「東海道五十三次の謎」その6

 

 どこでどう繋がったのかは分からない。だが、歌川広重と曲亭馬琴はつながっていた。単なる知り合いなのか、はたまた何らかの意図をもって二人はやり取りをしていたのか、今となっては正確なところは分からない。だが、考えられるとしたら、それは一つ。二人の作家に意図的に作品を描かせた人間がいたということである。

 

 『奥の細道』と『南総里見八犬伝』の共通項は「俳諧」である。『奥の細道』の作者である松尾芭蕉と河合曾良は表向きは俳諧師であったし、曲亭馬琴は「俳諧」で用いていた俳号の「曲亭」と「馬琴」が戯号に転じたものとされている。そして馬琴には魔界京都を代表する怪人・小野篁の影がチラつく。そして、広重の辞世の句 「東路に筆をのこして旅の空 西の御国の名ところを見舞(みん)」に隠された意味は、東路=日本、西の御国=イスラエルであった。やはり「東海道五十三次」は明確な意図をもって作成された画集であり、そこには「暗号」が隠されていると考えたほうがいい。

 

 

「松尾芭蕉」と「河合曾良=水戸光圀」

 

 前回の連載でも書いたが、『奥の細道』は、俳人「松尾芭蕉」と随伴者「河合曾良=水戸光圀」による紀行及び俳諧であった。古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名な作品である。タイトル「オクの細道」とは暗号であり、「オク=億」と解釈すると「十の八乗」で、八はヤ、十はソ。ヤソとは「耶蘇」で当時のイエス・キリストの呼び名である。つまり、「奥の細道」とは「イエス・キリストの奥義に至る細道」ということであった。

 

 「月日は百代(ひゃくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆき)かふ年も 又旅人なり」という冒頭の句にも暗号が秘められていた。江戸時代の一代とは約20年で、百代というのは2000年ということになり、「奥の細道」が「預言書」とすれば、西暦2000年までの大和民族の黙示的な旅を表していると捉えられる。また、2000年を「イエスの磔刑から2000年」と解釈するなら、それは「ヨハネの黙示録」が示す「終末の日」の話となる。

 

「耶蘇=イエス・キリスト」とヨハネ

 

◆歌:文字→浮世絵(画像)→長編小説(映像)という予型
 

 『奥の細道』は、紀行及び俳諧で「文字」+挿絵で構成されていた。『東海道五十三次』は浮世絵で「画像」(+狂歌)である。そして 28年をかけて完結した、全98巻、106冊の大作である『南総里見八犬伝』は、日本最大の長編小説であり「映像」といえる。これは全て繋がっているのであり、後の世のメディア変遷の「予型」であったといえる。

 

 少々横道に逸れるが、江戸時代の「かわら版」を見てみよう。そこには、現在の雛形がしっかりと刻まれている。

 

紀州大地震大津波の次第

 

 上の画像は嘉永7年(1854)11月に発生した「安政南海地震」の津波被害を記したかわら版である。「紀州大地震大津波の次第」というインパクトある見出しだ。その他の地域に関する情報も掲載されている。熊野、阿波などの文字が見えるが、詳細は不明だが、各記事の挿絵を写真と考えれば、まさに現代の新聞と同じだ。

 

 太平洋戦争の真っ只中の昭和19年(1944)12月7日の昭和東南海地震と翌20年(1945)1月の三河地震は、軍部によって報道管制が敷かれ完全に隠蔽された。当時、日本は太平洋戦争の最中であり、しかも敗色が濃厚となっていたからだ。その意味では、江戸時代であってもしっかりと紀州の地震のことを伝えているあたり、この頃は真っ当なものだったのがよく分かる。

 

1846(弘化3)年に発行された一色刷りのかわら版

 

 上の画像のかわら版は、1846(弘化3)年に発行された「護持院ヶ原」で起きた敵討を報じたものである。一色刷りで、今で言う号外みたいなものであろう。同時代の錦絵と比べるとチープ感丸出しだが、挿絵で臨場感は感じさせる内容になっている。

 

1854(嘉永7)年発行のかわら版「阿女里香通人」(所蔵:森田健司)

 

 上の画像は黒船が来航したときに作られた、英語と日本語の対比をしたかわら版である。当時の庶民のための英語辞書みたいなもので、これはたくさん売れたという。もっとも中身はデタラメだったので、何の用語なのか分からないが(笑)、妙にキャラクターがコミカルだ。戦前の漫画に登場してくる漫画の登場人物たちのようだ。

 

安政2(1855)年の安政江戸地震について描かれたなまず絵

「恵比寿天申訳之記」=東京大学総合図書館所蔵

 

 こちらはかなりカラフルだ。出てくるキャラクターは宮崎駿作品に登場してきそうだ。安政2年の地震に関するかわら版だからなのか、ナマズがいっぱい出てる。もはや「千と千尋の神隠し」の世界である。その意味では、この時代の挿絵画家は現代の漫画家と同じレベルだと言ってもいい。

 

 

 上の画像は文化二年(1805)のかわら版だが、「人魚」のネタで、現代風に言えば「東スポ」の「人面魚」ということだろう(笑)。昔も今も、江戸の人たちの興味は変わらないということがよく分かる。なんかキャラは水木しげるの昔の漫画に登場していそうだ。その他、この時代のかわら版には、よく怪物たちが登場するのだが、それらは昔の楳図かずおの漫画に登場してきそうな感じだ。

 

 以上のように、昔のかわら版を見てみると、予想以上に絵のレベルが高いことがよく分かる。

 

 

 さて、一転して、こちらは太平洋戦争中の「読売報知新聞」だが、見出しが完全にフェイクニュースである。日本が壊滅寸前なのに、アメリカの空軍を大陸で壊滅したなどというインチキな報道に大新聞が加担していたことがよく分かる。その意味では、自民党とその裏で情報操作を続ける極東CIA本部によるインチキ報道ばかりの現在の大新聞もほとんど変わっていないということだ。

 

 但し、戦後の一時期は真っ当な時代もあった。新聞以外のメディアとしては週刊誌、少年少女雑誌、マンガ誌など、やっていることが細分化されただけだが、これらのメディアが登場したことで、日本は一気に漫画大国となり、やがて世界一のアニメ大国になっていった。

 

 

 これらは戦前の少年少女雑誌だが、「のらくろ」という漫画も可愛らしいが基本は軍隊ものである。一方の「少女の友」の表紙も軍服姿で、時代を映している。こうした時代が2度と来ないようにするには、本当の日本国民は真剣に国と対峙しなければ、またまた軍事大国がすぐ復活する危険性を孕んでいる。

 

 

 上の画像は「鉄腕アトム」の最初のアニメで、下はCGアトムである。どうもCGはいけない。いくら頑張っても、アトムが単なるロボット人間みたいになってしまうからだ。日本のアニメは低予算なのに優秀なのである。CGアニメは生き生きした感じがないからダメだ。まぁ、これも時代の変遷ではあるのだが。

 

 江戸時代からの流れを見直すと、「活字」→「写真+活字」→「映画」であり、「映画」→「TV」→「インターネット上の動画(YouTube等)」と変遷したのは、既に江戸時代に起きていたことになり、「漫画」→「アニメ」→「CG」という変遷も同じである。要は「予型」になっており、さらに、これら3つは全て暗号を秘めた「預言」でもあったのである!

 

 

◆ 『南総里見八犬伝』隠された秘儀

 

 江戸時代の最大のヒット作は、日本初の貸本になった『南総里見八犬伝』である。要は昭和の終わりに登場したレンタルビデオ屋の走りとなる現象を作った大ロングセラーヒットとなった超大作であり、『指輪物語』なんて比ではない。

 

『南総里見八犬伝』

 

 『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた「八人の若者(八犬士)」を主人公とする長編伝奇小説である。「伏姫」(ふせひめ)は、 遥か昔、怨霊となった玉梓姫(たまずさひめ)の前に八人の若者を伴って現れ、玉梓姫の魂をその身に封じた姫なのだが、これが 里見家伝説の巫女姫で、里見家の犬神憑きの女性のことを総じて「伏姫」と呼んでいる。

 

 この「伏姫」にちなむ部分を、以下、Wikipediaから抜粋する。

 

 里見義実の娘。八犬士の象徴的な母。母は真里谷入道静蓮の娘・五十子(いさらご)。作中の嘉吉2年(1442年)夏、三伏の頃に生まれたため伏姫と名づけられた。3歳まで泣きも笑いもせず言葉も発しなかったが、母とともに洲崎明神の役行者の岩窟に参拝した帰り道に、仙翁(役行者)に仁義八行の数珠を与えられ、以後は健やかに美しく成長した。

 長禄元年(1457年)、伏姫16歳の秋、飢饉に乗じて安西景連が里見領に攻め込む。落城の危機に瀕した父は、水杯の席で「敵将の首を取ってきた者に伏姫を与える」と言う。これを里見家の飼い犬であった八房が実行し、約束の履行を求めた。このとき「伏姫」の名は「人にして犬に従う」意の名詮自性であることが明らかにされる。伏姫は父に君主が約束を違えることの不可を説くとともに、仁義八行の玉の文字が「如是畜生発菩提心」に変化していることを示し、富山に伴われる。

 


「伏姫」と「八房」


 富山では法華経を読経する日々を送り、八房に肉体を許すことはなかったが、翌年、山中で出遭った仙童から、八房が玉梓の呪詛を負っていたことが分かる。玉梓は「児孫まで、畜生道に導きて、この世からなる煩悩の、犬となさん」との呪詛の言葉を残して処刑されたことで、その怨霊は里見家に仇なすことになる。

 

 読経の功徳により玉梓の怨念は解消されたものの、八房の気を受けて八人の子の「種子」を宿したこと、さらにそれらが世に出るときに父と夫に出会うことを告げられる。伏姫は犬の子を産む恥に耐えられず入水を図ったが、おりしも伏姫奪回のために富山に入った金碗大輔による銃撃の誤射を受け負傷。里見義実も富山に導かれ、父と「夫」の前で割腹し、胎内に犬の子がないことを証した。その傷口から流れ出た白気は姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。伏姫は安堵して死んだ。そして、死後は「伏姫神」となってしばしば登場し、犬士たちと里見家に加護を与える。

 

八犬士

 

 伏姫の母の名は「五十子」(いさらご)となっているが、「五十鈴」と書けば「いすず」で、伊勢皇大神宮(内宮)の別称を「五十鈴宮」(いすすのみや)と呼ぶが、これは「イエズスの宮」のことで、イエス・キリスト=天照大神という暗号となっている。よって「五十子」とは「イエス・キリストの子」というのが裏の設定ということになる。

 

 共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣が身体のどこかにある。関八州の各地で生まれた彼らは、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する話であるが、伏姫の文字にも犬があり、八房も神の犬である。

 

 

 「犬」とは「狗」(いぬ)で、「天狗」のことである。そして天狗とは「扇(羽団扇)=奥義」を持つ「八咫烏」を意味している。その八咫烏が仕えるのは女神とされる天照大神=イエス・キリストで、だからこそ「八犬士」は伏姫に仕えるのである。だれがこの物語とその裏に隠された意味を曲亭馬琴に伝えたのだろうか。もちろん「八咫烏」である!

 

 八咫烏は天皇家の本当の歴史のみならず、この国の本当の歴史、人類創生以来の裏側の歴史を知りつくしており、彼らはそれを『八咫烏秘記』として保管し続けている。だからこそ、彼らのトップである3人の大烏は「金鵄」(きんし)と呼ばれ、裏天皇家であり続けるられるのである。それこそが彼らが神道とこの国を裏から呪術支配できる上での源泉なのである。

 

烏天狗の面と羽団扇

 

 さらに「伏姫」の「伏」という字の中にも奥義が隠されている。「伏」とは、「犬が人のかたわらにひれふす」で、 「したがう」意に用いる。 さらに「ふせる」とは「隠れる」で「お隠れ」=亡くなったことを示す。つまり、岩屋の中に葬られた神=イエス・キリストを示しているのであり、そのイエス・キリストを「天岩戸」の中にお隠れした最高神にして女神「天照大神」として奉じているのが、裏陰陽道にして漢波羅(カッバーラ)秘密組織・八咫烏なのである。

 

 この国は昔も今も「神話」の国である。現代社会は科学技術が進んだとはいえ、この国の民は何も意識せず正月には初詣を行い、五節句を祝い、毎日風呂に入って禊の儀式を行っている。祭りでは契約の聖櫃アークのレプリカを「神輿」として担ぎながら、「ソイヤー=我、神を奉らん」とヘブライ語を使っていることにも気づかない。全てはこの国とこの国の民を呪術で支配する仕掛けなのである。

 

 つまり、曲亭馬琴に『南総里見八犬伝』の物語を作らせたのは八咫烏なのである。馬琴自身「吾を知る者はそれただ八犬伝か、吾を知らざる者もそれただ八犬伝か」と言い残しており、坪内逍遥も八犬士を「仁義八行の化物にて決して人間とはいひ難かり」と喝破ている。

 

<つづく>