「日本」を封印した「聖徳太子」その45

 

 東大寺の「修二会」も法隆寺の「修二会」もともにイエス・キリストへの「懺悔=悔改める儀式」ことで、その「修二会」結願の後に法隆寺で行われるのが「鬼追い式」である「追儺式」であった。なぜ日本最古の「鬼追い」と云われている「鬼追い式」=「鬼祓いの豆まき」を法隆寺を起源とするのかと言えば、それはこの世界から「悪鬼」を象徴する「666」とそれに従う人間たちを全て”焼き払う”という聖書の「ヨハネの黙示録」の預言だからである。

 

 「追儺」の「儺 」(な)とは、「 疫鬼を追い払うこと」であり、 年中行事の一つとして行われる「大晦日の夜に疫鬼を追い払うための儀式」を意味している。大晦日は新年の前日の夜で、象徴としては「闇が一番深まった時代」を意味する。要は世界中に悪がはびこり、悪に従わない人間たちは奴隷のような生活を強いられ、つぎつぎと善人たちは殺される。

 

 「ヤハウェの民」である大和民族は「悪」にとって最大の敵であるため、旧約聖書でいえばモーセの時代のヘブライ人達が、奴隷としてファラオ・ラムセス2世に従属させられていたことと同じことが起きる。というか起きている。GHQによる統治以降、まさしくアメリカという帝国の属国として、金銀や財産を奪われ、生命が脅かされ、家畜のように働かされている。

 

 だからこそ、終わりの日にはラムセス2世の子孫たるバラク・オバマが世界帝国の総統の地位に君臨する「獣」となるのであり、新約聖書でいえば光の神イエス・キリストが復活する前=サタンの代理人たちが支配する闇の世界の象徴となる。しかし、絶対神が復活すると地上からは悪が一掃され、闇の時代は終わりを終わりを告げる。それが「除夜の鐘」をつくことの意味である。

 

モーセとラムセス(映画「十戒」)

 

◆「シャンバラ」と「君が代」の「福千年」

 

 光の絶対神が戻る前に地上の悪を一掃すること=鬼を追い払うことが必要なのである。逆にいえば、悪鬼を追い払うことができなければ、この世は絶対三魔の666が支配する世界となり、キリスト教でいう「福千年」は訪れない。日本的にいえば千代に八千代の「君が代」は訪れないということになる。

 国歌「君が代」とは「君=イエス・キリスト」が統治する「福千年」の到来を願う大和民族の呪術で、だからこそ千代=千年の平和な世を望み、それは八千代=ヤハウェの千年でもある、と告げている歌である。もし悪の支配に人類を覆すことができなかったら、それ以降、地上に君臨するのは悪魔の大王「サタン」ということになる。

 

 東大寺の「修二会」の勇壮な”松明の火”は、ヤハウェの怒りの炎であり、「ヨハネの黙示録」にある人類を焼く炎の象徴であるが、法隆寺の「鬼追い式」では、最初に北正面に現れる斧を担ぎ宝印をいただき、3本の角が生えた黒鬼(父鬼)が斧を研ぐ所作を行い、松明を沙主役から受取ると3度振り回し、群衆中に投げ捨てる。次に鉄棒を持った青鬼(母鬼)、剣を持ち小さな角が生えた赤鬼(子鬼)がそれぞれ黒鬼と同様に松明を群集の中に投げ入れ、その後方から鉾を持った毘沙門天が鬼を追っ払うしぐさをしつつ、東正面から順次、南正面、西正面へと移動し、都合三回、堂周りを廻る。

 

法隆寺の「鬼追い式」

 

 鬼の後方である「北」から現れる毘沙門天が、鬼を追っ払って「東、南、西」を三回、堂周りを廻ることは、北から登場する王によって地上が「絶対三神」の世界となることを象徴する。「鬼退治」で、「666」の絶対三魔を倒すことの象徴だが、この「毘沙門天」とはイエス・キリストの象徴ではなく、「ヨハネ」のことである。毘沙門天は仏法を護る護法善神の一人で、北の方角を守護している「仏神」である。これは北の果てからアルザルの軍勢を率いて戻ってくるヨハネのことなのである。なぜなら、ヨハネはイエス・キリストによって不死不滅の体となり、アルザルに送られたからである。聖書にヨハネの死が描かれていないのはそのせいなのだ。

 

 釈迦が伝えた北の果てにある理想郷である「シャンバラ」の正体は、地球内の亜空間に浮かぶ天体「アルザル」のことである。シャンバラは『時輪タントラ』に説かれる伝説上の仏教王国であり、シャンバラの位置はシーター河の北岸とされる。シャンバラ伝説は『時輪タントラ』とともにチベット仏教圏に広く伝播。『時輪タントラ』とその註釈書『ヴィマラプラバー』(無垢光)は、シャンバラ王「カルキ」は人民を仏教に教化して「金剛のカースト」という1つのカーストに統一し、カースト制度を解消させると説き、そしてシャンバラの人たちは寛容な法の下で健やかに暮らし、善行に勤しんでいるという。

 

 この「カルキ」こそがイエス・キリストなのであり、そのカルキの預言者としてシャンバラ=アルザルを導いてきたのがヨハネなのである。「鬼追い式」で鬼たちが松明を群集の中に投げ入れることは、悪に与しない人類を「火」で攻撃することの象徴で、その後にヨハネとアルザルの軍勢である「失われたイスラエル10氏族」が大挙して戻ってくるという預言なのであり、その後に残された人類の前にイエスが再臨、「福千年」=「君が代」が到来する。

 

 毘沙門天は四天王として祀られる際は「多聞天」(たもんてん)という名で呼ばれると前回書いたが、本連載の中で紹介した「大聖勝軍寺」に祀られる太子像の周りには「四天王像」が一緒に祀られている。その中で「多聞天」として祀られているのは「秦河勝」である。秦河勝は「河に勝つ」というエジプト語で「モーセ」を意味する名前を持つ人物で、人間「聖徳太子」の象徴だとした。この秦河勝とはモーセ直系の子孫であり、神官の中でも神に代わって地上を統治する命を受けた「大神権」を持つ「預言者」であり、それは天皇陛下のことである。

 

太子と四天王を描いた絵

 

 上の絵を見ても分かるように、四天王の中でも「秦河勝」の扱いは特別である。聖徳太子の別名でもある人間たちの中で聖徳太子とほぼ同格ということを示している。なぜならヤハウェが預言者として召命したモーセの末裔で、イスラエル民族である大和民族を率いる権能を有する唯一の人物だからである。従って、そのモーセの末裔たる天皇陛下は「約束の地」イスラエルへ帰還した際、ラムセス2世の末裔である「鳩槃荼」たる黒鬼のバラク・オバマと対峙することとなる。なぜ、対峙できるのかといえば、神宝である究極の兵器「契約の箱アーク」と「三種の神器」を携えているからである。

 

 「追儺会」は「興福寺」でも行われると書いたが、興福寺では毘沙門天が鬼退治をした後に、大黒天打ち出の小槌をもって現れ、小槌を振りながら観客に福を授ける。その後に「福は内、鬼は外」と福豆まきを行う。この「豆まき」にこそ「聖徳太子」という存在の奥義が隠されている。
 
 
◆「鬼」とは「神」である
 
 聖徳太子の研究家の中には、「聖徳太子は鬼の一族」と結論付ける方々がいる。「まつろわぬ民」「まつろわぬ神」の一族で、出雲王族、エミシ、アイヌ、サンカなどが「まつろわぬ民」で、朝廷に逆らう勢力として『古事記』に登場する「荒らぶる神」や「伏わぬ人々」のことで、鬼や妖怪、山人や山伏・巫女・遊女・傀儡子・渡世人など、天皇を頂点とする「表の世界」の外に位置していた陰の側の人々の王族こそが聖徳太子の一族だというものである。
 
 太子の母「穴穂部間人皇女」(あなほべのはしひとのひめみこ)が「鬼前太后」(きぜんたいこう・きさきのおおきさき)とも称されることも太子が鬼の一族とさる所以にもなっており、法隆寺の「釈迦三尊像」の後背銘冒頭には「法興元卅一年歳次辛巳十二月鬼前太后崩」次の記述がある。よって「鬼」の一族なのだという。
 
 子供の頃から節分に「福は内、鬼は外」と豆まきを行ってきた日本人にとって、「鬼」は悪い存在と混同しやすい。筆者の子供の頃からの知り合いが師事していた文芸評論家の馬場あき子氏は「鬼」を以下の5種類に分類している。

 1.民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
 2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例:天狗。
 3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
 4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
 5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。

 「鬼」(キ) という漢字の原義は
「死者の魂」でもある。餓えた死者の魂を「餓鬼」、死者の魂が泣き喚くことを「鬼哭」という。現馬場氏によれば、元々は死霊を意味する中国の鬼が6世紀後半に日本に入り、日本に固有で古来の「オニ」と重なって鬼になったという。ここでいう「オニ」とは祖霊であり地霊であり、「目一つ」の姿で現されており、隻眼という神の印を帯びた神の眷属と捉える見方や、「一つ目」を山神の姿とする説(五来重)もある。
 
「鬼の研究」
 
 『日本書紀』にはまつろわぬ「邪しき神」を「邪しき鬼もの」としており、得体の知れぬ「カミ」や「モノ」が鬼として表されている。説話の「人を食う凶暴な鬼」のイメージは「カミ」、「モノ」から仏教の獄鬼、怪獣、妖怪など想像上の変形から影響を受けて成立していったと言われる。日本語では逞しい妖怪のイメージから「強い」「悪い」「怖い」「大きな」「物凄い」といった意味の冠詞で「〜の鬼」という風に使われたり、恐ろしい奥さんのことを「鬼婆」など使われる場合もある。「鬼」は畏敬の存在である。

 一般的に描かれる鬼は、頭に角が生え、髪は細かくちぢれ、口に牙が生え、指に鋭い爪があり、虎の皮の腰布や褌(ふんどし)や腰布をつけていて、表面に突起のある金棒を持った大男の姿であるが、これは象徴である。「鬼門」と呼ばれる方向が、「丑」(うし)と「寅」の方向の真ん中である東北の方角であることから、鬼の頭には牛を表す意味の角があり、虎を表す腰布になったとされている。童謡やドリフターズの替え歌では、鬼は虎皮のパンツを履いていることになっているが(笑)、こうした子供向けの歌にも「鬼」が畏敬の存在であることを伝えている。


門番としての赤鬼と青鬼


  鬼は牛の角があり、虎の腰布を巻いているのかと言えば、それは「モーセ」の象徴だからである。「鬼」の祖は牛の角を持つ「牛頭天王」(ゴズテンノウ)で、犠牲の「燔祭」の牛と関わるモーセが「鬼」の元型であり、鬼が手にもつ鉄棒はモーセの「杖」、虎のパンツは「トーラー(モーセの五書)の巻物」を表している。モーセは「光の角」を頭から放射した為、ミケランジェロは「モーセ像」に牛の角を生やしているが、これはヘブライ語の光と角が同じ語源を持つためである。

 「イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。モーセは、再び御前に行って主と語るまで顔に覆いを掛けた。」(「出エジプト記」第34章35節)
 

光を放つモーセとミケランジェロのモーセ像
 
 馬場氏が「鬼」は「邪しき神」を「邪しき鬼もの」とされ、得体の知れぬ「カミ」や「モノ」が「鬼」として表されているとしたことには、もう一つの意味がある。それは「物部氏」のことである。原始ユダヤ教徒「物部氏」は原始キリスト教徒「秦氏」が渡来以降も、ユダヤ教の儀式である燔祭をやめなかった。「牛」や「鹿」を燔祭の動物として捧げてきたことで、「邪しき鬼もの」とされ、燔祭をやめなかった物部氏を徹底的に封じ込めたため、動物のなめし革を扱う人たちや動物の死体・肉をさばく人、その革を使った靴や革製品を作る人たちは、やがて「部落民」として封印されることになる。
 
 「邪しき鬼もの」ではあるものの、得体の知れぬ「カミ」や「モノ」が「鬼」として表されてきたのは、それが姿のないヤハウェが得体の知れぬ「カミ」であり、物(モノ)とは魂のことでもあるため、「物知(ものしり)」も「鬼知(ものしり)」の意とされで、霊異のことに通ずる人をいう。 「名義抄」などにおいては、すべて霊的なものを「もの」というが、「物部」とは「もののふ」のことで、霊である神ヤハウェに仕えた人々のこととなる。また「武士」と書いて「もののふ」と読むのは昔の朝廷に仕えた者のことをいい、それは「秦氏」以降の日本において「物部氏」が従属させられたことを伝えている。
 
 「鬼」の肌の色は青・赤・黄・緑・黒の5色で、「青鬼」「赤鬼」「緑鬼」「黄鬼」「黒鬼」と呼ばれる。この5色は五行説と五蓋説が組み合わさったものと言われ、木+瞋恚蓋=「青(鬼)」、火+貪欲蓋=「赤(鬼)」、土+掉挙蓋=「黄(鬼)」、金+睡眠蓋=「緑(鬼)」、水+疑蓋=「黒(鬼)」になったとされる。だが、ここには2つの意味が隠されている。5色とはノアの大洪水以前の旧世界には「五色の人間」がいたとされており、それを「竹内文書」では「五色人」と伝え、「幣立神宮」では「五色人の面」として伝えている。
 

「幣立神宮」の「五色人の面」

 現在の世界は基本的に「白・黒・黄」の3色だが、それはノアの3人の息子「セム・ハム・ヤフェト」の妻が「白・黒・黄」の3色だったからで、それ以前の旧世界には5色の人間が存在し、そのうちの緑と赤は「アルザル」に封じ込まれている。この緑人と赤人の中には人を食らう者たちがおり、そうした者たちがプラズマトンネルを通じて地上に運ばれ、子供をさらって食べてしまったことが伝わったことが「なまはげ」などで伝えられる「悪鬼」である。だが、「悪鬼」はあくまで悪い鬼のことであり、本来の「鬼」は「神」のことである。 
 
 その「鬼」が「一つ目」で描かれることがあるのは、絶対神ヤハウェが顕現すると「契約の箱」の蓋に乗る左右のケルビムの隙間の三角から覗くからで、だからこそ聖徳太子の七不思議の「片目のカエル」は「ヤハウェの片目」を示しており、さらに「片目=一つ目」こそが聖徳太子という名前に刻まれた暗号なのである!
 
<つづく>