「東海道五十三次の謎」その26

 

 『東海道五十三次』は浮世絵である。そもそも「浮世絵」とは、江戸時代に発達した色彩豊かな風俗画のことだ。 昔の日本人が憧れた美人や役者、尊敬した武将、花鳥風月を楽しむ絵のことで、現代風に考えれば漫画も掲載された大人向けの週刊誌みたいなものだ。江戸時代までの絵画は公家、大名などの庇護による土佐派や狩野派が主で、その中では風俗画も描かれていたが承応年間頃(1654年)には衰退、庶民階級による風俗画が描かれるようになった。これは、土佐派や狩野派から転身した絵師や庶民階級から出現した絵師が浮世絵の源流を形作ることになったことによる。

 

 

 江戸時代、何度も大火が起きるが、「明暦の大火」によって江戸の町が焼き尽くされた後、町人の経済力は強くなる。風俗画はその庶民階級の気風の要求に応えるものに変化していったため、題材は、大名や武家などの支配階級ではなく、庶民町民階級からみた風俗が主であり多岐に及ぶ。初期には歌舞伎や遊郭などの享楽的歓楽的世界が対象となっており多くの役者絵や美人画が描かれていった。かなりドギツイ「春画」を見ると、まぁ今で言う風俗情報が載った「週刊実話」や「アサヒ芸能」みたいなものだ(笑)。

 

 だが、ここが重要だ。現代は子供向けアニメの中に非常に重要なメッセージが隠されていたり、「オカルト:隠された叡智」が示唆されていたりする。それと同じで、庶民が多く目にするものの中にこそ重要なメッセージを込めることが大切だった。高尚な絵を見れるのはあくまでも上の階級の者たちだけで、それでは大きなうねりとなるようなことは起きないからだ。

 

 

◆「浮世絵」とは何か?

 

 「浮き世」とは「現実」という意味で、16世紀後半に京の庶民生活を描いた絵として始まったものだ。上記したように、浮世絵が大衆文化として広まったのは江戸時代になってからのこと。大衆向け絵画として発展、人々の遊びや楽しみが題材として取り入れられたことで大きく花開き、その影響はヨーロッパにまで及んだ。現代のブロマイド、ポスター、絵葉書、漫画の元は全て浮世絵にあると言っても過言ではない。

 

 「浮世」の元は「憂き世・浮き世」である。いとうべき現世のことで、つらいことの多い世の中を示す。「定めのない、はかない世の中」だとして、どうせはかない世なら、浮かれて暮らそうという俗世の気持ちを含んでいるという。まぁ、現在のエロ写真や風俗情報が満載の週刊誌を見ても、その趣向は江戸時代から変わっていないし、現代はそれがさらに低俗化しているところに問題がある。

 

BL漫画にレズ漫画

 

 昨今はNHKや民放キー局でもLGBTQドラマが大流行だ。裏で指導しているのは極東CIA本部だが、それ以上に同人誌をはじめ、無料のBL(ボーイズラブ)漫画・小説が会員登録なしですぐ読める電子書籍サービスなども大流行だ。性的趣向は個人なものだからとやかく言うつもりはないが、漫画の世界もネットの世界もソドムとゴモラ状態で、「終末」に向かっていることだけは間違いない。たとえそれがピュアな愛だろうが、絶対神は同性愛者は許さない。

 

 一方、呪術系の漫画が大流行なのも日本ならではの特徴で、アメコミの世界では扱えないというか理解できない題材が多い。こうした単純な勧善懲悪ではない漫画の世界は、まさにこの国の根幹に「オカルト:隠された叡智」があることを示している。それらは『東海道五十三次』のような、見た目は旅行雑誌のように見えつつも奥義を隠すスタイルを継承していると考えられる。まぁ、単純に謎系の題材を扱っているだけの薄っぺらいものも多いが…。

 

「神奈川沖浪裏」(葛飾北斎)

 

 日本人なら誰でも見たことがあるはずの浮世絵のひとつに、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」がある。タイトルは知らずとも、必ずどこかで見たことがあるはず。巨大な波の向こうに富士山が描かれているもので、非常に示唆に富んでいる。「神奈川沖浪裏」は、葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』全46図中の1図で、現在は「神奈川沖波裏」とも表記する。横大判錦絵で、「凱風快晴」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる同シリーズ中の傑作で、画業全体を通して見ても最も広く世界に知られている代表作である。

 

 今回は取り上げないが、葛飾北斎という人物もかなり怪しい。選ばれて書かされていたフシがある。そこら辺は滝沢馬琴の謎とともに、改めて書いてみたいと思うが、歌川広重や葛飾北斎以外にも、非常に預言的な浮世絵を書いていた人物がいる。歌川国芳である。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といった。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した。もう名前や号が怪しいと示唆している。

 

 
歌川国芳の「東都三ツ股の図」

 

 歌川国芳が江戸の情景を描いた作品に「東都三ツ股の図」がある。ネットを調べれば「予言の絵」としてすぐに出てくるが、この絵は1661年にオランダの画家フェルメールが描いた「デルフトの眺望」に国芳がある謎を掛けて描いた画であるという。岐阜にお住まいの岩瀬道夫さんという方が、独自の考察をされている。画中で櫂を漕ぐ男はオランダ商館医シーボルトの姿で、日傘を差すのはオランダに帰るシーボルトを見送る愛娘の楠本イネの後ろ姿。さらに画中右は現場から逃げ去る間宮林蔵だという。

 歌川国芳が描い「[東都名所シリーズ」の画は全部で十枚ある。内訳は「東都名所両国の涼」「東都名所両国柳橋」「東都名所鉄砲洲」の三画はペリー提督率いる黒船艦隊来航を描いた画であり、画中にアメリカ大統領旗の白頭鷲、アメリカ海軍旗のガラガラ蛇、アメリカ民主党マスコットのロバが描かれる。まさに幕末の浮世絵師ならではといえる作品である。


 

 「東都三ツ股の図」を現在の位置関係で見ると、右側の橋は「永代橋」で、左奥に小さく描かれた橋が「萬年橋」と考えられる。「予言の絵」として取り上げられるのが、その右手に描かれた「謎の塔」と「火の見櫓」である。「謎の塔」は異様に高い。江戸時代にこんな高い塔は存在していない。よって、これは未来を予言したもので、この「謎の塔」は「スカイツツリー」だというものである。

 

 実際、スカイツリーと比べて見ると分かりやすい。

 

「スカイツリー」との比較

 

 確かにスカイツリーと隣のビルとの構図は同じである。よって、江戸時代に東京スカイツリー(2012年開業)が建つことを予言していたのだという人が多い。確かにその通りである。だが、「東海道五十三次」の起点・日本橋「朝之景」の図にも火の見櫓は描かれていた。「擬宝珠」(ぎぼし)が描かれていたのは「核爆弾」の象徴であり、広島と長崎に落とされた2発の核爆弾が炸裂することを示したのが、中央の球体状の毛槍であると書いた。

 

 同じ「歌川」の姓を持つ国芳が、東京スカイツリーができることを預言として書かされたというのは単純すぎる。問題は、「東京スカイツリー」を何の象徴として描いたのかだ。それは壊滅する東京の〝死の墓標〟である。スカイツリーは「第2展望台」に巻き付く蛇(フロア)は左回りの「死の樹」で、高さ634メートルも「数秘術:ゲマトリア」で6+3+4=13の「13」で、日本でも1+3=4で「4」の「死の木」となるのだ。隅田川に映ったツリーの姿も体をうねらせた「蛇」である。

 

 つまり、東京は直下型地震で壊滅することになる預言なのである。よって、大きく天に向って上がる煙は東京中に火事が燃え広がる示唆となる。

 

「第2展望台」に巻き付く左回りの蛇=「死の樹」

 

 「終末の日」に蘇る「艮の金神」は、古代から日本を守ってきた存在である。それは荒ぶる神スサノオのことでもあり、皇祖神を激怒させた「古丹」を滅ぼす「蘇民将来」の牛頭天王でもある。LGBTQを流行らせ、狂牛病のワクチンを平然と打ちまくる大和民族は「艮の金神」を怒らせる以上、「艮の金神」の龍脈の上にあるものは、全て滅ぼされることになる。それは「北緯35度」である。

 

 北緯35度の「八坂神社」(京都市)の「牛頭天王(須佐之男命)」の祇園祭を足蹴にした在日の巣窟と化した「国会議事堂」も北35度線上にある。壊滅する東京の〝墓標〟として最後まで残ることになるスカイツリーも北緯35度線上にあり、東京の「アメリカ大使館=極東CIA本部」も、在日コリアンの巣窟と化した「自民党本部」も、更に言うなら「東京23区」全てが「艮の金神」の龍脈たる北緯35~36度に収まっている。
 

 「東都三ツ股の図」を見ると、鴎が1羽、6羽、4羽、3羽と、まるで大火災と地震から逃げ出すように江戸の空を高く飛んでいる様子が描かれている。これも象徴である。

 

逃げる「鳥」たち

 

 6羽、4羽、3羽とくれば、13羽で「四=死」である。だが、この絵には先頭にもう1羽いる。つまり、14羽である。これは何を表すのだろうか。もし、この絵が「東京大震災」だけを描いたものではなく、「東海道五十三次」の「蒲原」の絵図のように「富士山噴火」と山体崩壊まで描いたものと考えると、この絵は「東京壊滅」となり、東京都民は絶対に逃げられないことを語っていることになる。

 

 そして、東京が壊滅状態になると、天皇陛下は京都に移らざるをえなくなる。そう、先頭の一羽は天皇陛下のことなのだ。そして、それに付き従う13羽とは、イスラエル12支族とレビ族の神官たちの13支族のことを象徴しているのである。「出ニッポン」である。その時は、「日本壊滅」である。江戸末期の浮世絵師・歌川国芳は、黒船が襲来し、開国した後、この国がやがて荒廃し、終わりの時が来ることを、絵の中に込めたのである。

 

<つづく>