「奥の細道」謎解き紀行 最終回

 

 童謡『とおりゃんせ(通りゃんせ)』は、恨みの中で亡くなった道真の怨霊封じの唄ではなく、「天界へと続く細い道=カッバーラの奥義を理解できぬ者は通さない」と「八咫烏」が告げている唄であった。そう、奥(義)にたどり着く道は細くて長いのだと理解せよと烏が鳴いているのである。

 

 実際、江戸時代までは、中途半端な知識で奥義を知ろうとした者には容赦なく、八咫烏は目を潰す、耳を切り落とす、口が聞けぬようにする、ということをやっていたらしい。これが八咫烏の「見ざる言わざる聞かざる」の鉄則である。

 

天神への奥義を守る八咫烏たち

 

 筆者の知り合いの霊能力者の女性は、前世が八咫烏の遣いの女忍者だったが、口外してはならぬ秘密を口外しようとして、口を裂かれた記憶を鮮明に持っている。まぁ前世の話だから実際に起きたことなのかどうかは分からないが、今世においても、この方の先には八咫烏がつながっている。どうもそちらの世界のお役目を持つ方々は、普通以上に因果は巡るらしい。

 

 さすがに現代では、「見ざる言わざる聞かざる」によって相手を傷つけることはなくなったが、中途半端な都市伝説好きな輩は絶対に近づけないことは確かだ。というか、接近してくるのは、向こうが選んだ人間だけだからだ。

 

 

◆ 曾良が詠んだ「松嶋」の句に秘された意味

 

 秦氏系忍者の俳諧師・松尾芭蕉と、河合曾良と名乗った水戸光圀は、『新約聖書』を手に入れ、その中の「ヨハネの黙示録」を八咫烏に届けつつ、その内容を俳諧紀行『奥の細道』にも反映させた。それが「奥の細道」の文頭にある、「草の戸も 住み替はる代よぞ 雛の家」というには預言であった。

 

 草の戸とは「荊棘の冠をつけて十字架に掛けられた太陽神・天照大神=イエス・キリストが天岩戸からもう一度現れる」とする預言で、新しい世に代わる=君が代=至福千年王国が樹立される、という意味であった。

 

天岩戸から蘇りし天照大神=イエス・キリスト

 

 芭蕉と曾良は「奥の細道」に終末預言「ヨハネの黙示録」を秘したのであるが、そう考えたとき、冒頭の別の文章にもまた奥義が記されているのではないだろうか。

 

 「松嶋の月をぜひ見たいと思った」のが『奥の細道』の旅をするに至った動機として記していたはずなのが、なぜか芭蕉は松嶋では句を詠まず、曾良が句を詠んでいた。この部分、5月9日、歌枕松島(宮城県宮城郡松島町)とあり、芭蕉は美観に感動したあまり

「いづれの人か筆をふるひ詞ことばを尽くさむ」と自らは句作せず、代わりに曾良の句を文末に置いた。

 

 河合曾良はこう詠んだ。

 

 「松嶋や 鶴に身をかれほとゝぎす」 曾良

 

 意味は、「ここ松嶋では、ほととぎすはそのままの姿ではつりあわない。鶴の衣をまとって、優雅に見せてくれ」というものである。実は、まさに、ここにこそ『奥の細道』の最大の謎が隠されている。

 

松島の『奥の細道』の碑

 

 鳥の「ホトトギス」は「杜鵑・時鳥・不如帰」と表記される。「不如帰」は「かえりたい」という意である。ホトトギスは蜀王の霊の化した鳥とか、冥土との間を往来する鳥とか、種々の伝説や口碑も多い。あやめ鳥・いもせ鳥・うない鳥・さなえ鳥・しでの田おさ・たちばな鳥・たま迎え鳥・時つ鳥・夕かげ鳥など、異名もすこぶる多く、あてられる文字も、ほかに杜宇・田鵑・沓乞・催帰・蜀魂・帝魂など多種類にのぼる。

 

 冥土やら魂となると、どうもそこには「死」がまとわりつく。「かえりたい」という意であるとなると、この世に帰りたいだろうか。「ほととぎす」は夏の鳥として親しまれ、文学にもよく登場する。現代では、鳴き声が「てっぺんかけたか」「特許許可局」と聞こえるとされる。「特許許可局」は早口言葉やらお笑いネタとしても昔から人気だ。だが、ホトトギスは「鳥」であり、「鳥」は原始キリスト教の象徴である。そこには必ずイエス・キリストに関わる事項が隠されている。

 

ほととぎす

 

 問題は「てっぺんかけたか」である。「てっぺんかけたか」とは、ホトトギスの鳴き声を表す語であるが、実は、ホトトギスの別名でもあるのだ。字義だが、「てっ‐ぺん」とは「天辺」で、「頭のいただき。頂上。 最高位。」「時計の文字盤で0時(12時)」とある。そして、「かけた・か」とは「欠けた/缺けた/闕けた・か」で、なくなる=「亡くなる」とある。救世主イエス・キリストは、9時に十字架に磔となり、0時(12時)に天地は暗くなり、3時に絶命した。

 

 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。(「マルコによる福音書」第15章25-26節)

 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。(「マルコによる福音書」第15章33節)

 

 「辺」の部首「辶・⻌」(しんにゅう・しんにょう)の旧字は「辵」であり、「行の省略形+止」の会意で、「十字路」の象形と「立ち止まる足」の象形から「道を行く」を意味する「辵」という漢字が成り立ったとされている。つまり、「十字(架)で足が止まった=死んだ」ということである。

 

 さらに、「しんにゅう」は「之繞(しにょう)」の読みがなまって、「しんにょう、しんにゅう」と読むようになったとされる。この「繞」(にょう)とは、漢字の構成要素のうち、「左から下にかけて置かれるもの」の総称であるが、イエスの右脇から体の左を貫いたのは、「ロンギヌスの槍」である。

 

右から左を貫いてイエスを絶命させた「ロンギヌスの槍」

 

 「槍」の先は「剣=刀」である。「辶+刀」は「辺」であり、右下から左を貫きおかれた「ロンギヌスの槍」なのである。もちろん、「天」は「工+人」で、職業が大工だった現人神イエス・キリストのこと。つまり、「てっぺんかけたか」は「12時に十字架に掛けられたイエスが、ロンギヌスの槍に貫かれて絶命した」という意味なのであり、さらに「天=天神=イエス・キリストが亡くなった」という意味なのである。それがホトトギスの別名でもある。

 

 さらに「繞」(にょう)の字の中には十字架が3本立っている。ゴルゴダの丘では、イエス・キリストの他に2人の男も十字架の磔刑にされている。糸偏の右に「土」が3つ、分かれて書かれるかくっついて表記されるが、これは十字架が3本立てられたことを意味している。

 

 

 「しにょう」とは、屎尿」とも書くことができる。一般に、「屎尿」は人間の大小便を合わせた呼び方だが、「屎」が常用漢字に含まれていないため、「し尿」と表記することが多い。「屎尿」は「尸」の中に米、水があり、米が大便、水が小便だとされているが、聖書文字である漢字はそんなに簡単ではない。

 

 「尸」は「尸部」(しぶ)という冠の一つの部首であるが、これは「しかばねかんむり」の略である。「しかばね」とは「屍・尸」と下記、意味は、①しかばね。かばね。死体。なきがら。死骸(シガイ)。「尸解」「尸諫(シカン)」 類 屍(シ) 、②かたしろ(形代)。祖先をまつるとき、その霊の代わりになる人や物。である。

 

 大和民族に食べ物「マナ(マンマ:米)」や永遠の命となる水を与えたのは絶対神ヤハウェである。そして、ヤハウェ=イエス・キリストは、死んだ際に脇腹から「水」を噴出している。つまり、屎尿」とは、絶命したイエスの体から出てきた血が混じった水のことなのである。だから、「屎」が常用漢字に含まれず、「し尿」と表記するのである。

 


イエスの遺骸

 

 イエス・キリストが亡くなり、3日後に復活を遂げる。その時、イエスは不死不滅の復活体となった。ホトトギスの異名の一つ「たちばな鳥」を「橘鳥」とすると不老不死の鳥、イエス・キリストとなる。さらに、ホトトギスは「鳥」でもあるが、一方では「花」でもある。

 

 「ホトトギス」は百合科の多年草で 「杜鵑草・油点草」と書く。三枚の「外花被」の基部が曲がっていることからこう名が付けられた。上向きの漏斗状鐘形をした濃い紫斑のある花が咲く。この若葉や花被の紫色の斑点模様が、 鳥のホトトギスの胸にある模様と見立てたことからこの名があり、漢名に油点草をあてる。 なぜか。それは「救世主」だからである。

 

葉に斑点のあるホトトギス

 

 メシア=救世主とは「油をそそがれた」という意味である。つまり「油を草にともす」とは救世主イエスのことを示唆しているのだ。磔刑死したイエスの体はムチで打たれ、体中に痕があったことをホトトギスの腹の横斑に見立てたのである!

 

 つまり、曾良の句はこうである。

 

 「松」:ヤハウェ=イエス・キリストの木で「生命の樹」

 「嶋」:山=天界の3神の存在を公開した鳥=イエス・キリストであり、嶋は日本のこと。

 「身」:肉体

 「かれ」:枯れ=草木が枯れる=命が尽きる

 「ホトトギス」:死から蘇り、不死不滅となったイエス・キリストであり、イエス・キリストの霊魂はヤハウェ。そして「終わり」の時を告げる「時つ鳥=ヤハウェ=イエス・キリスト」のこと。

 「鶴」:原始キリスト教の象徴、且つ鶴とは「真鶴」(まなづる)で「マナ(食べ物)を与えたヤハウェ」、そして「真の名を持つ鶴」=イエス・キリスト。

 

油点草=救世主イエス・キリスト

 

 水戸光圀は忌部氏の三木家によって、幼少期を育てられた。忌部氏は「大嘗祭」に不可欠であるイエス・キリストの聖骸布にあたる麻織物 「麁服」(あらたえ)を献上することを守ってきた一族である。だが、南北朝以降、レビ族の大祭司ではない北朝系天皇が続く間、四国忌部の三木家は、北朝を偽者として、大嘗祭で「麁服」を献上しなかったが、明治に改まって正統の天皇が現れた為、献上を再開した。

 

 北朝が天皇家の時代にあって「南朝こそが正統なり」とした水戸光圀であったからこそ、全国に隠れていた南朝の忠臣の末裔たちも、原始キリスト教の「影の組織」に入っていた。本来、隠れキリシタンはカトリック教徒であってイエス直系の教えを奉ずる原始キリスト教徒ではない。だが、水戸光圀と松尾芭蕉は、彼らの聖母マリア信仰を伊勢神宮に向けさせた。「伊勢に祀られし天照大神は女神なり」として。

 

 隠れキリシタンたちは、天照大神を聖母マリアだと思い込んで拝んだのである。酷い言い方をすれば、彼らは光圀と芭蕉に騙されたのであるが、ポイントは聖母マリアを拝めとは言っていないことである。あくまでも女神・天照大神を崇拝すべしとしたのである。そうすれば、キリシタンたちは正々堂々と女神・天照大神を聖母マリアだと思って崇敬することができる。だが、結果として、日本の天照大神信仰=伊勢参りが活発化し、やがてその力が南朝復活へとつながるはずだと。

 

折り鶴とはイエス再臨への願い。

 

 光圀は「ここ松嶋では、ほととぎすはそのままの姿ではつりあわない。鶴の衣をまとって、優雅に見せてくれ」と詠んだ。それは、人類の犠牲として磔刑で亡くなり、天に戻ったイエスに、「鶴のような優雅な姿で再臨してください。そして至福千年をもたらしてください」と願った句だったのである!だからこそ日本人は、今も「千年の平和」への祈りを込めて「千羽鶴」を折るのである。

 

 「千羽鶴」は、多数の鶴の描かれた模様や絵画、および折り紙である折り鶴を1000羽作り、糸などで綴じて束ねたものを指す。「瑞鳥」である鶴が千羽いることから更なる「瑞兆」を表す。「瑞兆」とはい事が起こる前兆、吉事の前兆を示唆するとされる気象、品物、事象などのことで、かつては社寺に奉納されていたが、現在は祝福、幸福祈願、災害などへの慰安、病気平癒祈願、見舞いなどを目的に作成や贈呈が行われている。だが、千羽鶴」の起源ははっきりとは分かっていない。

 

千羽鶴

 

 千羽鶴の「千」は元々は「数が多い」というだけの意味で、一枚の紙に切り込みを入れて、一部が繋がった正方形を切り出して折る「つなぎ折り」のことであった。江戸期の寛政9年(1797)に出版された『秘伝千羽鶴折形』は世界最古の遊戯折り紙の本として知られ、そこには49種類の繋ぎ折り鶴が紹介されている。神の聖数7☓7である。わらべ唄に預言が秘されているように、遊戯にも預言成就の仕掛けが施されている。


 ごく初期の「折り鶴」は、神に祈って穢れを清め、災厄を取り除く「祓えの形代」(人の身代りに罪や穢れを移す人形)の意味合いが強く、「折り鶴」に「息を吹き込む」のは、穢れを託すことの名残とされる。日本人は、「折り鶴」を大勢で作る。多数の人間の願いと祈りが込められた鶴に願いを託す。

 

 「千羽鶴」に託される願いと祈りとは、天岩戸が再び開き、天照大神=イエス・キリストが再臨することである。だからこそ、「鶴」は日本の国鳥なのである。

 

<終わり>

 

 30年前に読んだ川尻徹博士の『芭蕉隠れキリシタンの暗号』とは、近そうで遠い結論となった。だが、博士がこの本を書いていなかったら、松尾芭蕉に興味なんか持たなかったように思うし、このような連載を書くこともなったと思う。その意味では、故・川尻徹博士には感謝の念が絶えない。幸い筆者の場合、月形龍之介が主演の映画シリーズをはじめ、TVドラマも含めて「水戸黄門」はずっと見ていた。どのシリーズかは覚えていないが、光圀が短冊に書いた句を読んだどこぞの大名が、そこに書かれていた「梅里」という雅号に驚愕するというシーンだけを、なぜかよく覚えていた。光圀という人は和歌をたしなむ人だったんだ、くらいの認識だったが。

 

 『聖書』とは、大和民族の先祖たちが、後世の大和民族のために書き残した「預言書」である。『奥の細道』のさらなる旅の目的とは、現代日本語訳『聖書』の完成のために、『新約聖書』」の預言書たる「ヨハネの黙示録」を手に入れることだったのである。だからこそ、明治になって突然『聖書』が登場したのである。つまり、用意されていたということだ。とはいえ、今も昔も、日本のキリスト教徒の数は1%以内である。逆にいえば、もともと日本人はほとんどが原始キリスト教徒だったのである。その意味では、キリスト教徒に改宗した人が1%いるということだ。

 

 それにしても和歌や俳句というのは、聖書と同様に幾通りもの読み方ができる。複合的な意味を隠すという意味では同じなのである。だからこそ、余計にこんがらがる。だが、預言というのは暗号で、その時が来れば必ず解き明かしができるように、秘密の鍵が用意されているものだ。まぁ、その鍵を発見するのが一苦労なのだが。

 

 次回の連載は同じく江戸時代。これまた川尻博士が提示してくれたもう一つの暗号である『東海道五十三次』に挑戦する。どこまで踏み込めるのかは分からない。だが、我が家に残されていた大判の『東海道五十三次』を見ていると、パソコンでは分からなかったものが見えてくる。そこには大きなヒントが隠されていた。松尾芭蕉と水戸光圀が残した『奥の細道』は、安藤広重(歌川広重)による『東海道五十三次』で完成するのである。

 

 最近はパソコンの不具合が頻発しており、連載を書くのに時間を取られてばかりいた。まだ直っていないが、前に向かって奮闘するしかない。と書いている時に、東京に地震が起きた。そろそろやってくる時だ。残された時間は少ない。皆さん、正月の残りのお餅をガッツリと買い込んでおきましょう。大切なのは「生き残る」ことである。