「いろは歌」と「即身成仏」の謎 その24

 

 「いろは歌」は七字区切りで以下のように各行の最後の文字を拾って読むと、「とかなくてしす」即ち「咎無くて死す」と読めるが、この「咎無くて死す」とは、「無実の罪で死んだ」という意味である。「罪もなく死んだ」のは柿本人麻呂だったのか。はたまた「いろは歌」とは、そうした罪なく死んでいった人たちへの鎮魂歌だったのだろうか。

 

 

 「いろは歌」とは、日本語のアルフアベットともいうべきものであり、大和民族に綿々と伝わってきたものである。それゆえ、そこには大和民族に対するメッセージともいえる「暗号」が隠されているのではないかと疑ってしまうのだ。そして、その暗号が解読され、秘密のヴエールが剥がされたときには、作者が誰かという以前に、大和民族の歴史自体に関連するような、重要な事項が登場する仕掛けが施されているのではないのだろうか。これまでの筆者の連載でも、「かごめかごめ」「さくらさくら」「七つの子」など、子供もすぐに覚えて口ずさめるような簡単な歌の中にこそ奥義が隠されているということを理解しているからだ。

 

 

◆「いろは歌」と「赤穂浪士」

 

 『黒甜瑣語』(こくてんしゃご)にはこの「とがなくてしす」について、赤穂浪士四十七士にまつわる以下の話を伝えている(要約)。
 

 高野山に光台院了覚道人という老僧がおり、博識で占いに詳しい人物として知られていた。赤穂浪士の吉田、原、小野寺の三人は用があって紀州に来た途中、了覚に面談しようと高野山を登りその庵を訪ねた。庵では五、六人の子供が手習いをしていた。吉田たち三人は了覚に会い、心中に秘した大事(吉良上野介仇討の事)について占ってくれるよう頼んだ。了覚はそれを辞したが、吉田たちの懇願により次の四句を書き示した。

 南邨北落悉痴童 塗抹何時終作工 字母有神看所脚 一生前定在其中

 

 吉田たちはこの四句の意味がわからず了覚に尋ねたが、了覚はもはや何も話そうとはしなかったので、仕方なく山を下りた。その後、この四句の事を大石内蔵助に話すと、大石はしばらく考えて次のように言った。

 

 「これは吉田たちを庵にいた子供たちになぞらえ、仇討の事について示したものだろう。塗抹何時終作工というのは、最後には仇討は成功するということ。字母有神看所脚の字母とはいろは歌のことで、いろは歌は七字区切りにすると、脚(行の末尾)がとがなくてしすと読める。すなわち、我々がいずれ仇討を果たし、罪無くして死ぬ運命であるという意味なのだ」

 

 こう言って大石は涙し、その場にいた者はこの了覚の四句に感じ入ったという。

 


「忠臣蔵」と大石内蔵助

 さすが「忠臣蔵」ならではの感動的な話だが、史実では赤穂義士が高野山で了覚に会ったという事実はない。いったいなんで赤穂義士が高野山に行った話になっているのだろうか。やはり「いろは歌」には空海が関わっていたのだろうか。

 作家の篠原央憲氏は、「いろは歌」には
3つの暗号が隠されているとしている。

 

 第一の暗号が示唆するもの—それは、日本上代の悲劇的運命をたどった、多くの皇子、皇族、朝臣、歌人たちの探索であった。歴史の闇に消えたそれらの人物たちを追い私は、歴史の暗いひだをひとつずつめくっていった。そして、いくつもの新しい局面、謎にぶつかっていった。
 

 次に上代の代表的歌集をさぐっていった。すると、今まで気づきもしなかった多くの事実を発見した。そして、そのプロセスのはて、ある日私はついに「いろは歌」第二、第三の暗号を発見したのであった。それらの発見は、まったく予想もしない不思議な歴史の真実を、私の前に繰り広げた。その暗号は、奈落の底の一人の人間からひそかに作り出され、細い一本の糸を伝うようにして、確実に伝達された。やがてそれは、日本人のかけがえのない遺産としてのひとつの大きな文化、つまり「万葉集」をこの世に残す貴重な働きをしたのであった。ひっそりと四十七文字のかなの奥に、巧妙に隠されていた、それらの暗号のことばが、そんなにも重要な大役を果たしたのであった。そこに私は、ぎりぎりの運命の極限で、しぼりぬかれた人間の知恵の偉大さを、恐ろしいほどに実感せざるを得なかったのである。

 


「万葉集」


 「万葉集」(まんようしゅう)は、奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集であり、万葉集の和歌はすべて漢字で書かれている(万葉仮名を含む)。天皇、貴族から下級官人、防人(防人の歌)、大道芸人、農民、東国民謡(東歌)など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められており、作者不詳の和歌も2100首以上ある。7世紀前半から759年(天平宝字3年)までの約130年間の歌が収録されており、成立は759年から780年(宝亀11年)ごろにかけてとみられ、編纂には大伴家持が何らかの形で関わったとされる。

 
日本の最後の元号「令和」は、この万葉集の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の一節を典拠とし、記録が明確なものとしては日本史上初めて元号の出典が漢籍でなく日本の古典となった。元号とは預言である。その時代がどのような時代になるかを預言した呪術でもある。その「万葉集」と「いろは歌」が表裏の関係ならば、「いろは歌」こそが預言のベースということとなる。だが、一方で、歴史の闇に消えた悲劇的運命をたどった、多くの皇子、皇族、朝臣、歌人たちが残した「歌」という部分には、何やら「呪詛」が隠されているようにも思えていかたがない。

 

 

◆作者は「空海」だったのか


 「いろは歌」が、いつ、誰によって作られたものであったのかは、今もってはっきりしていない。研究者も少なく、文献も乏しかったため、成立は平安前・中期頃、作者は真言宗の開祖である空海(弘法大師)、あるいは誰かほかの僧侶であろう、というのが通説である。作者は空海という説は、ほとんど伝承的に現代にまで及んでいる。実際、筆者もさる皇室に関係するお宅にお邪魔した際、空海筆の「いろは歌」を見せられたことがあり、「いろは歌=空海」とずっと考えていた。

 

 「広辞苑」の「いろは歌」の項には「手習い歌のひとつ、音の異なるかな四十七文字の歌からなる。色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず、 涅槃経第十三聖行品の偈げ、諸行無常、是正滅法,生滅滅己、寂滅為楽、の意を和訳したものと言う。弘法大師の作と信じられていたが、実は平安中期の作」と書かれており、伝承では空海と信じられていたが成立はそれより新しいとなっている。

 


空海直筆の「いろは歌」の碑

 

 篠原央憲氏は、非常に興味深い説を提示されている。


 まず私は「いろは歌」の古い資料を調べることからはじめた。そして、日本最古の「いろは歌」の記録が、東京の大東急記念文庫にある「金光明最勝王経音義」(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)と言う仏教の教義を解説した本の巻頭に書かれてあるのを知った。それは、承暦三年(一○七九)四月十六日の年紀があるもので、つぎのように万葉仮名で、ちゃんと七行で書かれてあったのだ。

 

  これを見て、私はふたたび驚愕せざるを得なかった。七字並べにすると、最下段が偶然「とかなくてしす」と読めるというものでなく、もともと意識的に七行書きに作られてあったのである。むろん、承暦三年のこの記録そのものが、原作者自身の筆になるものではないであろうが、いずれにしても伝えられてきた原文のうつしであることに間違いがないのである。さらに調べてみると、この記録をはじめ、奈良の当麻寺に残る空海真蹟しんせきと称されるものや、出雲国神門寺に伝わっているものなど、古いものはすべて七行で書かれてある。あたかも、最下段の暗号文を読む人に気づかせるように、である。

 

「いろは歌」が漢字で書かれた「金光明最勝王経音義」

 

 「いろは歌」は、七五調四句で構成されている歌である。だから普通は四行で書かれている。四行に書けば、字数もそろうし、一行一行区切って読めて、意味もわかりやすくなる。にもかかわらず、古い「いろは歌」の記録は、わざわざ七行で書かれているのだ。よって、原文も七行で書かれていたと見て間違いはない。紛れもなく暗号として、その七行書きに計算され、はじめから意図されて組み込まれてあるものなのである。

 

 平安末期の算術教授であった三善為康の「懐中暦」(かいちゅうれき)では、姓氏や名が、「いろは」順に配列されている。また、12世紀中ごろに編集された「色葉字類抄」(いろはじるいしょう)は、「橘忠兼」(たちばなのただかね)の著であるが、これは文字通り「いろは」順に配列された古い国語辞典である。しかし、もともと「いろは」は、意味を持ったことばであり、いわゆる「いろは歌」という歌である。

 


「色葉字類抄」

 

 「いろは歌」は、それ自体が暗号である、といってよい歌である。表面のテーマのほかに裏側のテーマがあって、さらにその奥には別の秘密が隠されているはずである。篠原央憲氏はこれは巧妙な二重構造になっている歌であるとされているが、筆者はそこには「日本語=ヘブライ語」の暗号文の常として、三重構造になっていると考えている。表面的には仏教的なもっともらしいことが書かれてはいるものの、実は重大な秘密の暗号文であるのではないか。もちろん、それが最初からわかってしまえば、罰せられることになるような大変なことが書かれているのではにだろうか。

 

 ノストラダムスの大予言として有名な『諸世紀』も、普通に読めば難解で何のことを示しているのか分からない四行詩だった。その真意が分かってしまえば、中世ヨーロッパでは異端とされ魔女狩りの対象とされる時代であった。だからこそ、預言者ノストラダムスは、後世の人間が、その時代に読んで初めて悟ることができるような難解なる象徴表現にしたのである。そして、ノストラダムスもまたユダヤ人であり、ヘブライの預言者の一人であった。

 

<つづく>