「奥の細道」謎解き紀行 その21


 単純な疑問が浮かんだ。なんで伊達政宗は、娘に「いろはひめ(五郎八姫)」と名付けたのだろうか、というものだ。政宗と正室の愛姫との間に結婚15年目にして初めて授かった待望の嫡出子であり、夫妻は伊達家後継者となる男児誕生を熱望していたであろうが、生まれたのは女児だった。このため、男子名である五郎八しか考えていなかった政宗が、そのまま五郎八姫と命名したといわれている。

 

 筆者の姉は長女だが、父親は政宗を同じく男児誕生を熱望していたため、考えていた名前は「太郎左衛門」だったという(笑)。なんで昭和30年代生まれの子供に「太郎左衛門」なのかよく分からない。代々続く名前というなら理解できるが、別にそんな話ではない。結果、「純子」という名前になったが、これが政宗同様にそのまま「太郎左衛門」だったら男子でも悲劇だったに違いない。

 

 なぜ、「いろは」にこだわるのかといえば、筆者の前回の連載が「いろは歌」の謎解きだったこと。そして「歌」である。『奥の細道』の主人公の二人、松尾芭蕉も河合曾良も俳諧師で、俳諧とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。要は「歌」なのだ。そして日本の「歌」は暗号である。

 

 

◆「俳」の字と「俳句」という暗号

 

 俳句を詠む(作る)人を「俳人」と呼ぶ。「俳」という字の意味には、大きく分けて以下のようなものがある。
 

 [1]わざおぎ。役者。俳優。芸人。道化役。コメディアン。面白い事を言ったり、したりする事。

 [2]おどけ。たわむれ(戯れ)。 ざれごと(戯れ事)。さまよう(彷徨う)。ぶらつく。

 [3](舞い踊るように)行きつ戻りつしながらあるく。無目的に不規則に歩く=徘徊。 

 [4]戯れ歌。面白味・滑稽味のある歌。連歌。俳諧・俳諧連歌(身近な面白味を主とする連歌)。

 [5]俳句(五・七・五の3句17音を定型とする短詩。季節に関する語を入れることを原則とする)」

 

 「わざおぎ」とは、「面白い事をして、歌い舞い、神や人を楽しませる事」であり、そうしたことを生業とする人たちを「俳優」「役者」「芸人」と呼ぶ。4つ目にある「連歌」とは、詩歌の形式の一つで、五・七・五の長句と七・七の短句とを別人が交互に詠んで連ね、一つの作品とするものである。

 


「俳」の象形

 

 「俳」を使った言葉には俳句、俳人、俳優がある。『説文解字』によれば、「俳」は《人部》に分類され、「戲也。従人非声。」とあり、「戯れる。“人"に従い“非”を音とする」と記されている。また、「俳」を構成する「非」については「韋也。従飛下翄,取其相背。」とあり、「違背する。“飛"の下のツバサ部分に従い、その相背く形を意味とする。」と記している。

 

 「非」という字の成り立ちから「俳」の字を考えると、下の画像が示すように、飛んでいる鳥を象った象形文字である「飛」から派生したのが「非」という字である。もちろん「鳥」は羽だけでなく頭も足も胴体もあり、羽だけで飛ぶことはあり得ない。それを表すために「飛」に描かれた“頭”と“胴体”を省いて「非」という字が創られ、「あらず(非ず)」という意味が与えられたという。

 

「非」の象形からの成り立ち

 

 この「非」という字で省かれた鳥の「頭と胴体」に換えて、「人」(亻:にん偏)を加えて創られたのが「俳」という字である。よって、「俳」という字は、「人に非ず」ということではなく、「超人的な技芸を持つ人」というのが「俳」の意味であり、「鳥のようにしなやかで柔らかい動き」というニュアンスを表す。それが踊りや芝居、道化などの技芸であり、踊り子や俳優や道化師を意味している。というのが、あくまで表向きに伝わる「俳」の字の解説である。

 

 「鳥」とは原始キリスト教の象徴である。「超人的な技芸を持つ人」というのは、人間を超えた人としての存在、つまり「現人神」(あらひとがみ)、イエス・キリストのことである。「非」の時の意味には「違背する」とあるが、「違背」(いはい)とは、「規則・命令などにそむくこと。違反」という意味である。何に違反したのか、誰に背いたのかといえば、ユダヤ教を支配する「サンヘドリン」である。

 

 「サンヘドリン」はローマ帝国支配下のユダヤにおける最高裁判権を持った宗教的・政治的自治組織。最高評議会、最高法院などと訳され、構成員は71人で、おもに祭司とパリサイ派の律法学者などからなる組織である。イエス・キリストはエルサレムの最高権力者たちに逆らったのである。彼らの注意を無視して行動し続けた。イエスは彼らの権威を傷つけ、彼らの権力を恐れない存在であった。それは彼らの神だったからである。よって、彼らはイエスを捕えさせ、死刑にすることを決める。

 

サンヘドリンでのイエスの裁判


 そのため、祭司長とパリサイ派の人たちはサンヘドリンを招集して、こう言った。「この男が多くの奇跡を行っているが,私たちはどうすべきだろうか。 このまま放っておいたら、皆が彼に信仰を持ち、ローマ人がやって来て、私たちの神殿も国民も奪い去ってしまう」。 その年に大祭司だったカヤファという人がいて、こう言った。「皆さんは何も分かっていません。 国民全体が滅ぼされるよりも1人の人が民のために死ぬ方が皆さんにとってよい、ということを考えていません」。 カヤファはこれを独自の考えで言ったのではなく、その年に大祭司だったので預言していたのである。すなわち,イエスが国民のために死ぬこと、しかもそれはこの国民のためだけではなく各地に散る神の子供たちを一つに集めるためでもあることを預言していたのである。 その場にいた人たちはその日以来、イエスを殺そうとして相談した。(「ヨハネによる福音書」第11章47-53節)


 サンヘドリン全体,つまり大祭司と長老たち、律法学者たちが集合、「過ぎ越し」の晩に裁判を行うのは違法なことだったにもかかわらず、邪悪な目的を遂げようとする彼らは全く気にもせずイエスを殺すことにしたのである。「非」とは「非(難)」を受けて死んだ鳥=神=イエス・キリストが天に飛び立つ姿なのである!さらに、「非」には「飛の下のツバサ部分に従い、その相背く形を意味とする」とあるが、これは「2枚の翼」の象形である。

 

 

 「2枚の翼」とは、天使ケルビムの象徴である。亡くなったイエスの遺骸を葬った岩屋には2人の天使がいた。その2人の天使は、復活したイエスとともに天界へと旅立った。

 

 「俳」の意味は一般的には「人に非ず」ということではないとしているが、そうではないのだ。「亻(にんべん)+非(あらず)」で「人にあらず」であり、「俳+人」で「人ではない人=現人神」の話を庶民に伝える役割を担う人となる。よって俳人とはイエスの話を庶民に分かりやすく、面白おかしく伝える人だからこそ「芸人」なのである。さらに、「俳」は「二人の俳優が演じている様子」である。イ(人間)+非(相対する二人)=俳(二人の俳優が演じる)で、意味は『俳優』『掛け合いの芸』『俳句』『右左に歩く人』で、俳諧(ハイカイ)、俳句(ハイク)である。

 

『掛け合いの芸』で面白おかしく伝える人

 

 俳諧とは『おどけ』『こっけい』味を持つ和歌・連歌のことで、この連歌の発句が独立したものを俳句(ハイク)という。俳に『演じる』『面白味』、諧に『調和』『たわむれる』の意味があるのはこのためで、さらに「能=和歌」「狂言=俳諧」となる。「和歌=能」に対しての狂言と同じことを「句」を連歌で確認し合う暗号なのである。『奥の細道』では、松尾芭蕉と河合曾良の2人が旅に出たことの意味は、「俳」が「二人の俳優が演じている様子」だからなのである。

 

 光圀は「曾良」という俳諧師に扮し、旅の俳句を残している。俳句とは季語及び五七五の17音を主とした定型詩。季節を表す「季語」を入れなければならない、切れ字(かな、けり等の変化を持たせたり、言い切る働きをする語)を用いなければならないルールがある。いったい誰がこのルールを作ったのか?それは和歌を作り上げた藤原氏一族であり、藤原氏とは平安京成立とともに闇に消えた「秦氏」である。平安時代から形成された和歌言語は南北朝時代の連歌式目の制定で完成された。一方で室町時代になると「応仁の乱」などの京都の混乱で優雅な貴族文化が衰退、俳諧連歌が盛んになった。

 

『奥の細道』は二人旅であった

 

 俳句は歴史的には孤立した短詩として成立したわけではなく、俳諧の連歌の発句を基礎とし、それが独立して成立した。江戸時代には十七文字と呼称され、現代では十七音とも表記される。「五七五」とは「五七桐紋」のことで、中心に7つ、左右に5つの花を立てた桐紋の中で最も権威が高く、五三桐よりも格が高い天皇家の家紋である。

 

 更にユダヤ教神秘主義カッバーラの奥義である「生命の樹(命の木)」を表し、宇宙万物を解析する為の象徴図表である。生命の樹は10個のセフィラ(5+5)を上昇して天界(7)へと昇る。十七とは十字架に掛けられた神(聖数7)のことで、数秘術で17は、1+0+7=8(八)で絶対神ヤハウェ=イエス・キリストとなる。

 

 

 俳諧がなぜ連歌の発句なのか。それは、神に捧げる言葉を繋げる行為なのであり、繋げることで意味をなす暗号でもあったのである。

 

<つづく>