終末預言と 「偶像崇拝」の謎:その44


 しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。 (「ヨハネの黙示録」第19章20節) 
 

 令和の「和」は本来「咊」と書き、氏名など一般的には使えない天皇家だけの文字である。令和の意味は「命ノ木」で、ユダヤ密教カッバーラの最奥義である「生命の樹」のことであり、絶対神ヤハウェの民である「ヤ・ゥマト=大和民族」が「神の木の神域に入った」ことを意味すると前回書いたが、それ以外の人たちは「エデンの園」に生えていたとされるもう一方の「禁断の木」である「知識の木の実」を食べてしまったこととなる。それは「死の樹」を真っ逆さまに落ちて行くことになるのだ。

 

「生命の樹」の象徴図形

 

◆ラストエンペラーの御印「梓」と「言霊」

 

 「なんで日本人が滅ぼされるのか?」「世界には日本を滅ぼそうとしている悪い輩がいっぱいいるだろう」と憤慨する方も多いとは思うが、これは日本が世界の雛形であり、日本人が率先して変わらなければ世界は変わらないということなのだ。そして日本は「預言されし国」であり、日本は全てが「預言でできている国」だからこそ、良いことも悪いことも「すべては日本から始まる」のである。

 

 今上天皇陛下は預言されし最後の天皇陛下「ラストエンペラー」である。人類最後の年号が「令和」であり、世界最後の天皇陛下の出現は、平安時代の南朝系・花山天皇の一族が興した「伯家神道」(はっけしんとう)に預言されていた。今上天皇徳仁陛下の御印は「梓」(あずさ)であるが、この「梓」、実は「令咊」と同じ意味なのである。

 

 「梓」を漢字分解すると「梓=木・立・十」で「十字を立てる木」の人柱の意味で、十字架を立てるのは「立・十=辛」で「辛」(つらい)となり、変字体の「苦」の「苦=艸・十・口」」と合わせて「辛苦」(しんく)となる。その「神が立てた木」は神社の「御神木」で、縄張りの「縄」を巻いた天照大神を示唆、その天照大神はヤフェト系(白人種)ではないセム系(黄色人種)のイエス・キリストが正体となる。だが、世界を欺くため、また白人の宗教としてキリスト教を世界に広げるため、イエス・キリストを白人に仕立て、それを宗教画や彫像という「偶像崇拝」させることで絶対神の怒りに触れるようにしてきたのである。

 

天皇陛下と梓

 

 さらに日本というのは「言霊」の国である。古代から日本人は言葉に宿る霊力が、言語表現の内容を現実にしてしまう力があると信じてきた。日本語という言葉には「言霊」があり、発した言葉通りの結果が表れる力があると考えられてきた。それを理解していないのが悪しき在日コリアンたちで、小泉(朴)純一郎の「この程度の約束(公約)を守れなかったのは大したことではない」とした居直り答弁は、「言霊」を簡単に足蹴にする半島系の本性が現れている。だからこそ韓国人は「国際条約」も守らないし、当然ながら「恥」という概念も無いのである。

 だが、半島系の人間たちは追いつめらるとすぐに「敵前逃亡」をする癖があり、韓国のセウォル号沈没事件の際に船長が真っ先に脱出した件、三豊(サンプン)で起きた百貨店崩落事故の際の経営陣の脱出事件、もちろん安倍(李)晋三の2度にわたっての腹痛解散など、数え上げればきりがない。だが、一方で「在日系自民党」「統一教会」「日本会議」「ネトウヨ」がやたらと好むのが、「大和魂」「日本精神」「君が代」「日本国旗」「教育勅語」といった「日本的なもの」で、それらを前面に押し出のは日本人に化ける性癖があるからである。そんな偽日本人たちが崇敬してやまなかったのが安倍晋三で、李氏朝鮮の末裔で自らを「日本の王」だと発言した安倍晋三を
「国葬」として祀ってしまった。これは完全に皇祖神の怒りに火を付ける行為となった。

 


日の丸を下にした安倍晋三の国葬

 

 なにせ安倍(李)晋三の国葬の際、安倍晋三の数々の「勲章」より下に「日の丸」を置く呪術を行ったのだ。これは完全に朝鮮民族を皇祖神より上に置くという呪術である。そんな安倍(李)晋三を国葬にするか否かの議論が活発化した際、三原じゅん子は国会答弁で「恥を知りなさい」と叫んだり、和田アキ子が「(国葬反対と騒ぐ人は)お亡くなりになった方やご家族に失礼だと思う」とTVで発言したり、韓国系「統一教会」を擁護する太田光宅に卵が投げ込まれた際、真木よう子が「はっきり言って残念」と発言したことなどにも垣間見ることが出来る。

 

 麻生太郎副総裁(当時)は、岸田首相に安倍(李)晋三の「国葬」に「理屈じゃねえんだよ」で、議会制民主主義を無視して押し切らせてしまい、2022年10月2日、地元福岡で李氏朝鮮の日本国王の「国葬」に並ぶ若者を称賛、「若い人たちの中に多くの日本人が育ちつつある」と発言、日本中のネトウヨが感涙の涙を流し、国葬では同じ朝鮮民族の菅義偉、野田佳彦がお涙頂戴の弔辞を読むという茶番で、SNSが大炎上したことは記憶に新しい。この葬儀に参加していた人たちのほとんどは「統一教会」や「創価学会」である。在日宗教が総力を挙げて強行したのが「李氏朝鮮王の国葬」だったのである。そんなものを許してしまった日本人には、皇祖神は荒ぶる神スサノオとなって鉄槌を振り下ろすこととなる。

 

 

「四天王寺」の鳥居の「扁額」

 

 世界はラストエンペラーの代になると、各々の欲望が露骨になり自我を隠さなくなる。隠せないのである。筆者の別連載「新聞ニッポン:ゲノムワクチンが引き起こす性犯罪」のシリーズでも現在、日本中で起きている病的な性犯罪や詐欺事件等を取り上げてはいるものの、あまりにも件数が増えており、追いつけない状況にある。偶像崇拝に陥った人間たちは、今後さらに欲望を露骨にし、ワクチンの接種効果で凶暴化する。すべてはこの国の「終わり」のしるしなのである。

 

終わりのない性犯罪

 

 聖徳太子が建立した「四天王寺」の石鳥居の「扁額」には、以下のように書いてある。

 

 「釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心」

 

 この意味は、鳥居の外西方が「極楽浄土」であるということである。昔はこの辺りは海に面していて鳥居外の西海に沈む夕陽を拝んでいたとされている。問題はなんで「西方=極楽浄土」なのかといえば、日が沈む陰の西方が意味するのは「黄泉」である。死者の霊が集まる場所である。日本の「黄泉」は「出雲」であり、そこは日本列島の根っこに当たる「根の国」である。

 

 「根の国」は、日本神話に登場する異界である。『古事記』では「根之堅洲國」(ねのかたすくに)・「妣國」(ははのくに)、『日本書紀』では「根国」(ねのくに)・「底根國」(そこつねのくに)と書かれる。「根の国」は、その入口を黄泉の国と同じ「黄泉平坂」(よもつひらさか)としている記述が『古事記』の大国主の神話に出てくる。しかし、六月晦の大祓の祝詞では根の国は地下ではなく海の彼方または海の底にある国としている。この祝詞においては、罪穢れは根の国に押し流すとし、悪霊邪鬼の根源とされている。そして『古事記』ではスサノオが根の国を「妣(はは)の国」と呼んでいる。母とな亡くなったイザナミのことである。

 

四天王寺の石鳥居の扁額

 

 扁額は「塵取(塵取)」の形の木の「門」を表したものであり、「園(その)の木」でもある。不純物を彫り上げて風で吹き飛ばす時代が来る象徴であり予言である。なにせ日本最大の「預言者」だった聖徳太子が建立した「寺」(テラ=地球)である。それが「令和」であり、最後の「和」を目的に天照大神が荒ぶる神スサノオとして命令を下す御代なのだ。汚いことをする者や偽りの日本人など、全ての「穢れ」た者たちを次々と「浄化」していく。

 

 神の民ヤ・ゥマトとして生まれながら、TV・新聞による洗脳=偶像崇拝で、「世界の雛形の神の民」と自覚しない日本人たちに荒ぶる御魂スサノオは鉄槌を下す。遺伝子組換えワクチンを接種したことは、スサノオからすれば「大和民族であることをやめる!」という意思表示であり、「バアル神」の民としての刻印が押されてしまった日本人たちを許すはずはない。全て「地獄」に送られることとなる。但し、自分の意思でワクチンを接種していない子供は蘇れるが、子供以外の人間たちは「蘇る」ことは出来ない。復活を信じるキリスト教信者も復活はできない。なぜなら彼らは全て真っ暗闇が支配するバアル神=悪魔のもとに送られてしまうからである。

 

 

<つづく>