封印された超古代史「古史古伝」の謎:その32
「竹内文書・文献」は日本最大の「偽書」「トンデモ本」として扱われている。相変わらずいろんなユーチューバーの人たちが、頓珍漢なことを言っているが、そのほとんどは「偽書」「トンデモ本」ということを前提にした話となっているため、「竹内文書・文献」の本質が見えないのである。まぁ、それこそが「竹内文書・文献」の狙いであるため、「まんまと引っ掛かっている」のであるが、まぁ仕方がない。なにせ、あまりにも壮大で突飛な話が多く、また意図的に「嘘」と指摘されるような表現を入れているからだ。
◆「竹内文書・文献」のトンデモ内容
北茨城市磯原町磯原に鎮座する「皇祖皇太神宮」(すみおやすみらおおたましいたまや)は、「竹内文書」で知られる竹内巨麿が、明治43年に「皇祖皇太神宮天津教」を設立、この地に社を創設したことで始まったものである。巨麿は、青森県ではキリストの墓やピラミットを、石川県ではモーゼの墓を発見したと言われており、ご神宝に、謎の金属「ヒヒイロカネ」で作られた剣や鏡のほか、キリストの両親の骨で作ったという「御神骨像」やモーゼの「裏十戒石・真十戒石」などがあるとする。
神社の案内には以下のように書かれている。
「皇祖皇太神宮は、天神七代、二十六朝六十八代、そして神武朝から現代までの代々の天皇、皇后を合祀したお宮であります。特定の神だけを祀る神社(かみやしろ)ではなく、すべての神々を祀る神宮(たましいたまや)であり、ユダヤ教、道教、儒教、キリスト教、仏教、イスラム教すべてを包括する万教帰一の神宮であります。」
「御祭神は天地身一大神 (天地開闢の大根元 亦名 元無極體主王大御神)、天国竈大神、皇祖皇太神 、別祖大神 、神国御廟命大神 、神明三十日明大神、日月人風光主大神です。古式神事がそのまま継承されていて、特に三年か五年に一度行われる鎮火祭(ひわたり)、毎年の大祭で奉納される探湯祭(くがたち)、毎月の月次祭や各種祭典で行われる鳴動祭(かまなり)はこの神宮の三大神事です。 」
「竹内文書」を入れていたとされる筒
簡単にいえば世界中の全宗教の全部の神から仏までを祀っているということなのだ。これだけでも「とんでもない」と言われそうだが、それどころではすまないのが「竹内文書」である。3000年以上前の上古2代天皇の時代に16人の弟妹たちが全世界に散らばり、彼らの名前は今も地名として残っているという。その中には「ヨハネスブルグ」「ボストン」「ニューヨーク」といった現代の地名が名前が見られるという。この部分は攻撃の対象とされる部分である。
また、約3000年前の不合朝64代の時代に皇子31名と皇女43名が巡幸、長である万国巡知彦尊が知勇大力で外敵を制圧したのが「桃太郎」の起源で、不合朝69代神足別豊鋤天皇の代にミヨイ、タミアラが陥没したというムー大陸やアトランティス大陸を思わせる記述がある。
超古代の金属ヒヒイロカネについての記述だが、文書とともに伝えられてきたとされる15キロの鉄剣がヒヒイロカネ製であるとしている。さらに富山県呉羽山の羽根飛登行所は日本国内専用の飛行場で、石川県羽咋市にある羽根飛行場は世界各地を回るための国際線用の飛行場だったという。太古の昔に空飛ぶ船があり、天皇がそれに乗って万国を巡行していたというのだ。また、富山県の立山町の尖山(とがりやま)は古代日本のピラミッドで、神殿の跡であるとしており、天皇はそこから「天の浮舟」(あめのうきふね:UFO)に乗り、全世界を飛行したとされている。
「天の浮舟」?
この古代の天皇が「天の浮舟」に乗って全世界を飛行したという話だが、実は日本の正史である『日本書紀』にも同様のことが記されている。それは物部氏の祖神である「饒速日命」(ニギハヤヒ)の話である。「饒速日命」は「天璽十種瑞宝」を携えて、多くのお供を従え、「天磐船」(あめのいわふね)に乗って「豊葦原中国」(とよあしはらのなかつくに)に降臨する。最初に降臨したところは「河内の国の河上の哮峯(いかるがのみね)」と伝えられ、その後、饒速日命は大和国山辺郡布留の高庭(石上神宮の鎮座地)に遷し鎮めらたとしている。天磐船に乗って上空から眺め、そこを「虚空見(そらみ)つ日本(やまと)の国」と言われ、これが「日本」という国名の名称の初めになったと『日本書紀』に記している。
これは「正史」である。竹内文書は賛否両論で真っ二つに分かれるが、アカデミズムの歴史研究家において、この『日本書紀』を「トンデモ本だ「偽書だ」なんて言う人はいない。それは許されないからだ。そんな不敬な話をしたら、「不敬罪」でつかまるか(笑)、研究費をストップされかねない。だから心のなかで思っていたとはしても、決して口外することはできないのである。
◆「竹内文書」ワンダーランド
なんで「竹内文書」が賛否両論で真っ二つに分かれるのかといえば、それは「ワンダーランド」だからである。もう興奮するような内容がいっぱい詰まっているからだ。「竹内文書」の内容を知る方も知らない方も、ぜひ一緒に不思議な世界を見ていこう。もちろん、最初は「モーセの墓」である。
「伝説の森モーゼパーク」の案内板
能登半島の最高峰である「宝達山」(ほうだつさん)のふもとにあるのが、オカルトファンは皆さんご存知の「伝説の森モーゼパーク」である!世界広しと言えど、モーゼのテーマパークがあるなんていうのは日本だけである(笑)。もう、それだけでも最高だ。
「伝説の森モーゼパーク」
この「伝説の森モーゼパーク」は、1989年に旧押水町(現宝達志水町)の商工会員や町議らが「モーゼクラブ」を発足。町は、国が全国の市町村に1億円を配った「ふるさと創生事業」などを活用し1993年にモーゼパークを整備した。これも凄い話だ。町おこしのために作ってしまったのがモーゼのテーマパークなのだ。これだけでも「竹内文書」さまさまである。
特産のイチジクを使った「モーゼスジャム」などのグッズも開発。「モーゼが眠る町」としてPRしてきたのだ。当時、同じ能登の羽咋市がUFOで町おこしをしていたため、それに対抗しようとモーゼに白羽の矢が立ったという。UFOに対抗してモーゼとしたのがまた凄い!「モーゼスジャム」とはいったいどんなジャムなのだろうか。ぜひ食べてみたいものだ。もしかするとモーゼのように120歳まで生きられるのかもしれない。
パーク内は小奇麗に整備され、駐車場もあるのだが、実はお土産物売り場がないのだ(笑)。「え〜っつ!」である。やる気があるのかないのか分からない。まぁ「ふるさと創生事業」なんてそんなものだが、もちろん、モーゼのテーマパークが作られた理由は、旧約聖書の「十戒」で有名な古代イスラエルの大預言者「モーゼ」が眠ると伝えられる「モーゼの墓」があったからだ。
「モーゼの墓」
これが「モーゼの墓」だ!もう驚愕するしかない。旧約聖書の最大の預言者であり、「十戒」の話なんぞ3回も映画になっているというのに、なんだこのショボさは!木が立っているだけじゃないか。供え物も超しょぼい。本気でモーゼを祀っているのか?と言いたくなる。よくわからない爺さんの墓じゃあるまいし。モーゼの墓なのにである。
ここの案内板には「出エジプトの後、モーゼはシナイ山に登った後、天浮船(あまのうきふね)に乗って能登宝達に到着。583歳の超人的な天寿を全うした」と、驚愕の伝説まで記されているのにである。もっとド派手な墓に作り直そうなんて考えなかったのか。はたまた「ふるさと創生事業」の金をみんなで分け合ってしまったのか。ユダヤ人が見たら憤怒するに違いない。自分たちの先祖を導いた大預言者の墓が、かくもみすぼらしいものなのかと。
モーゼの墓の卒塔婆
一応、拡大してみると「モーゼ大聖主之霊位」と書かれている。それも手書きで。大聖主之霊位の割にはしょぼすぎないか?さらに「モーゼ一族霊団供養」という卒塔婆もある。もはや何教なのかすら分からない(笑)。きっと敬虔なるイスラエルのユダヤ教徒が見たら怒るだろう。「手書きなのか?」「もうちょっと達筆にできなかったのか?」と。
「竹内文書」には、以下のように書かれている。
ヨモツ国、アラビア、アカバ、シナイ山より、五色人政治王モオセロミュラス第二回目、大海原船に乗り、能登の宝達水門に安着した。その後、モーゼは五色人の祖神を祀る皇祖皇太神宮に参拝し、天皇に十戒石などを捧げた。皇室から大室姫を妻に娶り、日本12年間滞在。天皇から十戒の承認をえて、天空浮船でイタリアのボローニャ経由でシナイ山にもどり、十戒を広めた。その後モーゼは再び来日、583歳で亡くなり宝達山近くの三ツ塚に葬られた。
パーク内の木々の生い茂る遊歩道を10分ほど上ると、「三ツ子塚」と呼ばれる古墳群が見えてくる。この中の2号墳というのがこの「モーゼの墓」なのだ。扱いすらショボい。モーゼの名前を使っているのに、扱いが雑すぎやしないか。もっと豪勢な墓を作ったら、きっと世界中からユダヤ人たちが集まってきたかもしれないのに。もしかしたら、スティーブン・スピルバーグが「インディ・ジョーンズ」シリーズを撮影してくれたかもしれないじゃないか。「もったいない」とはこのことだ。
だが、しかし。地元の人の話によると、伝説の根拠はこの「竹内文書」の記述ではあるものの、実は「伝説が知られる以前から『土地の偉い人と宝物が埋めてある』といわれていた」というのだ。さらにこの他にも、奇妙な言い伝えが残されているという。町おこしに取り組む「モーゼクラブ」(活動休止中)の資料によると、墓近くの石灰山で、ひざからくるぶしまで2尺5寸(約75センチ)もある「巨人の骨」が出たというのだ。また、石灰山では土器のつぼが見つかり、古代に使われていたものだという。なんか臭う。なにせ巨人の話は竹内文書にも登場するからだ。
さらに怪しいのが園内の「ポケットパーク」である。
この「ポケットパーク」、なんの説明もないのだが、なぜか3本の「石柱」が立てられているのだ。「三柱の神」が祀ってあるという意味である。いくら何もないモーゼパークとはいえど、ここだけは何の説明もないのである。それが怪しいのである。こんなことを書くと「気にし過ぎでは?」と言われてしまいそうだが、実はここを怪しいと気にしていたのは「アメリカ」である。
実は終戦直後に米軍が墓の調査に来たとの言い伝えがあるのだ。このことを覚えているお爺さんがまだ健在なのである。そのお爺さんの話によれば、ここが本当にモーゼの墓なのかを1945年にGHQとしながらアメリカ軍が調査をしに来たというのだ。アメリカ軍はアルバイトを使って墓とされる場所を掘らせたという。その際、人骨は出てこなかったらしいのだが、この話には続きがあり、当時、穴を掘った2名は、心臓発作で2人とも亡くなったというのだ。この話自体はオカルト系の話だが、問題はアメリカ軍は1945年にここだけでなく、日本の伝説の地を徹底的に調査をしていることなのである。
徳島の剣山の頂上は3日間封鎖され、伊豆七島のピラミッド型の島である「利島」も封鎖。さらに仁徳天皇陵も応神天皇陵も封鎖して中を掘り返し、中にあったものを全てアメリカに持ち帰ってしまっているのである。また。近年も駐日イスラエル大使のエリ・コーエン氏は何度も剣山の山頂まで行っているし、「竹内文書」に登場する青森県のイエス・キリストの墓にまで行っているのである!
<つづく>