弘法大師「空海」と真言密教の謎 その13

 

◆ 「如意宝珠」と空海の遺言

 

 室生寺の奥の院に秘蔵される「如意宝珠曼荼羅」の掛軸には、栗のような形をしている「如意宝珠」が描かれている。室生寺の五重塔の石段を少し上がったところには登ってはいけないとされる「如意山」(にょいやま)という小高い丘があり、ここに如意宝珠が埋められていると伝えられているのが、それは門外不出とされ世に出ると災いが起こると言う。

 

 実はこれ、京都の東寺に残された空海の遺言状『遺告二十五箇条』の二十四条に記されているのである。但し、これは唐時代の恩師・恵果阿闍梨より授けられた如意宝珠の話である。

 

 「(埋めた場所は)いわゆる精進峰。土心水師が修行した山の洞穴の東の峰なり。ゆめゆめ、後人にその処を知らしむることなかれ」

 

左:室生寺の「如意宝珠曼荼羅」 右:摩尼宝珠曼荼羅

 

  「土心水師」とは空海の高弟「堅恵」(けんね)とされ、如意宝珠を隠した「精進峰」とは、現在の如意山のことだというのだが、この如意宝珠は、昭和21年に、如意山から一度発掘されている。如意山頂上に立つ石造納経塔の調査をしたところ、琥珀玉、巻物、和同開珎が見つかったという。だが、結局それらは埋め戻されてしまったというのだが、なんで埋め戻されてしまったのか? 

 

 それは、 琥珀玉とは如意宝珠のことではなく、ここに如意宝珠はなかったからである。「門外不出とされ世に出ると災いが起こる」と言われてきたのは、「ここは開けるな」というメッセージで、ここにないことが知られてはいけなかったからである。では、いったいどこにあるのか?

 

 上の画像を見ると室生寺に伝わる「如意宝珠曼荼羅」では宝珠は1つで描かれているのだが、右の仏教美術として描かれる「摩尼宝珠曼荼羅」では宝珠は3つで描かれる。これは三弁宝珠」と呼ばれているものだが、なんで1つと3つがあるのか。如意宝珠と摩尼宝珠とは別のものなのだろうか。この辺について詳しく書かれてある仏教美術の専門会社で、真言宗の美術品を作成している大進美術では、(摩尼宝珠)法身偈 如意宝珠曼荼羅」としている。

 

「(摩尼宝珠)法身偈 如意宝珠曼荼羅」の拡大図

 

 以下、大進美術のHPに掲載されている、(摩尼宝珠)法身偈 如意宝珠曼荼羅」の説明文である。

 

 大師の御遺告に言う如意宝珠と、仏舎利即如意宝珠とする二様が古くから大師の御伝として伝えられております。大海の底の龍宮の宝蔵に無数の玉がある。その中で如意宝珠を皇帝のように最も優れたものとする。図像内容は画面中央上部に三弁の宝珠を納置した重層の楼閣があり、上下には大海の波間を描く、前方に広がる湧雲の中から水中の主である仏法守護神の二大龍王が頭を持上げ三弁宝珠を讃仰するかの様に虚空を駆け昇る姿を描く。

 

 画面の右側は難陀龍王で兄弟龍王の兄、長さ九尺(270㎝)にて九頭頂に蛇が居住すると言う。陰陽思想の「九」は陽の極まり、数が極めて大きく強力であると言う意味で「九」を冠し九龍と呼ばれ大龍なり、左側は跋難陀龍王で長さ七尺(210㎝)にて七頭頂に同じく蛇が居住する。七龍と呼ばれ小龍なり、難陀龍王と跋難陀龍王は兄弟龍王なので、経典中は常に並べて紹介される。


 龍王の姿と働きは、山谷を震動させ(地震)、気を吐いて雲を作り出し、(竜巻)天を暗くして風を吹かし(台風)雨を降らす。尾で海水を打つて波を起こし、(津波)大身をくねらして海を荒らす。国土とは龍体の大地であり、その地下には網の目の様に穴道がのびて巨大な地下世界となつている。地上の入口が龍穴であり、仏法の法力により姿を現す龍神である弘法大師の神泉苑の伝説によると金色の蛇のようで長さ八寸(24㎝)、善如龍王について説く儀軌はなく伝説によりますが 大師の御遺告に大師は唐・留学からの帰国に際して師の恵果阿闍梨より如意宝珠を付嘱されこれを鎮護国家の為に室生山中の精進峰に埋めたと伝えられている。

 

 このことから平安時代以降、如意宝珠信仰が高まり、やがて不空の訳経で弘法大師が請來したとする「如意宝珠転輪秘密現身成仏金輪咒王経」が撰述され、それにもとずいて如意宝珠曼荼羅が描かれるようになつた。如意宝珠は古くから龍王の脳中より生ずるも
と言われ、仏舎利が変じて宝珠になるとも伝えられており、室生寺との関係が様々に在している。

 

現存最古の作例とみなされる仁和寺の白描図像

 

 説明では、空海の御遺告に言う如意宝珠と、仏舎利即如意宝珠とする2種類が伝わっているとしてる。だが、恵果阿闍梨より与えられた如意宝珠は鎮護国家の為に室生山中の精進峰に埋めたとなっている。つまり、恵果阿闍梨より与えられた如意宝珠とは、仏舎利即如意宝珠である。もう一つの如意宝珠とは海の底の龍宮の宝蔵にあった無数の玉の中から選ばれた三弁宝珠で、二大龍王が守っているという。これは「暗号」である。

 

◆「籠神社」と「潮満玉・潮干玉」

 

 龍宮とは浦島太郎が訪れた乙姫が住む海の中の宮だが、それは丹後一宮「籠神社」の海の奥宮、「隠岐」のことである!つまり、「如意宝珠」と呼ばれるものは、もともと隠岐にあった宝のこととなる。前回、「摩尼=マニ」とは「如意宝珠=チンターマニ」のことで、「預言者」を意味しているとした。さらに「マニ」は「アラム語」の「ハイイェー」で日本語の「はい、いいえ」ということでもあり、「摩尼=マニ=如意宝珠」は山幸彦(彦火火出見尊と海幸彦(火照命)の神話に登場する「潮満玉・潮干玉」(しおみつたま・しおひるたま)とも同一視されていると書いた。

 

 火照命(ホアカリノミコト)=海幸彦とは籠神社の祖神である。ならば、空海が持っていた神宝「如意宝珠=摩尼宝珠」とは、「潮満玉・潮干玉」のことで、それは「籠神社」から与えられたものではないのだろうか。

 

山幸彦と海幸彦

 

 「山幸彦」「海幸彦」の話は、『古事記』『日本書紀』の中に出てくる山の猟が得意な山幸彦(弟)と、海の漁が得意な海幸彦(兄)の話である。兄弟はある日猟具を交換、山幸彦は魚釣りに出掛けたが、兄に借りた釣針を失くしてしまう。困り果てていた所、「塩椎神」(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮」(わたつみのかみのみや)という海神の宮殿に赴く。

 そこで山幸彦は海神(大綿津見神)に歓迎され、娘・
豊玉姫(豊玉毘売命)と結婚し、綿津見神宮で楽しく暮らすうちに3年もの月日が経ってしまう。山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫に失くした釣針と、霊力のある玉「潮盈珠」(しおみつたま)と「潮乾珠」(しおふるたま)を貰い、その玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせたという。その後、妻の豊玉姫は子供を産み、それが「鵜草葺不合命」(うがやふきあえずのみこと)であり、山幸彦は神武天皇の祖父にあたる。

 

 この「山幸彦」「海幸彦」の話とは、「山幸彦=応神天皇」のことで、「海幸彦=海部氏」に婿入りした話である。よって海部氏の娘で巫女であった豊玉姫(豊玉毘売命)と結婚し、そこから現在につながる皇族が出てくるのだが、海幸彦をこらしめたというのは、大和朝廷に与しなかった海幸彦=海部氏の一族「物部氏」のことを伝えているのである。

 

 

「如意宝珠」と「豊玉姫」

 

 ここで再び大進美術のHPに掲載されている、「(摩尼宝珠)法身偈 如意宝珠曼荼羅」の説明文を書いておく。

 

 農耕社会の我が国では「龍」と「雨」を結びつける龍神信仰が古来より有り、龍は雨を降らせ稲の豊作をもたらすと考えられてきた。龍神は五穀豊穣の神として善如龍王の神名が授けられており、善如龍王は室生山の龍穴に住むとされ水神の威力を現す。室生寺の境内の五重塔の上に奥之院(精進峰)、五重塔の下に(灌頂堂)・本堂があり、本堂正面の扁額には大日如来(バン)・摩尼宝珠(マニ)・宝生如来(タラーク)の三文字の種字が一枚の扁額に収められ、掲げられています。                       
 

 如意宝珠の実体は自然道理の釈迦牟尼如来、宝珠は自然道理の如来の分身であると言うのが真実の如意宝珠である。如来の分身とは駄都(dhatu)なり、即ち如来の舎利をいい舎利を如意宝珠として観ずる密教の最極秘法で、月輪中に如来駄都を観、その駄都変じて如意宝珠となると観想する。御遺告には宝珠を観想して「帰命頂礼在 大海龍王蔵併肝脳頸 如意宝珠権現」などと言うべきで、三度誦え、深く念じ観想して本尊の真言を念じ誦えるべきで、これは三密教のかなめである処の本性を護るためなのである。またこの文は秘密であり、甚深の上の甚深なるものである。

 

 この宝珠は宝蔵から大海の龍王の心の上頸の下に通じている。宝蔵と頸とは断絶することなく永久不変である。ある時はその宝珠から善い風を出し雲を四州に起こして万物を育成しすべての生けるものに対して利益を与える。水に住み、陸地に生きるすべての生きとし生けるもので利益を被らないものはない。かの海の底の珠(双円性海の菩提心)は常に(仏舎利を収める)能作性の如意宝珠のみもとに通じ親しく特性を分かつている。と記されています。

 

室尾山と五重塔

 

 「摩尼宝珠=如意宝珠」の龍神王は室生寺に住んでいるとしている。ここにもう一つ謎がある。なんで空海は高野山の金剛峰寺や京都の東寺ではなく、山の中の室生寺に如意宝珠を埋めたのだろうか?その答えは如意輪観音と室生寺という名称、そしてここを「女人高野」と呼ぶ中にある。

 

 室生寺は中世以降に密教色を強めるものの、興福寺の末寺であった。興福寺の傘下を離れて真言宗寺院となるのは江戸時代のことである。真言宗の総本山である高野山がかつては女人禁制であったため、女性の参詣が許されていた室生寺に女人高野の別名があるのだが、この別名は江戸時代以降のものである。高野山は女人禁制だったが、なぜここは禁制ではなかったのか。それは本尊が「如意輪観音」で、その正体は籠神社の娘「真名井御前」(まないごぜん)だからである!

 

浦島太郎(浦嶋子)と乙姫と「玉手箱」

 

 「潮満珠・潮干珠」は「山幸彦・海幸彦」の話だが、それは「浦島太郎」が竜宮城から持ち帰った「玉手箱」に関わる。竜宮城の乙姫とは海神の娘の「豊玉姫」で、「豊玉姫」の子どもである「鵜草葺不合命」(うがやふきあえずのみこと)を代わりに養育したのは、豊玉姫の妹の「玉依姫」で、神武天皇の母でもある。これまでも書いたように「玉依姫」は、神霊を宿す女性や巫女の総称で、空海の母親は「玉依御前(玉依姫)」である。全ては「籠神社」で繋がっているのである。

 

 室生寺の「如意輪観音」と「如意宝珠」にこそ、弘法大師・空海の全ての謎が隠されていると言っても過言ではない。なぜなら「如意宝珠」とは「恵果阿闍梨」が空海に授けたものではなく、それを与えたのは本伊勢・籠神社の神官「海部氏」の娘であり、特別な巫女として育てられた「媛巫女」(ひめみこ)だった「真名井御前」だったのである。

 

 籠神社の陸の奥宮にして、日本最古の磐座でもある「真名井」=「マナの井戸」の名を持つこの媛巫女が、海部氏の神宝の如意宝珠と呼ばれた2つの宝珠「潮満玉・潮干玉」を空海に授けたのである。そしてこの如意宝珠を与えた「真名井御前」こそが「如意輪観音」の正体なのである!

 

<つづく>