「穢れ」と「言霊」の謎:その4

 

 前回、日本人は韓国のことに無知すぎる、と書いた。ドラマや映画の俳優、K-POPの人気アーティスト、コスメやグルメを知っている程度で、韓国のことを知っているように思ってはならない。なんで韓国人は「反日感情」を持っているのかということについても、それは日本が韓国を併合した時代があったからだと考える人が多いが、韓国人を含む朝鮮民族が日本を嫌いなのは、豊臣秀吉による朝鮮出兵が行われた時からだ。

 

 英国人女性旅行家イザベラ・バードが1894年から1897年にかけて、4度にわたり朝鮮を旅したときの紀行文『朝鮮紀行』でも、秀吉による侵略以来の「恨み」については何度も語られておりで、朝鮮人の反日感情は、著者の目にもあからさまのものだったのだろうと想像できる。もちろん、その後の併合時代にも悪い日本人は色々といたに違いないし、朝鮮戦争後のアメリカが反米感情を抑え込むために作り出した「反日教育」の影響も多大にあることは間違いない。実際、韓国や北朝鮮では今も定期的に「反米デモ」が起きている。

 

1960年の韓国の「四月革命」のデモ

 

北朝鮮の「反米集会」

 

 日韓併合時代の方が良かったとする韓国人は、当時を知る老年の方々には多かったが、「反日政策」においてそうした発言をすると国家を挙げて袋叩きにするという間違った行為も多々あることも事実だ。1978年の大学留学時代から、長年ソウルに駐在している産経新聞の黒田勝弘氏は、現代の韓国人というのは「昼は反日、夜は親日」とズバリと言い切っている。

 

 一方の日本人の中の「韓国人・朝鮮人嫌い」は、ほとんどの日本人が朝鮮人のことを知らない時代に日本にやってきた朝鮮人たちの生活慣習に根ざすものが大半だといえる。明治期から日本に渡来もしくは密航してきた朝鮮人の多くは、貧しいがゆえに「出稼ぎ」のために日本にやってきた人たちである。その多くはみすぼらしい格好をしており、風呂にも入らない。同胞たちが集まってする食事は、食べる物も食べ方も異なっていた。その中にこそが「穢れ」という文脈において日本人が「韓国人・朝鮮人嫌い」となる秘密が隠されている。

 

◆日本人が嫌がる韓国人の食習慣
 

 筆者の場合、アメリカ時代のルームメイトが韓国人であった。韓国人はすぐに家に友人・知人の韓国人を呼ぶから、家の中がキムチ臭くなるのは事実だ。さすがにカリフォルニアで学生だったこともあり、部屋の中で焼き肉はしなかったものの、家の中はいつもルームメイトの実家の韓国から送られてくる大量のキムチと「辛ラーメン」でいっぱいだった。「こんなものばかり食べてるから韓国人はすぐ頭に血が昇るんだろう」とよくルームメイトに言っていた(笑)。そうすると、必ず返してきたのが、いかに朝鮮半島は日本人によって蹂躙されたかという歴史で、日韓併合、秀吉、果ては神功皇后による「三韓征伐」までとうとうと述べるのだ。

 

 当時、大阪からきていた「高(こ)」という在日朝鮮人がいた。この高もちょくちょく遊びに来るのだが、アメリカの地では「韓国人 vs 朝鮮人」による揉め事は基本的にはなかった。根っこは同じ朝鮮人ということだ。当時の韓国は全斗煥が大統領で、一見平和だが、実際はまだ戒厳令下である。大きないざこざはないものの、冷戦として朝鮮戦争は続いている状態である。そんな中、1983年の9月1日、大韓航空007便が大幅な空路逸脱をした結果、カムチャッカ及びサハリンにおいて旧ソ連の領空を侵犯、ミサイル攻撃を受けて、乗客・乗員269名の生命が犠牲となる事件が起きた。

 

 

 この時は、かなりヒヤヒヤしたものだ。ルームメイトやその友人の韓国人たちが一致団結して「ソ連人を殺す」とか「ソ連は敵だ」とやり始めたからだ。なにせ北朝鮮の後ろ盾はソ連である。当時のアメリカ大統領はロナルド・レーガンという超タカ派で、ソ連は敵と言ってはばからない人間である。ロサンゼルスではデモも起こった。こういう事態が起きると、民族の中に眠っている「怒り」に急に火が付くのだ。

 

 韓国の食堂で、韓国人と一緒に食事をした人は分かると思うが、韓国では食事に関する文化が日本とは真逆である。日本では、食事の際には食器を手に持って食べるが、韓国では食器は机に置いたまま食べる。また、日本ではクチャクチャと音を立てながら食事をするのはマナー違反だが、韓国ではクチャクチャと咀嚼音を立てる方が良いとされている。これは、ご飯が美味しい事をアピールするためだという。日本では昔は食事中は「しゃべるな」とまで言われたもので、基本的に静かに食べることが尊重されている日本とはかなりの違いがある。

 さらに日本人が驚くのが「直箸」だ。日本では鍋物など複数人で取り分けて食べる料理は、個々に小皿に盛ってから食べることが多いが、韓国では鍋から直に自分の箸やスプーンで取って食べる。自分の箸を複数人で使い回すこともよくあり、 食べ物が落ちても、避けずにそのまま食べてしまう。 日本人みたいな衛生観念は無い。もちろん、インドにいけば全部右手だけで食べたりする。日本人は世界的に見ても「食事の作法」については神経質過ぎるきらいがあるし、逆に韓国がおおらかすぎるきらいもある。

 


 

 これは韓国の食習慣を卑下しているわけではない。なんの話をしているのか?と言われるかもしれないが、あくまでも「穢れ」である。

 

◆「割り箸」を使い、自分の食器がある唯一の国

 

 世界で「割り箸」、つまり1回で使い捨てる箸を使う国は、日本以外にはない。種類は違えど中国、韓国、台湾、香港などは同じ箸の文化圏だが、「洗い箸」を使う。飲食店でも一度使った箸をもう一度洗って、袋などに入れて再び出して使う。が、日本は違う。「割り箸・割箸」(わりばし)とは、割れ目を入れてあり、使うときに二つに割る日本の箸のことである。日本人にとっては当たり前のものだが、世界的には類を見ない食事の習慣である。材質は木もしくは竹が多く、紙袋に封入されていることも多い。「箸」は日本の木の文化と共に開発されたものであり、来客用、営業用として使われる「ハレとケ」の兼用である。

 

 祝い事や神事は「ハレ(晴れ)の箸」、家庭用や普段使うのは「ケの箸」、この両方を兼ね備えているのが「割り箸」である。割り箸を割ることには祝事や神事などにおいて「事を始める」という意味があり、その際には真新しい割り箸が用意されてきた歴史がある。その意味で、「割り箸」とは神事の道具なのであるが、日本では誰かが使った箸を別の人が使うことを「穢れ」と見る風習・感覚が残っていることから、来客用・営業用として割り箸が使われることが多く、さらに箸がテーブルに直接触れないよう「箸置き」を使うのも、「穢れ」を嫌う思想からである。

 



 かつて割り箸は「一度の使用で使い捨てられるから森林を破壊する」と批判されたが、「木材を無駄なく使う木工品だから環境負荷が少ない」と評価が変わった。今も
「割り箸」を使う行為を「環境破壊だ」として、「マイ箸」を使う人たちがいるが、環境破壊というのは真っ赤な嘘であった。そもそも割り箸は余材で作られるものであって、そのために森林を圧迫などしていないからだ。こうした日本人にとって当たり前の行為の中には「神道」が隠されているため、神道を破壊したい人たちは日本の文化にケチをつける。世界の潮流は「SDG's」だからなのだと。

 

 「割り箸」は紙でできた「箸袋・箸包」に入っていることが多い。これは1916年(大正5年)に大阪の藤村という職工が駅弁用に袋に入れた箸を「衛生割箸」として意匠登録したことに始まる。箸袋に「おてもと」と書いてあることがあるが、これは「手もとに置く箸」という意味の「お手もと箸」が省略されたものであり、また、箸袋にはその提供元の店名やその連絡先が書かれていることもある。日本料理店等では通常の箸袋ではなく「箸帯」(割り箸の中央部を巻きつけるもの)や「箸飾り」(割り箸の先端を通しておくもの)を用いているところもある。箸がまるで人体に帯を巻いたり服を着せるよう扱いを受けるのは日本独自の慣習である。


 

 一般的に「割り箸」は江戸時代の「割りかけ箸」や「引き裂き箸」と呼ばれる竹製の箸を起源とするとされる。1709年(宝永六年)に書かれた出納簿のなかに「杦(すぎ)はし」「はし」と並んで「わりばし」が記載されている。江戸時代後半の記録としてはこのほか、十返舎一九の『青楼松之裡』で割箸を知らない「田舎者」が一本では箸の用をなさないと文句を言う場面があるほか、『守貞謾稿』で文政期の習慣として鰻飯には「引裂箸」を添えると記している。よって、18世紀初頭には武家・公家をはじめとしてそれなりに割り箸が使われるようになっていたのではないかと推測されている。

 但し、箸の生産が生業として始められたのは大和下市(奈良県下市町)でのことである。奈良県下市町は江戸時代の寛政年間以来、吉野杉で作られる樽の余材を利用した割り箸を産物としており「わりばしの発祥の地」を標榜している。その製法を提案したのは、1862年に訪れた巡礼僧の杉原宗庵であると伝わっており、下市には
「吉野杉箸神社」があり、箸の日(8月4日)に規格外の割り箸を焚き上げて山や木に感謝する神事「箸祭り」を行なっている。もはや単なる「箸」が「お守り」のような扱いを受けているのだ。


 割り箸が使い始められた本当の時期がいつなのかははっきりしないが、鎌倉幕府が滅亡した後の南北朝時代(1333~1392年)に、奈良の吉野に巡幸した後醍醐天皇に対して、杉の木を削った箸を献上したのが始まりとされる。後醍醐天皇は杉の木の爽やかな香りと素朴な箸の造りを気に入り、その後も度々、杉箸を使ったとも伝えられる。

 

 

 問題は「割り箸」ではなく、「箸」自体がいつから使い始められたのか、である。一番最初は第10代・崇神天皇の時代、ピンセット状の「折箸(お取り箸) 」が日本に伝来し神器として使われたと考えられており、「古事記」「日本書紀」の中で、「素戔嗚尊:スサノオノミコト」が、ヤマタノオロチ退治の際、出雲の肥の川上から流れてきたのが、この「折箸」だと言われている。だが、崇神天皇とは初代・神武天皇であり第10代・応神天皇のことでもある。つまり「神話」だ。実際の話とは意味が異なる。

 

 「神器」として使われた「折箸 」が”日本に伝来”というのならば、神武天皇・応神天皇が朝鮮半島からもたらした「神器」という意味になり、それがヤマタノオロチ退治に関わるならば、天孫族による国津神を奉ずる「物部氏」の平定に使われた神器ということになる。つまり、それは「呪術」に使われたということである。いったい「箸」とはもともと何だったのだろうか。

 

<つづく>