「エノクの町」 とラピュタの謎 その16

 筆者は「末日聖徒イエス・キリスト教会」(モルモン教会)の会員ではない。しかし、子供の時から馴染みはある。小学校の時、バス停の終点でバスを下車すると、決まってアメリカ人のモルモン教のお兄さんがいて、「あ・な・た・は。カミを、し・ん・じ・ま・す・か?」と尋ねられたものだ。なんて答えたのかは覚えていないが(笑)。

 

 そのせいであろうか、我が家には何故か2冊の「モルモン書」があり、幼少期にはそれが「聖書」だと思いこんでいた。今からすると、あの頃から「モルモン書」を読んでいたら、かなり理解度は異なっていたのかもしれないが、まぁ良しとしよう。冷静にモルモン教を追いかけてみると、彼らは「真理」を知っているようである。但し、それは基本的に日本のモルモン教徒ではなく、ソルトレイクにいる人達である。

 

◆モルモンの啓示と「モーセ書」にある「エノクの町」

 

 モルモン教の創始者ジョセフ・スミス・ジュニアは、「聖書」を独自に翻訳している。これは単にヘブライ語の聖書を翻訳し直したといったものではなく、ジョセフ・スミス・ジュニアに与えられた示現も含まれている。そこには、『旧約聖書』にはないエノクの記述があるのだ。

 

ジョセフ・スミス・ジュニア

 

 そして、にじが雲の中に現れる。わたしはそれを見て、あなたの先祖エノクに立てた永遠の聖約を思い起こすであろう。
 その聖約は、人々がわたしの戒めをすべて守るとき、シオン、すなわち、わたしがわたし自身のもとに取り上げたエノクの町が、再び地上に降るというものである。

 

 わたしの永遠の聖約はこれである。すなわち、あなたの子孫が真理を受け入れて仰ぎ見るとき、シオンは見下ろし、もろもろの天は歓喜に揺れ、地は喜びに震えるであろう。そして、長子の教会の総集いが天から降って来て、地を所有し、終わりが来るまでその場所を得るであろう。これが、わたしがあなたの先祖エノクと交わした永遠の聖約である。

 にじが雲の中に現れるであろう。そしてわたしは、将来地上にあるすべての肉なる生き物のために、わたしとあなたとの間に立てた聖約をあなたに立てるであろう。」そして神はノアに言われた。
 「これが将来地上にあるすべての肉なるもののために、わたしがわたしとあなたとの間に立てた聖約のしるしである。」 (ジョセフ・スミス訳「創世記」第9章16-17節)

 


ノアとの聖約の「虹」

 

 神(ヤハウェ)がノアとの約束で、もう二度と人類を水で滅ぼさないと証しとして「虹を立てた」というのはよく知られているが、ジョセフ・スミスによればエノクとも聖約として「虹」を出現させているのだ!これが「新共同訳」の聖書の訳し方だと非常にコンパクトになっている。


 「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(新共同訳「創世記」第9章16-17節)

 

 エノクとノアへの神の聖約を思い出させるものとして、天に虹が置かれたというのだ。モルモン教では、「終わりの時」に人々が戒めをすべて守るとき、「長子の教会」の総集い(エノクの時代の主のシオン)が地上の義人と1つになるとする。「長子の教会」とは、イエス・キリストの教会のことで、天の御父によって生まれたすべての霊の子供たちの中にあってイエス・キリストは長子なのだという。また、モルモン教では、彼らのもつ「モーセ書」の中に「エノク」と「エノクの町」に関する記述がある。

 

 「エノクとそのすべての民は神とともに歩み、彼はシオンの中に住んだ。それからシオンはなくなった。神がご自身の懐にそれを迎え入れられたからである」(「モーセ書」第7章69節)

 

 昇天したのはエノクの民のみならず、エノクの町ごと天に昇ったのだと明確に言っている。そしてその名を「シオン」と呼んでいる。

 

飛翔するエノクの町

 

 末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の啓示には、エノクの宣教の働き、「シオン」と呼ばれた「エノクの町」、エノクが受けた示現、および預言が記されている。


 エノクはアダムの手の下で聖任されたとき、二十五歳であった。また、彼が六十五歳のときに、アダムは彼を祝福した。そして、彼は主にまみえ、主とともに歩み、絶えず主の前にあった。三百六十五年、彼は神とともに歩み、身を変えられて天に移されたとき、四百三十歳であった。

 

 メトセラはアダムの手の下で聖任されたとき、百歳であった。レメクはセツの手の下で聖任されたとき、三十二歳であった。ノアはメトセラの手の下で聖任されたとき、十歳であった。アダムは死ぬ三年前に、すべて大祭司であったセツ、エノス、カイナン、マハラレル、ヤレド、エノク、およびメトセラを、義にかなった子孫の残りとともにアダム・オンダイ・アーマンの谷に呼び集め、そこで彼らに最後の祝福を授けた。

 

 すると、主が彼らに現われた。彼らは立ち上ってアダムをほめたたえ、彼をミカエル、君、天使長と呼んだ。また、主はアダムに慰めを与え、そして言った。

 「わたしはあなたを立てて首長とした。多くの民族があなたから出でるであろう。そして、あなたはとこしえに彼らを治める君である。」
 そこで、アダムは会衆の中に立ち上がった。彼は老齢で腰が曲がっていたにもかかわらず、聖霊に満たされ、最後の世代に至るまでその子孫に起こることを預言した。これらのことはすべてエノクの書に記るされており、定められたときに証しされるであろう。

 (「教義と聖約」107章48-57節)

 

アダムと大天使ミカエル

 

 アダムのことを「ミカエル、天使長」と呼んでいる人類が発生する前、天界ではヤハウェの軍団 vs ルシファーの軍団による戦いが行われ、負けたルシファーの軍団とルシファーに組みした天使たちは「堕天使」として闇の世界にたたき落とされた。この戦いの時、 ヤハウェの軍団の軍団長がミカエルだった。そして、戦いが終わった後、ミカエルは褒美として「骨肉の体」を与えられた。それがアダムである。

 

 最後の一行にある「定められたときに証しされる」の「定められたとき」とはいつのことなのだろうか。それは「シオン」、つまり「エノクの町」が帰ってくるときである。

 

◆空飛ぶ島ラピュタと新エルサレム

 

 「エノクの町=シオン」は、いつ戻ってくるのか。「モーセ書」には以下のようにに書かれている。

 

 すると、主はエノクに言われた。
 「わたしが生きているように確かに、わたしは終わりの時に、すなわち悪事と報復の時代に来て、わたしがノアの子孫に関してあなたに立てた誓いを果たそう。地が安息を得る日が来る。しかし、その日の前に、天は暗くなり、暗黒の幕が地を覆うであろう。
 天が震え、地も震えるであろう。して、ひどい艱難が人の子らの中にあるが、わたしは自分の民を守ろう。
 
 また、わたしは天から義を下そう。また、地から真理を出して、わたしの独り子と、死者の中からの独り子の復活と、またすべてに人の復活について証しよう。そして、わたしは義と真理が洪水のごとくに地を満たすようにし、わたしが備える場所、すなわち聖なる都に地の四方からわたしの選民を集めよう。


 それは、わたしの民がその腰に帯を締め、わたしの来臨の時を待ち望めるようにするためである。わたしの幕屋はそこにあり、そこはシオン、すなわち新エルサレムと呼ばれるであろう。」
 (「モーセ書」第7章60-62節)

 

 「終わりの日」の描写である。

 

「エノクの民」

 

 モルモン教会では、「エノクの民」は、天に取り上げられたとき「身を変えられた」と伝えている。復活体である。イエス・キリストが復活を果たした時、エノクの民は死に、瞬時に復活したとしている。モーセやエリアと同様に復活体となったのである。そして、「エノクの民」は天に取り上げられたときから、天使として働いているという。復活体とは天使の体だからだ。

 まことに、エノクも、彼とともにいた者たちも、彼より前にいた預言者たちも、またノアも、彼より前にいた者たちも、またモーセも、彼より前にいた者たちも、またモーセからエリヤに至り、エリヤからヨハネに至る預言者たちも、すなわちキリストの復活の時にキリストとともにいたこれらの預言者たちも、聖なる使徒たちも、アブラハムやイサク、ヤコブとともに小羊の前にいるであろう。
 そして、聖徒たちの墓が開かれるであろう。小羊がシオンの山と、聖なる都である新エルサレムに立つとき、彼らは出て来て、小羊の右に立つであろう。そして、彼らは、日夜とこしえにいつまでも小羊の歌を歌うであろう。 

 (「教義と聖約」第133章54-56節)

 

「エノクの町」=「新エルサレム」?

 

 「エノクの町」は、「新エルサレム」として戻ってくるという。

 

 実はモルモン教会を設立したジョセフ・スミス・ジュニアは、教会内では預言者と呼ばれ、フリーメーソンにも属していたのである。ならばだ。同じメーソンのジョナサン・スウィフトも「モーセ書」のような失われた聖典を知っていたのでははないだろうか。そう、スウィフトは外典や偽典、失われた聖典を読み、エノクの町のことを知ったのだ!

 

 スウィフトは、「エノクの町」のことを「を空飛ぶ島ラピュタ」として描いたのである。しかし、証拠はない。物的な証拠は残さないからだ。しかし、彼らフリーメーソンは自らの所業を「しるし」として残す。「しるし」とは象徴であり、シンボルである。彼らは必ず誰もが目にするところに大きくシンボルを掲げる。それは名前である!「ラピュタ」という名前にこそ意味が込められているのだ。

「空飛ぶ島ラピュタ」

 

 「ラピュタ」はスペイン語で「娼婦」を意味する。あえて「娼婦=ラピュタ」と名付けたのには裏がある。娼婦という言葉で皮肉る対象とは、娼婦とは程遠い存在、いわば対照的な女性ということになる。それは純真無垢な乙女であり、貞節を守り続ける妻であり、人々に祝福された花嫁である。では、最も神聖な花嫁とは誰のことか。聖職者だったスウィフトの頭の中にあったのは「イエス・キリストの花嫁」である。「新約聖書」にはそのまま表現されている。

 

 「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」(「ヨハネの黙示録」第21章2節)

 

 イエス・キリストの花嫁とは「新エルサレム」のことなのである。ラピュタは空飛ぶ島で、その形状は円錐である。スウィフトがわざわざラピュタの底を円形にしたのは、四角錐の新エルサレムと対比しているのだ。そう、ラピュタのモデルは新エルサレムである。

 

戻ってくる四角錐の新エルサレム

 

 新エルサレムが戻って来る時、アダムから続く全ての「預言者」が復活体で戻ってくるというのだ。アダムから続く最古のフリーメーソンは「アダムメーソン」である。アダムメーソン最後の預言者は「ノア」である。ノアの直系のメーソンは「セムメーソン」で、その王であり預言者は「天皇陛下」である。「空飛ぶ島ラピュタ」の話は「エノクの町=シオン」帰還の預言だったのである。だからこそ『ガリヴァー旅行記』に日本を登場させたのである。

 

<つづく>