を「イスラエル」と改めたのだ。

 

 そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 

 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 

 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(「創世記」第32章25-31節)

 

 襲名の「襲」という字は、音読みが「 シュウ(シフ)」、訓読みは「おそう、かさねる」である。「龍+衣」で、字源は「龍」の象形、と「衣服のえりもと」の象形から、「衣服のかさね着」を意味する「襲」という漢字が成り立ったとされ、また、龍が人の衣服のえりもとにのっかったさまから「おそう」という意味も表すとされている。

 



 「襲」には様々な意味がある。

 ①「おそう」「おそいかかる」・・・「襲撃」「奇襲」「強襲」
  「不意にやってくる」「急におしかける」「風雨や地震などが起こって、被害を及ぼす」「好ましくないことが、覆いかぶさるようにやってくる」「それを原因とする」「応じる」「従う」

 ②つぐ。受けつぐ。引きつぐ。あとをつぐ。 ・・・「襲名」「世襲」「踏襲」

  「家系・地位などを受け継ぐ」

 ③「着る」「かさねる」「重ね着する」「重ねた着物」

 ⑤「覆う」「閉ざす」「閉じる」
 ⑥「合う」「当てはまる」
 ⑦「やわらぐ」
 ⑧「和合する」

  「仲良くなる」「結婚する」「まぜ合わせる」、「混じり合う」

 

 「龍」とは龍神で雷神で水神、荒ぶる神スサノオであり、ヤマタノオロチのことでもあり、契約の聖櫃アークのことでもある。その正体は絶対神ヤハウェである。絶対神ヤハウェが、ヤコブに襲いかかったのであり、ヤコブに覆いかぶさったのである。それでも負けなかったことを祝福して「預言者」に召命されたのである。その絶対神ヤハウェが与えた「衣」を着るという字なのだ。

 

 この「ヤハウェが与えた衣」とは「預言者の衣」のことである。最初に与えられたのは「ノア」であり、ノアが絶対神ヤハウェから祝福を受け、絶対神の預言者として召命され、この預言者の衣を与えられたのである。その預言者の地位を「受け継ぐ・引き継ぐ・跡を継ぐ」ことを「襲名」と言っているのである!ヤクザや伝統芸能の襲名において、たとえ実の親子でなくても「親子」の関係を結ぶ意味はここにあるのだ。ヤクザが親分のことを「オヤジ」と呼ぶ意味もここにある。

 

預言者に召命されたノア

 

 さらに「襲」には「着る」「かさねる」「重ね着する」「重ねた着物」という意味があるが、これは「預言者の衣」を肌に直接触れる下に着たことを伝えている。日本ではこれを「長襦袢」(ながじゅばん)と呼ぶが、「袢」というのは「はだぎ、あせとり、また、無色のころも」で、これをもともと「下着」「肌着」と呼んでいた。日本人の正装が「和装」で「重ね着」をする理由はここにあるのだ!だからこそ、伝統芸能だろうがヤクザだろうが、「襲名披露」は必ず「和装」でないといけないのである。

 

 和装では、必ず紋入りであることが礼装・略礼装であるときの絶対条件となる。黒羽二重、染め抜き五つ紋付きの長着と羽織に仙台平の袴をつけた服装が第一礼装と呼ばれる。「紋付袴」は、正式には紋付羽織袴と呼び、「紋」をいれるのは、どこに所属する者かを明確にするという意味で、家紋があるのもその意味である。その家のルーツがイスラエル12支族のどの一族なのか、原始キリスト教なのか、原始ユダヤ教なのかも家紋を見れば分かるようになっているのだ。

 


 さらに長襦袢は「白羽二重」(しろはぶたえ)が基本だが、その雛形は新天皇即位の「大嘗祭」(だいじょうさい)において、天皇が着る「麁服」(あらたえ)にある。「麁服」調進の任を負うのは阿波忌部氏直系の三木家である。「忌部氏」は天照大神=イエス・キリストの葬儀を行ったレビ族の末裔であり、「麁服」とは「死に装束」のことである。人間「天皇」は一度亡くなり、天皇霊を宿して復活を遂げ、「天皇陛下」=「天照大神の預言者」という新しい役職になるのである。

 

 「襲名」とは、それまで別の名をもっていた自分が一度死んで、別の名を与えられて復活することを意味している。武士が幼名から名を変えて「元服」するのも同じである。つまり、「襲名披露」とはイエス・キリストの「死と復活」を再現した儀式なのである。だから「大嘗祭」で天皇が着る「麁服」と同じ意味で白い長襦袢を着るのだが、その名が「白羽二重」なのは、白く輝く翼をつけた神=天に昇ったイエス・キリストと絶対神ヤハウェは同じ神=「二重」だと告げているのである。「襲」の字に「かさねる」「重ね着する」「重ねた着物」の意味があるのはそれを示しているのである。

 

 

 「下襲」と書いて「したがさね」と読む。これは 束帯の内着で、「半臂」(はんぴ)または「袍」(ほう)の下に着用する衣のことである。裾を背後に長く引いて歩く。位階に応じて長短の制があり、鎌倉時代以後、天皇の料のほかは裾を切り離して「別裾」(べっきょ)とした。地質・色目・文様は、「公卿」(くぎょう)や「殿上人」(てんじょうびと)などの身分の違いにより、また、夏と冬によって区別があったが、これは「もと、下着のこと。肌着。」とある。身分は違えど、みな和装の場合は「重ね着」をするのである。

 

 さらに和装の羽織の紐は「駕篭打ち」で慶弔共に色は白を用いる。袴は仙台平の縞柄で、紐は十文字に結ぶ。駕篭(かご)とは「籠」で、「竹冠+龍」と書く。龍は絶対神ヤハウェであり、そのヤハウェ向かい合う2本の下向きの三叉(竹)の冠をつけるとは、「荊の冠」を頭にかぶせられた絶対神ヤハウェ=イエス・キリストを表しているのだ。紐を十文字に結ぶのは「十字架」にかけられた神に誓いを立てるためである!

 

 

 だからこそ「襲名披露」では天照大神=イエス・キリスト=ヤハウェに誓いを立てながらも、三神にも誓いを立てるのである!天上には「御父・御子・聖霊」の3神がおわすとイスラエル民族に明かしたのはイエス・キリストだからである。加えて、「襲」の字に「和合」の意味があるのは、原始ユダヤ教徒・物部氏と原始ユダヤ教徒・秦氏の「和合」を意味している。


 紋のついた着物に袴・羽織を着るのは、現代でも男の子の七五三も同じ装いである。神に誓う行為は全て「和装」でないといけないのである。日本人が、入園式に卒園式、入学式に卒業式、結婚式や金婚式と、いちいち「式」を執り行うのは、全て過去の自分が一度は死んで、別の名を与えられて復活する儀式を行っているのである!


<つづく>