「穢れ」と「言霊」の謎:その3

 

 現代の日本人の2大差別は「被差別部落」と「韓国人・朝鮮人」に対する差別であるが、昔は「ハンセン病(らい病)患者」への差別も多かった。「ハンセン病」は、現在はほとんど根絶されているため、若い方にはこの病気自体を知らない人も多い。松本清張が1960年から1961年にかけて連載した『砂の器』は、ハンセン病(らい病)の父・千代吉を持つ天才音楽家・和賀英良の重い宿命を背負った男の悲しみを描いた素晴らしい作品だった。

 

 SMAPの中居くん主演でドラマになった時は、小説を現代風にアレンジなどと称して、千代吉(原田芳雄)が大量殺人を犯した設定に変えられていたため、小説や映画での感動は全くなかった。この手のインチキには現代の日本人の「汚いものには蓋をしろ」という誰も責任責を負いたくないといういやらしい根性、「穢れは隠す」「恥は隠す」という思想が如実が表れている。


 

 ハンセン病は、1873年にアルマウェル・ハンセン(ノルウェー)によって発見された「らい菌」という細菌による感染症である。かつての有効な治療薬がなかった時代には、患者は非常に厳しい差別の対象となった。病気が進むと、顔や手足などの目立つところが変形したり不自由になったりすることがあったこと。また、有効な治療薬がなかった頃は、治らない病気と考えられており、家族内で発病することもあったため、遺伝病と誤解されていたこと。さらに差別を助長したのは、「らい予防法」という法律によって、患者を強制的に療養所へ収容・隔離したり、患者の出た家を消毒したりしたことなどから、「強い感染力を持った恐ろしい病気」というイメージが社会に定着してしまったことが挙げられる。

 

 その辺は小説や映画では描かれており、チャールトン・ヘストンが主演した『ベン・ハー』でも、母親と妹が「らい病」に罹ったことで、牢屋の看守が驚愕するシーンがあった。字幕の翻訳は「業病」(ごうびょう)であった。「業病」とは、 前世の悪業の報いによってかかると考えられた難病、不治の病のことである。科学とは全く関係のない原因で病気になるという思想だ。しかし、実際に顔や手足が溶けたりしている人を見るのは怖かったと亡き母親が言っていたが、昭和初期には病院にも入れてもらえない人たちがいっぱいいたのである。母親が「眼の前で見てしまうのと、話に聞くのは全く違う」とよく言っていたが、病院側も患者を見た瞬間に感染を恐れたということだ。

 

 


 「業病」と呼ぶことにも表れているが、ここには「穢れ」を嫌う思想が根底にある。宮崎駿監督の映画『もののけ姫』の中でも「業病」は描かれている。エボシがアシタカに紹介する秘密の部分で、「業病」という言葉がでてくるが、そこにはたたら場の隅っこでひっそりと暮らすハンセン病の患者達と、彼らに人として接するエボシとの触れ合いが描かれている。真っ当なクリエイターは日本人が隠す暗部に光を当てる。勇気があるからだ。

 

 一方で、勇気のないネトウヨ、差別主義者の多くは、なぜ差別してしまうのか、この根源的な理由も考えずに「被差別部落民」と「在日韓国人・朝鮮人」を差別する。昔からよく聞く表現で、この二者を分けるのが、「部落出身者は穢い」「韓国人・朝鮮人は汚いというものだ。「穢い」「汚い」とともに「きたない」と読むが、意味は微妙に異なる。ここにこそ「穢れ」と「言霊」が関係している。

 

◆なぜ「韓国人・朝鮮人」を差別するのか

 

 現代の日本に住んでいる純粋な在日韓国人・朝鮮人は、見た目も言葉も変わらない。日本で生まれて育った在日韓国人・朝鮮人は、当たり前のように同じクラスの同級生だったり、近所の人だったりするから、カミングアウトされなきゃ分からない場合が多い。但し、血が濃い人は顔の作り、目を見れば分かる。この感覚は欧米人には分からない。

 

 在日韓国人・朝鮮人を差別するのが好きな差別主義者というのは、色々な理由があって差別している。その一つに「日本に税金も払わないくせになぜ日本で裕福な暮らしをしているのだ」とか、「なんであいつは在日のくせに俺よりいい学校、いい企業へ入りやがって」といった、自分の境遇よりいい状況にいる在日韓国人・朝鮮人に対する「妬み・ひがみ・嫉み」が生み出すものがある。まぁ、GHQが戦後の日本を支配する層として、政官財のトップに在日韓国・朝鮮人を据えたのは「WGIP」の計画に従って今も行われているが、ごく一般の在日韓国人・朝鮮人はそれらとは関係ない。

 

 

 こうした「妬み・ひがみ・嫉み」で他人を差別する人間の勝手な怒りは、すぐに芸能人や著名人に向く。前回のアンミカの場合のように攻撃しやすい対象を見つけては、SNSに怒りをぶつける。他人を中傷するなら正々堂々と「名を名乗れ」と言いたいが、こういう輩は元来卑怯者だから名を名乗らない場合がほとんどだ。さらに、彼らは本当の敵が誰だか分かっていないから、見える相手と攻撃しやすい相手にしか攻撃をしない。きっと昔から弱いものイジメをしていたのか、イジメられた側のどちらかだろうが、ある意味でまんまと本当の敵の術中にハマってしまっている。

 

 敵の術中というのは、日本と東アジア3国である中国、北朝鮮、韓国を常に仲良くさせないとするものである。これらの国が仲良くすると、ドルは不要となり、円と元の経済圏ができてしまうからで、よって今もって日本と北朝鮮には国交を結ばせないようにしている。要は「CIA本部:ラングレー」とそれをコントロールする「国防総省:ペンタゴン」にとって、東アジアは常に敵対させておく必要があるのだ。

 

 1999年、日本人の政治家だった村山富市元首相、野中広務議員らを中心とする超党派議員団が訪朝、日朝国交交渉を再開する道が開かれ、日朝交渉が2000年4月に再開された。すると6月には金大中韓国大統領が平壌を訪問、金正日委員長との首脳会談が行われた。この時、日本と北朝鮮は国交を結ぶために動いていたが、アメリカによって叩き潰される。

 

 

 その後も小泉純一郎首相がアメリカに知らせずに訪朝、拉致被害者5人を連れて帰ってきたことで、アメリカは激怒。拉致被害者家族は帰国できたものの、それ以外には手をつけられずに終わらされてしまう。次の安倍晋三首相は”健康上の理由”で、一年ほどで政権を投げ出したため、結局、今もって日朝国交は正常化されない。

 

 日本がアメリカを飛び越えて中国と国交を結んだ時、アメリカの国務長官キッシンジャーは激怒。田中角栄を徹底的に粉砕したが、日本と北朝鮮、日本と韓国が仲良くされては困る人間が、アメリカ、日本、韓国には確実にいるということだ。彼らの利権を踏みにじる行為となるため、この4ヶ国は仲良くさせてはいけない状況が現在も続いている。

 

 アメリカの国家戦略に基づいた意図的に差別を生み出すこととは別に、戦前から続く在日韓国人・朝鮮人への差別が存在する。それが「韓国人・朝鮮人は汚いから嫌い」→「近寄るな」→「出ていけ」→「死ね」という類のものだ。関東大震災の際、川崎をはじめとする被災地に広がった「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言やデマは、朝鮮人虐殺という惨劇につながった。怖いのは、全国各地の新聞にも平気でこうした流言やデマが掲載され、虐殺を助長したことだ。

 

 

 

 新聞が平然とウソを吐くのは、なにもこの時に始まったことではない。ある意味ずっと嘘を吐き続けた結果、先の大戦では何百万人もの日本人が殺害されることを助長した。裏取りもせずに流言飛語を平然と掲載したことで、全国でどれだけ多くの朝鮮人が暴行を受けたり虐殺されたのか、正確な数字は分からない。が、当然その時も単純思考の差別主義者がやっていたはず。

 

 こうした単純思考の差別主義者に限って、焼肉好き、パチンコ好きが多い(笑)。中には「韓流ドラマ」を見ている野郎もいるから笑ってしまう。そんなに在日韓国人や朝鮮人が嫌いなら、彼らの商売に貢献してはならないはずなのに、どうもそこは別みたいだ。単純思考の差別主義者はこういう中途半端な野郎ばかりである。差別するなら正々堂々やってみろ。

 

 深く理由も考えず、他人を誹謗中傷して喜んでいる連中は、みなネトウヨ、もしくはその同類である。但し、ネトウヨには極東CIA本部から金をもらって炎上させる人間、韓国政府や中国の情報機関に雇われている人間もいる。よって、自称「右」のおバカな日本人ネトウヨは、戦前からの差別意識によって、現在もヘイトスピーチなどをしていたり、ネットへの書き込みに明け暮れる。だが、こうした「韓国人・朝鮮人は汚いから嫌い」という意識は、なにも日本人だけが持っていたわけではない。

 

イザベラ・バードの「朝鮮紀行」

 

 英国の旅行家であるイザベラ・バードは、1894年から3年間で4度、朝鮮を訪問。その記録を綴った著書が「朝鮮紀行」である。現在も『朝鮮紀行―英国人の見た李朝末期』として売られている。彼女が朝鮮を落とすれた時期は李王朝末期から日清戦争、そして日韓併合(1910-45年)前である。当時、既に60代だったイザベラ・バードが未知のアジアの国を旅すること自体、かなりリスクが高かったと思われるが、イザベラ・バードは、かなり朝鮮半島の奥までを回っている当たりは凄い。

 

 バードが旅した1894年から97年は、日清戦争、閔妃暗殺、大韓帝国の成立と激動の時期である。そこで彼女が目の当たりにしたのは、絶望的なまでの官僚の腐敗と搾取、それゆえの民衆の無気力さ、人柄は良いけれど決断力を欠く王・高宗、そこにつけこむ日本とロシアなど、実に興味深い。生前の閔妃や王とやりとり、彼らに対する評価など貴重な記述が色々と残されている。そして当時の朝鮮人たちが何百年も続く両班たちによる搾取の果てに染みついた「頑張らない国民性」や「権力に群がる者たち」の描写は、まるで韓流歴史ドラマのようである。

 

 

 また、同じ時期に朝鮮に渡航していた本間九介が残した『朝鮮雑記』にも、当時の朝鮮の様子や朝鮮人の生活が描写されている。朝鮮併合の前、多くの一般的な日本人は朝鮮のことを理解していなかった。よって、こうした実際に現地を訪れていた人たちの生々しい記録は大いに参考になる。

 

 イザベラ・バードは、明治の初めにアイヌばかり北海道まで旅行した稀有なイギリス人で、開国間もない朝鮮の民俗、風土を英国夫人の目で伝えている。さらに、朝鮮ではみすぼらしい庶民の暮らしが、移住したロシアの開拓地では裕福に暮らしていることをロシアに足を運び確認までしている。いかに、当時の李氏朝鮮の搾取がひどかったかが分かる。 

 

 当時の朝鮮人たち生活の状況について、1894年当時ソウルは世界一汚い都市であったが、1897年に訪れた時はソウルの街は見違えるように清潔になっていたとなっている。「両班」と言われる貴族階級は、役人か教師しか職業がなく、ふらふら町ですごす人々が多く、女性は最下層の人が外で働くことがあっても、ほとんどの夫人は家の奥に蟄居させられていて、女性自身はそうされることは大事にされていると感じており、ゆえに外の世界、ソウルの街さえも見たことがない人が多いと記している。


 現在と同じように当然男尊女卑である。結婚は親が決めた人とし、息子の嫁の手助けを得るまでは朝から夜遅くまで働き、身なりに気をまわすことなどできなかった。女性で教育を受けることが出来るのはキーセンのみであった。大事な賓客をもてなすキーセンは客と同じレベルの話題についていけるように、国の運営する養成学校で歌舞などとあわせて教育を受けた。こうしたキーセンは、宗主国・中国向けに提供される品物であった。キーセンと同様に若い男性も中国に貢物として提供されている。

 

 

 これだけでもいかに李氏朝鮮が王族と両班が支配する酷い国だと分かるが、やはり酷かったのは両班である。当時の朝鮮の社会と民族性について、バードは「朝鮮の国民を分けるとしたら、盗む人と盗まれる人の2つしかない」と述べている。もちろん「搾取する人」は役人で、「搾取される人」はそれ以外の国民である。一生懸命努力してわずかな金でも蓄財したことが知られれば、役人が全てを搾取していくため、ぎりぎりに暮らしていけるだけの収入を得ればよいので、それ以上働こうとしない、としている。よって、生活の向上は見られず、庶民はみな貧しいままであると書いている


 面白いのが、一方でロシア人統治の地域に入植した人々は、搾取されることがなかったので、一生懸命働き蓄財し、明るい表情であったという。よって、朝鮮人が本来がなまけ者であるのではなく、政治腐敗に問題があると鋭い分析をしているのだが、朝鮮は自国による改革はもはや不可能であり、他国による改革しか方法はなかったとも書いている。それほどまでに徹底的に腐敗した国を普通の国にしてしまったのは、後に併合した日本であるが、当時の朝鮮人による日本人の意識もしっかり書かれている。実は「日帝による植民地支配」が反日感情の起源ではないのである。

 

 まず、基本的に朝鮮の人々は300年前の秀吉の侵略によりとことん日本嫌いであると書かれている。この辺は、最近の右系出版物に多い「日本が朝鮮を真っ当な国にしてやった」という常に上からの文脈とは少々異なっている。また、日清戦争後の李朝末期における日本との関わりについて、当時日本は朝鮮を植民地化して統治しようとは考えていないとしている。そして、あまりの政治腐敗ぶりに日本の政策を浸透させるのには困難を極めたと冷静に書いている。一方、経済や生活を改善させるため、日本人は微に入り、細に入り朝鮮人に指示することになり、生真面目に朝鮮を改革しようとはしているものの、人々の民族感情に無神経がゆえに憎しみを買っているが、日本のやり方は悪くはなかったとししている。

 

 

 今は日本人は隣国・韓国のことに無知すぎる。知っているのはドラマや映画、K-POPグループに人気俳優、コスメにグルメ、以上終了である。韓国人に内在する日本人の嫌悪感情の源泉を理解していない。が、一方でアメリカによる朝鮮戦争後に徹底した「反日教育」をやらせたことで、いわれなきことに起因する反日感情まで生み出したのも事実である。この2つは切り分けないといけない。

 

 さて、日本人の中の「韓国人・朝鮮人嫌い」は、日本にやってきた朝鮮人たちの生活慣習に根ざすものが大半である。当然のことながら、明治期から日本に渡来した朝鮮人の多くは、貧しいがために「出稼ぎ」をするために日本にやってきた人たちである。彼らの多くはみすぼらしい格好をしており、同胞たちが集まってする食事は、食べる物も食べ方も異なっていた。実は、それこそが「穢れ」という文脈において日本人が「韓国人・朝鮮人嫌い」となる最も部分なのである。

 

<つづく>