「穢れ」と「言霊」の謎:その7

 

 「神国日本」という観念は、なにも正史である『日本書紀』に記述があることを拠り所にしている訳では無い。そして、明治から先の大戦までこの国を覆った「皇国史観」と「国家神道」があったからでもない。この国は昔も今も「神話」の国で、日本人というのは「神話」の中で生きているということを理解していない。いいだろうか、この国は未だに神話の中の世界なのである。

 

◆「言霊の幸わう国」の謎の信仰

 

 だいたい21世紀であっても、この国では「日本は言霊の幸(さき)わう国」だと信じている人がいる。科学とは一切関係ないが、これをポジティブ・シンキングやらポジティブ・トーク、アファメーションの類で論じ、脳機能と関係しているなどと安直なことを言う人達がいるが、それは違う。何度も書くが「言霊」とは呪術である。古代の人々は、言葉に霊力が宿ると考える 「言霊信仰」 を持っていて、美しい心から生まれる正しい言葉は、その言葉通りの良い結果を実現し、逆に、乱れた心から生まれる粗暴な言葉は災いをもたらすと信じていた、というのが言霊の説明にはよく出てくるフレーズだが、ことはそんな簡単な話ではない。

 現代でも、結婚披露宴などの祝いの席では 「別れる」 「離れる」 「切れる」 「割れる」 「壊れる」 などは縁起の悪い言葉とされ、 「忌み言葉」 として使わない。宴の終わりは 「発展する」 イメージに通じる
「おひらき」 という言葉を使い、文字も 「御披良喜」 などと記す。暴走族のチーム名みたいだ(笑)。受験シーズンには「落ちる」「すべる」はNGなため、蕎麦屋では「勝つ丼」と名前を変え、カレー屋でも「必勝!勝つカレー」として販売する。まぁ便乗商法の類いではあるものの、必ずそこには「験担ぎ」と記されている。

 

 

 こうした「言霊信仰」は、「験担ぎ」ビジネスとして神社や各種祈願グッズやお守り、開運グッズ、お菓子を始めとする食べ物、飲み物、衣類に文具、スピリチュアル系の金運グッズなどなど、挙げたらキリがない。神社での祈願には、厄除け、安全祈願、健康、仕事・商売・お金、暮らし・家族、恋愛・人間関係、開運、禍事清祓、地鎮、他にも国家鎮護に民族安寧、など高尚な願いもある。


受験にちなんだ各種祈願グッズ

 

 上の画像の太宰府天満宮の「学業成就・進学祈願えんぴつ」は未だに筆者も持っている。確か友人のお母さんにもらったのだが、天満宮の名前が入っていると、どうも捨てるに捨てにくい。なんでもかんでも神社で「お焚き上げ」というわけにもいかないだろうなどと思ってしまうからなのだが、これぞまさしく「言霊信仰」である。買ったはいいけど捨てられないモノの中には、「言霊信仰」が邪魔をして捨てられないものがあるはずだ。

 

 鉛筆は捨てにくいが、上の画像の「ダルマ消しゴム」はかなり使いにくそうだ(笑)。試験中に使うとコロコロ転がっていきそうだし、こんなに丸いとかなり消しにくいはずだ。答案用紙が汚くなりそうだ。まぁ消しゴムは減るから捨てられそうだ。

 

 昔も今も祈願グッス・開運グッズは「ダジャレ」が多い。上の「お守りくだサル」とか、下の「無事カエル」など、「心の中ではくだらねぇ〜」と思いつつ、つい買ってしまいそうだ(笑)。実は、この「ダジャレ」も「言霊信仰」であり、ある意味「言霊の奥義」といえる。日本ではダジャレの中に真意が隠されている場合が多いからだ。

 

 

 こうした「言霊信仰」によるグッズは、海外では理解しにくい。宗教の中で「偶像崇拝」が禁じられているからで、もちろん一番多いのはイエス・キリストや母マリアの像、その反対のサタンの像。この3種類はTシャツやステッカーに始まり、種類が一番豊富だ。もちろん敬虔なキリスト教信者はそんなものは使わないが。その意味で、日本という国は上から下まで「神頼み」なのである。

 

 世界の人からすれば、いったいこの国はどれだけ神や仏に祈願するグッズがあるのかと呆れるはずだ。仏教徒が多いタイ、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、カンボジアなどに行ったって、こんなに多様なグッズが揃っている国はない。さらに日本の場合は、キリスト教にも便乗するため、ハロウィンにクリスマスにと関連商法も凄い。さすがにユダヤ教の関連グッズは少ないが、「カバラ必勝占い」なんて本も出ているし、六芒星グッズなどは「月刊ムー」の通販ではいつも売っている(笑)。

 

 日本人は自分たちのことを「無宗教」だと信じている人が圧倒的に多い。世界広しといえど、ここまで宗教的な国はないはずなのだが、日本人は宗教には無自覚である。それを表す例がわれらが岸田首相である。2023年3月21日、「電撃訪問」と称してウクライナ入りしたとき、ゼレンスキー大統領に広島の「必勝しゃもじ」をお土産として持参した。われわれ日本人には首相の出身地である広島の土産物だと分かるが、ウクライナ人から見たら「悪魔の文字みたいなものが書かれた不気味な木のへら」である。「これがあれば戦争に勝てます」と言われても、かなりビビったに違いない(笑)。

 

広島名物「必勝しゃもじ」と「うまい棒」の箱

 

 岸田総理は、地元・広島県の宮島で作られた長さ約50センチの「必勝しゃもじ」と、折り鶴をモチーフにしたランプを贈った。さらに日本のSNSで話題となったのは、岸田総理がウクライナに「必勝しゃもじ」を運ぶのに用いたとされた「うまい棒」の段ボール箱である(笑)。うまい棒の段ボールを運ぶ訪問団スタッフの映像が報道された際、多くの人の脳裏に「なぜ?」が浮かんだはずだが、送られたウクライナにしたら「なんで大統領へのお土産がこんな箱に…」と思ったはずだ。

 

 もし、海外から魔術師を名乗る人物が日本にやってきて、意味不明な文字の書かれたお札を渡されて、「あなたの敵を倒すための特別な呪いがかけてある」と言われたら、誰しも不気味に思うはずだ。そういた呪術的なものを、日本では総理大臣でもやっているのである。一神教の世界では基本的にまじないは禁止である。よって、ゼレンスキーたちは「東洋の神秘」ならぬ「神秘の国・日本」の恐ろしさをかなり感じたはずだ。

 

「しゃもじはいらない」とゼレンスキーも言った?

 

 ましてや、この時点で岸田総理がゼレンスキーに約束した援助金はたった40億円である。高速道路を1キロ作るのに53億円かかることを考えればたった800メートル分、ステルス戦闘機1機(150億円)も買えない金額である。まともに支援しているとは到底思えない額しか出していない状況の中で「不気味なしゃもじ」を持ってきたのだ。ウクライナから見たら「えっ、この不気味なしゃもじで足りない分をカバーするのか?」と思ったに違いない(笑)。まさに「神秘の国・日本」恐るべしである。

 

 ロシアと西側諸国が一神教同士の価値観戦争をやっているところに「不気味なしゃもじ」である。こんなことは中国でもやらない。一国を代表する総理大臣からしても「宗教性に無自覚」という部分こそが日本人の特性だが、ましてやキリスト教の国に「八百万の神々も応援してます」と大量に持ち込まれたのだ。「最新兵器を」「もっとお金を」といつも言っているゼレンスキーは、「国のトップまで呪術が支配しているとは、なんて前近代的な国なんだ」と驚いたに違いないはずだ。

 

◆「神国日本」という思想


 「神国日本」という思想はいわゆる「万世一系」の思想につながる。弓削道鏡が皇位を望んだとき、和気清麻呂が宇佐八幡宮の神託を受けて帰り、「我が国は開闢以来、君臣定まり、臣をもって君と為すことは未だあらざるなり。天の日嗣は必ず皇嗣を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし」と奏したというのが、万世一系思想の現れである。また「大化の改新」を行った中大兄皇子が、大化2年(646)に詔に奉答して「天に双日なく、国に二王なし。これ故に天の下に兼ね併せて万民を使うべきは、ただ天皇のみ」と言上したとされるのは、天皇の神聖に対する理解を表明したものといわれる。

 貞観11年(869)12月14日、新羅の船が襲来した知らせを受け、その撃退を祈る伊勢神宮への告文には
「日本朝は、いわゆる神明の国なり。神明の助け護り賜わば何の兵寇か近く来るべき」とあり、同29日の石清水八幡宮への告文にも「我が朝の神国と畏れ憚り来たれる」とあり、神明を信じて疑わない様子が分かる。平安貴族の日記である小右記や玉葉にも「我が国は神国なり」との文言がある。また、軍記物語である保元物語にも「我が国は辺地粟散の界といえども神国たるによりて」とあり、源平盛衰記には「日本はこれ神国なり。伊弉諾伊弉冉尊の御子孫、国の政を助け給う」とあり、同書で平重盛が父の清盛を諌めるとき「日本はこれ神国なり。神は非礼を受け給わず」と述べたという。もう神国だらけだ。

 

保元物語

 

 そのほか諸書や和歌に「当朝は神国なり」「神の国」「我朝者神国也」「日本は神の御国」などの語も見えるように、飛鳥時代以降、日本を「神国」とする記述がなされてきたのである。また、蒙古襲来の際にも、文永7年正月の蒙古に送る牒文案に「皇土を以て永く神国と号す」とある。蒙古の軍船が嵐で沈んだことについて、日本国民はこれを神明の加護によるもの、つまり「神風」が吹いたのだと信じたという。全ては日本が「神国」と信じている証である。

 南北朝時代、南朝方の公家北畠親房は『神皇正統記』を著しているが、同書の始めには
「大日本は神国なり。天祖、初めて基(もとい)を開き、日神、永く流れを伝え給う。我が国のみこの事あり、異朝にはその類いなし。それゆえ神国というなり」と述べて、日本が神国であることを明示、さらに進んで万世一系の国体を論じて「ただ我が国のみ天地ひらけし初めより今の世の今日に至るまで日嗣を受け給う事よこしまならず。一種姓におきても、おのずから傍らに伝え給いしすら、なお正に返える道ありてぞ保ちましましける」といい、「これ、しかしながら神明の御誓い新たにして余国に異なるべき謂われなり」と結ぶ。神道については「この国は神国なれば神道に違いては一日も日月を戴きまじく謂われなり」と論じている。

 


「神国日本」(横山大観)

 近世の初め、天下人の
「豊臣秀吉」「徳川家康」は外国宛書簡で神国思想を表明している。神国思想や自国優越思想、すなわち日本の国体が特異であるという点について、これを学者が詳細に議論するようになったのは徳川幕府が開かれてからである。その理由は、学問が発達し、日本古代の建国の体制が明らかになったことが一般的理由であるが、さらに、儒家がやたらと中国の思想を尊び日本を卑下する態度に対して反発がおこったこと、また、江戸の幕府が繁栄しているのと対照的に京都の朝廷が衰微していたので感情的に尊王の思潮が湧いたこと等が理由となった。

 

 現在の日本において「神国日本」などというと「右系の方?」などと思われてしまう。正々堂々と「神国日本」などと言えば、SNSではすぐに「ヤバい」「危険人物」などと言う人がいる。だが、そうした方々は、なぜ日本が神国とされてきたことすら知らず、「言葉」のみに反応してしまう。これも実は「言霊信仰」である。戦後、徹底的にGHQが「国家神道」や「皇国史観」を潰してきたことで、戦前までの価値観を全て「悪いもの」として逆の過剰反応が出るのだ。もちろん自由思想を唱えたことで、戦前に特高警察などに拷問に遭った方などは、「天皇」「靖国神社」などの言葉すら聞きたくなかったことは承知しているが、真実までを封印してはダメだ。

 

 さて、話がそれてしまったが、「鏡割り」で「鏡餅」を木槌で割るという行為に込められた意味を解いてはいない。ここを突破しなければ次には迎えない。なにせ、「神の体を木槌で割る」のだ。まさに呪詛なのではないかと思えるこの神事には、いったいどんな秘密が隠されているのだろうか。

 

<つづく>