終末預言と 「偶像崇拝」の謎:その12

 

 「犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。」

    (「ヨハネ黙示録」第22章15節)

  仏像や仏画は信仰心を養うものであったり、祈願するための物と考えられてきたが、何らかの「ご利益」のために拝むものということしか考えず、そこには「偶像崇拝」などという視点はない。さらにこれだけ仏像が増えると、どの仏像が何を表し、何のご利益があるのかすら分からずに仏像を拝んでしまっている。

◆仏像の種類

 

 仏像の種類は、5つに大別される。「如来」「菩薩」「明王」「天部」「その他の仏像」である。まずは「如来」だが、正式には「釈迦如来(シャーキャ・ムニ)」で、「如来」にもいくつかの種類があり、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタが悟りを得て、「釈迦如来」になった。「薬師如来(バイシャジャグル)」は病気を平癒し、身心の健康を守ってくれるとされる仏である。日本に仏教が伝わった最初のころから信仰されている。「阿弥陀如来(アミターバ、アミターユス)」は、阿弥陀如来を念ずる人を極楽浄土に往生させてくれるという仏であり、天台宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗の本尊となっている。

 

左から釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来

 次に「菩薩」(ぼさつ)とは、「悟りを求める者」という意味で、菩薩とは、仏陀になることを目指して修行に励んでいる修行者のことである。「観音菩薩」(かんのんぼさつ)は、正式には「観自在菩薩」または「観世音菩薩」と訳される。法華経では、現世の人を救う姿が説かれており、また、浄土系の経典では阿弥陀如来を補佐する菩薩で、人々を浄土まで運んでくれるとされる。観音菩薩は、浄土宗の仏壇の脇仏として祀られている。「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)は、釈迦様の次に如来の位につくと約束された菩薩で、死んだ後、兜卒浄土に生まれ変われるとする信仰である。「文殊菩薩」(もんじゅぼさつ)は「三人寄れば文殊の知恵」ということわざの通り、知恵を授けることで学業向上や合格祈願で有名な菩薩である。

 

観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩

 

 「明王」は「大日如来」の命を奉じ、怒りの相を表し、悪魔を降伏して仏法を守護する諸尊のこと。智慧の王、すなわち「真言」( しんごん・マントラ) でもある。「明王」は密教における尊格及び称号で、如来の変化身ともされ、明王には女性の尊格もある。 五大明王など。があえうが、特に「不動明王」を指していう。この「不動明王」とは文字通り「動かない守護者」という意味である。一般的な不動明王の姿は、右目は見開いて天地を睨み、左目を細めて、左右の牙で唇の上下を噛んでいる。2人の童子を伴っていることが多く、煩悩を滅してくれるとされる。真言宗の仏壇の脇仏として祀られており、修験道の本尊でもある。

 


不動明王・五大明王

 仏法と仏教世界の守護の役割を担っているのが「天部」である。 もともとは仏教成立以前に民間で信仰され ていたバラモン教やヒンズー教などの神々が仏教に帰依したもので、種類が多い。「梵天」(ぼんてん)はバラモン・ヒンドゥー教の宇宙の創造神である。梵天は釈迦が出家することを助け、更に悟りを得た後に人々に説法することを勧めた神である。「フーテンの寅」といえば「帝釈天」(たいしゃくてん)だが、これは嵐の神である。仏教においては、梵天と共に釈迦の守護をする神である。「毘沙門天」(びしゃもんてん)はもともとは
「悪鬼の長」であったが、時代が下って財宝や福徳の神に変わる。七福神の1人でもあり、大きなお腹に袋を持った姿をしている。


左から梵天・帝釈天・毘沙門天

 

 「その他の仏像」としては「弁財天」(べんざいてん)や「鬼子母神」(きしぼじん)などがある。七福神にも入っている「弁才天」は、ヒンドゥー教の女神で音楽の神であり、琵琶を弾く姿で表される。「鬼子母神」は仏教を守護する天部の一尊で、安産、多産、子供の守護などのご利益があるとされ、日蓮宗では、仏壇の脇仏として祀られている。梵名「ハーリーティー」を音写した訶利帝、迦梨底、柯梨帝(読みは全て:かりてい)、訶利帝母、訶梨帝母(かりていも)とも言う。この「鬼子母神」は「吉祥天」の母ともいわれるのだが、子供抱く姿の像はほとんど「マリア像」と一緒である。

 


弁財天・鬼子母神

 いやはや仏像は本当に種類が多い。個別に見ていくと、次々と謎が現れる。個別の謎解きをしていると時間がなくなってしまうため、謎解きは改めて行いと思うが、なにせ「釈迦」は「ヤハウェ」の預言者であり、「イエス・キリスト」の生涯の予型である。よって追いかければ追いかけるほどヘブライの意味が現れてくる。特に、日本にもたらされた仏教は、大和民族向けにアレンジされているため、インドやチベットの仏教とは本質は同じだが、表現方法は異なる。だが、そこにこそ意味があるのだ。なにせ日本という国は「なんでもあり」の国である。どんな宗教でも取り込んで独自のものへと変えてしまうのである。それはキリスト教も同じである。

 

◆「キリスト教」の日本伝来

 

 文化庁が毎年公表している「宗教統計調査」によると、2017年12月31日時点のキリスト教系の信者数は192万1834人で、日本の人口1億2600万人に占める割合は1.5%である。キリスト教が初めて日本に伝来したのは、1549年。スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭で、イエズス会の創設メンバーの1人であった「フランシスコ・ザビエル」によって日本にもたらされたものだが、それから470年とはいいつつも、実際は江戸時代の約250年間は鎖国と禁教令によってキリスト教文化からは隔絶されていたため、また明治から第2次大戦が終了するまで様々な弾圧が続いたことを考えると、実際にキリスト教が根付き始めたのは戦後のことで、まだ100年も経っていないことになる。

 

フランシスコ・ザビエルとペリー提督

 

 1550年(天文19年)8月、ザビエル一行は肥前国平戸に入り、宣教活動を開始。10月下旬には、信徒の世話をトーレス神父に託し、ベルナルド、フェルナンデスと共に京を目指して平戸を出立。11月上旬に周防国山口に入り、無許可で宣教活動を行う。だが、周防の守護大名・大内義隆にも謁見するも、男色を罪とするキリスト教の教えが義隆の怒りを買い、同年12月17日に周防を発っている。ザビエルが驚いたことの一つは、キリスト教において重罪とされていた「衆道」(同性愛又は男色)が日本において公然と行われていたことであった。要はこの頃は男色好きの大名などの偶像崇拝者がいっぱいいたということである。

 この時代、キリスト教の布教は困難をきわめたため、キリスト教の神を「大日」と訳して「大日を信じなさい」と説いたため、仏教の一派と勘違いされ、僧侶に歓待されたこともあった。一般的な話として、ザビエルは誤りに気づくと「大日」の語をやめ、「デウス」というラテン語の「神」の表現をそのまま用いるようになった。以後、キリシタンの間でキリスト教の神は「デウス」と呼ばれることになる。ザビエルは日本人の印象について「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます」と高い評価を与えると共に、「この国では一度隅々までキリスト教に感化された跡がある」と書簡を出している。


 だが、一方でザビエルは日本について、「この国は武力では支配することは難しい」と報告している。この時代、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスは明らかに中国をはじめとするアジアを植民地およびキリスト教国にするという野望をもって、ザビエルをはじめとした宣教師を、王や教皇らの許可や命令の下に世界各地に派遣しているが、これは金・銀をはじめとした貴重な資源をせしめるとともに、キリスト教(カトリック)を広め支配下に置くという大戦略の下に動いていたのである。他国を侵略し植民地支配する為、宣教師達がその先遣隊だった事。つまり「スパイ」としての「下見」である。彼らが当時の日本を分析し、武力での制圧は難しいと判断し、まずは中国を支配してから日本に取りかかるべきという報告を本国にしていた事などが判明している。

 


ザビエルの足跡とキリシタンの分布

 東南アジアの国々は第二次大戦までの350年以上もの間、欧州列強の植民地で圧政を受けていたが、日本もそうなる可能性が大いにあったということである。だが、豊臣秀吉が1587年にバテレン追放令を出したのを皮切りにキリスト教排除の動きが強まり、1612年には江戸幕府による禁教令が出され、その後、約250年にわたって日本は鎖国していたが、当時の欧州列強による侵略から国を守っていたということが「鎖国」の真実である。幕末に滞日したオランダ人医師ポンペはその著書の中で、「彼ら日本人は予の魂の歓びなり」と言ったザビエルの物語は広く西洋で知られており、これがアメリカ合衆国政府をしてペリー率いるアメリカ艦隊の日本遠征を決心させる原因となったのは明らかである」と述べている。再び、キリスト教の布教が始まったのは、1853年のペリー来航による開国後の19世紀後半になってからである。


 1858年、「日米修好通商条約」が締結される。世にいう不平等条約である。この時に米国のプロテスタント宣教師らによる布教活動が始まっている。要はここでカトリックだけがキリスト教ではないことを日本人は知るのである。ザビエルは日本人をヨーロッパに派遣し、キリスト教会の実情とヨーロッパ社会を知らせ、同時にヨーロッパ人に日本人のことを知らせようとした。しかし、後続の宣教師フランシスコ・カブラルは日本人が外国語を学ぶことを許さなかった。これはアレッサンドロ・ヴァリニャーノが『日本巡察記』に「日本人にキリスト教も仏教と同じくいろいろな宗派に分かれていると知られると布教に悪影響を及ぼす恐れがある」と記しており、あたかもヨーロッパの宗教は統一されているかのごとく教えていたのだ。要はカトリック=イエズス会士たちは最初から日本人を騙していたのである。

 

<つづく>