自我を持つ生命圏 「太陽系」の謎:その4

 

 ジェームズ・ラヴロック博士が唱えた「ガイア理論」は環境主義者からは広く受け入れられたが、科学界全体で受け入れられたわけではない。「ガイア理論」を批判する人たちが指摘するのは「自然選択説」は個体に関するものであって、惑星規模の恒常性にそれを適用できるかどうか不明であるという点である。この「自然選択説」とは、進化を説明するうえでの根幹をなす理論とされる。

 

 自然選択説に基づく総合説(ネオダーウィニズム)では、厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し、進化に方向性を与えると主張するものだ。1859年にチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスによってはじめて体系化され、別名を「自然淘汰説」ともいう。

 

◆ラブロックが示した「地球温暖化」の結果

 

 ラブロックは、「ガイア理論」で「デイジーワールド」のようなモデルで個体レベルの効果が惑星規模の生態系に変換される様子を描いた。しかし、地球システム科学は揺籃期にあり、デイジーワールドのモデルが地球の生物圏と気候の複雑さにどう当てはまるのかはまだ不明確である。「デイジーワールド」とは「ガイア仮説」とも呼ばれ、地球の大気・海洋・地殻の現象と、生物が相互に関係し合い地球の環境を作り上げ、しかもその相互作用には、ホメオスタシスの性質が備わっていて、生命が生存しやすい環境になるように自己調整されているという仮説である。

 


地球=ガイア(女神)として描いた絵画


 ラブロックは晩年に温室効果による地球温暖化の脅威について懸念するようになっていた。2004年、ラブロックは「原子力だけが地球温暖化を停止させることができる」と宣言し、仲間の環境保護活動家らと袂を分かち、メディアに大きく取り上げられた。彼は、化石燃料の代替としてエネルギー需要を満たしつつ、温室効果を削減する現実的な解は、原子エネルギーしかないと考えたのだ。これには筆者も驚いた。1986年の「チェルノブイリ原発事故」による放射能の拡散が起きて以降、日本を除く欧米社会は基本的に「原子力の脅威」を訴えてきたはずだったからだ。さらに「ガイア=大地の女神」として捉えたラブロックだけに、余計に驚いた人も多かったと思う。

 2005年、イギリス政府が再び原子力に関心を寄せ始めたのを背景に、ラブロックは再び公然と原子力支持を表明、環境保護運動家らが原子力反対運動をやめるべきだと主張したのだ。ラブロックが原子力支持を公に表明したのはこの頃だが、その考え方は長年持っていたようで、1988年の著書 The Ages Of Gaia で、ラブロックは次のように書いている。


 「私は常に放射性崩壊や原子力を、正常で必然的な環境の一部としか見ていない。我々の原核生物の先祖は、超新星による様々な元素の合成で生まれた惑星規模の放射性降下物の塊り上で進化したのだ」


晩年のジェームズ・ラヴロック博士
 

 イギリスの新聞「インデペンデント」は2006年1月、ラブロックの談話として、地球温暖化の結果として21世紀末には「何十億もの人々が死に、気候的に耐えられる極地でごく少数が生き残るだろう」と書いている。ラブロックの主張によれば、21世紀末までに温帯の平均気温は 8°C、熱帯の平均気温は最高 5°C 上昇し、世界のほとんどの土地が居住不可能となり、農業もできなくなるとし、「我々は、変化の恐ろしいペースに留意し、残された時間が少ないことを理解する必要がある。各国は可能な限り文明を保持するために資源の最良の使用法を見つけなければならない」と言ったのである。果たして「地球温暖化」なる話は本当に起きているのだろうか。なにせ、国連や国際機関というのは平然と「嘘」をついてきた歴史があるからだ。

 

 

◆火星探査「バイキング計画」とラブロック

 

 全ての生物には生命活動を維持するために、体温やミネラル濃度を一定に保とうとする働きがあり、それが発汗作用などの恒常性=ホメオスタシスである。恒常性をもつことが生命である条件である。1976年7月20日、アメリカ航空宇宙局 (NASA) は火星探査機「バイキング1号」を火星の表面へ軟着陸させ、続いて9月3日にはヴァイキング2号が地表に降り立ち、数々のデータを地球に送信。この時、大気組成の分析を担当したのがジェームズ・ラブロックで、彼の任務は「火星に生命が存在するか」だった。その際にラブロックが生命存在の目安にしたのがエントロピーだった。生命が存在しなければエントロピーは増大するはずだったからである。

 

火星探査機「バイキング1号」

 

 この火星探査計画である「バイキング計画」は、アメリカ航空宇宙局 (NASA) が1970年代に行った火星探査計画で、バイキング1号とバイキング2号の、2機の火星探査機が火星への着陸に成功。バイキング1号は1975年8月20日に打ち上げられ、1976年6月に火星の周回軌道へ入り、最終的に1980年8月まで運用された。バイキングは母船であるオービタと着陸船であるランダーによって構成されており、バイキング計画では、当初、着陸後90日間の探査を計画していたが、ランダー、オービタ共に設計寿命を大幅に越えて稼動、火星探査を続けた。この時のメンバーにはテレビ番組「コスモス」を製作したかのカール・セーガンやNASAに勤務していたジェームズ・ラブロックも参加していたのだ。

 バイキング1号は1975年8月20日に打ち上げられ、1976年6月に火星軌道に到達した後、着陸に適した地点を探索、ランダーを切り離して実際に火星に着陸したのは1976年7月20日である。着陸時、最初に地球に送られた画像では
火星の空は本来のピンク色ではなく水色だった。これは送られてきた画像の波長を適切に補正していなかったからであるとされているが、最初の画像が水色だったため、火星には大気があるという疑惑が長年持たれることとなった。

 

バイキング1号が送ってきた火星の表土の画像

 

 「バイキング計画」から40年以上も経過した後、「米国惑星科学研究所(PSI)のAlexis Rodriguezを筆頭とする研究チームは、バイキング1号の着陸機が、古代の火星で起きた天体衝突にともなう巨大な津波が運んだ堆積物の上に着陸していたとする研究成果を発表した。着陸地点は大規模な洪水によって形成されたとみられる南西のマジャ渓谷の下流域に位置していたが、着陸後に送られてきた画像には河川の特徴を示す地形などは見当たらず、着陸機は岩が散らばる厚さ数mの堆積物の上に降り立ったと考えられている。着陸地点を覆う堆積物は天体衝突時の噴出物や溶岩の破片ではないかと予想されたものの、付近にはクレーターが少なく、また溶岩の破片が少ないこともわかったため、堆積物の起源は謎のままだったという。

 バイキング1号の「マーズ・リコネサンス・オービター」で撮影された画像やシミュレーションを利用して分析を行った研究チームは、バイキング1号着陸地点の堆積物が今から
34億年前に発生した巨大な津波に由来するものだと結論付ける。この津波は当時の火星北半球を覆っていた海に直径3kmの小惑星が衝突したことで生じたと推定している。シミュレーションで示された発生時の津波の高さは約250mで、バイキング1号の着陸地点には傾斜地を遡上した津波によって運ばれた岩石が堆積したと考えられている。研究チームは衝突によって形成されたとみられる直径111kmのクレーターも特定しており、2022年8月には正式に「ポール・クレーター」と命名された。

 

火星の巨大クレーター

 研究チームを率いたRodriguezは、34億年前に数百万年間隔で2回の巨大な津波が火星で発生していたとする研究成果を2016年に発表している。ポール・クレーターの一部は別の津波の影響を受けているとみられることから、ポール・クレーターを形成した天体衝突は1回目の津波の原因だったと研究チームは考えています。クレーターの底では形成から何万年にも渡って熱水活動が継続し、エネルギーと栄養に富んだ環境が維持されていた可能性があるという。

 

 NASAというのは航空宇宙局という名前だが、軍事組織である。よってNASAが得た情報というのは「軍事情報」で、当然のごとくペンダゴンはたやすく軍事情報を開示しない。よって、この「34億年前」という数字を鵜呑みにしてはいけない。バイキング1号の着陸機は、1976年7月20日に火星北半球のクリュセ平原に着陸。結果的に生命やその痕跡は見つからなかったものの、地表から採取した土砂などサンプルの分析や、二酸化炭素が主成分の薄く乾燥した大気の観測などが行われた。

 

 コンピューターが解析した結果、火星の大気は平衡状態、すなわち火星に生命が存在する可能性は否定された、同様の分析を地球にも行ったところ、結果は非平衡状態だった。そこでラブロックは、生命にとって環境が最適なのは、地球自体が最適な環境にしているからだと考えた。要は地球の「生命圏=バイオスフィア」そのものがホメオスタシスを持っていると考え、さらにホメオスタシスが生命の条件だと仮定すれば、バイオスフィアもひとつの生命と見なすことができると考えたのである。

 

 

<つづく>