終末預言と 「偶像崇拝」の謎:その8

 

 「犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。」

    (「ヨハネ黙示録」第22章15節)
 

 東ローマ帝国の「聖像破壊(イコノクラスム)」は、彫像も絵画も含めた「聖像」(イコン)の崇敬を禁止、聖像を破壊した運動である。キリスト教の中でも「正教会」については、あまり日本人には馴染みがない。よって、「聖像破壊」と言われても、いまひとつピンとこないかもしれないが、実は、現在のロシアとウクライナの戦争も裏側は宗教戦争で、ロシア正教 vs ローマ・カトリック教会の戦いなのである。単純な領土問題ではない。

 

◆ロシア正教 vs ローマ・カトリック教会


 726年、シリア出身の東ローマ皇帝「レオン3世」は、イコン崇敬を禁じる勅令「聖像禁止令」を発する。これには旧約聖書のモーセの「十戒」に挙げられている「偶像を作ってはならない」が根拠とされていたが、この勅令は帝国の小アジア側や一部の聖職者・知識人には支持されたものの、神々も人間の姿をしていた古代ギリシア文化の伝統が残る首都コンスタンティノポリスや帝国のヨーロッパ側の国民、およびイコンの製作に携わっていた東方教会の修道士達の猛反発を招き、帝国内部を二分する大論争となり、帝国のヨーロッパ側では反乱まで起きている。この対立は、元来オリエントのローカル宗教であったキリスト教が、ギリシャ化していくことで世界宗教へと変貌していく中で発生したものである。

 

「聖像」について議論するレオン3世 

 

 イコン崇敬が復活した後、聖像破壊派の著作などは異端の書として破却され、現代に残っていないため、なんでレオン3世が聖像を破壊するに至ったかの経緯は不明である。レオン3世の息子コンスタンティノス5世は、「聖像破壊」に反対するものを容赦なく弾圧・処刑したが、論争は収まらなかった。一方で、聖像をゲルマン人への布教に用いていたローマ教会も、この決定を非難するとともにそれまでコンスタンティノポリスに送っていた税の支払いを停止、これによって東西教会の対立が決定的となった。

 馴染みがないと思うので、東西教会の区分を記載しておこう。

 ●「東方教会」:正教会・東方諸教会・東方典礼カトリック教会
 ●「西方教会」:カトリック教会・聖公会・プロテスタント

  ちなみに「プロテスタント」の中がさらに区分があり、再洗礼派、ルター派、カルヴァン主義、バプテスト、メソジスト、ホーリネス、ディサイプルス、聖霊派、ペンテコステ派、自由主義、新正統主義、社会派、福音主義、根本主義、福音派、となっている。


 なんだかんだがあり、結局、787年にコンスタンティノス5世の息子レオン4世の皇后でアテネ出身のエイレーネーが主宰した第2ニカイア公会議(第七全地公会)によって、イコン崇敬の正統性が再確認される。その後、東ローマ帝国では、815年にも再び聖像禁止令が出されたが、既に小アジア側でも聖像破壊への支持は低下していたため、大きな運動にはならず、結局イコン崇敬が復活したのだ。

ロシア正教の総主教
 

 決裂した時点での正教会の勢力は、カトリックと互角だったが、正教会を国教とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が、1453年に滅亡すると、その勢力圏をイスラム教が侵食。正教会は拠点をモスクワへと移し、ロシアに活路を見出した。だが、1917年に「ロシア革命」で共産主義国家ソ連が誕生。正教会はまたも受難の時代を迎える。共産主義は元来宗教には否定的で、ソ連は正教会を弾圧した。しかし、ソ連崩壊後の復興はめざましく、ロシアの首相プーチンも正教会の熱心な信徒であり、現在はバチカンとは犬猿の仲となっている。

 

 

◆「聖像破壊者」vs「偶像崇拝者」の戦い

 

 2022年2月、ロシア正教会のキリル総主教が、ロシアによるウクライナ侵攻においてウラジーミル・プーチン大統領に対して高らかな祝福を与えたことで、世界中の正教会は分裂の危機に陥り、前代未聞の反乱が正教会内部で生じている。キリル総主教は、今回の戦争について、同性愛の受容を中心に退廃的であると同師が見なす西側諸国への対抗手段であると考えている。キリル総主教とプーチン大統領を結びつけるのは、「ルースキー・ミール」(ロシア的世界)というビジョンだと言われる。専門家によれば、この「ルースキー・ミール」とは、旧ソ連領の一部だった地域を対象とする領土拡張と精神的な連帯を結びつける構想だという。

 

 キリル総主教の言動は、ロシア国内にとどまらず、モスクワ総主教座に連なる諸外国の正教会においても反発を引き起こした。ロシア国内では、「平和を支持するロシアの司祭」というグループに属する300人近い正教徒が、ウクライナで行われている「非常に残忍な命令」を糾弾する書簡に署名したが、かたやロシア政府は「特別軍事作戦」と称する今回の行動の目的は、領土の占領ではなく、隣国の非軍事化と「非ナチ化」であると表明している。

 


プーチン大統領とキリル総主教

 

 正教会系のキリスト教徒の数は全世界で2億6千万人とされ、そのうちの約1億人がロシア国内におり、他国の正教会の中には、モスクワ総主教座と連携しているものもある。だが今回の侵攻により、その関係が崩れ始めている。オランダ・アムステルダムの聖ニコラス正教会では、この戦争を機に、教区司祭が礼拝の際にキリル総主教を祝福する言葉を入れることをやめている。また、ウクライナには約3000万人の正教徒がいるが、モスクワ総主教庁系の「ウクライナ正教会」と別の2つの正教会に分裂している。後者のひとつが、完全独立系の「ウクライナ正教会」である。

 

 キリル総主教の態度は、ロシア正教会と他のキリスト教会の間にも亀裂を生みだした。世界教会協議会(WCC)の事務総長代理を務めるイアン・ソーカ神父は、キリル総主教に「停戦に向けた当局の仲介と調停」を求める書簡を送ったが、これに対しキリル総主教は、「あからさまにロシアを敵視する勢力が国境に近づき」、西側諸国はロシアを弱体化させるための「大規模な地政学的戦略」に関与している、と応じている。また、キリル総主教のプーチン大統領支持の姿勢は、バチカンとの関係も悪化させた。

 

キリル総主教

 

 「ロシア正教会」の敬虔な信徒であるプーチン大統領は、ウクライナ侵攻に先立つ4年前の2018年、ロシア国内での国際会議の場において、「核戦争が起きたら敵は単にくたばるだけだが、我々ロシアは殉教者として天国に召される」という意味深な発言をしていた。欧米の専門家たちは、キリル総主教がプーチン大統領に対して祝福を与えたことは、プーチン大統領にとっては「ロシアの政治的な復権」であり、キリル総主教から見れば「十字軍」なのだと説くが、そんな単純な話ではない。なぜなら、ウクライナ侵攻とは宗教戦争そのもので、「聖像破壊者」vs「偶像崇拝者」の戦いでもあるからだ。

 

<つづく>