「東海道五十三次の謎」その13

 

 「藤川・棒鼻ノ図」の絵に隠された意味は「世界最終戦争:ハルマゲドン」であり、それは「全世界 vs 大和民族」の戦いとなる。「ヤ・ゥマト(ヤハウェの民)」たる大和民族は、天皇徳仁陛下と八咫烏とともに世界終焉の葬儀である「葬送行列」を行うために、大和民族の「約束の地」イスラエルに帰還することになる。世界中の人々から見れば、大和民族のエルサレム帰還は、あたかも「鬼の行列」に見えるはずである。なにせこの世界を「終焉」に導くからである。

 

 「全世界 vs 大和民族の戦い」などと物騒なことを書くと、「なんで世界と仲良くできないのでしょうか」などと平和主義の方々に聞かれることがあるが、これは「全世界 vs 日本人」ということではない。世界と仲良くできればいいが、自分たちの世界を終わらせようとする大和民族は「人類の敵」とみなされるため、世界の軍隊が最新兵器で猛攻撃してくることとなる。だからこそ、日本の大和民族のみならず、世界に散ったイスラエルの民も集合することとなる。

 

 

天皇陛下はオリーブ山で世界の葬儀を行う

 

 「十戒」には「殺してはならない」とあるが、それは「終わりの時」までの話で、大和民族というのは「神の民」だから仕方がないとしかいいようがない。それがこの民族の役目なのである。「偽救世主=世界総統」であるバラク・オバマ、「偽預言者」である教皇フランシスコ、そしてこの両者が仕える悪魔の王たる「ルシファー=サタン」の絶対三魔が支配する「世界統一政府」を終わらせねば、この世に平和は訪れないからだ。

 

 だからこそ、この民族は元旦から大晦日まで、知らず知らずのうちに毎日その日のための「儀式」を遂行している。日本全国で行われる神輿を担ぐ祭りも、神官たちが行っている全ての神事も、つまるところは「終わりの日」の「葬儀」の予行演習なのである。天皇陛下は「葬式の華」であり「生命の樹の華」でもある全人類を表す十六弁の「菊」と人類の棺桶の象徴たる「契約の聖櫃アーク」をオリーブ山に担ぎ上げる最後の役目を担う。

 

天照大神の葬式を示す出雲大社の「神在祭」

 

 世界を終わらせる力を持つ大和民族を、絶対三魔も世界の一神教徒たちも黙ってオリーブ山に登らせることはない。この世を守ろうとする世界中の人々が敵となり、世界の軍隊が猛攻撃してきても、それを跳ね返すのが創造神ヤハウェが顕現することになる「契約の箱」なのである。だからこそ大和民族が勇気を持って「不死の川(藤川)」を渡らねば、新しい世界はやってこないのである。

 

◆第四の預言:桑名「七里渡口」

 

 『東海道五十三次』 の42番目の宿場町である「桑名宿」は、揖斐川(いびがわ)の河口にある古くから港町として発展してきた場所である。「七里渡口」は、五十三次のひとつ「宮宿」(みやじゅく:愛知県名古屋市熱田区にあった宿場町)から桑名宿までの海路のことで、宿場ではない日本橋の絵と蒲原が2枚あるため、これが44枚目の「桑名・七里渡口」である。

 

四十四番「桑名・七里渡口」

 

 名称の由来は、その移動距離で、ここは東海道の中でもしばしば海難事故が起こるため、難所のひとつと言われていた。この絵の謎解きの鍵は、桑名の「浮城」にある。

 

 この城は三方を海に囲まれ、開いた形をしていることで「扇城」と呼ばれていた。「扇」には要(かなめ)がある。つまり、広重は全世界に破局が広がっていくとき、その救いの要となる役割を果たすのは日本であるということをこの絵図を通じて暗示しているのである。

 

「扇」とは「奥義」のことである

 

 なぜなら「扇」(おうぎ)とはカッバーラの奥義「生命の樹」ことであり、国の宗教の根幹に三柱の神を据えているのは世界でも日本だけである。『古事記』では「造化三神」(ぞうかさんしん)である「天御中主神」(あまのみなかぬしのかみ)・「高御産巣日神」(たかみむすひのかみ)・「神皇産霊神」(かみむすひのかみ)の三柱をいい、『日本書紀』では「国常立尊」(くにとこたちのみこと)・「国狭槌尊」(くにのさつちのみこと)・「豊斟渟尊」(とよくむぬのみこと)の三柱とされる。

 

 日本では神社にお参りに行くことを「参拝」(さんぱい)といい、3つの鳥居をくぐって拝殿で柏手を3回打つ。神は3人いるからで、三神に向かって拝んでいるのである。「国常立尊」は『古事記』では神世七代の最初の神とされ、独神で姿を現さなかったと記される。『日本書紀』では天地開闢の際に最初に出現した神とされ、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神と記されている。創造神ヤハウェのことであり、現人神イエス・キリストのことである。
 

 三神の存在を示すのが「桑」という字である。

 

「桑」の字と異字体

 

 「桑」の字は「木」の上に「又」が3つで、「三叉」とは「天の逆鉾」のことである。そして、「桑」の字の意味は「手・右手」「また」で、「また」とは「前にあった事がもう一度繰り返されるさま」を言う。つまり、「三叉」で「三度繰り返される」ということになる。なにが”三度繰り返される”のかといえば、旧約の時代、新約の時代、終末の時代の三度同じことが起きるということなのである。

 

 イスラエル人にとっての救世主は「モーセ」であるが、モーセは、救世主イエス・キリストの「予型」である。モーセが「出エジプト」の際に行った様々なことはイエス・キリストの出現の雛形になっている。つまり、「終わりの日」には、イエス・キリストの再臨という形で、もう一度同じことが起きることとなる。但し、イエス再臨の前には荒魂としての「ヤハウェ=スサノオ=牛頭天王=艮の金神=八岐の大蛇=契約の聖櫃アーク」が暴れ出すことになる。

 

「桑」の字=三叉=天の逆鉾

 

 さらに「桑」の異字体は「木」の上に「十」が3つである。これは、ゴルゴダの丘では、イエス・キリストと2人の罪人の3人が十字架という木に掛けられて磔刑となったことを示している。さらに天界には「御父・御子・聖霊」の3神がおわすことを明かしたはイエス・キリストである。しかし、モーセの時代から、天界の三神の存在は神官以外には秘されてきた。だからこそ、その秘密を公開したことでイエスは磔刑にされたのである。

 

 日本人はなぜイエスが十字架に掛けられたのか、その理由を知らない人が多い。イエスが磔刑に処された理由の一つが三神の存在を公開してしまったこと。そしてもう一つが、自分はユダヤ人にとっての唯一神「ヤハウェ」だと語ったためである。

 

 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。 38わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。(「ヨハネによる福音書」第8章37節)

  ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」 すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。(「ヨハネによる福音書」第8章57-59節)

 

3本の木=十字架の磔刑の3人

 

 天界の三神の存在は、イスラエル人たちには秘密とされていた。モーセが隠したからである。モーセがシナイ山で絶対神ヤハウェから「十戒」を授けられた時、モーセの戻りが遅いことで、山の下ではモーセの民はモーセが戻ってこないと思って、モーセの兄アロンに「黄金の子牛」の像を作らせ、それを自分たちをエジプトから救い出してくれた神として拝んでしまった。

 

 「黄金の子牛」とは「バアル神」のことであり、子供を生贄に捧げさせるサタンのことである。その「バアル神」の偶像を神として崇拝し始めたことで、絶対神の逆鱗にふれ、皆殺しとなる。

 

 主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、 早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」 主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。 今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」(「出エジプト記」第32章7-10節)

 

金の子牛像を崇め絶対神ヤハウェの逆鱗にふれるヘブライ人たち

 

 「出エジプト」の際、絶対神ヤハウェとモーセに逆らい、「偶像崇拝」に陥った者たちは、モーセによって地獄に落とされた。たとえそれが神官のレビ人であってもである。絶対神ヤハウェは偶像崇拝者たちを絶対に許さない。この時に処罰された一人が「コラ」である。日本人は子供を叱る際に「コラーーーッ!」と叱るが、これはモーセに逆らったコラが処罰されたことを伝えているのである。

 

 主はモーセに仰せになった。 「コラ、ダタン、アビラムの住まいの周りから離れるよう、共同体に告げなさい。」 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムのところに向かった。イスラエルの長老たちもついて行った。 彼は共同体に言った。「この神に逆らう者どもの天幕から離れなさい。彼らの持ち物には一切触れてはならない。さもないと、彼らの罪のために、あなたたちは滅びる。」(「民数記」第16章23-26節)

 モーセは言った。「主がわたしを遣わして、これらすべてのことをさせられたので、わたしが自分勝手にしたのではない。それは次のことで分かるであろう。 もしこの者たちが人の普通の死に方で死に、人の普通の運命に会うならば、主がわたしを遣わされたのではない。 だが、もし主が新しいことを創始されて、大地が口を開き、彼らと彼らに属するものすべてを呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるならば、この者たちが主をないがしろにしたことをあなたたちは知るであろう。」 こう語り終えるやいなや、彼らの足もとの大地が裂けた。 地は口を開き、彼らとコラの仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。(「民数記」第16章28-32節)

 

モーセに逆らって処罰されるコラたち

 

 「桑名・七里渡口」の絵図を通じて、広重は「終わりの日」の救いの要となる役割を果たすのは日本であるということを暗示していると書いたが、この絵図をよく見ると、中央の帆柱を両側から支えている綱の形は「人」となっている。つまり、日本の役割は「人柱」になることを指しているのである。

 

 「人柱」とは、神の加護を得たり、穢れを払ったりする時に生きた人間を犠牲にして捧げる、「人身供犠」(じんしんくぎ)・「人身御供」(ひとみごくう)の一つであり、 いわゆる「生贄」(いけにえ)のことである。

 

船の帆は「人柱」を示唆している

 

 「桑名・七里渡口」は四十四枚目の絵図だが、この44枚目という数字の意味は「4+4=8」で、「八」は絶対神ヤハウェを示している。荒ぶる神として日本人に鉄槌を下すことになる。2019年に始まった元号「令和」は、最後の天皇陛下による人類最後の年号となり、今までは「和魂」(にきたま)だった「天照大神」が「荒魂」(あらたま)の「天照国照彦=スサノオ命」と化し、堕落した日本を真っ先に浄化した後、世界の粛清へと乗り出す時代となる。

  世界最終戦争で、日本は世界と戦うと書いたが、その前にまず堕落した日本人が粛清されることになるのである。なぜなら日本は世界の雛形だからである。もちろん「偶像崇拝」に陥った世界中の人間も同じで、LGBTQで性的に堕落した人間、金を神と拝む者たち、三位一体以外認めない頑固な一神教徒、バアル神を奉じて子供を生贄にしている悪魔教徒たちも然り。ソドムとゴモラの街のように、背教者たちは全て「荒魂」の怒れる絶対神ヤハウェに滅ぼされることになる。

 

堕落した人類は荒魂スサノオに滅ぼされる

 

 それを如実に物語るのが「令和」の二文字で、本来の「和」は「咊」で、天皇家だけ裏表記として使用できる文字である為、正式な「令咊」を「漢字破字法」で分解すると「令・口・ノ・木」となり、特に「令・口」で「命」が出来上がり、「神の命令が下される」意味となる。さらに「令咊」を全体で俯瞰すれば「命・ノ・木」となり、大和民族(ヤ・ゥマト)が子孫に残した『聖書』では、絶対神の「現身」(うつしみ)という意味となる。

 

 「元号」もまた預言なのであり、元号を使う唯一の民族が日本なのである。だからこそ世界中の背教者たちが滅ぼされる前に、日本は世界の雛形として、人類のための「人柱」として十字架に掛けられるのである。「ヤ・ゥマト」はヤハウェの民、つまり「神の民」であるがゆえ、真っ先に絶対神の鉄槌が下されるのである。「美しい国へ」などという日本をアメリカに売り渡すための本を書いた安倍晋三を祭り上げ、大和民族でもないのに国葬にしてしまったことで皇祖神を冒涜したエセ愛国者たちに偽の右翼、「神道政治連盟」などと称してはいるものの中身は在日政治家ばかりの反日団体、そうしたニセモノたちも一掃されることになる。

 

 本当の意味を知らず、うわべだけで「日本は神の国」とする選民思想のスピリチュアルマニア、「令和6年の辰年は龍神様に拝んで金運アップ」などとたわ言を発信してスマホを拝ませる偶像崇拝インスタグラマー、「あなたの土地が最高額で売れる!」という宣伝文句で日本を外国人に売り渡すことに協力するユーチューバー、大和民族滅亡のための企て「SDG'sのために」と国連に力を貸す者たち、みな同様である。大和民族だからこそ、絶対にやってはいけないことなのである。だが、「時、既に遅し」である。

 

<つづく>