「いのちの歌」/ 竹内まりや

 

 何百回聴いても涙が溢れそうになる曲がある。そんな曲は本当に数少ないが、昨日はその代表曲として山下達郎の「希望という名の光」を紹介したが、この曲と同様に竹内まりやの「いのちの歌」を聴くと、不覚にも涙が流れそうになってしまう。だから、絶対に外では聴けない。

 

 

 「いのちの歌」の原曲は、茉奈 佳奈の4枚目のシングルで、作詞は竹内まりや(Miyabi名義)、作曲は村松崇継。三倉茉奈と三倉佳奈のダブル主演で2008年度下半期に放送されたNHK連続テレビ小説『だんだん』の劇中歌である。Miyabi=竹内まりやの事実はドラマ収録中には三倉茉奈、三倉佳奈に対しても伏せられており、ドラマクランクアップ後の打ち上げパーティーの席上で竹内自身により初めて告げられた。また、2010年12月に開催された竹内まりやのライブ『souvenir again』のアンコールで竹内のピアノ弾き語りによって「いのちの歌」が演奏され、あわせてこの事実が初めて一般に明かされた。感動した。

 

 この竹内まりやバージョンの「いのちの歌」のミュージック・ビデオが、3月3日にオフィシャルYouTubeチャンネルにて公開されたのだが、やはり涙が流れそうになってしまった。故郷・出雲大社風景はまだしも、幼少期の竹内まりやがお父さん・お母さんと一緒に映っているモノクロ写真をみただけで号泣しそうになってしまうのだ(笑)。ジジイになると涙もろくなるとは言うものの、自然に涙がこぼれそうになる曲というのは滅多にない。

 

 2022年に書いたブログ「隠されし媛巫女「竹内まりや」の謎 〜預言されし秦氏と物部氏をつなぐ媛巫女の降臨〜」でも書いたが、出雲大社の大社町の町長の娘なのに名前が「まりや」と付けられた時点で、この人は特別な使命を授かっている。「歌」を通じて大和民族の心を慰める役割を負っているのだ。まぁ、そんなことを言っているのは筆者だけだが(笑)。

 

 

 本日は「東日本大震災」から13年である。新聞に載っていた被災者の方々が、能登の被災者の方々にエールを送る写真の数々を見た瞬間に、頭の中で「いのちの歌」が流れた。まりやがこの曲をセルフカバーしたのは2012年である。家族や友⼈、もう会えない⼤切な⼈たちに「出会えた喜び」と「命への感謝」を歌った内容が、別の意味を持った。山下達郎の「希望という名の光」と同様に、曲が作られた時と、歌い継がれたことで別の次元の曲となったのである。

 

 大切なのは、この曲は「寄り添っていない」ということである。最近のJ-POPソングの宣伝文句にはバカの一つ覚えのように「××の心に寄り添った」といったフレーズを使いたがるが、そんな簡単に他人の心に寄り添うことなどできないものだ。レコード会社ならまだしも、楽曲を作ったアーティスト本人は決してそんな言葉を使ってはならない。その曲が人の心に寄り添えるか否かはリスナーが決めるものだ。

 


 この曲は幅広い世代から支持を集め、卒業式や結婚式など人生の節目となるイベントで歌われ続けている。
このミュージック・ビデオは、2018年に公開され大ヒットしたライブ・ドキュメンタリー映画「souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜」の本編のラストを飾るために作成された映像で、全編竹内まりやの本人直筆の歌詞テロップ加わっている。これが非常に重要なのである。真心が込められるからだ。たかが文字などと思ってはいけない。

 

 家族や友⼈、もう会えない⼤切な⼈たちに「出会えた喜び」と「命への感謝」は文字に刻まれ、歌声に刻まれる。そして、そうした人たちとの思い出の中で、最も心を動かすのは、その人達が書いてくれた手紙やハガキに書かれた文字である。その文字の中に魂が宿るからだ。

 

 

 「本当にだいじなものは隠れて見えない」のである。筆者も含め、人生の残り時間が減ってきたと思う人は、時間のある時に、これまでの人生で出会った人たちへの感謝をしておいた方がいい。人間はいつ死ぬか分からない。今も存命なら、家族や友人、一緒に仕事をした人たちに感謝の言葉を伝えておいた方がいいと思う。恥ずかしいなら手紙にしたためておけばいい。何も伝えずに旅立ったら、天国で「あぁ、言っておけばよかったなぁ」などと後悔するかもしれない。

 

 後悔しないようにするには、まずはこの曲を聴いておいた方がいいかもしれない。