弘法大師「空海」と真言密教の謎 その11

 

 空海が唐から旅立つ時に日本に向けて投げた「三鈷杵」は、高野山の松に引っ掻かっていたという伝説は「三鈷の松」として語り継がれてきた。なにせこの松の葉は通常の二本に尖っているものではなく、三本あったのである。よって、この松は「三鈷の松」と呼ばれるようになったというのだが、二本ではなく「三本」という部分にこそメッセージが隠されている。

 

 「カッバーラ」である。空海の法具である「三鈷杵」も、それが止まった「三鈷の松」も、カッバーラの奥義「生命の樹」を象徴しているのである。もちろん、象徴とはたった一つの意味を伝えるものではなく、複数の隠された意味を含んでいる。よって、これまで書いてきたように、空海の伝説に多く登場する「樹木」や「水」にまつわる伝承も「カッバーラ」で読み解く必要がある。それこそが恵果阿闍梨から密教の奥義を全て引き継ぐことによって、空海が「密教のアンカー」となった意味なのである。

 

 

◆ 釈迦の「仏教」と「真言密教」

 

 仏教はインドで釈尊仏陀(ガウタマ・シッダールタ)が悟りを開いたことを出発点とする「釈尊仏陀の教え」で、「仏陀」とは「目覚めた人」という意味である。心の豊かさ、どうやって心の悩みや苦しみをなくすか、どうやって完全な人格を作るかという方法を教えたものである。当時の仏教はある意味で無神教といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許さなかった。

 

釈尊仏陀

 

 仏教では「三学」と呼ばれる戒・定(禅定)・慧(智慧)が基本になる。戒律を遵守する、禅定する、智慧を獲得するという三項目を「三学」と呼び、仏道を修行する者が必ず修めなくてはならない三つのもっとも基本的な修行の部類である。それぞれ、戒学は、悪をとどめ善を修すること。 定学は、身心をしずかにして精神統一を行ない、雑念を払い思いが乱れないようにすること。

 

 この戒 ・定 ・慧は、修習の順番が重要である。 戒学 - 戒によって身口意の三業が清らかになり、禅定に入りやすくなる。 定学- 禅定を修めることで、慧が得られる。そして、ことさら「実践する、実行してみる」ことが重要とされた。

 

戒・定・慧の三学

 

 初期の教学では三法印(四法印)や十二縁起、四諦八正道(したいはっしょうどう)が、大乗仏教時代になると波羅蜜(はらみつ)、仏性・如来蔵思想などが展開していった。インドで生まれた仏教は、中央アジアを経て中国、モンゴルへと伝わり(北伝仏教)、朝鮮半島を経由して6世紀頃日本に伝来したとされている。またインドからセイロン(現スリランカ)を経由した仏教は、11世紀にはビルマ(現ミヤンマー)やタイへと広まった(南伝仏教)。

 

 

 チベットに仏教が本格的に伝わった頃、インドでは仏教の最終段階である「後期密教」が主流であった。そのためチベットではインド仏教の全ての段階を受け継いだとされる。密教以前からあった「顕教」は文字で伝えていくことができる明らかにされた教えで、一方の「密教」は口伝でのみ伝えられる秘密の教えである。

 

 密教では護摩を焚く、マンダラを描くという儀式によって病気を治すなどの現世利益を得られるとされる。また、後期密教になると性的要素が取り入れられ、男尊・女尊が抱き合った姿の仏様も現れる。チベット仏教に神秘的な側面を感じるのはこのためであるというが、それだけではない。

 

仏や神々の世界を現した砂曼荼羅

 

 

◆ 「顕教」と「密教」の違い

 

 平安時代の初めに、密教を学ぶため遣唐使の一員の留学生として唐に渡り、密教の第八祖となった弘法大師・空海が、日本に帰国後に広めた教えが「真言密教・真言宗」である。 密教は他の仏教とは異なり、欲望も含め、人間の全存在を真正面から肯定するものだと説いている。

 

 そもそも真言密教の「真言」(しんごん:マントラ)とは、「真実のことばで仏の真理を説き、その徳をたたえる短いお経」のことである。「梵語」(サンスクリット)をそのまま音写したもので、短いものを「真言」といい、長いものを「陀羅尼」(だらに)と呼ぶ。よって多くの真言や陀羅尼を唱えるので「真言宗」や「真言陀羅尼宗」と呼ばれている。

 

 この仏の真実の「ことば」は、人間の言語活動では表現できない、この世界やさまざまな事象の深い意味、すなわち隠された秘密の意味を明らかにしている。弘法大師は、この隠された深い意味こそ真実の意味であり、それを知ることのできる教えこそが「密教」であると述べている。

 

「光明真言」

 

 「光明真言」(こうみょうしんごん)は、23文字の「梵字」で書かれた短いお経だが、これを一心に唱えると、すべての災いを取り除くことができるという強力なパワーのある真言で、真言宗の中でも重要な真言である。

 

 「梵字」とは、もともと古代インドの文字として発展したもので、六世紀半ば、中国を経て日本に伝わって来たと言われており、「梵語」(サンスクリット)を表記する為に用いる字体で、「梵字悉曇」(ぼんじしったん)とも呼ばれている。この「梵字悉曇」には特別な意味が付せられ、一字一字に仏を象徴し、無量の功徳があるという。ここから先は、「実践する、実行してみる」しかない。功徳があるのかどうかは、実践した者にしか分からないからである。
 

 こうした「密教」に対して、世界や現象の表面にあらわれている意味を真実と理解している教えを「顕教」(けんぎょう)と呼んでいる。「顕教」とは、声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)の教え(二乗)と法相宗(ほっそうしゅう/ほうそうしゅう)、三論宗さらに天台宗、華厳宗などの「大乗仏教」を指している。

 

 「真言密教」との対比として書いておくが、「法相宗」とは飛鳥~奈良時代にわたって興ったもので、奈良仏教系という呼び方もある。原形はインドの思想にあり、西遊記でも有名な中国の玄奘三蔵が持ち帰って開いたのが始まりである。総本山は奈良県にある「薬師寺」「興福寺」である。この「法相宗」は他の宗派とは少し異なり、葬礼や法事をしなかったため、葬礼をする際は、他の宗派にお願いする必要がある。要は葬式仏教ではないということである。

 

法相宗大本山の「薬師寺」(上)と「興福寺」(下)

 

 インドを訪れた玄奘三蔵は、当時のインドの思想である唯識教学を数十年かけて習得、中国へ持ち帰る。持ち帰った後、唯識教学を中国に伝えるため、法相宗を新たに開き、日本に伝わったのは、飛鳥時代だと言われている。日本の僧「道昭」が唐に留学、法相宗の教示を学び、数年後に道昭は法相宗にこれを伝える。大僧正の「行基」もこの教示を留学した僧侶から聞いており、後に行基が成し遂げた功績の根本の思想にもなったとされる。
 

 奈良仏教には6つの宗派があり、合わせて「南都六宗」と呼ぶ。法相宗以外の宗派は律宗、華厳宗、三論宗、成実宗、倶舎宗であり、現在まで続いているのは律宗と華厳宗、法相宗のみである。開基当時から南都六宗と呼ばれていたわけではなく、後の平安二宗の「真言宗」「天台宗」と対比する形でつけられた呼び名である。と文字で書いても頭には入りにくいので、下記の図を参照していただいた方が早いかも知れない。

 

 

 密教と顕教の最も根本的な違いは、隠された秘密の意味を知る修法(しゅほう)にある。真言密教の修法を三密加持(さんみつかじ)や三密瑜伽(さんみつゆが)などと言うが、精神を一点に集中する瞑想=三摩地(さんまじ)のことである。特徴としては、仏=本尊の身と口と意(こころ)の秘密のはたらき=三密と、行者の身と口と意のはたらきとが互いに感応(三密加持)し、仏=本尊と行者の区別が消えて一体となる境地に安住する瞑想を言う。

 

 空海は、このあり方を「仏が我に入り我が仏に入る」という意味で「入我我入」(にゅうががにゅう)と呼んでいるが、顕教にはこの入我我入とも言うべき瞑想が欠けていると言う。また、仏や菩薩の理解も異なり、顕教の仏や菩薩は、悟りを開いたり、悟りを求める「人」だが、密教の仏や菩薩は、宇宙=法界の真理そのもの=「法」である。その「法」が身体的イメージとしてとらえられているのが仏や菩薩で、密教の仏や菩薩たちを法身仏(ほっしんぶつ)と呼ぶのはそのためである。

 

<つづく>