「穢れ」と「言霊」の謎:その21

 

◆「燔祭」 とレビ人に与えられた「戒律」

 

 モーセの時代から計算しても約1700年くらいは続けてきた神聖なる儀式を、たとえ元々は同族であったとしても、突然現れた「秦氏」に「やめろ」と言われても、そう簡単にやめることはできなかったのは想像がつく。ユダヤ教=古神道の価値観、罪観と、原始キリスト教=神道の価値観、罪観には大きな違いがある。ユダヤ教の思想には、善悪の価値観があり、これを分別するという観念があるが、原始キリスト教の神道は浄不浄(きれいか汚いか)という価値観を持ち、不浄なものを祓い清めるという考え方がある。

 ユダヤの罪観は、罪は
「原罪」に起因する内在的なものとされ、これは「贖罪=身代わり」によって取り除かれるとするが、神道の罪観は、不浄なものは埃のように人間に外から取り付くものであり、これは「禊(みそぎ)」と「祓い(はらい)」によって取り払うとする。ユダヤの臨在の幕屋には「焼き尽くす生贄」の祭壇があるが、秦氏が乗っ取った後の物部系の神社(寺も含む)にはそういった祭壇はない。穢れが発生するからである。代わりにあるのは「禊(みそぎ)」のための池や川である。

 

 ちなみに「原罪」とは、キリスト教の教えで、「人類が最初に犯した罪」とされる。 人類の祖アダムとイブが禁断の木の実を口にしたことで、「神の命令に背いた罪」とされ、 アダムとイブの子孫である人類はこの罪を負うとされる。キリスト教では、この「原罪」がすべての人間に、罪への傾向性として引き継がれたと教えている。なお「原罪」は「宿罪」(しゅくざい)ということもある。具体的には、『旧約聖書』の「創世記」に記載されている「禁断の木の実」とはエデンの園にあった善悪を知る知識の木の実で、神から「絶対に食べてはいけない」と禁じられていたものだ。なぜなら「死ぬ体」になるからだ。


左:禁断の実を食べてしまうアダムとイブ 右:楽園追放


  主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(「創世記」第2章16−17節)

 

 キリスト教では、イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)にされて処刑されたことで、その犠牲をもって、アダムとイブが犯した原罪を償ったと解釈している。これを「罪の贖い」(あがない)という。「贖う」とは、「罪の償いをする」という意味である。また、キリスト教では、神との契約を守れずに罪を背負っている人間が、神によって救われることはないとされる。

 

 イエス・キリストは自力で償いをすることができない人間の代わりに、「罪の贖い」によって、神と人間との和解をもたらした。このイエス・キリストを「救い主」として受け入れるのであれば、神に救われる資格を特別に得られるといわれており、「罪の贖い」は、キリスト教の考え方の中心とされている。

 

 

 原始キリスト教徒「秦氏」に言わせれば、イエス・キリストが人類の罪をもう清算したのだから、ヤハウェが現人神として顕現したイエス・キリストを救世主として認めて受け入れれば、もう燔祭と血の儀式は必要ないんだぞ、ということである。さらに、ユダヤ教徒の物部氏は唯一神ヤハウェを奉ずる一神教徒だったため、秦氏は「ヤハウェ=イエス」が伝えた「御父・御子・精霊」の絶対三神を受け入れよということなのだが、物部氏は頑固である。なかなか受け入れられなかった。

 

 まぁ、大多数の物部氏にとって、そんなことを言われても「イエス・キリストなんて見たことも聞いたこともない」「俺達はずっと絶対神ヤハウェだけを信奉してきたんだ」「神は一人で三神なんているはずない」といった感じだったはずだ。さらに、ユダヤ教の大祭司アロンの末裔である古神道の神官たちにとっては、1500年も守ってきたモーセを通じた絶対神の教えを簡単に変えることは出来なかったのである。なにせ、祭司は一切の「穢れ」を許されなかったからである。

 

 祭司レビ人は、その結婚する相手から、服装や食生活などの生活様式・行動様式までを、細かく規定されていたからだ。

 

祭司レビ人

 


 主はモーセに言われた。
 アロンの子である祭司たちに告げてこう言いなさい。親族の遺体に触れて身を汚してはならない。 ただし、近親、すなわち、父母、息子、娘、兄弟、 および同居している未婚の姉妹の場合は許される。 間違っても、親族の遺体に触れて、身を汚すことがあってはならない。(「レビ記」第21章1-4節)

 

 親族にも触れてはならないのである。親族に触れることすら「汚れ(ケガレ)」となるのだ。ましてやスケベなレビが、そこら辺のおネエちゃんにお触りなんかしたら絶対神の逆鱗に触れることになる。現代風に言えば、アロンの末裔の神官たちはキャバクラやセクキャバは厳禁。お姉さんが膝の上に手を置かなければ銀座のクラブにも行けるだろうが、お触りパブなんかもってのほかである(笑)。


  神に属する聖なる者であるように、神の名を汚さないようにしなければならない。祭司は、燃やして主にささげる神の食物を携えるのであるから、聖なる者でなければならない。遊女となって身を汚した女、あるいは離縁された女をめとってはならない。祭司は神に属する聖なる者だからである。 あなたは彼を聖なる者とせよ。神の食物をささげる身だからである。彼はあなたに属する聖なる者でなければならない。わたしはあなたたちを聖別する主、聖なる者だからである。(「レビ記」第21章6-8節)

 

 付き合う女性、結婚する女性には特にうるさい。レビ人は聖別された一族だから一切の「ケガレ」が許されないのである。元キャバ嬢、元ソープ嬢、元デリヘル嬢、元AV嬢なんてもってのほかなのだ。きっとパパ活女子大生・OLもNGだし、いくら慶応大学卒や元ミス東洋英和の才媛であっても、ラウンジ嬢として働いていた女子アナたちもアウトだろう(笑)。これは筆者の差別や妬みではない(笑)。要は、「多くの男達にお触りをした=多くのケガレを持つ」ということになるということなのだ。

 


 祭司の娘が遊女となって、身を汚すならば、彼女は父を汚す者であるから、彼女を焼き殺さねばならない。同僚の祭司たちの上位に立ち、聖別の油を頭に注がれ、祭司の職に任ぜられ、そのための祭服を着る身となった者は、髪をほどいたり、衣服を裂いたりしてはならない。 自分の父母の遺体であっても、近づいて身を汚してはならない。 聖所を離れて、神の聖所を汚してはならない。彼は神の聖別の油を頭に注がれている者だからである。わたしは主である。 祭司は処女をめとらねばならない。 やもめ、離縁された女、遊女となって身を汚した女などをめとってはならない。一族から処女をめとらねばならない。 一族に汚れた子孫を残してはならない。わたしは彼を聖別した主だからである。(「レビ記」第21章9-15節)

 

 祭司の娘は決してキャバ嬢やデリ嬢になってはいけない。パパ活も厳禁である。「彼女を焼き殺さねばならない」とあるからだ。さらに困難なのが「処女」と結婚しないといけないのだ。最近は中学生でもロスト・バージンしている子も多い世の中だ。処女をどうやって探すのだろうか(笑)。精進潔斎した巫女さんじゃないと無理だ。いくら頭が良くて、美人であっても「バツイチ」も「元××嬢」もアウトなのである。

 

 さらに厳しい規定が、「一族に汚れた子孫を残してはならない」であろう。これは相当厳しい教育を子供に授けない限り無理だ。これだけ周囲を欲望が取り巻く現代社会において、ケガレが一切ないように子供を育てたとしても、影で何をやっているかまでを把握するなど至難の業だ。ましてや親の死後のことまで保証できる神官などいないはず。よって、たまにひどくケガレた子孫が残ってしまう場合がある。覚えていらっしゃる方もいると思うが、2017年12月に起きた「富岡八幡宮殺人事件」である。

 

富岡八幡宮

 

 2017年(平成29年)12月7日、東京都江東区の富岡八幡宮近郊と敷地内で起こった連続殺人事件である。亡くなったのは富岡八幡宮の宮司、富岡長子さん(58)だったが、なんと殺した犯人が元宮司の弟・富岡茂永だったこと、それも神社という神域内でである。この時点で富岡八幡宮は穢れた社に成り下がった。ちなみに八幡宮の近所に住んでいて筆者の叔父が嘆いていた。

 

 この事件、神官一族にはあってはならない怨恨による殺人だった。「恨み骨髄」ってやつで、まるで韓流ドラマのような積年の恨みを晴らすための殺人だったのだ。茂永容疑者が事件前にしたためたと見られるA4用紙8枚につづられた手紙2800通が、事件後に全国の神社、富岡八幡宮の氏子など関係者に郵送されていた。茂永容疑者はその手紙のなかで具体的な要求を四つ挙げ、その一つが自身の息子を「即刻富岡八幡宮の宮司に迎える事」だった。もし、要求が実行されなかった場合は、として以下のように記していたのだ。

「私は死後に於いてもこの世に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」
 

 元宮司が「怨霊となる」なんて言った話は初めて聞いて衝撃的だった。さらに驚かされたのが、結局なにを恨んだのかといえば、宮司になって得られる「カネ」の話だったことだ。

 

 

 「4億円はくだらない。地元では賽銭(さいせん)御殿と呼ぶ人もいます」と近所の人が語っていたのが、殺された姉の宮司の屋敷だ。まぁ別に儲けて豪奢な生活を送っても問題はないが、このお姉さん、独り者で、ホスト通いが過ぎていたらしいのだ。

 

 「指名するのは20代前半の若いホスト。VIPルームを使い、一本100万円以上するクリスタルボトルを注文することもあった。月の支払いは200万円以上。いつも運転手付きの車で店まで来ていました」
 

 神社関係者によると、茂永容疑者は30代のころ、父親(故人)の後を継いで一度は宮司となったが、女性問題などをめぐる怪文書が出回るなどした影響で、平成13年に解任されてしまった。その後は父親が宮司に復帰していたが、このころから宮司の地位をめぐる対立が激化したとみられる。捜査関係者によると、お姉さんは14年1月、警視庁深川署に「宮司の地位をめぐり、親族間でトラブルになっている」と相談していたとされている。

 

 2人は10年以上にわたってトラブルを抱えていたとみられると報道されていたが、犯人の弟は宮司をクビになったことで、銀座のクラブで遊べなくなったにも関わらず、姉は歌舞伎町のホスト通いで派手に遊んでいたことで、18年1月、姉に「積年の恨み。地獄へ送る」「必ず今年中に決着をつけてやる」などと記したハガキを送ったとして、同署に脅迫容疑で逮捕されていたという。「親族間の骨肉の争いの最中に起きた惨劇」などとショッキングな見出しがニュースで出たが、要は「カネ」と「SEX」なのだ。殺しをする前からかなり穢れていたということだ。

 

 大手のメディアでは「歴史ある神社の宮司の死」と報道されていたが、記事を書いている記者は何も分かっていない。ここの創建は1627年と大した歴史があるわけではないのだ。さらに、一般的にはあまり知られていないが、この辺は江戸時代は「花街」だったのである。深川に「花街」が形成されたのは1655年(明暦元年)、富岡八幡宮門前に開業した料理茶屋が起源とされる。要は今で言うソープ街だったのである。神道的にいえば「穢れた町」だったということだ。

 

深川遊里の茶屋を描いた喜多川歌麿の『深川の雪』

 

 「深川遊里」は栄華を極めた吉原のライバルとも言われるほどの人気の場所で、寛永4年(1627)に富岡八幡宮が建立され、門前町が許可されると人も自然と集まり、次々と遊女屋が出現。深川遊里は幕府公認の吉原遊郭と異なり、非公認の岡場所だったのだ。今でいう新宿歌舞伎町にある大久保公園周辺の「立ちんぼ」とラブホ街と考えればいい。深川で働く女は、芸者と遊女の2種類。吉原の芸者は春を売らないが、深川の芸者は客の求めに応じることもあったという。

 穢れの集まった場所の神社だけに、穢れた「お金」もいっぱい集まっていた場所なのである。その意味で、絶対神ヤハウェの
「一族に汚れた子孫を残してはならない」という命令は守られなかったということである。まぁ穢れているのは富岡八幡宮だけではない。だが、令和という時代はあらゆる不浄なるものの化けの皮を剥がす。穢れた神社もお寺も同じ運命をたどることになる。さらにいえば、神社本庁も同じだ。昨年、2023年、全国約8万の神社を束ねる「神社本庁」で「2人の総長の闘い」が勃発。傘下の東京都神社庁で幹部による巨額の金銭の使い込みが発覚した。神に仕える仕事も含め、全ての穢れが一掃されていく時代に突入しているのである。

<つづく>