聖書文字「漢字」の謎 その19

 

 「示」(しめすへん)はユダヤ教の絶対神ヤハウェへの捧げ物をする「燔祭」の祭壇でもあり、自らを「神の子羊」と言ったイエス・キリストの十字架の磔刑による人類のための「燔祭」をも表す字である。そこに「申」がつく「神」という字は、「申」=カッバーラの奥義「生命の樹」の構造を表し、その天界の奥義を人類に与える存在のことを表す漢字であった。

 

 「示」(しめすへん)は物凄い数の神道用語の漢字に使われているが、神道呪術である「祝」(いわい)もまた、神界へと通ずることを示している。「祝・祝」の読みは音:「シュク」「シュウ」、訓:「いわう」「のる」「のろう」「たつ」。意味は「いわう。いわい。いのる。ことほぐ。」「はふり。神に仕えるもの。」「たつ。たち切る。」「のる。のりと。神に告げる。」「のろう。まじなう。」である。

 

 

 なぜ「祝う」はずなのに、読みの中に「のろう」があるのか。それはどちらも神道呪術だからで、祝うことも呪うことも「言葉」による呪術なのである。「祝」「呪」はともに「兄」という字が入っているが、これは「祭主」という意味を持ち、祝はそのまま「祭壇で祈りをささげる」という意味がある。

 

 一方、「口+兄」の「呪」は祝い事を口から発する様子を描いているとされ、祈りの言葉=祝詞(のりと)という意味合いがある。古代よりユダヤでは祭祀を行う神官はレビ族の長子でモーセの兄アロンの末裔と定められており、その末裔たちが古代より日本では神官をお務めてきたのである。つまり「祝詞」を発する神官は兄アロンの末裔じゃないとできないと伝えているのである。

 

 問題は「呪」である。「呪」にも同じ兄の字があるのは人祖アダムの長男カインが弟アベルを殺害、人類史上初の殺人者となったことで神の呪いを受けたことを示しているのである。

 

カインとアベル


 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。主はカインに言われた。
  「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」
 カインは答えた。
 「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
 主は言われた。
 「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」 (「創世記」第4章8-12節)

 

 神に呪われたのである。そして「カインの呪い」は現在も人類を支配していると言っても過言ではない。今も世界中の人を堕落させ、人類の命を奪い、生きた子供を生贄にする儀式を行っている「悪魔教徒」とは、カインの血を受け継ぐ者たちである。この話は長くなるため、改めて論じてみたいと思う。

 

◆「禊」という文字の意味

 「示偏」を使う文字で、もう一つ重要なのが「禊」(みそぎ)である。「禊」の読みは音:「ケイ」、訓:「みぞぎ」「はらう」。意味は「みそぎ。水を浴びてからだを清めること、はらう、みそぎを行う」である。

 


 

  「示+契」で成り立ち、「契」は「契約」を表す会意文字である。「丯」(木片に彡印を刻む形)+「刀」+「大」(人の姿)で、木片に彡印を刻んで契約する=ちぎりとなる。字の意味は「契約する・約束・契る・手形・割り符・合う」、そして「占う為に亀の甲羅を焼く、また、その道具」である。


 神道において「禊」は「身の汚れや穢れをはらうために水を浴びて体を洗い清めること」で、日本に古くから伝わる精神文化の一つである。語源は諸説あり「水滌ぎ」(みずそそぎ)や「身清ぎ」(みすすぎ)であるとされている。「罪」や「穢れ」(けがれ)を取り除く「身削ぎ」(みそぎ)が由来とする説もある。もちろん近年は、神道に携わる者でなくても、神社や滝で「禊」の修行を体験できるところもあり、穢れを祓い清めることで、さまざまな束縛から開放され、開運にもつながると考える人も多い。

 


「滝行」での「禊」

 だが、「禊」は単に「身を清める」儀式ではない。この字は
「神(示)との契約・約束」を表し、それはモーセを通じてイスラエル人が絶対神ヤハウェと交わした「十戒」を守るという契約の意味であり、人類の代わりに屠れれたイエスとの契約である。亡くなった神がいつでも来訪できるよう住居を清らかにし、身体の清浄さを保つように手を洗い、口をゆすぎ、足を洗い、風呂に入ることが日本人にとっての日常の「みそぎ」であり、日本人は毎日「死と再生」の儀式を繰り返している民族なのである。日本人の祭祀の基本は年末の大掃除からお正月の行事全てである。

 

 さらに「丯」(木片に彡印を刻む形)+「刀」+「大」(人の姿)で、木片に彡印を刻んで契約する=ちぎりとなるという意味は、「彡印」が「父と子と聖霊」の天界の3神を表し、さらにそれを人類に明らかにした神イエス・キリストが現人神として顕現したことを「大」で表している。そこに「刀」がある意味は、この契約を守らない=絶対3神を奉じない人間は、終末の世に再臨するイエスの剣によって処罰されることを意味しているのである。

 

 

  右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
 わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、 また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。 さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。 あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。(「ヨハネの黙示録」第1章16−20節)

 

 滅ぼされないようにするために、身を清め、イエスと契約し、その契約を守れと言っているのである。

 

<つづく>