「東海道五十三次の謎」その22

 

 「東海道五十三次」のゴールは京都である。55枚目の「京都・三条大橋」の絵には「終わりの日」に最後の天皇陛下が京都に戻られることを暗示していたが、一方で「東海道五十三次」の起点・日本橋も終点・三条大橋も罪人の晒し首の舞台となった場所であった。つまり「東海道五十三次」は起点、終点ともに大和民族の「死」が暗示されていた。

 

 だが、それだけで話は終わらない。なぜなら起点も終点「橋」だからである。「橋」とは、新たな場所へと旅立つ「しるし」であり、古い時代から新しい時代に向かうために渡らなければならない「架け橋」である。次の世に行きたいのなら、「橋を渡れ」と言っているのである。

 

「三条大橋」のポストカード

 

◆依頼者への報告と最後の仕掛け 

 

 賀茂川に掛かる三条大橋の上に立つと、約500キロの東海道の旅路もいよいよ終わりである。仕事が終わったら依頼者へ報告が必要となる。その依頼者は「八咫烏」である。「終わりの日」にラスト・エンペラーたる天皇徳仁陛下が京都にお戻りになるための「預言」の仕掛けとして広重に「東海道五十三次」を描かせた存在である。

 

 「賀茂氏の中の賀茂氏」のことを特別に「鴨族」と呼ぶが、その「鴨族の中の鴨族」こそが、神道の裏を仕切る漢波羅秘密組織「八咫烏」である。だからこそ三条大橋の下に「かも川」を描いたのである。「かも川」は上流では「賀茂川」の表記だが、 下流に行くと「鴨川」に変わる。その「鴨川」を遡ったところにあるのが下上賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)である。

 

 

 下上賀茂神社は神道の最高位の格式を誇る神社であるが、それは神道の長たる天皇家の祭りと裏側の神事を取り仕切る神社だからであり、中でも「下上」というように下鴨神社こそが、天皇陛下の京都帰還において最も重要な役割をになっている神社である。その下鴨神社の摂社「河合神社」に鎮座する境内末社「任部社」(とうべしゃ)こそが、祭神として八咫烏命を祀る京都における八咫烏の本拠地である。

 

 童謡『七つの子』は、野口雨情が作詞、本居長世が作曲した歌となっている。

 烏 なぜ啼くの

 烏は山に

 可愛七つの

 子があるからよ

 可愛 可愛と

 烏は啼くの

 可愛 可愛と

 啼くんだよ

 山の古巣へ

 行って見て御覧

 丸い眼をした

 いい子だよ
 

 『七つ』という言葉が「7羽」を指すのか「7歳」を指すのかは明らかになっていない。カラスは一度に7羽もの雛を育てることはなく、7年も生きたカラスはもはや「子」とは呼べないためであるが、この歌の元歌である「山烏」という詩が、1907年頃に作られており、その中でも「可愛(かわい)七つの、子があれば」と書かれていることからも野口雨情自身の母への思慕の情や実体験からくる子供への思いが歌のなかで「七つ」という言葉が一つのキーワードとしてあてられているのではないかと考えられている。

 

八咫烏命を祀る「河合神社」

 

 だが、それらはあくまでも表の話である。「七つの子」がいるということは、親ガラスを含めると「八羽」いることになる。そして、可愛七つの子」と歌わせている。「かわいい」ではなく「可愛(かわい)七つの子」である。そう、この歌を書かせたのは八咫烏である。その八咫烏の京都における本拠地こそ「河合(かわい)神社」だと告げているのである。

 

 ちなみにアニメ『名探偵コナン』には、黒ずくめの組織のボスにして黒幕の「あの方」という存在が登場する。メールアドレスは「♯969♯6261」とされており、携帯音のプッシュ音が「七つの子」のメロディになっている。この黒ずくめの組織のボス「あの方」という人物の名前は、「烏丸蓮耶」という烏丸家の当主で「烏丸グループ」の会長という設定になっている。『名探偵コナン』にも八咫烏が影響を与えているということなのだろう(笑)。

 

『名探偵コナン』の「烏丸蓮耶」(左)と「八咫烏」

 

 「東海道五十三次」のゴールである55枚目の「京都・三条大橋」の絵だが、三条大橋から見える山として描いたのは手前が東山三十六峰で、奥は「比叡山」である。だが、三条大橋から東山三十六峰の背後に比叡山は角度的には見えない。だが、敢えて「比叡山」を描いた理由は、それは比叡山ではなく「富士山」なのである。

 

 「ふじ」にはいくつもの意味が隠されている。昔は「不尽」「不二」「富慈」などと書かれ、アイヌ語の「フチ」(火)に由来するとの説もある。「不二」なら「二つとない唯一無二」で「ふじ」。富士山は日本の最高峰であるが、実はその下に小御岳の古い火山が存在、古富士と新富士からできており、三つの山が重なったことで「不二」。そして、「不死」を象徴する山ということであもる。

 

隠されていた「富士山」

 

 「不死」とは不死不滅の復活体として蘇ったイエスのことである。だからこそ、イエスの都たる極東エルサレム・平安京に富士を正々堂々と隠す必要があったのである。そして、出発点・日本橋に「罪人のさらし場」があったように、ここ三条大橋でも「罪人のさらし場」を描いた理由は、そこに磔刑で遺体をゴルゴダの丘にさらされたイエス・キリストの都、平安京の秘密を暗示したのだ。

 

 「平安の都」とは「エル・シャローム」で「エルサレム」のこと。平安京とは極東エルサレムを意味し、イエス=ヤハウェの都だといういうことを伝えているのであり、その都の「首」に当たる場所、「船岡山」に不死不滅となったイエスが再臨する預言を秘したのである。そのイエスの預言者が天皇陛下であり、天皇陛下が京都に戻らないとその預言は成就しないと多くの日本人が無意識で自覚するように伝える「絵」の集合体が「東海道五十三次」の本質だったのである。

 

船岡山に再臨するイエス・キリスト

 

 ラストエンペラー徳仁陛下が大預言者として「契約の聖櫃アーク」と向き合い、船岡山に降臨するヤハウェ=イエス・キリストの指示と啓示を受け、大和民族はそれに従うこととなる。薄汚れた「獣」のような者に従う「世界政府」と対峙し、真逆で動く皇祖神の軍隊となる。だが、世界は皇祖神が用意した〝大預言者モーセの末裔〟に従わない限り、滅びの世界へ落ちるしか無く、『新・旧約聖書』を本来の持ち主の大和民族が取り戻す時代、神の知識と知恵、つまり「隠された叡智=オカルト」を総動員しなければならない。


 最後の天皇となる徳仁陛下が京都に帰還した後、ユダヤのレガリアを担いで「出ニッポン」を行う際には、燔祭を含むレビの家系によって、定められた幾つものレガリアを家系別に運ぶ為、京都を中心に汚れ者とされた「穢多」「非人」の部落出身者を陛下の元に集合させねばならない為、1970年代中頃から「警察庁」が回収、封印した戦前の「戸籍謄本」「除籍謄本」を開放することになるが、その時、誰が在日かが全て判明する。つまり、誰が大和民族で誰が偽の大和民族なのかが判明し、ヤマトの国を乗っ取った在日自民党や公明党、全国の首長や地方議員の正体も明らかになるのである。

 

<つづく>