「いろは歌」と「即身成仏」の謎 その36


  「輝き」という意味をもつヘブライ語「ゾハル」とは、発光する石の結晶のことで、更に「ゾハル」は神の光を放射する結晶体とも言われ、その光とは「プラズマ」のことであった。プラズマが輝く結晶体こそが、空海の「如意宝珠」の正体だったのであり、熊野三社をはじめ、各社の牛王法印に描かれた神宝のことでもあった。

 

◆スフィンクスと狛犬とゾハル

 

 『旧約聖書』にはヘブライ語で「窓」という意味で、「ゾハル」が22回も、「明かり取りの格子窓」という表現も何度も登場する。 

 明かり取りの格子窓が、両側の門の内側の控えの間にも脇柱にもつけられており、同じように廊の内側にも、明かり取りの格子窓が向かい合ってつけられていた。脇柱にはなつめやしの飾りがあった」(「エゼキエル書」第40章16節)

 

 カッバーラでは「天界の窓」という意味で、絶対神から与えられた光り輝く石が「ゾハル」だが、実は「ゾハル」はスフィンクスの中に隠されているという伝説がある。

 

大ピラミッドとスフィンクス

 

 スフィンクスは元々は2体であった。一方が口を開けた「あ」で、もう一方が口を閉じた「ん」の陰陽一対の狛犬で、人の顔に獅子の体、さらに羽が生えていたされる。日本人はよく言う「あ・ん」はここからきており、それは「始め・終わり」を意味している。さらにイエス・キリストは、自分のことを「アルファでありオメガである」と言っている。


 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(「ヨハネの黙示録」第1章8節) 

 

 日本全国の神社や寺院に陰陽一対の狛犬が坐しているのは、ギザの3大ピラミッドの前に坐していた「あ・ん」のスフィンクスが原型なのである。狛犬とは、獅子に似た日本の獣で、一般的には想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。

 

家庭用の置物としての狛犬

 

 飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。

 起源はペルシャ、インドにおけるライオン(獅子)を象った像とされ、また、古代エジプトやメソポタミアでの神域を守るライオンの像もその源流とされる。明治神宮では、
「起源は古代オリエント・インドに遡るライオンを象った像で、古代オリエント諸国では、聖なるもの、神や王位の守護神として、ライオンを用いる流行があり、その好例がスフィンクスである」としている。

 

沖縄のシーサー

 

 獅子または狛犬は中国や韓国にも同様の物があるが、阿(あ)・吽(うん)の形は日本で多く見られる特徴であり、仁王像と同様、日本における仏教観を反映したものと考えられている。一般的に、獅子・狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていた。

 

仁和寺の獅子(左)と狛犬(右)

 

 阿行の狛犬が足元に「玉」や「鞠」を踏んでいたり持っていたりする場合があるが、これは「玉取り」と呼ぶ。一般的にこの「玉・鞠」は財産や吉祥の象徴と言われてはいるが、それはあくまでも狛犬が中国から伝来したものと考えているからである。狛犬・獅子は中国伝来ではなく、大和民族の祖先が建造に関わったスフィンクスなのである。

 

玉をくわえた狛犬

 

 神道では、「神之使」(かみのつかい)、または「かみのつかわしめ」と称す。稀に数使ある場合もあるが、多くの神社では一神に一使とされており、その種類は、哺乳類・鳥類・爬虫類、想像上の生物など多様である。稲荷神の狐、春日神の鹿、弁財天の蛇、毘沙門天の虎、摩利支天の豬 八幡神の鳩などが「神使」(しんし)の代表的なものである。

 

 土地の伝承などに基づくものもあり、岩手県の常堅寺では河童伝説にちなんだ河童狛犬が置かれている。京都府京丹後市の金刀比羅神社の境内社木島社には狛犬ならぬ狛猫像が置かれ、阿吽の配置も左右逆となっているが、これは鏡に映すと本来の姿になる暗号でもある。

 

玉を持つ狛龍(眞名井神社)

 

 籠神社の奥宮「眞名井神社」の場合は「龍」である。そして両手で「玉」を押さえている。真名井御前が空海に渡した籠神社の神宝であった「如意宝珠」は、「潮満珠・潮干珠」という2つの玉(珠)であったことを示している。ならば、全国の狛犬・獅子の、阿(あ)・吽(うん)や珠(珠)もまた同じものを示しているのではないのか。そして、それは「ゾハル」のことなのではないかの。

 

 実は失われたスフィンクスの地下には「隠し部屋」があると言われている。スフィンクスは、石のブロックを積み上げて成形されている部分もあるが、基本的に自然の起伏を利用して、石灰岩の一枚岩を削って作られたものと考えられている。だが、奇しくも頭部だけは色味も材質も異なることが見て取れ、あとから据え付けられたと考えられているのだ。

 

 実際、胴体のほうが風化による損傷が激しい一方、頭部は比較的保存状態が良く、硬く丈夫な石灰岩からなると考えられる。さらに頭部と胴体のバランスが不釣り合いであることから、かつて存在した頭部が削られて異なるものに変えられた可能性がある。また、なんらかの理由で破壊されたために、頭部を構成する岩石だけ別の土地から運ばれ、当初と異なるものにすげ替えられた可能性も考えられている。

 

1880年代当時の大スフィンクス

 そう、スフィンクスの顔は人面とされているが、もともとは違ったのである。元のスフィンクスの頭部は現在よりも大きく、その頭は獅子だったのである。だが、その頭部は削られ、元の形ではなくなったしまった。原因は「ノアの大洪水」である。「ノアの大洪水」の原因は月にスプラッシュである。今から4630年くらい前の地球と月の間を、生まれたばかりの燃え盛る原始惑星「ヤハウェ」が通り抜けた時、その引力によって月は内核から破壊され、内部にあった膨大な超熱水とともに、土砂が地球に降り注いだのである。

 

 その時の土砂と膨大な水はスフィンクスの片方を破壊、さらに現在残るスフィンクスも胴体部分が削られ、さらに巨大な頭部も大きく破損してしまった。だからこそ、後世のエジプトの人間たちが修復するも、現在のような頭と体のバランスの悪いスフィンクスになってしまったのである。なにせ、大洪水の前と後では、地球上の重力が大きく変化してしまったため、重力が軽かった旧世界のように、簡単に重い岩を動かせなくなってしまったのである。

 

ノアの大洪水で地球は水没した


 そのスフィンクスの内部や地下には、秘密の空間があるのではないかと多くの研究者たちによって指摘されてきた。スフィンクスの前足前方の地下には空洞が存在するという調査結果があり、早稲田大学の吉村教授も地下の空洞を確認している。そして、近年では秘密の地下空間はもっと深いところで大規模に広がっており、まるで「ラビリンス」のような迷路とともに地下施設が都市のごとく存在しているのではないかと噂されている。

 

 この可能性に火を点けたのは、歴史家のマルコム・ハットンとゲリー・キャノンである。2人が注目したのは、実際に存在する出入り口や坑道である。ほとんど知られていないことだが、スフィンクスの頭頂部には穴が開いており、現在では大きな楕円形の金属板で蓋がされている。また、腰に近い背中の部分にも、やや小さな四角い金属の蓋が存在する。もちろん、その下には垂直に立坑が伸びており、途中から斜め下向き(又は横向き)に坑道が続いていると考えられている。また、石のブロックが積まれてつくられたスフィンクスの尾の近くにも穴があり、そこからも内部へと入り込めるという。

 


地下への入口なのか?

 さらに、スフィンクスとカフラー王のピラミッドの中間地点の地下29メートルの場所には、特別な空間があり、地下水で満たされた穴の中に石棺が存在する。オシリスのものともみなされるその石棺の周囲四隅には、彫刻が施された石柱が立ち、その外側には四角い堀のように地下水が取り囲んでいるのである。

 この空間に関する情報は、かつてテレビの取材で内部の映像とともにいくらか明らかにしていたものだが、現在はエジプト考古学庁はスフィンクスの地下にトンネルなどの地下空間は存在しないと繰り返し否定している。明らかに、ある時期からそれは秘密にされ、情報公開は制限されるようになったのである。いったいなぜなのか。

 

 それが発見されると「終わりが来る」と信じられているからだ。現在のスフィンクスは口を閉じている。「吽(うん)」で「終わり」を示唆している。だからこそ、そこが発見されることで終わりがやってくるスピードが加速することを恐れているのである。しかし、時代は「終わり」に入ってしまっている。スフィンクスの隠し部屋に何があるのか、その正体がはっきりする日も近い。

 

スフィンクスの顔

 

 紀元前1,600年頃に作成された「ウェストカー・パピルス」の中にクフ王が「トート神の隠し部屋」を探し当て、そこで「火打ち石の箱」を発見したとある。「火打ち石」とは、鋼鉄片の火打金にとがった石英などを打ちあわせて出る火花を火口に点火する「火花式発火法」に用いる硬質の石、またその発火具のことで。古くは「燧石」(ひうちいし)とも表記される。
 

 日本における「火打石」は、古くは『古事記』において「倭建命」(やまとたけるのみこと)が叔母の「倭媛命」(やまとひめのみこと)から授かった袋に入った火打道具を用いて難を逃れた話が知られ、また、養老律令軍防令において兵士50人ごとに「火鑽」(ひうち)1具と熟艾(やいぐさ)1斤(※もぐさなどで作った火口)の携帯を義務付けている。しかし、なんで古代エジプトのクフ王は「火打ち石」と表現したのだろうか。

 


魔除け、お祓いとして火打石

 日本における「火打石」だが、火を清浄なものとする古来からの考え方により、
身を清めるまじないや魔除け、お祓いとして火打石を打ち鳴らすことを「切火」(きりび)と言う。宝暦年間の平賀源内の著作『太平楽巻物』には「切火」の場面が描かれ、山東京伝『大晦曙草紙』にも、浮世絵や川柳にも類例があることから、江戸時代中〜後期に厄除の切火の風習があったことは確実であるという。

 

 日本の時代劇でも、これから出掛けようとする人物などに向けて火打ち石を打つ描写が見られる。鳶職や花柳界、柴又の門前町、東京下町の職人社会、落語などの演芸の世界では、現代でも毎朝切り火を行う風習が残っている。だが、この習慣がいつ始まったのかは不明である。だが、大和民族の祖先である「イスラエル12支族」は、モーセによる「出エジプト」までは古代のエジプトに住んでいた。ならば、その起源は古代エジプトにあるとみたほうがいい。

 

 

 さらに「プトレマイオス朝パピルス」には、ラムセス2世の二人の息子がネクロポリスに隠してあった「火打ち石の箱」を見つけた際、中からまばゆい光が放射されたと記している。「ゾハル」である!古代エジプトには「ゾハル」があったのだ。しかし、その後エジプトではゾハルの記述が見つからない。そう、それはモーセが預かり、モーセの末裔の歴代の預言者に継承されたのだ。だからこそ、表向き「火打石」は2つで火を起こす道具としてはいるが、本質は違うのである。

 

 大和民族の預言者が継承した「火打石=ゾハル」こそが「如意宝珠=潮満珠・潮干珠」という2つの玉(珠)であったのである。

 

<つづく>