封印された超古代史 「古史古伝」の謎:その1

 

 「古史古伝」と聞くと、皆さんはどういうイメージが浮かぶだろうか?「古史古伝」には「竹内文書」「宮下文書」「秀真伝」「上記」「東日流外三郡誌」など代表的なものがあるが、だいたい筆者の周囲の古代史好きな人間であっても、「あぁ偽書のことですね」とか「ヤバいやつですよね」などといった反応が返ってくる。特に「竹内文書」(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ)と聞いたとたんに「トンデモ本ですよね」でおしまいとなる。

 

 こういう反応をする方に限って読んでもいないのに「偽書」「トンデモ本」と断じてしまう傾向が強い。だが、前回の連載で取り上げた「法隆寺の七不思議」のように、日本の古代史の奥義というものは、世間の人が全くといって注目しないものの中や、当たり前すぎるものの中に隠されている。人の目には触れてはいるものの、敢えて人の目から遠ざけるための仕掛けが人の目から施されている。つまり、こうしたアカデミズムや世間一般から「偽書」「トンデモ本」とされる書物の中にこそ、正々堂々と真実が隠されているに違いないと考えてしまうのが筆者の悪い癖である。

 

 

 これはもう「勘」としかいいようがないのだが、幼い頃や若い時から「怪しい」と直感したものには、ほぼ必ずと言っていいほど「謎」が隠されている。いや「隠してある」と言った方がいいかもしれない。その筆者の妙な勘を騒がせたのは「竹内文書」である。筆者も最初に触れた時には正直、笑ってしまった。あまりにも突飛な世界が描かれたいたからだ。だが、聖書や神社に伝わる古伝を知れば知るほど、そこに描かれた突飛な内容と「記紀」が伝える正史と呼ばれる歴史には共通項があると思えてきたのだ。

 

 それは本連載の結論である、「古史古伝」とは、天皇家(神武天皇)以前の歴史が記載されているため、敢えて「偽書」とされてきた書物である、ということなのである。

 

 

◆カルト宗教「国家神道」による弾圧

 

 古史古伝とは、日本の正史である『古事記』や『日本書紀』、その他の古代史の主要な史料とは著しく異なる内容歴史を伝える文献を一括して指す名称である。その種類は多く、「超古代文献・超古代文書」とも呼ばれる。古史古伝はアカデミズムからは「偽書」とみなされており、理由としては以下のような点から古代史研究における歴史学的な価値は非常に低く、古代からの伝来である可能性もまずないと考えられている。

 

 1.写本自体が私有され非公開で、史料として使えないものも多い
 2.超古代文明について言及されている
 3.漢字の伝来以前に日本にあったという神代文字で綴られている
 4.上代特殊仮名遣に対応してない(奈良時代以前の日本語は母音が 8個あったが、5母音の表記体系である)
 5.成立したとされる年代より後の用語や表記法が使用されている

 

 古史古伝が戦前から近年に至るまで「偽書」の扱いや「発禁処分」を受けた最大の理由は「国家神道」による「皇国史観」である。国家神道は近代天皇制国家がつくりだした国家宗教であり、明治維新から太平洋戦争の敗戦までの八十年間、日本人を精神的に支配した。皇室の祖神・天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ総本山とし、国家が他の神道と区別して管理した「神社神道」(神社を中心とする神道)を指す語である。

 

 国家神道は「天皇と国家を尊び国民として結束することと、日本の神々の崇敬が結びついて信仰生活の主軸となった神道の形態」だと定義し、皇室祭祀や学校教育・国民行事・マスメディアと神社神道とが組み合わさって形作られたカルト宗教であった。
 


 明治の世となって王政復古を実現した新政府は、1868年(明治元)、祭政一致、神祇官再興を布告して神道の国教化を進め、神仏判然令で神社から仏教的要素を除去した。その後、政府主導の神道国民教化策が不振に終わると、政府は「神社は宗教にあらず」という論理で、神社を「国家の宗祀」と位置づけ、神社神道を他の諸宗教とは異なる公的な扱いとした。ここに国家神道が成立し、教化など宗教的側面にかかわる教派神道と役割が分担されることになった。

 

 神道指令では、国家神道は「日本政府の法令に依って宗派神道或は教派神道と区別せられたる一派を指す」とされており、「国家神道」の定義に関しては、いわゆる「広義の国家神道」と「狭義の国家神道」という2種類の定義に分かれる。「広義の国家神道」は、広く皇室神道と神社神道が合体した「国教」的地位にあった神道であるとか、「明治維新から第二次世界大戦の敗戦に至るまで、国家のイデオロギー的基礎となった事実上の日本の国教」といった概念規定を指す。一方で「狭義の国家神道」は「戦前の国家によって管理され、国家の法令によって行政の対象となった神社神道」とする限定的な定義を指す。

 国家神道は、
宗教の範疇を超える国家祭祀として他の公認宗教に君臨する体制であり、教育勅語が天皇制的国民教化の基準として発布されて国家神道のイデオロギー的基礎をなし、一神教的な天皇観( 現人神 ) が戦争と宗教弾圧を生み出したとし、近代を「国家神道体制」が右肩上がりに強化されていった時代と捉えた上で、昭和前期を「天皇制ファシズム」の時代とし、国家神道はこの段階において絶頂期を迎え、国民に対する精神的支配の武器となったと主張した。

 


大日本帝国憲法発布


 国家神道は、「天皇と国家を尊び国民として結束することと、日本の神々の崇敬が結びついて信仰生活の主軸となった神道の形態」であると定義し、皇室祭祀や学校教育・国民行事・マスメディアと神社神道とが組み合わさって形作られたものであるとして、皇室祭祀を国家神道の中心的要素と定義した

 

 大日本帝国憲法第28条の条文には「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とある。当時、神社非宗教論が採られた結果、神社神道の神職らは布教や神葬祭その他の一切の宗教的活動が禁じられ、神社局も、神職らの思想表明や神葬祭などの宗教活動に関しては厳しく規制、他の宗教との宗論も抑制した。

 1899年の文部省訓令第12号の「 一般ノ教育ヲシテ宗教外ニ特立セシムルノ件」によって、官立・私立の全ての学校での宗教教育が禁止され、「宗教ではない」とされた国家神道は宗教を超越した教育の基礎とされた。1890年10月30日には教育勅語を発布、国民道徳の基本が示され、国家神道の事実上の教典となった。

 第二次世界大戦後、GHQにより「神道指令」が出され、国家神道は解体へ向かったが、国家と神道を巡る政教関係については現在も論争が続いている。
日本国憲法第20条の「信教の自由」、「政教分離原則」および「靖国神社問題」で、自称「右派」と称した人たちが「日本会議」なるものを結成、 「信教の自由」の名のもとに「創価学会」「統一教会」といったカルト宗教を解散させられない理由となっている。

 

 GHQは神道祭祀に使う「麻」を「麻薬」として科学的に作られるドラッグと同じ扱いに貶めるなど、大和民族が作った神道は徹底的に叩き潰そうとした。なぜなら正史である「記紀」には、ともに独立した「三神」が掲げられており、三位一体を是とするキリスト教国にとって、神道が伝える「三位三体の三神」は邪教であったからだ。だが、別の形で「国家神道」は形を変えて残したのである。但し、それらは日本人が作った宗教ではなく、あくまでも戦後の日本を朝鮮人によって代理統治させるための道具とするためで、アメリカでは今も「カルト」に指定されている。そのカルトを解除してもらいたいがために、現在も彼らはアメリカに協力、日本人の精神性を根本から崩壊させるための手伝いをしているのである。

 

<つづく>