終末預言と 「偶像崇拝」の謎:その3

 

 「犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。」

    (「ヨハネ黙示録」第22章15節)

 

 

 イスラム教は、日本人から見ると「不思議」「厳しい」と感じる戒律が多いが、中でも「祈り」の回数の多さと「ラマダン」という断食の戒律は有名である。イスラム教ではラマダン月(イスラム教独自のヒジュラ暦の9月)の1カ月間、日の出から日没まで食事をしない。同じ日本人であっても、大勢の人が朝から読経しているのも見ると「異様な光景」だと感じる人もいる。普通の生活の中で「祈り」がない人にとっては、敬虔な仏教徒が真面目にみんなでお経を唱えている光景であっても「不思議」と感じてしまう。それほど現在の日本人にとって、「祈り」や「読経」という行為は遠いものになってしまっているということなのである。

 

「ラマダン」の祈り

 

 「ラマダン」を実際に見たことがない日本人は、お祈りばかり捧げてさぞ重苦しい雰囲気なのだろうと考えがちだが、お祭り、イベントを楽しんでいるようにも見える。毎日、断食が明ける日没を待って、皆で一斉に食事をする。夜の商店街は大勢の人で賑わい、バーゲンセールも行われる。その光景は混雑する東京ディズニーランドで遊んでいる人たちと大して変わらない。「ディズニーランドは夢の国だから一緒にするな」などと言う人もいるかもしれないが、敬虔なイスラム教徒からしてみれば、「なんで日本人はアメリカのネズミを崇拝しているんだ?」としか思えない偶像崇拝行為なのである。まぁ、どっちもどっちではあるが。

 

◆イスラム教を「変な宗教」と考える日本人

 

 敬虔なイスラームの国といえば、なんといっても「サウジアラビア」である。なにせサウジアラビアにはイスラム教徒にとっての聖地「メッカ」がある。「メッカ」(マッカともいう)はサウジアラビアにある都市の名だが、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドが生誕した地であり、イスラム教発祥の地でもあり、世界中からイスラム教の信者(ムスリム)が巡礼に訪れる。ムスリムには、一生に一度、毎年決まった時期(イスラム暦の12月8日~15日までの5日間)にメッカを訪れる「巡礼(ハッジ)」という義務があり、この時期には多いときで300万人以上のムスリムがメッカに集まる。なお、メッカにはムスリム以外の異教徒は入れない。

 

 
メッカ大巡礼で祈りを捧げるムスリム

 ムスリムの日常的な義務である1日5回の礼拝は、世界中どこにいても、このメッカの方角を向いて行うものである。日本でいえば、神社の一画に「伊勢神宮」への拝礼所があるのと一緒である。日本語では「聖地」の意味合いで、“野球のメッカ”や“サーフィンのメッカ”など、「○○のメッカ」と言うことがある。、”オタクの聖地・秋葉原”はまだしも、“プリクラのメッカ”という名のプリクラ専門店があったり、”風俗のメッカ”などと言ってしまうと、イスラム教徒からすれば偶像崇拝者で処刑対象となる。

 

 サウジアラビアでは王宮等関連施設、政府・軍関連施設の撮影は禁止されている。万が一撮影してしまった場合は身柄拘束など厳罰に処される。また、偶像崇拝が禁止されているため写真撮影に抵抗を感じる人も多い。このことから、神を描いたりするだけでなくて、写真撮影や絵画を描くことなどまで偶像崇拝につながるとして避ける傾向にある。モデルの顔にモザイクかけられている広告や、首のないマネキンが多いのも偶像崇拝を避けるためである。ちなみにアメリカ軍が撤退す後で「タリバン」による支配に戻ってしまったアフガニスタンでは、マネキンの顔はことごとく隠されてしまった。それをしない場合、イスラム教の原理主義組織であるタリバンに拘束されたり処刑されたりしてしまうからだ。

 

首のないマネキン(サウジ)・顔を隠したアフガンのマネキン

 

 サウジでは現地女性を被写体とした写真は原則NGである。たとえ本人が承諾したとしても、写真を撮ったことによって女性の家族から訴えられ拘束されることもあり、これは成人女性であっても同様である。個人的な写真を撮るときでも、背後に現地女性が映り込まないように最大の注意を払う必要がある。日本や西洋の常識は通用しないのである。最近は「稼げる」として、中東に売春をしに行く日本人女性も増えているが、ここらへんのことをうっかり忘れてしまって日本人の習性で行動してしまったりしたら打ち首獄門の刑となる(笑)。まぁ笑い事はないのだが。

 

◆偶像崇拝の禁止とムハンマドの表象

 

 イスラム教の始祖・ムハンマドの絵を描くことである「ムハンマドの表象」は、イスラム世界において一筋縄ではいかない問題である。歴史を通じて、「ムハンマドの人相や風体」を口承や文書によって伝えることは問題になることは少なかったが、視覚的に描写することの許容範囲については、同じイスラム教の国においても意見が一致しない。聖典「コーラン」にははっきりとムハンマドの肖像画を禁じているととれる箇所はないものの、いくつかの「ハディース」がムハンマドの姿を視覚的に描写することを明確に禁じている。「ハディース」とは預言者ムハンマドの言行録のことで、「クルアーン」がムハンマドへの啓示というかたちで天使を通して神が語った言葉とされるのに対して、「ハディース」はムハンマド自身が日常生活の中で語った言葉やその行動についての証言をまとめたものである。クルアーンが第一聖典であり、ハディースが第二聖典とされる。

 

 

弟子たちに語るムハンマド(これすらNGである)

 

 預言者「ムハンマド」の外見について視覚的に描写することは伝統的であったとはいえないものの、ムハンマドの肖像画の存在を伝える古い文献や、外見の特徴を書き記したものが残っており、その特徴については正しいとされることが多い。ムハンマド画をはじめとしてイスラム美術における視覚表象を宗教美術として許容しうるかという問題は、未だに学者のあいだでも意見の一致をみない。聖書など宗教的な人物でも歴史や詩歌の著作であればふつう「挿絵」がつくものだが、コーランには挿絵は一切ない。というか許されない。文脈と意図の把握が、イスラムの絵画美術を理解するうえでは欠かせないが、ムハンマド像を創り出したムスリム画家たちも、それを鑑賞したムスリム社会も、それが崇拝の対象ではないことを理解しており、たとえそれが装飾として崇拝対象の一部をなしていたとしてもである。

 一方で、学者もこうした肖像画が「宗教的な要素」を帯びることについては認めていて、例えばイスラム社会で普遍的な信仰ではないが、ムハンマドの「昇天」(ミウラージュ)を祝うためにムハンマドの肖像が利用されることもある。ムハンマドを視覚的に描写した例の多くが、
顔をヴェールで覆っているか、その姿を炎として象徴的に描いている。イランは教派が異なるために例外であるが、ムハンマドを描写することは非常に珍しいのだ。イスラム社会のあらゆる時代、地域においても決して数は多くなく、みつかっても中世においてミニアチュールなど写本挿絵として、私蔵を前提に描かれているものにほぼ限られている。

 


コーラン


 コーランは明示的に肖像画を禁じていないが、それを経典として補う「ハディース」の一部は明確にあらゆる生物の肖像画を描くことを禁じているのだ。それ以外の、肖像画を許容している「ハディース」も、決してそれを推奨しているわけではない。スンニ派の信者はほとんどが、イスラムの預言者を視覚的に描くことは禁止するべきだと考えているし、とくにムハンマドの視覚的な表象については反対である。その根幹にあるのは、そうした肖像画が偶像崇拝につながるという考えだからである。

 

 イランを筆頭とするシーア派のイスラム社会ではムハンマドの肖像画は今日とても一般的になったが、シーア派の学者もかつてはこうした描写については反対していた。現在もハディースの教えどおりの厳格な立場をとる多くのムスリムは、あらゆるムハンマドの描写には否定的で、たとえそれが非ムスリムが創作し、出版したものだからといっても寛容にはならないのである。ここら辺の感覚は日本人には非常に分かり難い感覚である。

 

 日本人にはイスラム教を「変な宗教」、イスラム教徒を「怖そう」と思う人が多いが、これは完全に欧米メディア、特に英米のメディアの刷り込みである。イスラム教を理解するためには、同じ「一神教」のユダヤ教・キリスト教と比較することが必要で、「一神教」とは、この世界をつくったのは唯一絶対の神であり、それ以外の神様は存在しないと信じる宗教である。唯一絶対の神がこの世界を創造しただけでなく、やがては「世界の終わり」をもたらす存在でもあることが分かる。この世界が終わる時、自分は天国に行けるのか、地獄に落ちるのか。そうした恐怖が、信仰する人々を支えている。「一神教」こそが紛争・戦争の原因と考える日本人も多いが、世界からすると多神教で偶像崇拝者が多い日本こそ理解不能な「変な国」だと思われている。

 

<つづく>