「エノクの町」 とラピュタの謎  その59

 

 ノアは「カナン」に呪いをかけたが、本来ならノアが呪いをかけるべき相手はハムの別の息子「クシュ」であった。ノアがクシュを呪う預言を残さなかったことで、クシュの末裔のカナン人は常にイスラエル人に寄生することになる。ある時は奴隷を装い、またある時はイスラエル人になりすます。家族にもなり、妾にもなってイスラエル人の子供を宿したりもする。

 

 そうなると、見かけ上は日本人と変わらない在日朝鮮人も同じ構造で、いみじくも李明博や文鮮明・韓鶴子が言うように、日本人に寄生して「日本はATM」「日本は金を払うのは当たり前」「天皇は土下座せよ」と平然と言ってしまうのも理解できる。あくまでも仮の話であるが、古代の大和民族の移動の際、カナン人たちは大和民族に紛れて一緒にユーラシア大陸を移動したのではないのだろうか。まぁ全部がそうだとは言わないが。

 

李明博と韓鶴子

 

 「物部氏」たるユダヤ教徒の南2支族+レビ族の「東ユダヤ人」の移動の際、それより前の「失われたイスラエル十支族」の移動の際、「秦氏」たる原始キリスト教徒の南2支族+レビ族の移動の際、その全てにカナン人たちが紛れ込んでいたのだとすれば、大和民族のフリをしたカナン人たちが古代ユーラシア大陸各地、古代中国、そして古代朝鮮半島にそのまま居住したのではないか。それを示すのが「人食い」である。

 

 

◆「人食い」と「悪魔崇拝」

 

 「カニバリズム」については以前から書いてきた。中国や朝鮮に今も「人食い」の習慣が残っていたり、相変わらず韓国人が中国で作られた「人肉カプセル」を密輸入して「精力剤」や「万病に効く薬」として愛用しているのかと。「人肉カプセル」は死産の胎児や死んだ嬰児の死体で製造したもので、死体を乾燥させたあとに砕いてカプセルに詰め、さも万病に効く薬であるかのように偽装して中国で製造され、韓国でも売られているものだ。

 

「人食い」する大陸の中国人と揶揄する投稿と、韓国で摘発された「人肉カプセル」

 

 「人食い」の起源は不明だが、「創世記」や「モーセ書」を読むと、「人食い」は悪魔崇拝者のすることで、それをさせてきたのは「カイン」の血を受けた「カインメーソン」である。なぜ、元々は崇高なるアルザルの住人だったはずなのに、アルザルから地上(チベットの奥地「サンポ峡谷」)へと島流しにされ、今もペンタゴンの地下に陣取って生の人間をバリバリと音とたてて喰らっている「赤人・青人」の女霊媒師たちも「人食い」の習慣によってアルザルを追われている。

 

 ならば、「失われたイスラエル十支族」がアルザルへと移動するより遥か前、ノアの大洪水が発生するに先立ってプラズマトンネルを抜けてアルザルに移動してしまった「五色人」の中には、確実に「カイン」の末裔もいたはずなのだ。さらにアルザルには人食いをしていたネフィリムも一緒に移動してしまっている。ならばだ、二度と背教しないと誓って北の果てからアルザルへと向かった「失われたイスラエル十支族」が到達する前のアルザルでは、もしかすると「共食い」をしていた人間たちが確実にいたと考えた方がいい。でなければアルザルから寿命が短くなる地上へと島流しにされないはずだからだ。

 

「サンポ峡谷」で人食い地底人と遭遇したテオドール・イリオン

 

 チベットの「サンポ峡谷」に島流しにされた「人食い」が古代の中国大陸に移動したのか、はたまた大和民族に紛れて悪魔崇拝の「人食い」たちが古代中国へ移動したのかは定かではない。だが、古代朝鮮半島も徐々に漢民族が支配していったことを考えると、あながちあり得ない話ではなくなる。なにせ中国の「三国志」には、劉安という人物が劉備玄徳に自分の妻の肉を食べさせるというショッキングな場面がある。また、日本の経営者たちがこぞって崇める孔子も、シシビシオと呼ばれた「人肉の塩辛」が好物だったが、贈り物で貰ったシシビシオが後で可愛がっていた弟子から作られたものだと知り、二度と口にしなくなったという話を残している。

 

 劉備玄徳(劉備)は延熹4年(161年)から章武3年(223年)の後漢末期から三国時代の武将である。かたや孔子は紀元前552年(または紀元前551年)から紀元前479年の春秋時代の思想家、哲学者で、儒家の始祖とも言われ、釈迦、キリスト、ソクラテスと並び四聖人(四聖)に数えられる人物である。そんな人物の好物が「人肉の塩辛」というのは冗談だとしか思えない筆者だけだろうか。


 中国の歴史上、人肉の提供は美徳と考えていた時代があった。日本からの遣唐使が訪れていた「唐」の時代から、中国では人肉を食べることへの抵抗感が減ったといわれ、「資治通鑑」には人肉の市場価格が暴落したという記録がある。また「元」の時代になると、自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述があるくらいだ。どう考えても頭がおかしいとしか言いようがない話だ。

 


「人肉:を好んだ劉備(左)と孔子(右)


 評論家の小室直樹氏は、「食人・纏足・科挙」の三つを日本人は全く理解できなかったと指摘している。また、戦前の日本を代表する東洋史学者であった桑原隲蔵(くわばらじつぞう:明治3年 – 昭和6年)は、その著書「支那人の食人肉風習」の中で、中国で食人の風習があったことは疑いの余地はないと指摘しており、中国の歴史では、「飢餓・兵糧攻め・嗜好・憎悪・薬」といった5つのパターンで食人があったことは間違いない。

 

 中でも「憎悪」による「食人」だが、桑原隲蔵は「支那人は死後も肉體の保存を必要と信じ、その肉を食へば、之に由つて死者に多大の苦痛を與へ得るものと信じて居る」と、ある人物への憎悪が極限まで高まると、その死肉を食べることがあると指摘している。この「憎悪のため」というのは非常に「カイン的」といえる。カインがアベルに抱いた憎悪は「カイン・コンプレックス」とユングが名付けたが、死肉を食べることが死者に苦痛を与えられるというのは、非常に呪術的である。それも闇の呪術だ。
 

 「羊の群れの中から肥えた初子を神に献げた。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。」(「創世記」第4章4-5節)

 

アベルを殺すカイン

 中国では1960年代の「文化大革命」の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいた。「広西虐殺」と呼ばれる事件である。しかし、文革開始から55年以上も経過してもなお、中国共産党は、当時の回想も、文革そのものや残虐行為についての歴史的評価も、包み隠そうと躍起になっている。その事件は、中国南部・広西チワン族自治区の武宣県で起きた、文革による粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件である。

 共産党が文革を宣言した1966年5月16日の「五一六通知」から57年が経過した現在、地元住民の中には、飢えではなく政治的憎悪によって武宣県の路上を血に染めた数十件に上る食人行為について、聞いたこともないと話す人もいる。しかし、80年代初頭に公式調査を行った主要メンバーの一人は、
「全ての食人行為は、階級闘争があおられた結果起きたもので、憎悪の表現として行われた。恐ろしく、獣にも劣る殺人だった」と、武宣県では「憎悪」によって少なくとも38人が食人の犠牲になったと明かしている。日本人は「憎悪」によって殺人を犯すことはあるが、それが「人肉喰い」になるというDNAは持っていない。ここが謎である。

 

「広西虐殺」

 

 Wikipediaを見ると、世界各地で行われてきた「人食い」の歴史が記されている。古代のアメリカ大陸では宗教的儀礼として広く人身御供が行われ、戦争捕虜を食糧とする慣習も多く存在した。北アメリカのイロコイ族やヒューロン族といったアメリカ先住民たちも戦争捕虜を食糧にしていた。イエズス会士の報告によれば、戦場での食糧とする他に、自分たちの村に連れ帰り拷問や訓練に使用した後に食していたと言われる。

 アステカは食人を制度化していた稀有な国家であり、各所で発生する戦争や反乱で得た捕虜を首都に送り、食糧として消費していたという。生きた状態の生贄から黒曜石のナイフで心臓を抉り取り、神に捧げ、体の部分は投げ落として切り刻み、トウモロコシとともに煮込んで食されたが、人肉を食すことが許されたのは上流階級のみだったという。

 

アステカの生贄の祭祀

 

 スペイン北部のアタプエルカ遺跡で発掘された「最初のヨーロッパ人」の遺骨から、この先史人類たちが人肉を食べており、しかも、とりわけ子どもの肉を好んでいたことが明らかになっている。遺骨の分析によると、食人は、儀式としてではなく食用で行われていたもので、当時、食料や水は豊富にあり、イノシシやウマ、シカの狩猟も可能であり、食料不足で食人が行われたのではなく、敵対する相手を殺し、その肉を食べたと考えられている。この「子供の肉を好む」というのは悪魔崇拝の典型で、ニムロドがセム族の子どもたちを生贄にし、さらにその肉を食べたことで、ニムロドセムに八つ裂きにされて殺されている。

 ヘロドトスは『歴史』の中で、アンドロパゴイという部族の食人の風習や、メディアの王アステュアゲスが将軍ハルパゴスにその子を食べさせた逸話を紹介している。インドではシヴァ教の一派であるアゴーリの行者が人肉食を行っているが、彼らは
神通力を得るためにガンジス川から水葬遺体を引き上げ、その肉を食していたという。だが、世界の「人食い」(カニバリズム)の歴史を見ると、やはり中国はしっかりと史書に残しているくらい突出して「人肉」が好きなようである。いくら中華民族は何でも食べてしまうからと言っても、さすがに「人食い」は習慣レベルの話ではない。

 




 チベットの「サンポ峡谷」にあるシャンバラの流刑地であった地下王国を訪れたテオドール・イリオンは、1日2回皆出される食事は死んだ人間の肉が入ったシチューのような料理だったと記しており、食事をするごとにイリオンの精神に異変が起こったとしている。冷静な判断力が鈍り、思考力が低下。代わりに感覚が研ぎ澄まされ、直感が働き、透視や予知能力のようなものが芽生えてきたという。さらにイリオンは毎夜、冷酷な悪霊と子供の天使達が戦い、天使たちが襲われていく悪夢を繰り返し見るが、出される食事をやめると、思考力が蘇ったとしている。この人肉を食べ続けると精神に異常をきたすというのは、初代ロスチャイルドも同じだった。

 世界各地の例に漏れず、殷代以前において中国でも人身御供にとともに人肉食が行われていた。日本ではいまだ人気の書
『韓非子』に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(あぶり肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(かい、塩漬け肉)」という殷代の人肉食に関する伝承の記述がある。さらに五代十国以降に人肉食の記録がより頻繁に現れる。民間では、元末の『南村輟耕録』に、戦場での人肉食の実例と調理法が多岐にわたって紹介されており、この方式を採用した部隊では戦果が食事に直結するため、大いに士気が高揚したという。


人肉食に関して記述する『韓非子』

 

 さらに清代の宮廷でしばしば人肉食が行われ、高官が赤ん坊の肉を好んで調理させた逸話が伝わる。著名人では、かの西太后1835年〜1908年)が病の東太后の歓心を買うため肘肉を羹(スープの一種)に供したという。黄昭堂によれば、台湾原住民族は「生蕃」と呼ばれ、その肉である「蕃肉」は滋養に富むとして食され、大陸に輸出されていたという。

 

 なぜ中華民族はここまで「人肉」を好むのか。人類の歴史を考えた時、皇帝一族や高官たちが人肉を好み、さらに「憎悪」によって人肉を食すという点を考えると、たとえ東洋人に見えようが、そこには「カイン」の遺伝子が流れているとしか思えない。なにせ「カナン人」はノアの預言の外にあったのだ。

 

 「カナン人」の末裔たちの主流はまんまとイエス・キリスト磔刑後のユダヤをローマによって殲滅させ、現在のウクライナを中心とする白人国家「ハザール」(カザールともいう)に移動。白人との混血を繰り返すとともに、「ハザール」が国を挙げて「ユダヤ教」に回収したことで、ここに白人のユダヤ教徒が誕生。これがロスチャイルドを始めとする白人系の偽ユダヤ人「アシュケナジー」が生まれることになった原因である。かれらはヨーロッパ全土へと広がり、アメリカにも移住していく。

 

「ハザール汗国」の位置

 

 「カナン人」が移住したところには、必ず「悪魔崇拝」と子供の「生贄」、さらに「人食い」が発生している。ロスチャイルドが自分たちをこの「ニムロド」直系の末裔と称しているということは、「我々は神に反逆する者たちである」と言っていることになり、「我々はサタン=ルシファーを真の神と崇める悪魔崇拝者(ルシフェリアン)」と宣言しているのである。だからこそロスチャイルドは、全ての宗教を否定、世界中を堕落させると共に偶像崇拝をさせ、堕天使ルシファー=サタンを真の神とする「バアル教」を〝世界統一宗教〟に祀り上げるつもりでいる。

 

<つづく>