「いろは歌」と「即身成仏」の謎 その37

 

 大和民族の預言者が継承した「火打石=ゾハル」がもたらされたのは、元伊勢にして本伊勢・籠神社だったはずだ。もたらしたのは始皇帝の命を受けて紀元前の日本に渡来した徐福である。徐福は隠岐から丹後へと渡り、原初の神殿やる「磐座」を建立させた。それが籠神社の奥宮「眞名井神社」であった。

 

 よって、「ゾハル=如意宝珠=潮満珠・潮干珠」という2つの玉(珠)は、「眞名井神社」によって継承されてきたはずである。だが、「空=鳥=天照大神=秦氏」と「海=亀=素戔嗚尊=物部氏」の双方の天皇家の血を継ぐ預言者「空海」が誕生。籠神社の2つの御宝は空海に授けられてのである。

 

◆ 「義人エノク」と「ノアの大洪水」
 

 現存するスフィンクスの足元と、その昔あったとされるもう1体のスフィンクスの足元にも大きな“地下室”があることがわかっている。だが、何故かエジプト政府はスフィンクスの足元の地下室の発掘調査を拒否している。スフィンクスが建造されていた古代からのエジプトの言い伝えでは、「スフィンクスの足元には、ウリムとトンミムという神から授かった『光る石』」が眠っている」と伝わっている。

 

 だが、一方では「ゾハルが見つかった時、世界が終わる!」とも言われている。それがエジプト政府が発掘を許可しない原因ともいう。さらに3大ピラミッドでは、松明を使ったススの形跡がなく、何で中を照らしたのかという謎が常につきまとってきたのである。そう、暗闇の大ピラミッドの中を照らした明かりはゾハルだったのだ。

 

大ピラミッドの内部

 

 ギザの3大ピラミッドを建造したのはノアの曽祖父の義人エノクである。エノクはノアの大洪水が発生する時期を知っていたとされる。なぜなら、神はエノクを預言者として召命したからである。このことは『聖書外典偽典』の「エノク書」や「モーセ書」に記されている。「エノク書」は、偽典のうち最大のもの(108章)で、もとはアラム語ないしヘブル語で書かれ、少なくとも前1世紀には、アラム語「エノク五書」が存在したといわれる。


 エノク書」の全体を知りうるのは、エチオピア語訳によってであるが、本稿に関わる部分で以下の3つがポイントである。
 ●エノクは幻のなかで神を見、またみ使いたちが悪人にそなえられてあるところの未来の審判の日と選民・義人にそなえられてあるところの平安と至福について彼に教示したところを語る(1.1-5.9)
 ●天使に関する教説。み使いたちの堕落、巨人の誕生を述べ、またノアによってみ使いたちの懲罰が宣告される(6.1-36.4)
 ●ノアは堕落した地上に大洪水が起こるであろうことを、幻を通して知り、人類が全滅しないように祈る(83-84)
 

天へと飛翔する義人エノク

 

 一方の「モーセ書」には、以下のように書かれている。

 

 わたしはあなたの兄弟たちに語って、互いに愛し合うように、また父であるわたしを選ぶようにという戒も与えた。ところが見よ、彼らは愛情がなく、自分の血族を憎んでいる。わたしの憤りの火は彼らに向って燃えている。わたしは激しい憤りをもって、彼らに洪水を送ろう。わたしの激しい怒りが彼らに向って燃えているからである。(「モーセ書」第7章33-34節)

 

 エノクはまた、ノアとその家族を見みた。ノアのすべての息子たちの子孫が現世の救いを得るのを、彼は見た。エノクはノアが箱船を造るのを見た。また、主がそれを見てほほえみ、御手の中にそれを保たれるのを、エノクは見た。しかし、悪人の残りの者には洪水が押し寄せ、彼らをのみ込んでしまった。エノクはこれを見ると、心に苦しみを覚え、その兄弟たちのために泣いて、天に向かって、「わたしは慰められるのを拒みます」と言った。しかし、主はエノクに言われた。「心を高めて喜び、そして見なさい。」
 

 そして、エノクは見た。すると、ノアから始はじまり、地のすべての氏族が見えた。そこで,彼は主に叫んで言った。「いつ主の日が来るのでしょうか。いつ義なる御方の血が流ながされて、嘆き悲しむすべての者が聖められ、永遠の命いのちを受けられるようになるのでしょうか。」主は言われた。「それは時の中間、悪事と報復の時代である。」(「モーセ書」第7章42-46節)

 

 エノクは生きたまま、「エノクの町」とととも天に召し上げられた人物である。この「エノクの町」は階段状ピラミッド構造であった。エノクは大洪水が来る時期を知っていたため、後世の大和民族に向けて超古代の叡智を保管する装置として3大ピラミッドとスフィンクスを建造、そこに神宝も隠したのである。

 

飛翔するエノクの町

 

  「エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。 エノクは三百六十五年生きた。 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(「創世記」第5章21 -24節)

 

 飛翔した「エノクの町」は、『ガリヴァー旅行記』で「空飛ぶ島ラピュタ」として描かれ、世の終わりに「シオン」として天空から戻って来るとされている。しかし、エノクはどうやって大洪水が発生する時期を知っていたのだろうか?

 

 

◆エノクとノアに与えられた「ウリム」と「トンミム」
 

 大洪水前のエノクの時代、「星」は全く見えなかったのである。当時の地球は亜熱帯で、全体が厚い雲に覆われ、太陽と月以外の光は見えなかったのである。なぜなら、大洪水の後で「初めて虹が現れた」と旧約聖書にあるからだ。


 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」 神はノアに言われた。 「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(「創世記」第9章13-17節)

 

 

神とノアの契約の虹

 

 エノクは地球の周りを覆っていたぶ厚い雲を通して、どうやって星を見て、大洪水の時期を知ったのか。それは「ウリムとトンミム」を持っていたからである。神に授けられた『光る石』である「ウリムとトンミム」とは、ヘブライ語で「光と完全」すなわち「真理の光」の意で、それはゾハルで作られており、神の啓示を知るために用いられた旧約時代のユダヤ教の「聖占卜器」である。

 

 「ウリムとトンミム」は、特別な預言者のみに与えられた「預言者の器」と呼ばれるもので、未来を先見し、時には霊の目で天体を見ることができたのである。だからこそエノクもノアも大洪水の発生を知ることができたのである。この「ウリムとトンミム」を象徴的に表した図形が「六芒星」である。

 

「ウリムとトンミム」を表す「六芒星」

 

 ユダヤ人の国であるイスラエルの国旗には「ダビデの星」と呼ばれる青色の六芒星が描かれている。ユダヤ教がなにか教義の上から「六芒星」を神聖なものとして見ているというような事実はないが、17世紀以降、伝統的にユダヤ人を表わす記号として定着している。しかし、それはあくまでも表の話で、国が滅亡し、放浪の民となったユダヤ人の中でも、現在のイスラエルに住んでいるほとんどユダヤ人は、母系のユダヤ教徒ではあっても血統的なユダヤ人ではない。

 

 血統的なユダヤ人は大和民族であり、大和民族はその出自を2000年以上隠し続けてきた。そのため、日本では「六芒星」を、同様の「籠目」(かごめ)という文様で表した。竹編みの籠の編み目を図案化したもので、裏陰陽道「漢波羅」の呪術としてこの図形を用いてきた。この「かごめ」の歌を伝えるのが「籠神社」である。つまり、「籠神社」とは六芒星の要の「籠目神社」なのである。

 

様々な「籠目文」

 

  ユダヤ教の大祭司の胸当てにはポケット状のものがついていて、そこに「ウリムとトンミム」を入れられたとされる。祭司は「ウリム」を持って主の前に立ち、支配者に代って神の裁きを求めたとある。

  

 「あなたはさばきの胸当にウリムとトンミムを入れて、アロンが主の前にいたる時、その胸の上にあるようにしなければならない。こうしてアロンは主の前に常にイスラエルの子たちのさばきを、その胸に置かなければならない」(「出エジプト記」第28章30節)

 

 大預言者モーセの兄で大祭司アロンは、聖所での奉仕に際して、「ウリムとトンミム」をその胸の上に抱いていた。大切なことを決定するにあたって、神の意思が示されるように求めたという。「預言」である。

 

大祭司の胸当て

 

 ウリムとトンミムは、アロンの子のエルアザルに継承され、代々アロン直系の末裔が引き継いだという。アロン直系の末裔は古代の日本に渡来、古神道を奉ずる神官の一族となった。その筆頭が「籠神社」の神官・海部氏で、この国を呪術で仕切る裏天皇家であり裏陰陽道の漢波羅秘密結社「八咫烏」たちはアロン直系の末裔である。だからこそ、海部氏の娘「厳子=真名井御前」は海部の神宝で「如意宝珠:潮満玉・潮干玉」を空海に授けることができたのである。


 空海は父方の佐伯氏は「秦氏」、母方の阿刀氏は「物部氏」である。ともに姓(かばね)は「宿禰」(すくね)で、父方が「武内宿禰」の末裔でモーセ直系、母方が「倭宿禰」でアロン直系。双方が「契約の聖櫃アーク」に触れることのできる預言者の一族であり、表と裏の天皇家の血筋を引いた存在だったのである。

 

武内宿禰と倭宿禰

 

 空海は平安京遷都を行った桓武天皇の御落胤でもある。そうでなければ天文学的資金が必要な「遣唐使」の準備が1ヶ月で整うはずもなく、20年の滞在期間とされたのにたった2年で帰国しても罰せられなかった理由もここにあるのだ。だが、まだ謎がある。なぜ空海は天才的な修得力を有し、超人的な活躍ができたのかということである。

 

 空海の功績を見ると、単に「預言者」では片付けられないものがある。「真言密教の開祖」などという範疇では済まされない。いったいこの力はどうやって発揮したのだろうか。そろそろ終わりが見えてきたようである。

 

<つづく>