沖の注連縄「琉球」の謎 その11

 

 漢字の「十」の字は、もとは縦の棒線1本だけの「|」だけで「十」を意味していた。よって「十」は「|+ 一」とは「10+1」=「11」を表し、「生命の樹」のセフィラは、本当は「隠された叡智(ダアト)」11個を示唆していた。そして琉球にあった33個の金の香炉と高級神女たちを総じて「三十三君」と呼んで理由は、琉球全体がカッバーラで覆われた神殿だったことを示唆し、「女八咫烏」のノロたちが「生命の樹」を琉球の奥義として封印したとした。

 

 しかし、「世」という字にはさらに隠された意味がある。

 

◆「世」とは何を意味しているのか?

 

 漢字の「世」には、以下のように大きく4つの意味がある。

 ①よ。よのなか。「世界」「世間」「俗世」 

 ②時の大きなくぎり。時代。「世紀」「後世」「末世」 

 ③人の生きている間。一生。「世代」「終世」 

 ④よよ。代々。「世襲」

 

「世」と異体字「卋」

 

 「世=卋」の意味は「三十年」である。「世=卋」は「十+廿」で、「廿」は音読みは「ジュウ」、訓読みは「にじゅう」。そして「世」とは「漢字の十を3つ合わせた」形から「三十年」だとし、「長い時間の流れ」を意味する「世」という字が成り立ったとする。

 
 だが、「十」は数字では「11」であり、それを重ねた「廿」は「22」であるため、
「世」は「33」を示す。「22」は「生命の樹」におけるセフィロトをつなぐ「パス」(小径)の総数であり、「33」はセフィロトとパスの合計数になっている。さらに、これを数秘術ゲマトリアで解釈すれば、「33」とは「3+3=6」となり、人間の数字を示す「6」となる。「7」が完全数であるのに対して1少ない「6」はこの「世」の数字であり、人間の「世界」の数字なのである。

 

千手観音像

 

 「世」の文字を持つ「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)とは、世間の人々の救いを求める声を聞くとただちに救済する求道者の意を持ち、救う相手の姿に応じて千変万化の相となるという。阿弥陀仏の脇侍ともなる。胎蔵界曼荼羅の中台八葉院西北、また蓮華部院の主尊。総体は聖観音で、千手、十一面、如意輪、准胝 (じゅんてい) 、馬頭、不空羂索の六観音のほか、『観音経』には「三十三身を示現する」ことを説く。したがって観音の霊場は 33ヵ所あることになっている。


 「世」を背負う「観世音菩薩」はそのまま如来にならず、この世に姿を現して人々を救う存在である。そして、救う相手の姿に応じて三十三の化身となる。つまり、その姿は現れる場所によって変わるが、本来は一人ということである。その「一人」とはイエス・キリストである。なぜなら、十字架に磔になって死んだイエス・キリストの年齢は33歳だったからだ。なぜイエス・キリストは、「人間」として33年間、この「世」で生きたのか。それは地上の人類に「生命の樹」を示すためだったのである!

 

33年生きた現人神イエスを表す字「世」


 イエスは33年「人間」として生きることによって、この世の数字を体現したのである。「3+3=6」という人間の数字が示すことは、姿のない神であったヤハウェが受肉、人間として誕生し人間として死んだことを意味していたのである。それを「現人神」(あらひとがみ)という!だからこそ、その現人神イエス・キリストの女預言者「三十三君」は、琉球というこの世に「生命の樹」を広げたのである。

 

 さらに言えば、「観世音菩薩」は「大日如来」の化身である。これは天の御父エロヒムから、人類救済の計画を遂行する全権を担った御子ヤハウェ=イエス・キリストを暗示している。その「観世音菩薩」は、男にも女にも、老人にも子供にも姿を変え、33の化身となって人類を導いてきたのである。つまり、イエス・キリストが様々な名前で呼ばれているだけであり、地上のあらゆる宗教が奉じる存在は全て同じなのである。

 


大日如来(左)と聖観音(右)

 仏の「智慧」(ちえ)とは「普賢菩薩」「文殊菩薩」として表現されるが、「智慧」が2人の菩薩として立てられているのは「智慧」が「知識」と「知恵」からなるからである。ユダヤ密教カッバーラでは、「知識」を禁断の木の実である「知識の木」すなわち「死の樹」とし、「知恵」を「生命の樹」とした。エデンの園においてアダムとエバは神に禁じられていた「知識の木」の実を口にしたがために、「死ぬ体」となり、永遠の命をもたらす「生命の樹」へ近付くことを禁じられた。

 

 だが、その「生命の樹」の存在を人類に示したのがヤハウェ=イエス・キリストだったのである。そのイエス・キリストが再臨する時が来る。そして、この世には「三千世界」が到来することになる。つまり、イエス誕生からの2000年が「二十」の意味ともなり、再臨した後に到来する至福千年は「十」。それが新しい「世」だと言っているのである! 
 

 

◆ 古代アメリカに渡来した先住民はどこから来たのか 
 

  琉球神話に登場する東の海の彼方の楽園「ニライカナイ」は、古代アメリカだった。古代アメリカには、各種の民族が少数ながらも到達。最大勢力を誇ったのは「インディアン」、「インディオ」と呼ばれることになった人たちだが、彼らがいつどのように古代のアメリカ大陸に渡来したのかは、実は『モルモン書』に記されている。
 

 近年まで南アメリカの先住民のルーツは、東北アジアのモンゴロイドの集団が氷河期にベーリング海峡を渡ったというのが定説だった。ユーラシア大陸を拠点としたモンゴロイドが、陸地となった海峡を渡ってアラスカに至り、そこから南下していったと考えられた「ベーリング海峡移動説」である。

 

「ベーリング海峡移動説」のルート

 

 しかし、「ベーリング海峡移動説」の根拠は乏しく、「モンゴロイドの故郷がアジアである」という前提と氷河期のべーリンジアなら徒歩で渡れるだろうという想像をもとに構築された仮説であるという。ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に来たモンゴロイドとは、北部に住みついたエスキモーであるという。

 

 多くのエスキモーはアメリカ北部に住んでいたが、南下したエスキモーは多くなく、エノクの父のヤレドの末裔である「ヤレド人」や、預言者ニーファイの子孫であった「ニーファイ人」と共同生活ができないエスキモーたちは南下しなかったという。

 

エスキモー=イヌイットの家族

 

 1980年、ブラジルの寄生虫研究の専門家、A・アウラージョ博士が、約3600年前の南アメリカの北・中部に分布する先住民の糞化石を調べた際、そこにズビニ鉤虫(こうちゅう)の卵の化石が多数発見され、西アジアのイスラエル、東アジア、日本多い種類とも判明している。

 

 ズビニ鉤虫とは、人間の腸に寄生する虫の一種で、糞と一緒に50ミクロンにも満たない卵が排泄され、畑の野菜などに付着。それを人が食べると、卵が体内で艀化する。だが、この寄生虫は寒さに弱く摂氏22℃以下では死滅する。インディアンの祖先がベーリング海峡を越えて来たとすれば、極寒の中で排泄された糞の中で卵はすぐに死滅してしまう。

 

ズビニ鉤虫

 

 よって、生きた卵が再び人間の体内に取り入れられることはなく、生態サイクルが途切れて個体をほかの宿主に広げられず、インディアンの体内からは消えてなくなってしまう。しかし、ズビニ鉤虫の化石が存在した以上、インディアンの祖先は暖かい地方の海を渡ってきたとしか考えられないのである。事実、シベリアやアラスカでは、寄生虫を糞石の中に見つけることはできないのだ。

 

遮光器土偶とイヌイット

 

 インディオやインディアンの先祖は、海を渡ってアメリカ大陸に来た。ある人たちは太平洋を、別の人たちは大西洋を渡った。「モルモン書」は主に文明をもつ2つの民のことが記されている。

 

 1つは紀元前2300年頃に主がバベルの塔の破壊と言語を乱された時に来た人々で、「ヤレド人」として知られている。更に「モルモン書」には、紀元前600年頃、ヤハウェの命令により南ユダ王国に住んでいた家族と自分に同行する人々を、エルサレムからアメリカの地へ導いた預言者リーハイの記録がある。リーハイはイスラエル12支族の中の「マナセ族」で、息子たちの妻たちは「エフライム族」であった。リーハイたちの子孫は、マヤ人の「ニーファイ人」と後のインカ人として知られる「レーマン人」の2つの民に分かれたという。

 

 

「レーマン人」のインディアン

 

 ニーファイ人は神に従っていたが、やがて背教、共に背教したレーマン人との戦争によってほとんど滅びたが、残った人たちは、その後、ベーリング海峡を越えて来たり、海から渡来した東アジア人との混血が進んでいったとしている。

 

<つづく>