「東海道五十三次の謎」その25

 

 「東京」というのは、あくまでも「東の都」であり、「都」とは昔も今も京都である。「奠都」(てんと)とは「都を定める」ことを意味する。 都を移す「遷都」ではなく、都を新たに置く「奠都」だという姿勢を、明治新政府は貫いた。「東京奠都」とは、明治維新に際して武蔵国江戸が東京に改称され、都(首都)として定められたこと。京都=平安京との東西両京としたうえで、慶応4年7月17日(1868年9月3日)に江戸が東京に改称され、同年9月に元号が明治に改められ、同年10月13日に明治天皇が東京に入り、明治2年(1869年)に政府が京都から東京に移された。

 慶応4年(1868年)閏4月1日、大木喬任(軍務官判事)と江藤新平(東征大総督府監軍)が、佐賀藩論として
「東西両都」の建白書を岩倉具視に提出。これは、数千年王化の行き届かない東日本を治めるため、江戸を東京とし、ここを拠点にして人心を捉えることが重要であるとし、ゆくゆくは東京と京都の東西両京を鉄道で結ぶというものだった。

 


「東京奠都」

 

 同じ慶応4年(1868年)5月24日、徳川氏が江戸から駿府に移されることが決まると、「東西両都案」は決され、政府は同年6月19日、参与・木戸孝允と大木に江戸が帝都として適しているかを調査させる。2人は7月7日に京都へ戻り、奠都が可能であることを報告。これを受けて同年7月17日、江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書が発せられた。

 

 この詔書では、天皇が日本をひとつの家族として東西を同視するとし、江戸が東国で第一の大都市・要所であるため天皇がここで政治をみることと、そのために江戸を東京と称することが発表された。保守派や京都市民への配慮から、東京奠都を明確にはしなかったものの、東西両京の方針通り「東京」が誕生したのである。だが、遷都ではなく、奠都なのである。天皇陛下が京都にお戻りになる時、京都は再び都となるのである。

 

◆「首のない人形」の「平安京」に首が付くとき

 

 平安京の中央を貫く朱雀大路は、羅城門まで伸びる大路で、その先は鳥羽作道、さらに南下すると甘南備山(かんなびやま)となる。「なびる」とは「お隠れになる」という意味で、天皇や皇族が他界された時に使う言葉である。つまり「かんなび=神が亡くなった山」で、そこには「案山子」という「T字の人形」が無数に立っているのだ。実際に行ってみるとかなり不気味である。

 

 ここが平安京の南の起点で、神の磔刑死=ゴルゴダの丘を象徴している山なのである。これを裏陰陽道であるカッバーラで読み解くとどうなるか。甘南備山は死を意味することから、至高世界へと上昇する「生命の樹」とは逆の「死の樹」を下る起点=「死の結界」となる。よって、甘南備山から上昇して行った「北の起点」は「船岡山」となり、それは「オリーブ山」の象徴となる!

 

 上の右の画像の下に、鳥羽作道が続き、それを南下すると「甘南備山=神が亡くなった山」がある。イエス・キリストが十字架の磔刑に処されたゴルゴダの丘に続く道を「鳥羽作道」と名付けているのも呪術である。イエス・キリストを「羽のある鳥」として、その神は亡くなった3日後に復活し、二人の天使と天に戻ったのである。まるで鳥のように天に向って飛翔したからだ。

 

 

 平安京にはイエス磔刑の十字架が隠されていると前述したが、そのイエス・キリストの磔刑において十字架の上に掲げられた罪状書きの頭字語は「INRI=INARI」(ラテン語:IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM)である。 日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意味が込められた「稲荷」の元宮が船岡山にあることで、そこがイエス・キリストが再臨する地であると示している。

 

 つまり、首=顔のない船岡山に首がつくことで、平安京=極東エルサレムが完成することになるのだ。逆にいえば、その日のために作られた平安の都が京都なのである。

 イスラエルのエルサレムを訪れた方は分かるだろうが、聖墳墓教会が建つゴルゴダの丘の真正面の反対側には、イエス・キリストが再臨するとされる「オリーブ山」がある。その中間に神殿の丘があり、ここにロスチャイルドとロックフェラーは第三神殿を建設しようとしているのである。

 

 

 上のイスラエルのエルサレムの位置関係に「平安京=極東エルサレム」を当てはめてみると、下の画像のようになる。

 

 

 見事なまでに同じ位置関係になっている。神殿の部分には天皇の住まいたる内裏が当てはまる。古代イスラエルにおいて、大祭司は儀式を行う際、特別な礼服「エフォド」を着た。エフォドには「ホシェン」と呼ばれる胸当てがあり、4行3列のマス目があり、そこにイスラエル12支族を象徴する宝石が配された。ちなみに、これが1年12ヶ月の誕生石である。

 

 陰陽道の呪術図形に「セーマン:五芒星」と「ドーマン:九字」がある。どちらも魔を封じる格子で、セーマンは陰陽五行説の五行相剋を示し、ドーマンは「九字切り」である。平安京において天皇が坐す「大内裏」には9本の小路をもって九字切りしたときにできる12個のマス目がある。そう、ホシェンである。天皇の住まいは大内裏の中でも中央から北東よりの「内裏」にある。大内裏をホシェンとみなすと、内裏のある場所はレビ族の宝石が入る位置にある。全てに徹底した呪術が施されているのである。

 

 

 平安京では箱が漂着したアララト山の代わりに、当時は湿地帯の大池に浮かぶ船岡山に「契約の箱アーク」を置いたことで、最後の天皇徳仁陛下も船岡山の頂上の磐座に「三種の神器」と「璽:アーク」を置いて儀式を行う事になる。その時に立てられるのが「草薙の剣:アロンの杖」という「木」となり、船岡山は帽子でありヒトガタの「首」となる。

 

 船岡山の下の平安京を加えると、T型十字の案山子となる。カッバーラで言えば、船岡山はT型十字架に掛けられた救世主の「首」となり、死とは逆の「再生=再臨」を意味することになる。だからこそ、船岡山にイエス・キリストが蘇るのである!全ては原始キリスト教徒・秦氏一族が八咫烏とともに仕掛けた呪術なのである。全てはイエス・キリストの再臨に向けて、平安京遷都から始まっていたものなのである。

 

 

◆「ロザリオ」と「数珠」の暗号

 

 『奥の細道』の真の終着点は遷宮祭の伊勢神宮で、『東海道五十三次』のゴールは「京=平安京」。この北陸廻りと太平洋廻りをつなげるとリング状となり、それはまるで「ロザリオ」の数珠のような形になる。ロザリオの先についた十字架が平安京となる仕掛けで、「平安の都==エルサレム」となるのである。

 

『奥の細道』+『東海道五十三次』=ロザリオ

 

 ロザリオの珠の数は180個で、珠を数えながら主祷文(しゅとうぶん)を15回、天使祝詞(てんしのりと)150回、栄誦(えいしょう)を15回唱えて祈るが、180は1+8=9となる。だが、ロザリオは聖母マリア信仰のためにカトリックが作った数珠で、原始キリスト教では背教の道具となる。なぜ、それを象徴に使ったのだろうか。

 

 数珠は「珠数」「寿珠」とも書く法具(仏具)である。仏教の経や念仏を唱える際、その回数を数える為に使われることから念珠とも呼ばれる。数を数えながら念を込めるのである。数珠を持ち心を込めて合掌する事で、仏と繋がり、煩悩が消え功徳を得る。数珠は持ち主を守る厄除け(お守り)で、仏との縁を示す唯一の仏具である。

 

 

 そして「仏」とは「人+ム:私は有る」で「現人神=イエス・キリスト」であり絶対神ヤハウェを意味している。だが、こういう風に書くと、仏教徒の人は信じない。そして、「お釈迦様とイエス・キリストは関係ない」「お釈迦様を愚弄してはならない」などという。はたまた、「親鸞上人は『歎異抄』の中で、”たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候”と述べられています」だとか、「日蓮上人が説く法華経を信じれば災害は鎮まる」などとたわけたことを言う人々が未だに多い。

 

 いいだろうか、一宗派の開祖の話をしているのではない。人類の救世主の話である。釈迦は自身の入滅後、2500年で仏教は滅びると預言を残している。空海が残した密教以外の仏教は全て滅びることになる、というとまたまた怒りを買うかもしれないが、仏教の役割が終わるということなのだ。日本人というのは本当に頑なな人間が多いが、それは2000年前から変わらない。少々長いが、そのまま『聖書』の言葉を引用する。


 ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、 イエスはお答えになった。「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。わたしは父を重んじているのに、あなたたちはわたしを重んじない。わたしは、自分の栄光は求めていない。わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」 

 

 ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」 

 

 イエスはお答えになった。「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、『我々の神だ』と言っている。あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」 

 

 ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、イエスは言われた。

「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」 すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。(「ヨハネによる福音書」第8章48−59節)

 

 

 「終わりは始まり」である。それが京を終着点とした意味で、それは後世の大和民族への黙示であるとした。なぜなら、「預言」とは「救いの計画」であり、大和民族を救うための計画なのである。神が見せた未来の光景は、最悪の場合の世界で、全ては大和民族の「悔い改め」にかかっている。が、相変わらすこの国の民は頑固で頑なに心を閉ざす人が多い。

 

 数珠とは「かずたま」とも読み、「数霊」(かずたま)とは、古神道における数字に宿る力で、神道においては言霊と数霊とは表裏一体のものとされる。日本語という「言葉」には霊が宿っており、その言葉の通りの世界が実現してしまう。つまり「日本語=大和言葉」は「預言」を成就させるための言葉であり、ロザリオの真の意味を伏せながら、預言を成就させるのが目的だったのである。

 

<つづく>