聖書文字「漢字」の謎 その22

 

 旧約聖書の神ヤハウェと新約聖書の神イエス・キリストの違いは、その姿である。ヤハウェは「燃える柴」と表記されているように、「霊」の存在であって人の姿では現れない。但し、「神の使い」は人の姿をして現れるようである。ソドムとゴモラの話に登場する二人の「御使い」である。


  二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、 言った。
 「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」彼らは言った。「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」 しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。(「創世記」第19章1−3節)

 

 これを読むと御使いはパンを食べていたことになる。すなわち骨肉の肉体を持っていたことになり、普通の人間たちもその姿が見えていた。実際、同性愛者が多く、男色狂いばかりの街ソドムの男たちが、神の御使いを渡せと要求しているからだ。

 

 彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、 わめきたてた。
「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」(「創世記」第19章4−5節)

 

 実は、この先の部分は読み方次第で、もしかしたら絶対神ヤハウェもその場にいたかもしれないと思わせるような記述になっているのだ。西洋の宗教画では、『 アブラハムと3人の天使 』として描かれているものもある。

 

リエフェリンクス 『 アブラハムと3人の天使 』

 

 夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。
 「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」
 ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。
 「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」(「創世記」第19章15−17節)

 

 ロトにだけ絶対神ヤハウェが見えていたのかどうかは確認のしようがないが、神は「山」に逃げろと言っている。山は神が降り立つ聖地である。絶対神ヤハウェは基本的には「声」だけである。シナイ山で絶対神にまみえたモーセとのやり取りでは、あくまで「燃える柴」で声でのやり取りである。さらに神にまみれる時に、「山」に上がれるのはモーセだけであった。

 

「燃える柴」=絶対神ヤハウェ

 

 主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、 モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。(「出エジプト記」第24章12−13節)

 

 ユダヤ教では「聖なる山」は預言者以外は禁足地で、それを継承しているのが、古神道の物部氏である。

 

 

◆「山」と絶対神が降臨する「ピラミッド」という山


 「山」は象形文字で、高い山々が連なっている形を示している。「連なったやま」の象形から「山」という漢字が成り立ったとされている。

 



 「山:やま」という言葉の意味は色々とあるのだが、主要なものとしては、以下の5つが挙げられる。

  1:「陸地の表面が周辺の土地よりも高く盛り上がった所。 古くは神が住む神聖な場所とされていた。」
  2:「鉱山(地中から鉱物(無生物で、均質な固体物質)を採掘する場所」
  3:「「ア」の形をした物」(例:砂山、氷山)
  4:「能や歌舞伎で、竹の枠に張った幕に、笹や木の枝葉をかぶせた作り物」
  5:「高く積み上げたもの」、「高く盛り上がった状態」

 

 1番目の意味にもあるように、「山」という字には元々「神が住む神聖な場所」という意味が込められているのである。さらに「やま」という意味の岳(旧字は嶽)は、山の上に羊の頭の形を加えた象形文字である。山のいただき、頂上を峰(みね)というが、夆(ほう)は、高い木に神が降る形で、峰とはそのような神が降る木がある山、山の頂上をいう。


 「山」とは神が降りてくる場所なのである。もちろんそれは絶対神ヤハウェがモーセに戒めを与えた「シナイ山」のことである。よって、古神道では奈良の三輪山のようにもともと「禁足地」で、神官以外の一般人は出入りはできなかった。山自体がご神体なのである。

 

「シナイ山」

 

 旧約聖書では以下のように書いている。

 
 主はモーセに言われた。
 「あなたは、アロン、ナダブ、アビフ、およびイスラエルの七十人の長老と一緒に主のもとに登りなさい。あなたたちは遠く離れて、ひれ伏さねばならない。 しかし、モーセだけは主に近づくことができる。その他の者は近づいてはならない。民は彼と共に登ることはできない。」(「出エジプト記」第24章1−2節)

 

 しかし、「山」はモーセが「十戒」を授かったシナイ山だけのことを表した字ではない。「山」と言う字は甲骨字体では「3つの山が一つになった形」で、「山」の意味の5番目にもあるように「高く積み上げたもの」でもある。何を高く積み上げたのか。そ

それは「石」である。つまり、「山」という字はギザの3大ピラミッドをも表している文字なのでる。なぜなら、ピラミッドは墓ではなく神殿だからであり、絶対神が降臨する場所なのである。

 

 

 絶対神ヤハウェが降臨する場所が山ということは、新約聖書ではイエス・キリストが降臨するための山となる。だからこそ小篆字体では「山」の真ん中に「人」が立つ姿で表しており、すなわち現人神イエス・キリストが降臨する姿となる。なにせ新約聖書には、イエス・キリストはオリーブ山に2人の使徒とともに立っているのである。

 

 

 「イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、

 顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」

 (「マタイによる福音書」第17章1〜3節)

 

 注意したいのは、この時イエスはまだ死んでいない。復活する以前の話である。だがイエスの姿が変わったと書かれている。服も肉体も白く発光したとある。復活して不死不滅の体となる前に体が変貌、変身したのである。同様に、そのイエスの側には預言者エリアとモーセが現れたと書かれている。これは幽霊ではない。彼らの体もまた、不死不滅の変身体になっていたことを意味する。

 

オリーブ山に立つモーセ、エリヤ、イエス

 

 エジプトからイスラエル人を脱出させ、約束の地カナンへと導いた大預言者モーセも天に昇ったという伝承がある。モーセは亡くなった後、モアブの地に葬られたと記されているが、実は今日に至るまで誰もモーセの埋葬地を知らないのである。実際、これを裏付けるように、イエスが使徒ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人を連れてオリーブ山に登った際、モーセが現れたというのが上記の聖書の記述なのである。変貌したイエスの横に預言者エリアとモーセが姿を表したのである。

 

 逆説的に言えば、変身体になったからこそ肉体をともなったまま昇天できたともいえるのだ。この「変身体」とは何か。ひと言でいえば「天使の体」である。天使になったからこそ、モーセもエリアも昇天できたのである。この辺の話はまた別の連載で解き明かしをしてみたいと思う。

 

◆「八」とは絶対神「ヤハウェ」
 

 絶対神が降り立つ場所は「山」だが、末広がりの「山」の形を表すという漢字は「八」である。「八」の意味は、「①やっつ。数の名。やっつめ。②多くの。たくさん。」で「八百万(やおよろず)」「八千代」などの言葉に使われる。「八」の全画が片仮名の「ハ」になったが、「八」は「ヤ」であり、それは絶対神 ヤハウェを表す字である。

 

 

 だが、八百万の神々が登場する多神教の「神道」、ユダヤに関わる字にも「八」が多く使われる。「八幡神」(はちまん・やはた)「八剱」(やつるぎ)「八坂」(やさか)「八重」(やえ)「八衢」(やちまた)「八握」(やつか)など。地名、神名、神社の名前、神話に登場する様々な道具類にも「八」が使われる。古来より使われる和楽器には「尺八」があるように、日本は至るところ「八:ヤ」だらけである。

 

 日本人は山に登ると「ヤッホー」というが、なんで「ヤッホー」というのか分からずに「やまびこ」として叫んでいるが、「ヤッホー」とはもちろん絶対神ヤハウェの呼び名「ヤー」である。あくまでも呼び名であり名前ではない。「ヤハウェ」のヘブライ語の発音は「ヤー」である。「ヤッホー」をローマ字で書くと「YAHOO!」だが、これもまた「ヤハウェ」のことである。さらに日本人は人に合う際には「やー、元気?」などと言うが、なんで「やー」と付けるのかは理解していない。また、気合を入れて「いやーっ!」などと叫ぶが、これまたヤハウェのことである。

 

 

 皇室の御宝である三種の神器は「八咫鏡」(やたのかがみ)「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)「八岐大蛇」(やまたのおろち)の尻尾を切って出てきた「天叢雲剣=草薙の剣」である。もちろん日本の「三種の神器」の正体は「ユダヤ三種の神器」で、それをモーセに命じて作らせたのはヤハウェである。とにかく「ヤー」「ヤ」は至る所で使われる。神輿を担ぐ時には「ソイ・ヤー」と言うが、これはヘブライ語で「われ、神を称え奉らん」という意味である。

 

 まぁ「八」に関していえば、その究極は漢波羅秘密組織「八咫烏」である。聖書文字である漢字を作ったのも「八咫烏」である。だからこそ三種の神器にも、神道、神話に関わるあらゆるものに絶対神ヤハウェの「八」が込められているのである。飛鳥昭雄氏の著書によれば、「八咫烏」の組織は3羽の「大烏」が裏天皇「金鵄」(きんし)を構成、その下に12羽の「大烏」がおり、さらに配下の伝令役として70羽の「八咫烏」がいるという。なんで70羽なのかといえば、それはモーセが作った長老組織を原型としているからだという。それが上記した「あなたは、アロン、ナダブ、アビフ、およびイスラエルの七十人の長老と一緒に主のもとに登りなさい。」の部分である。

 

 三羽烏である「金鵄」は、旧約ではアロン、ナダブ、アビフであるが、新約ではイエスの栄光の啓示を受けた3人の弟子ペトロ、ヤコブ、その兄弟ヨハネである。12羽の「大烏」はイエスの12使徒であり、イスラエル12支族を象徴している。つまり、「八咫烏」の組織は原始キリスト教とユダヤ教が一つになった「ヤマト教」とも言うべき神道の要の組織なのであり、だからこそ旧約・新約の両方の物語を伝える聖書文字「漢字」を作ったのである。

 

<つづく>