「東海道五十三次の謎」その7

 

 「伏姫」と神の犬「八房」、そしてその子「八犬士」たちの冒険譚『南総里見八犬伝』の物語を作らせたのは「八咫烏」であった。イエス・キリストに仕える預言者集団「八咫烏」は天狗であり、イエス・キリストの「犬」であるという真意を隠しながら、イエス・キリスト=女神・天照大神の存在を江戸時代の庶民の深層心理に刻ませたのである。そして、この物語は昭和までずっと受け継がれることとなる。

 

 筆者も1983年12月に公開された映画『里見八犬伝』を見たくちである。主演は「静姫」という設定で薬師丸ひろ子、八犬士には真田広之にサニー千葉ちゃん(千葉真一)、志穂美悦子というJAC(ジャパン・アクション・クラブ)の面々が活躍する深作欣二が監督したアクション大作であった。こうしたエンタメ映画の形であっても、我々はこのストーリーを刻んできたのである。


映画『里見八犬伝』

 

 文字や絵、映像は人間の脳裏に刻まれる。文字より画像、画像より映像と、情報量は増える。もちろん、モノクロよりカラーの方が情報量は多いし、印象にも残りやすい。その意味で江戸時代に最も情報量が多かったのは「浮世絵」といえる。一つの絵の中に様々な要素がまるで写真を撮ったようにカラフルに描かれる。一つメッセージを絵という形で表すが、そこには表のテーマと裏のテーマがある。

 

 裏のテーマが作者の個人的な思いならいえい。だが、それが日本人の未来に関わる「預言」となると話は異なる。預言書の書である浮世絵集『東海道五十三次』には、いったいどんな預言が隠されているのだろうか。

 

 

◆第一の預言・日本橋「朝之景」

 

 日本で一番有名な浮世絵といえば、その一つは『東海道五十三次』の一番『日本橋 朝之景』であろう。当然、一番馴染みのある浮世絵はそれぞれ違うとは思う。まぁ一般的に知られているのは、大波の向こうに富士山が見える葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』全46図中の『神奈川沖浪裏』かもしれないし、切手としても有名になった菱川師宣の代表作にして、彼の代名詞的一図である『見返り美人図』かもしれない。

 そして、未だには絵葉書の題材としても取り上げられる東洲斎写楽の「役者絵」として有名な『三世大谷鬼次の奴江戸兵衛』もその一つであろう。ちなみに「写楽」として知られている東洲斎写楽という人もまた「謎の人物」とされてきた一人である。

 

上:『見返り美人図』『日本橋 朝之景』

下:『神奈川沖浪裏』『三世大谷鬼次の奴江戸兵衛』

 東洲斎写楽は江戸八丁堀に住んでいた阿波藩のお抱え能楽師であった斎藤十郎兵衛だという説が有力になっている。この十郎兵衛が面白い役者の似顔絵を描くという噂を聞きつけた版元の蔦屋は、その才能を見抜き、謎の新人絵師として大々的に売り出したという。写楽の代表作は、舞台役者の“ブロマイド”だった「役者絵」の中でも「大首絵」(おおくびえ)と呼ばれるもので、要は役者のバストアップを描いた絵のことである。


 写楽が能楽師だったというのなら秦氏であるが、なんでまた能楽師が浮世絵界に大きなインパクトを与えた絵師・東洲斎写楽になったのであろうか。能楽師は歌舞伎役者を芸能の新参者として下に見る。そのような元・能楽師が、歌舞伎役者を描かせたら他に比する者はいない代表的な「役者絵」の絵師になり、寛政6~7(1794~1795)年のうち、なんとわずか10カ月間に145点あまりの浮世絵を発表、そのまま姿を消してしまっているのだ。もちろん、詳しいプロフィールも分かっていない。今回はここの謎には触れないが、この写楽もまた役割を与えられた一人であると見るべきだ。

 


写楽の役者絵「五代目市川團十郎」

 

 さて、『東海道五十三次』に入ろう。『東海道五十三次』の絵図は55枚で構成されている。五十三次だが、絵は五十五枚なのである。今回は五十五枚の中でも、特に重要な「預言」と考えられる以下の6枚を取り上げることにする。

 

  一・日本橋「朝之景」

 十六・蒲原「夜之雪」
 三八・藤川「棒鼻ノ図」

 四三・桑名「七里渡口」

 四四・四日市「三重川」

 五五・京師「三条大橋」

 

 

 日本橋「朝之景」

 

 日本橋「朝之景」の左手手前には天秤棒を担いだ行商人がたくさん集まっていて、中央には橋の向こうから大名行列が近づいてくる様子が描かれている。多くの人で賑わう日本橋の様子がいきいきと描かれている傑作として名高い浮世絵の代表作だが、片や右の方を見るとポツンとお尻を向けた犬と猫(2匹の犬?)が描かれている。

 

 近くに魚河岸のある日本橋だから、行商人の荷は魚や野菜に違いないのに、犬は商人たちの荷には目もくれず、右にある何かを気にするように食い入るように見ている。この部分に注目して見ると、妙な感じがしないだろうか?食べ物を漁るのなら、魚を担いだ左手の行商人の方に集まっていても不思議ではないはずだ。魚を盗んだり、樽から落ちた魚を目当てに。だが、目もくれてないのだ。なぜか。

 


 

 実は、絵に描かれていない部分には「罪人のさらし場」があったのだ。そして、行商人たちが集まっている左手で見ているものは、幕府からのお達し(罪人名・罪状)が書かれている「高札」である。日本橋という東海道五十三次の「旅の出発点」というイメージだが、人が多く集まるところだからこそ、見せしめのためのさらし場があり、多くの人に情報が伝わる高札場があったのである。

 

 犬がいるのは、そこから「死臭」が漂っていたからである。ここにいるのは野犬や野良猫だ。食べられそうなものを探して集まってきているのである。

 

右手の「さらし場」の柵

 

 右手は罪人の首をさらしている場所で、左手が罪状板が掲げられている高札が立っているのである。行商人たちは、どんな奴が、何の罪をおかしてさらし首の刑になったのかを、皆で集まって話していたのである。

 

「高札」の部分の拡大

 

 以下の画像は、同じ日本橋の「高札場」を描いた絵である。明治期なので、そこには異国の人間が馬車に乗っていたり、洋装の人たちも描かれている。右手には妙な日本国旗も掲げられている。

 

明治に描かれた同じ「高札場」

 

 広重は、なぜ、『東海道五十三次』の旅の始点である日本橋「朝之景」に、処刑された人間たちの名前と罪状が記された「高札場」を描いたのだろうか。当時の江戸では有名な場所だったからだろうが、それはあくまでも表の意味である。『東海道五十三次』を預言書として捉えた場合、これは「イエスの磔刑」を暗示しているのだ。

 

 「日本+橋」の「日本橋」は、日=太陽神、本の旧字は「大+十」で「十字架に掛けられた一人の人=現人神」でイエス・キリストである。「橋」とはイエスが公開したカッバーラの奥義「生命の樹」と、それを昇った先におわす「御父・御子・聖霊」という「天界の三神」の存在へと至る梯子(はしご)という意味が隠されているのだ。

 

天界の三神へと至る梯子=日本橋

 

 いきなり「ハァ?」という感じかもしれないが、まだ序の口である。さらに、それを示すのが「日本橋」の絵の画面右奥、「日本橋」という題字の左斜め下の部分に描かれている、屋根の上に設置された「櫓」(やぐら)である。棒の上部に一本、短い棒が横にクロスしている。これが暗示するのは「十字架」、それもイエスを磔刑にした「T型十字」である。

 

右手奥に小さく描かれた「櫓」はT型十字の象徴なのか?

 

 T型十字の左手前には「擬宝珠」(ぎぼし)が描かれている。擬宝珠の起源は諸説あり、一つは仏教における宝珠から来ているとするものである。宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものである。だが、この絵は象徴である。

 

 何の象徴といえば「核爆弾」である。日本には1945年8月、広島と長崎に2発の核爆弾が投下された。それが炸裂することを示したのが、中央の球体状の毛槍である。そして画面左の「火の見櫓」から想像できるものは、「十字架が火で燃える」ということに他ならない。

 

2つの毛槍は2発の核爆弾の象徴?

 

十字架の国に2発の原爆を象徴する「火の見櫓」

 

 つまり、本当の十字架の国「日本」に2つの核爆弾が落とされる預言で、「1億総玉砕」と言っていた大和民族を十字架に掛けて処刑にするということを示した「罪状板」の意味を込めたのが、いくつもの「高札」が立てられていることで表されているのであり、さらにそれはこれからの時代に再び起こる「終末預言」にもなっているのだ。

 

 『聖書』には終末の日に日本に原爆が投下される預言はない。『聖書』の預言は大筋のストーリーである。そんなことがこれからの時代が起きるのか否か、それはひとえに日本人の生き方によって変わってくる。だが、令和の時代に日本が大変な事態に陥ることは、聖徳太子の預言書にも「日月神示」にもノストラダムの預言書にも示されている。となれば、確実にそれは起きることとなる。

 

 

<つづく>