封印された超古代史 「古史古伝」の謎:その42

 

 「ガウタマ・シッダールタ」を生んだ釈迦族」のルーツは騎馬民族の「スキタイ」だった。この「スキタイ」が活発に動いていた時期と同じくして、歴史上から姿を消した人間たちがいる。それは「失われたイスラエル10支族」である。「出エジプト」でモーセの後を継いだヨシュアが約束の地カナンへとたどり着き、紀元前1025年、古代の「イスラエル王国」が樹立する。サウル、ダビデと続き、その子ソロモンが王となったとき、イスラエル王国は栄華を極めるも、息子の代になって王国が分裂する。紀元前925年、ユダ族とベニヤ民族からなる南朝ユダ王国と残る10支族から構成される北朝イスラエル王国が誕生する。

 

 さらに偶像崇拝など、絶対神ヤハウェの教えに背く北朝イスラエル王国には、天罰ともいえる危機が訪れる。メソポタミア地方を支配しようとするアッシリア帝国が台頭、紀元前721年に北朝イスラエル王国に攻め込み、王国は滅亡する。人々はアッシリアに奴隷として連行されてしまった。「アッシリア捕囚」である。しかし、そのアッシリア帝国もまた、紀元前7世紀末には衰亡し、メソポタミアの覇権は新バビロニア王国に明け渡すこととなってしまった。特にアッシリア帝国の末期は秩序が崩壊していたらしく、北方から波状的に騎馬民族が侵入してきた。スキタイである。

 

「失われたイスラエル10支族」と「釈迦族」

 

 「失われたイスラエル10支族」の行方について、当時の記録にはほとんど記されていない。ただ唯一、紀元1世紀のユダヤ人歴史家フラヴィウス・ヨセフスは、その著書『古代ユダヤ誌』の中で「10支族は今でもユーフラテス河の彼方におり、膨大な民衆となっている」と書き記しているのみである。だが、膨大な数となっていながら、その行方は分からず、ユーフラテス河の向こうと漠然と記しているものの具体的な場所は書かれていない。なぜか。彼らは定住しなかったのである。というか、常に移動を繰り返していたのである。騎馬民族となって北アジアへと広がっていたのである。そうさせたのはほかでもない「スキタイ」である。スキタイがアッシリア帝国末期に、捕囚されていたイスラエル10支族を引き抜いたのである。

 

黄金のスキタイ(エルミタージュ美術館)

 

 スキタイ系の騎馬民族に吸収された「失われたイスラエル10支族」は、自分たちも遊牧騎馬民族となって北アジアへと広がっていったのだ。その一部が「サカ族」となり、インドへと浸出して「釈迦族」となったのである。さらに別の一団は東へと向かい、「扶余族」と合流し、朝鮮半島を経由して日本列島へと渡来。邪馬台国を魏志倭人伝が記した古代の「倭:ヤマト」を征服、大和朝廷を開いたのである。この説を裏付けるのが前回紹介した「Y染色体」である。現在、世界中に散らばっている「ユダヤ人」は、南朝ユダ王国の流れである。かつては失われたイスラエル10支族とともに、同じ古代イスラエル王国を築いた同族もいる。彼らのY染色体を調べると、どこの集団にも必ず「ハプログループE」が検出される。

 

 日本人特有のY染色体は「ハプログループD」である。このDグループは朝鮮半島や中国には見られず、チベットやネパールには存在する。今日の「シャーキャ族」も同様である。従って、日本人と釈迦族は遺伝子的にも同じルーツを持っているのである。ハプログループが数あれど、DとEグループには、Y染色体の一部に特徴的な変異が見られる。これ専門的に「YAP」といい、両者に共通して見られるということは、先祖が同じということを意味している。日本人と釈迦族とユダヤ人は同祖ということなのである。

 

 仮に太祖がアブラハムの孫のヤコブ=イスラエルだったとすれば、日本人も釈迦族もともにイスラエル12支族の末裔であり、遠い昔に生き別れた同朋の末裔だったことを意味しているのである。竹内巨麿や山根キクが言った「釈迦は日本人だった」という表現には確かに語弊はあるものの、釈迦も日本人も、ともにイスラエル人の末裔だったのである。そして、釈迦は「マナ」の暗合持つ一族に生まれた王子であった。不思議なことに、釈迦の一生はイエス・キリストの生涯と驚くほど似ているのである。

 

◆ヤハウェ=イエスの預言者「釈迦」の降臨

 

 釈迦の母の名前は「マーヤー:摩耶」で、イエスの母は「マリア」で非常に音感が近い。マーヤーは夢の中で6本の牙を持つ白い象が、身体の中へ入ってきて、目が覚めた時、マーヤーのお腹の中には赤ちゃんが宿っていて、それが釈迦だったという。つまり、マーヤーは釈迦の誕生を夢の中に現れた「6本牙の白い象」によって知らされたということで、これはマリアの前に現れた大天使ガブリエルによる「受胎告知」と同じである。

 

6本の牙を持つ白い象

 

 釈迦はコーサラ国の王子であったのに対して、イエスは古代イスラエル王国のダビデ王の直系で、どちらも王族なのである。釈迦は29歳で出家するが、イエスは30歳でヨハネからバプテスマを受けて伝道を開始している。どちらも伝道を開始するにあたって、悪魔の誘惑を退けている。また、教えを広めるに際して、釈迦は保守的なバラモン教を批判し、イエスはユダヤ教のパリサイ人らを強く批判した。二人とも階級や身分の違いを超えて「人類は平等だ」と説している。

 

 釈迦には10大弟子、イエスには12使徒がいた。死ぬ時には、釈迦は沙羅双樹の下で亡くなり、イエスは木製の十字架の上で絶命している。そして死を悲しむ弟子たちを前に、釈迦は一度甦っており、イエスは復活して生きたまま昇天している。こうした釈迦とイエスの類似性はかなてから指摘されてきているが、それゆえにキリスト教は時代的にも古い仏教の影響を受けているのではないかという説まであるのだ。もし、イエスが「聖イッサ」だったとすれば、この説はあながち的を得ているのかもしれない。特にイエスの思想は、当時、非常に革新的かつ保守的なユダヤ教の協議とは相容れないものだった。むしろ「大乗仏教」の教えに近いと指摘する学者もいるほどである。

 

 だが、実際はこの逆である。釈迦は将来現れるであろう現人神「イエス・キリスト」の予型だったのである!なぜなら、「旧約聖書」に登場する預言者たちの事跡は、実はすべてイエス・キリストの生涯の一コマに対応しており、それ自体が「預言」になっているのである。モーセが生まれた時には、エジプトのファラオの命令で、イスラエル人の長子が虐殺されたが、同じことはイエスが誕生した際のユダヤ人の幼児虐殺を暗示している。モーセが青銅の蛇を掛けた旗竿「ネフシュタン」は、十字架に掛けられたイエス・キリストであり、イスラエル12支族を率いたヨシュアは、12使徒を従えたイエスで、「イエス」とはヘブライ語では「ヨシュア」である。生きたまま天に上がられたエノクは、復活したイエスが2人の天使とともに昇天した予型である。

 

青銅の蛇と権杖

 

 釈迦の生涯がイエスの予型ならば、釈迦は「預言者」となる。それは「絶対神ヤハウェ」にしてイエス・キリストの預言者だったのである。仏教では厳密には「神」という概念はなく、あくまでも方便として語られるものだが、釈迦自身は神を否定しているわけではない。なぜなら、釈迦は「神とはなにか」を問われた際、何も答えなかったのである。神の存在を肯定も否定もしていないのである。そして、釈迦が悟りを開いたとき、その教えを広めるように「梵天=ブラフマー」が現れて説得している。ブラフマーはヒンドゥー教とバラモン教の神である。それは宇宙そのものであり、この世の創造主である。「聖イッサ伝」において、イエスがゾロアスター教の祭司に「最も古い神こそ天の御父なる神だ」と説いているが、それはまさしくブラフマーにも言えることなのである。

 

 失われた10支族の血を引く釈迦は、その生涯をもってイエスの予型となり、悟りを開いて絶対神ブラフマーの預言者となったのである。そしてこのブラフマーとは絶対神ヤハウェ=イエス・キリストなのである。それが「仏」という字の暗合で、「人+ム」でヤハウェもイエス・キリストも自分のことを「私は有る=私有=ム」で、その「私は有る」なる神が人間として現れるイエスの予型を意味していたのである。まさしく、これこそが「竹内文書」における「釈迦の墓」を解くカギとなっているのである。

 

 戸来村の「キリストの墓」が復活したイエス・キリスト降臨の暗合ならば、「釈迦の墓」も同様に解釈すれば、それは「釈迦の降臨」である。死んだ釈迦は復活して、日本に姿を現したのである!仏教には「権現」(ごんげん)という概念がある。徳川家康も「権現」として日光に祀られているが、「権現」とは「アヴァターラ」というヒンドゥー教の思想で、一人の神が別の神や人間、動物などの姿となって地上に顕現することをいう。要は「化身」ということなのである。究極の存在である如来は菩薩や明王、天部となって衆生を救うために人々の前に現れるとされる。実際、昔から伝わる縁起の中には、釈迦はもちろん、観音菩薩、不動明王、弁財天が姿を現したという話は山ほどある。もし、こうした説話の中に、ひょっとしたら復活した釈迦が現れたことを伝えるものがあるのかもしれない。

 

「マイトレーヤ像」と広隆寺の「弥勒菩薩像」

 

 仏教には「復活」という概念はない。即身仏であっても不死不滅の体ではないう。真言密教の開祖である空海は、生きたまま入定し、今も生きていると信じられている。そして、入定に際して、空海は遠い未来に地上に弥勒菩薩が下生するとき、一緒に現れると予言し、弟子たちに約束している。「弥勒菩薩」とは「未来仏」である。サンスクリット語で「マイトレーヤ」といい、アーリア神話「ミトラ」という光明神にその起源がある。古代ローマ帝国では「ミトラス」と呼ばれ、その図像はイエス・キリストと全く同じ構図をとる。12月25日をイエスの誕生日として祝うクリスマスがあるが、もともとは太陽神ミトラスの祝日が12月25日なのである。つまり、ミトラスとはイエス・キリストの化身アヴァターラのひとつであり、弥勒菩薩とは仏教におけるイエス・キリストなのである!さらに弥勒菩薩とは、この世の終わりに再臨するイエス・キリストを意味しているのである。

 

 弥勒菩薩=イエス・キリストが再臨する時、空海は肉体をともなって姿を現す。それは不死不滅の肉体を有しているのである。ならば、その時、釈迦は「釈迦如来」という永遠の存在になったがゆえに、肉体をともなって姿を現すことになるはずである。なにせ釈迦は入滅した際、嘆き悲しむ弟子たちを諌めるために、一度、甦っているのである。そして、再び息を引き取ったとなっているからだ。ならば、不死不滅の体を有する復活もありえるはずだ。釈迦の遺骸は荼毘にふされ、埋葬されている。だが、肉体は滅んででも、霊体がある。霊体があればそこには新たな肉体が生じる。朽ちることのない不死不滅の復活体として、釈迦は蘇るのではないだろうか。

 

 釈迦はヤハウェ=イエス・キリストの預言者である。釈迦を導いたのはヤハウェ=イエス・キリストで、そのイエス・キリストは復活体となっているのである。ならば、復活体となった後、釈迦はイエス・キリストと行動をともにする可能性もある。これはあくまでも可能性では有るものの、復活体となったイエスが日本に降臨した際、そこには釈迦の姿もあったのではないだろうか。もし、そうならば、戸来村の2つの墓とされる「イエスの墓」と「イスキリの墓」とは、復活体として日本に降臨したイエス・キリストと釈迦のことを示す暗合だったのではないのか。それを示唆しているのが「竹内文書」と言えるのではないだろうか。

 

<つづく>