「東海道五十三次の謎」その23

 

 「東海道五十三次」は、起点の日本橋から終点の三条大橋まで、「終末の日」の預言が込められていた。そして、ポイントは起点も終点「橋」という点である。「橋」とは、新たな場所へと旅立つ「しるし」、つまり「出ニッポン」へと旅立てということであり、新しい「神の世」に向かうためには、たとえ凄まじい状況が起きようが、橋を渡なければならないという示唆である。

 

 「東海道五十三次」の預言と対を成すのがノストラダムスの予言詩である。本連載の最初にも記したが、ノストラダムスは「日本」に関する重要な預言をいくつも残していたが、中でも最も重要とされているのが「大いなるメシアの法」の預言であった。これまでの謎解きを踏まえると、「大いなるメシアの法」とは、イエスの再臨のことでもあり、世界を救済するための日本の奥義のことでもあるのではないか。

 

 

 

◆「七つの競技場」と「古い美術」

 

 日本には人類を救済するための「メシアの法」が存在し、それはノストラダムスの「五三」の預言の中に記されていた。しかし、「五三」とはいったい何なのか。それは第1章69番の詩の中にヒントがある。

 

  大きな山が七つの競技場をかこみ

  平和 戦争 飢饉 洪水の後

  それは雪崩をうって広がり 大きな国々を呑みほすだろう

  古い美術とそれらの強力な礎までも

 

 ポイントは、「七つの競技場」「古い美術」である。この七つの競技場を「七つの県」と考えたらどうなるのか。それは東海道の起点から終点まで、東京、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀、京都の七都府県となる。ならば、「古い美術」とは、この東海道の旅の様子を描いた「東海道五十三次」となるのではないか。

 

東京から京都への七都府県

 

 ならばノストラダムスが預言で警告するのは「東海道五十三次を見よ」ということになる。すなわち、広重の「東海道五十三次」こそ、ノストラダムスのいう「メシアの法」 の答えが記された「五三」の預言集だったのではないだろうか。そこで、もう一度、「大いなるメシアの法」を見てみよう。

 

 「大いなるメシアの法」

 

  太陽の法と金星とはともに対を成す

  預言の賜物を使いながら

  どちらも他方同士が分離存在するのではなく

  大いなるメシアの法は 太陽の輝きで受け継がれるだろう

  (『諸世紀』第5章53番)

 

 前述したが、この予言詩は太陽=日の国=日本に関する預言とされ、「日本の科学力が世界を救う」と解釈されてきた。日本はロケット技術などに必須の技術は山のようにあり、基礎科学の研究も進んではいるものの、応用科学は圧倒的に弱い。つまり、単なる科学力の話ではなく、この預言がもつ本質は、もっと高次元に属する預言であり、太陽=日本に関する本質的な預言である。なぜなら「メシアの法」や「太陽の輝き」という『聖書』と対を成す名称が記載されているからだ。

 

メシア再臨の予言なのか?

 

 問題は「金星」である。金星は太陽、月に次いで明るく見える天体であることから、明け方に見えるものを「明けの明星」、夕方に見えるものを「宵の明星」という。キリスト教においては、ラテン語で「光をもたらす者」ひいては「明けの明星=金星」を意味する言葉「ルシフェル/ルシファー(Lucifer)」は、他を圧倒する光と気高さから、唯一神に仕えるもっとも高位の熾天使(そして後に地獄の闇に堕とされる堕天使の総帥)の名として与えられた。

 聖書の「ヨハネの黙示録」の中では、イエスは自分のことを指して
「輝く明けの明星」と呼んでいる。金星はイエス・キリストであり堕天使ルシファーの象徴でもある。なぜ金星は神でもあり悪魔でもあるのか。天地創造の前、天界では光と闇の戦いがあった。絶対神に対して天使たちが反乱を起こしたのである。首謀者は天使の最高位、熾天使ルシファーだった。光の天使であり、並ぶものがいないと謳われたルシファーは奢り高ぶり、絶対神にとって代わろうと戦いを挑んだ。この時、天使の1/3がルシファー軍についた。いくら熾天使といえども絶対神には敵わない。大天使ミカエルによって捕えられ、配下の天使ともども地上へ落とされる。

 

 天界の出来事として、「太陽」を絶対神とするなら、それに挑む「明けの明星」は堕天使となる天使たちである。夜明け前にひときわ輝く金星は、他の星々が姿を消した後も最後まで光っている。だが、太陽が昇ってくると、ついに光に飲み込まれ姿を消していく。反逆した天使たちは堕天使と呼ばれ、地獄の底で悪魔となり、堕天使ルシファーは大魔王サタンとなった。連中は今も、人類を闇の世界へ引きずり込もうと日夜、地上に現れては人々を誘惑する。『旧約聖書』では、明けの明星を堕天使ルシファーの象徴として描くが、「輝ける曙の子:ヘレル・ベン・サハル」のラテン語訳が「ルシファー」で、意味は「光を運ぶ者」。かつて光の熾天使だったことを含んだ意訳である。ここに奥義が隠されている。

 


 

 世の終わりが近づくと世界は暗闇の時代を迎える。つまり終末の世においては堕天使ルシファー=サタンの影響力が最も強まるということだ。その時期を経て、救世主が出現する。暗闇が消えて=サタンの支配が終わりを告げることで朝日が昇る。光り輝く太陽神が世界の前に姿を表すのである。「太陽の法と金星はどちらも他方同士が分離存在するのではなく対を成す」というのは、「太陽の法」と「金星」はもともと同レベルのもので、背中合わせだとしいうことだ。堕天使になった天使たちも、熾天使だった大魔王サタンも、もともとは同じ絶対神に仕え、同じ力を持っていた存在だった。

 

 さらに、双方とも「預言の賜物」を使うとあるが、「預言」は絶対神から預言者が一方的に与えられる言葉である。その預言がいっぱい詰まっているもの=預言の賜物とは『聖書』のことだ。『聖書』とは本来、大和民族の先祖が後世の大和民族のために書き残した預言書である。だが、実際には『聖書』は欧米の白人のもの、バチカンを頂点とするキリスト教のものとなっている。だが、そのバチカンは今やルシファー教となっており、イエスが禁じた神殿内での金のやり取りを「バチカン銀行」と称して公然と行っており、華美な服装に身を包んだ権威主義の塊のような組織になってしまっている。しかし、世界の人間はそのバチカンとローマ教皇を権威の象徴と崇めている。

 

 かたや大和民族はイエス・キリストが直接導いた原始キリスト教徒にして、大預言者たる天皇陛下を頂点として、三人弟子(=金鵄)に12使徒の組織(=八咫烏)が絶対神の預言に従って呪術で国体を守り続ける国である。つまり日本はイエス直系の教えを守る世界で唯一の国なのである。だからこそ「太陽の法」と敢えて「法」をつけてあるのに対して、イエスの名のもとにルシファー=サタンの教えを広めているキリスト教会とバチカン、さらにはその教えを信じている西欧社会は「金星」なのである。

 

ローマ教皇フランシスコと天皇陛下


 仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされ、虚空蔵菩薩・明星天子は仏格化された金星の現れとされている。アステカ神話では、ケツァルコアトルがテスカトリポカに敗れ、金星に姿を変えたとされている。世界のどこにおいても大和民族の前には、必ずイエス・キリストが降臨するのである。だが、救世主イエスはバチカンや欧米のキリスト教国家には再臨しないのである!

 

 それが「大いなるメシアの法は 太陽の輝きで受け継がれるだろう」ということなのである。さらにこれは単なる世俗的な内容や出来事をいうのではなく、日本とは、日本人とは、という本質のことでもある。「メシア」「太陽の輝き」という『聖書』と対をなす名称が使われていることに最も重要な意味をもたせたのである。そして、それは、イエス・キリストが使徒たちに語った言葉の中に、神の世界に至る「三段階」の世界を示した預言に登場している。

 

  「また、天体の上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違います」(「コリントの信徒への手紙」第15章40−41節)

 

 「カッバーラ」である。イエスが言う「太陽の輝き:太陽の栄光」の段階こそが神の住まう至高世界で、ノストラダムスがいう「メシアの法」がある場所であり、そこに至るには輝きを放つ「天体の上の体」=不死不滅の体になる必要がある。「不死=富士」の暗号の答えであり、それはカッバーラの奥義「生命の樹」を上昇することでもある。

 

カッバーラの奥義「生命の樹」

 

 

 「モーセ書」や「エノク書」によれば、人祖アダムが「堕落」する前の時代、つまり「知識の木 / 善悪を知る木」になる「禁断の実」を食べたことで「エデンの園」から追放される前の時代、動物たちは弱肉強食によって殺し合いはしていなかったと伝えているる。人間も動植物も「月の栄光」の体だったため、食事を取る必要がなかったという。ここだけを読むと何のことか分からないと思うが、これはカッバーラの「生命の樹」を上昇するための話である。

 

 カッバーラでは、神は「生命の樹」の構造を作った後、この「生命の樹」を4つ造り宇宙を4つの界層に分けたとされる。一番上の階層は「アツィルト(神性界)」で 、神の性質が忠実に反映された世界=「生命の樹」の「至高世界:太陽の栄光」で、そこには神の性質に似せて造られた神人“アダム・カドモン”が存在する。2番目の階層が「ベリアー(創造界)」で 、神の性質が具体的な形となる世界=「生命の樹」の「中高世界:月の栄光」で、神の僕(しもべ)として働く大天使たちが住んでいる世界である。

 3番目の階層は
「イェツィラー(形成界)」で、具体的な形が個性に分かれる世界のことをいう。「生命の樹」の「下層世界:星の栄光」で、ここには「天使」たちが住んでおり、聖書に登場するアダムとイブの世界は、この世界を描写したものとされる。簡単にいえば、元は天界の「天使」だった人間たちが住む世界である。そして最後の4番目が「アッシャー(物質界)」で、「生命の樹」の「滅びの世界」であり、われわれ人間が住む世界でもあるが、同時に悪魔たちも共存しているとされる。ここから下には「死の樹」が伸びている。

 

「死の樹」の構造

 

 「聖書学」から考えると、至高世界を包む崇高なる存在が、ヘブライの預言者に霊感を与えていることになる。その霊感を与えられた預言者のみが、カッバーラを用いて預言を行い、預言を解き明かせるのである。ノストラダムスは、イスラエル12支族のイッサカル族出身の預言者で、同族の大和民族のために「大いなるメシアの法」の預言を残したのである。

 

 「霊」は不死不滅である。人類はこの世に生まれる前に神の御もとで、その「子供」として存在していた。子供というのは天界においてはみな「天使」だったということである。肉体を持つ代わりに、霊として存在していたのである。天の御父はこの地上で天使たちは肉体を得、死すべき状態を経験し、神のもとに戻ってきて再び一緒に住むことを選ぶように準備しているという。

 

 そして、天の御父が御子イエス・キリストを世界の救い主であり贖い主になるように選んだのは、神は人類が罪を犯し、悔い改めて神の御もとに戻る方法が必要であることを知っていたからだとされる。この霊的肉体的な進歩のプロセスこそが「生命の樹」でありカッバーラの奥義だが、それを邪魔しようとするのは悪魔となった堕天使たちと、その王サタンなのである。彼らは天界の戦いで破れたことで、体を持てない存在とされたのである。

 

 

 終わりの日の悪の力は強い。人類が始まって以来、その力は最も強まる。だが、最後には神の軍勢が勝つ。それを率いるのは天皇陛下である。同じイエス・キリストの教えを授かりながら、悪への道へと歩んでしまった西欧キリスト教会の教えと生き方=「金星」は、絶対神の教えを守る生き方=「太陽の法」には勝てない。ノストラダムスはそう日本人に告げているのである。

 

<つづく>