「いろは歌」と「即身成仏」の謎 その20

 

 栃木県佐野市の「浅田神社」の鳥居の扁額には「天命惣社浅田大神」とあり、ここの地名「安蘇の名前は麻より出でし」とある。

「麻」は忌部氏がここに住み、「大麻」を生育していたことを意味するとしたが、ここがむかし「安蘇」(あそ)と呼ばれたいた理由はなぜなのか。

 

「浅田神社」の鳥居

 

 佐野市では、佐野の広い地域は古くは「天命」と呼ばれていたが、それがいつしか「天明」に変わり、日光例幣使街道に沿った辺りが「佐野庄天明(天命)郷」と呼ばれ、その後「天明宿」として現在の佐野市中心部に地名が残ったと伝えている。一説には、近衛天皇の時代(1141〜1155年)に「天命家次」という鋳物師が灯籠を宮中に献上したが、その出来栄えに驚いた公卿の「源頼政」が「天をも明るくした」という意味の「天明」の名字を贈ったという。

 

 また、佐野の鋳物は室町時代以降「天明鋳物」として全国でも有名であったが、その興りは藤原秀郷が河内から連れてきた鋳物師に武器、湯釜、仏像等を作らせたことだと伝えられている。河内は物部氏の本貫の地であり、武器を作っていたのも物部氏である。特に総社・石上神宮は古代の「武器庫」と称されていた社である。佐野市の「浅田神社」と「天命」とは、どういう関係だったのか地名はもともと「安蘇」だったのか「天命」なのか。もしくはどちらが最初だったのだろうか。

 

◆「麻と安蘇」「天命と天明」


 浅田神社は「天命郷」の総鎮守・総社と言われている。承平年間(931〜938年)に編纂された和名類聚抄には、下野国安蘇郡の郷として「安蘇・説多・意部・麻続」が記されており、浅田神社の地は意部郷に属していたとみられる。「浅田」の地名の一つの意味は「麻田」である。なぜなら、「浅田」の地名は「麻田」と称される場合もあり、他の麻の産地や加工をしていた場所にも見られるからだ。忌部氏が神事に使う麻を育てていたということだが、「安蘇の名前は麻より出でし」というなら、麻から安蘇となり、浅田に変化したのだろうが、そんな単純な話ではないはずだ。

 

 「万葉集」の3404番歌に作者不詳の歌がある。

 「可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟」

 (上つ毛野 安蘇の真麻群 かき抱き 寝れど飽かぬを 何どか吾がせむ )

 

 「安蘇」という字は、「万葉集」の3425、3434とこの歌の三首にのみ詠まれている。そのうちこの歌と3434は、上野国歌として詠まれており、3425は下野国歌である。冒頭の部分は、現代語では「上野の安蘇でとれる麻の束を」と解釈されているが、「真麻群」とは「まそむら」と読む。〈万葉集注釈〉では、「ま」は接頭語。「そむら」は麻群で、麻の束である、となっており、〈万葉代匠記〉では、「まそむらは真麻村なり」としている。問題は「真麻」の意味だ。

 


 「真」の字の意味は「偽りがないこと。 まこと。 ほんとう。 真実。」であるが、「真」の旧字の「眞」は「眞=匕・県」で
「匕:さじ」は「小刀」の意味である。「七」の形の「十手:じって」と入れ替わり「眞→真」となり、「匕=七」の象形文字の

「七」は「十字架から流れ落ちる血」の意味で、「目」は全てを見通す目で、「L」は曲尺の地面を表し、「八」は神棚や祭壇の意味である。つまり「十字架に掛かった神イエス・キリストが口の小刀で真実の目で裁きを行う」となる!


 磔刑で亡くなったイエス・キリストの遺骸を包んだのは「麻」の布切れで、現在も大嘗祭で忌部氏は麻織物「麁服」(あらたえ)という反物を献上する。これは「死に装束」で、「聖骸布」としてトリノの大聖堂に残されている。大嘗祭では、布団に横たわった新天皇の上に置かれると言われ、もう一つの絹織物「繪服」(にぎたえ)を顔の上にの乗せるという。天皇即位の儀礼である大嘗祭は、7世紀には既に行われていたと言われているが、あくまで口伝のため、この儀礼自体は秘儀とされてきた。

 

トリノの聖骸布

 

 「真麻」とは、イエス・キリストの預言者となるために必要な「麁服」を含む、神道儀式に必要な麻のことなのであり、それを作ることを生業とさせられ忌部氏が住んでいた村が「真麻村」なのである。だが、一方の「天命」とは何を意味するのか。一般に「天が人間に与えた使命、天から与えられた命令」のことである。 人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない天からの命令のことだが、もうひとつは、人間の力ではいかんともしがたい《運命》や《宿命》を意味し、天から与えられた宿命ないしは寿命を意味する。天命の原義は前者の《天の命令》の意味であったが、それが転じて《運命》の意味を持つようになったという。

 

 「天」とは何度も書いてきたが、下鴨神社が伝える「天」の書き方は「工・人」で「大工」のことである。もちろんイエス・キリストの職業も大工で、父ヨセフも大工。フリーメーソンは「石工」と言われるが、石だけで成り立つ建物はなく、要は大工のことなのである。そして、フリーメーソンは「世界を破滅させる秘密結社」などというのは陰謀論好きの戯言で、フリーメーソンの王とはイエス・キリスト=創造神ヤハウェのことである。創造神は宇宙を作り出し、「人間」という存在(アダム)を自分たちの姿に似せて作り、その鼻に命の息を吹き入れて生けるものとした。つまり「天」が「命」を与えたのである。

 

 「しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(「創世記」第2章6−7節)

 

 

 ここからは筆者の想像でしかないことをお断りしておく。「天命」とはユダヤ教を奉ずる「物部氏=忌部氏」に対して、ユダヤ教徒の唯一神ヤハウェと「天=イエス・キリスト」は同じ神として奉らせ、その神からの命令(天命)を遂行せよ=麻を作って奉じよという意味だったのではないだろうか。「明」は「日・月」で、明星はイエスの象徴である。なにせ下野国は、ヤマトにとっては流刑地でもある東国である。それがヤマトタケルの東征神話にからませて、「天命→天明」で、原始キリスト教徒・秦氏が物部氏=忌部氏を押さえた話を隠したのではないのだろうか。

 

◆「あそ」という暗号

 

 浅田神社は蝦夷征伐に向かう「日本武尊」(ヤマトタケルノミコト)がここに神籬(ひもろぎ)を建てた後、その址に神社を建てて「天命郷の総鎮守」になったのだという。由緒書き等は見当らないため調べてみると、古くは「天命総社」以外に「阿曾大神宮」(あそだいじんぐう)とも称していたとある。「大神宮」ということは過去には大きな社だったが、封印されたということになる。さらに「あそ」といえば、山梨県富士吉田市大明見に鎮座する「不二阿祖山太神宮」(ふじあそやまだいじんぐう)、熊本県の全国約500社ある阿蘇神社の総本社「阿蘇神社」(あそじんじゃ)も「あそ」である。

 

 「不二阿祖山太神宮」は、長らく社殿もない状態だったが、近年に再建され、なんと参道のど真ん中に「三柱鳥居」が堂々と立っている日本で唯一の神社である。ここに祀られているのは、宇宙天地が創造されし時、先ず始めに現れた神の「元一太神(不二太神)」(もとすはじまりおおみかみ)だといい、別名を「元旦神・唯一神・不二太神」とも言うのだと。ここも物部氏系の社である。但し、ここは大和朝廷に従った「内物部氏」ではなく、反抗を続けた「外物部氏」の社である!

 

「不二阿祖山太神宮」に立つ日本で一番大きな三柱鳥居

 

 「不二阿祖山太神宮」の主張では、ここは富士山北麓に栄えた超古代文明の富士王朝の中心を成した天皇家縁の太神宮で、日本最古の神社だという。富士山の噴火によってここは灰燼と化したが、2009年に再建され、2012年に現在の名前になった。古史古伝の「宮下文書」を聖典としており、200万年から300万年前に、本部のある山梨県富士吉田市に天皇を頂点とする富士王朝が存在していたと主張している。宮下文書に記された古代神社の再建を活動の目的としており、イエス・キリストもこの地で修業したと述べているが、ここは大和朝廷との戦いに敗れた物部氏が落ち延びた場所だったのである。

 

 さらに「天皇家縁の太神宮」とあるが、この場合の「天皇」とは物部氏による富士王朝の天皇を意味する。つまり、大和朝廷との戦いに敗れて落ち延びた物部氏は、中央に残った物部氏とも対立、大和朝廷に対抗するする王朝をここに作ったのである。それこそが「外物部」という意味なのである。「不二阿祖山太神宮」のある場所は静岡県の富士吉田市である。ここは大和朝廷からすると東国で、ヤマトではない。だからこそ神話では「日本武尊:ヤマトタケル」が東国に残る蝦夷征伐に向かうのである。

 

肥後国一宮「阿蘇神社」

 

 肥後国一宮で、阿蘇神社の総本社である熊本県の「阿蘇神社」(あそじんじゃ)が鎮座している場所は「阿蘇:あそ」である。社記によれば、阿蘇神社の御創立は孝霊天皇9年(紀元前282年)と伝えられ、約2,300年の歴史を有しているという。阿蘇山頂の火口湯溜まりは、古より「神霊池」とよばれ、阿蘇神のご神体とされてきた。山頂の「阿蘇山上神社」は火口を遥拝する拝殿のみが佇み、歴史的に麓の阿蘇神社「下宮」対して「上宮」とよばれてきた。

 

 「阿蘇神社」には阿蘇開拓の祖で神武天皇の孫といわれる「健磐龍命」(たけいわたつのみこと)をはじめ、十二神が祀られ、青森県を北限に全国に523社ある阿蘇神社の総本社(熊本県には461社)だが、ここもご神体は「山」である。山がご神体の社は絶対神ヤハウェを祀る古神道の社である。ここも大和からは遠い場所で、大和朝廷の手が届く場所ではなかった。ここは「阿蘇」で、「不二阿祖山太神宮」は富士山がご神体だが、敢えて富士を不二とし、その下が「あそやま」である。

 

阿蘇山上神社

 

 「阿蘇」と「阿祖」は同じことを示している。「阿」とは「阝(こざと)+可」で、「阝」は「段のついた土山」の象形で、「丘」の意味である。神の降り立つ丘のことを示す。そして「可」は口の奥の象形と口の象形とされ、口の奥から大きな声を出すさまから、「良い」の意味でもあるが、「かぎ型に曲がる」の意味を持つ。これはイエス・キリストがゴルゴダの丘で磔刑死した情景を表す字なのである。

 

 さらに磔刑死したイエスを横から見た姿が「かぎ十字」なのであり、「可」は「ゆるす」という意味も持つ。人類のための燔祭に掛けられ、人類の罪を赦したイエス・キリストを表し、そのイエスが創造神ヤハウェの時に放った最初の言葉は「あ:阿」だったのである。始めを意味するのが「あ」で、終わりは「ん」である。宇宙が創造された時、創造神は「あー」と声を発したのである。だからこそ、「阿」の字の場合の「可」は、「口の奥から大きな声を出すさま」という意味にもなっているのである。

 
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(「ヨハネによる福音書」第1章1-5節) 

 

 イエスは一度は死んで蘇った。「あそ」の音には、「あ」という言葉を放って万物を創造した神は、人間として死んで、蘇ったのである。それが「阿蘇」であり「阿祖」なのである。万物は言葉「あ」で成ったのである。そこ言葉の中に「命」があり、それは「光」だったとしている。「天命・天明」の正体もここにあったのである。そして、その言葉の使い手こそが、「歌人」である。そう、柿本人麻呂である。

 

<つづく>