「日本」を封印した「聖徳太子」その39

 

 「 法隆寺の蛙には片目が無い」という不思議の謎解きをしていたら、どんどん謎が深まり、もはや何の謎解きをしているのか分からなくなってきた(笑)。さすが聖徳太子である。そんな簡単に解ける謎なら、これまでいろんな人たちが挑戦したはずだろうが、筆者が読んだ書籍やネット情報では、誰一人まともに七不思議を解明しようとしてきた人はいなかった。

 

 日本の奥義は「見せながら隠す」である。秘密は地下に隠されているなんて思ってはダメだ。映画「ナショナル・トレジャー」じゃあるまいし、フリーメーソンの宝物が地下深くに隠された莫大な金や銀なんて考えるのは欧米人の考え方で、大和民族は正々堂々と隠すのである。あまりにも正々堂々としているので、誰もそこに秘密が隠されているなんて気づかないのである。

 

 「片目」の意味は深く、それはなぜ「厩戸皇子」が「聖徳太子」という名前になったのかという根本に関わる最大の謎解きでもあるが、それは本連載の最後に書かせていただき、まずは残った最後の謎解きを終わらせよう。

 

◆法隆寺の「伏蔵」の謎

 

 残された謎は「不思議な伏蔵がある」である。法隆寺では「法隆寺に重大な危機が訪れたなら、伝説の伏蔵を開いてその危機を切り抜けよ」と長年言い伝えられているという。

 

 預言者という側面で考えれば、四天王寺と法隆寺には聖徳太子が書いたとされる「預言書」である『未来記』(みらいき)と『未然紀』(みぜんき)があるとされてきた。その2冊の書は、未だ正式には公開されていない。飛鳥昭雄氏と山上智氏が国会図書館に秘蔵されていた徳川時代の写しを発見し、共著にまとめた2冊、及び飛鳥昭雄氏が単独で書いている1冊くらいのみである。なにせ1400年分の超大作だから、普通の研究家は手を付けないし、国会図書館に行っても一般人は実物は見せてもらえないセクションにある。両寺も同じで、そんなものはないと表向きは言い張っている。なにせそれらが世に出れば「日本の仏教は滅亡する」と伝えられてきたからで、だからこそ、法隆寺の湯屋前にある「伏蔵」(ふくぞう)を「仏教衰退の際に開けよ」と伝えたとされている。

 

法隆寺の湯屋前(参道)の囲われた「伏蔵」

 

 「伏蔵」とは「開けてはならないタイムカプセル」だと考える人もいる。寺の関係者は、この伏蔵には聖徳太子の願いが込められているといい、よって「法隆寺に重大な危機が訪れたなら、伝説の伏蔵を開いてその危機を切り抜けよ」という言い伝えを長年守ってきたという。重大な危機とはいったい何をさすのであろうか。

 「伏蔵」とは、一般に地下にある秘密の蔵のことを意味するが、これは伝説でも迷信でもなく、実際にある。そこが他の6つの不思議とは異なる点である。そして「伏蔵」には、もともとは寺院を建立する時に地鎮のために埋納される品である「鎮壇具」(ちんだんぐ)と呼ばれる財宝を納めていたと言われる。

 

 法隆寺の鎮壇具には何を埋めたのかは一切不明である。というか、誰も見たことがないのだ。ちなみに興福寺の鎮壇具は約千数百点という膨大な量で、金、銀、真珠、水晶、琥珀、瑠璃(ガラス)、瑪瑙(めのう)という「七宝」(しっぽう)や「鏡鑑」、「刀剣」など除魔の呪術的効果があると信ぜられるものが埋められた。鏡鑑、刀剣と聞くと三種の神器の「八咫鏡」と「草薙の剣」を想像してしまうが、もちろん「八咫鏡」は伊勢内宮の地下殿にあるし、「草薙の剣」は熱田神宮の本殿の裏に隠されている。

 

 七宝といっても、ユダヤの神宝で「7」を象徴するのは7本首の黄金の燭台である「メノラー」だけで、メノラーがご神体として隠されているのは出雲大社である。そして、これらはみな旧約聖書においてヤハウェがモーセに作らせたものだから、イエス・キリストの故事と直接関係するものではないし、これまでの他の不思議を考えても旧約聖書に登場する聖遺物とは考えにくい。なぜなら法隆寺は徹頭徹尾「イエス・キリスト=聖徳太子」と「終末預言」に関する秘密を形にした寺だからだ。しかし、イエスに直接関わる”7つの遺物”など存在しない。そう考えると、この不思議も形あるモノとしての話ではないのかもしれない

 

興福寺金堂の「鎮壇具」と「華原磬」(かげんけい)

 

 法隆寺の「伏蔵」は一箇所ではなく、合計で三箇所ある。上の写真の伏蔵は大湯屋前の伏蔵で、他にも金堂の東北角と、経蔵内にそれぞれ存在している。また謎の「鯛石」(たいいし)の下にあるという説もある。「鯛石」は近くの大和川が増水したとき、溢れた水が法隆寺に押し寄せたが、南大門前の「鯛石」のすぐ近くで水が引いたという伝説がある石だと本連載でも書いた。金堂と経蔵の二つの伏蔵は昔からその位置が確認されていたが、この大湯屋前の伏蔵は伝承のみで、長い間はっきりとした場所が不明のままであった。しかし、昭和58年7月21日に、この場所の地表面約10cmの土の中から楕円形の大石が発見されたのだ。金堂と経蔵の伏蔵も大石で蓋がされていたことから、第三の伏蔵として注目を集めることとなった。


 日本人には「腹蔵(ふくぞう)無くおっしゃって下さい」という表現がある。心中に隠し立てをすることなく、包み隠さず話して下さい、といった意味になるが、法隆寺の伏蔵に関しては、誰も見たことがないというのである。「伏蔵」という言葉を調べると、2種類の意味がある。


 ① ふし隠れること。 表に現われないで潜み隠れること。

 ② 仏語。 地中にひめ隠された財宝の蔵。

 

 「伏す」とは「ひそませる、隠す」を意味している。つまり、「聖徳太子と法隆寺の本当の姿(秘密)は、法隆寺の危機=日本の危機が訪れるまで隠しておけ」というメッセージなのである。法隆寺に祀られているのはイエス・キリストだということを隠し、そこに秘された「預言書」である「未来記」と「未然紀」も表に出してはならないという意味なのである。だからといって、「未来記」と「未然紀」が伏蔵の中に隠されているということではない。あくまでも「隠された教え」であり「秘された預言」ということなのであり、その意味では「カッバーラ」ということでもある。

 

 「未来記」と「未然紀」も「預言書」であり、それは「聖書」の「ヨハネの黙示録」と対になっている。というか、その詳細版である。さらに全人類に関わる「ヨハネの黙示録」の預言でもあり、日本で起こることの預言でもある。なにせ別名は「聖徳太子未来記」「聖徳太子日本国未然本紀」とも言われるように、日本で起こることでもあり、世界で起こることの雛形ともなる預言でもある。だとすれば、「伏蔵」という言葉に隠された意味は「ヨハネの黙示録」にあるはずだ。

 

 

◆七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢

 

 「ヨハネの黙示録」には「七」に関する重要な言葉が3つ出てくる。「七つの封印」(6章1−17節、8章1−5節)、「七つのラッパ」(8章6−11節、11章15−19節)、「七つの鉢」(16章1−21節)である。終末に立て続けに続けて起こるとされる絶対神からの裁きのことである。終末の世が進むと、荒ぶる神ヤハウェによる裁きは激しさを増してゆく。七つの「封印・ラッパ・鉢」は互いに関連している。「七つの封印が七つのラッパをもたらし」(8章1−5節)、「七つのラッパが七つの鉢をもたらします」(11章15−19節、15章1−8節)と書かれているからである。


「7つの封印」と子羊 

 

 新約聖書の最後に配され、人類の滅亡と最後の審判について語る「ヨハネの黙示録」は、エーゲ海に浮かぶギリシャのパトモス島に幽閉されたヨハネが、聖霊によって導かれてこの世の終末に起こるであろう出来事の幻(ヴィジョン)を記述した預言書である。ヨハネはパトモス島で、「7つの角と7つの目を持つ小羊(子羊)」であるイエス・キリストを目にする。小羊は封印された7つの巻物を神から授かると、その7つの封印が一つ一つ解かれる度に、戦乱や飢餓、疫病などの災いが地上に降りかかり、最後の封印が解かれ人類は滅亡する。その後、救い主であるメシアが地上に降臨すると、殉教者たちが蘇り、「最後の審判」が開始されるという預言のアンカーである。

 

 「ヨハネの黙示録」第6章には、「7つの封印」について以下のような内容のストーリーが展開する。

 第一の封印
 小羊(イエス)がその七つの封印の一つを解いた時、わたし(ヨハネ)が見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
 第二の封印
 小羊が第二の封印を解くと、今度は、赤い馬が出てきた。人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、大きな剣(つるぎ)を与えられた。
 第三の封印
 第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、黒い馬が出てきた。乗っている者は、はかりを手に持っていた。
 第四の封印
 第四の封印が解かれると、青白い馬が出てきた。乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、剣、飢饉、死、そして地の獣らと人を殺す権威が与えられた。
 第五の封印
 小羊が第五の封印を解いた時、祭壇の下にいる殺された人々の霊魂が叫んだ。
 「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられた。

 第六の封印
 小羊が第六の封印を解いた時、大地震が起り、太陽は毛織の荒布のように黒くなった。月は血の海となり、天の星は地に落ちた。天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
 第七の封印
 小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかりの静けさの後、神の御前に立っている七人の御使いに七つのラッパが与えられた。七人の天使によるラッパは次々と天変地異を引き起こした。その後、七人の天使が神の怒りの満ちた七つの鉢を受け取ると、七つの鉢は地上にぶち撒かれ、多くの禍がもたらされた。

 そして「最後の審判」が始まるというストーリーである。

 

「最後の審判」(ミケランジェロ)

 

 「七つの封印」の最初の4つは、4人の騎手として知られている。最初の封印は「反キリスト」のことを告げ、第二の封印は大きな戦争をもたらす。第三の封印では飢饉を起こり、第四の封印は疫病とさらなる飢饉、さらなる戦争をもたらす。第五の封印は、終わりのときに原始キリスト教徒キリストであるがゆえ、つまり三位三体という本当の教えを奉ずるがために殉教する人々のことを語っている。神は正義を求める彼らの叫びを聞き、神の定められたときに正義をもたらす。

 

 その「正義」は、「ラッパ」と「鉢」の裁きとともに、第六の封印という形でもたらされる。そして、第六の封印が解かれたとき、天体の異常な現象が地球を襲い、強烈な大変動と悲惨な荒廃を引き起こす破壊的な大地震が起こる。それはかつて人類が体験したことのない規模の地震と書かれている。生き残った者たちが「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう」(6章16−17節)と叫ぶ。

 黙示録の8章6−21節には「七つのラッパ」が説明されているが、「七つのラッパ」とは、「七つの封印」の具体的な内容である。第一のラッパは世界の植物の多くを焼き尽くす
「雹」と「火」が地上に降り注ぎ、地上の三分の一と木々の三分の一と、すべての青草が焼けてしまう。第二のラッパは巨大な隕石とおぼしき山のような火の固まりが海の中に落ち、海の三分の一が血に変わり、海の生き物の三分の一が死に、すべての船の三分の一が壊される。そして、第三のラッパは、”苦よもぎ”という名の巨大な星がすべての川の三分の一とその水源の上に落ち、水の三分の一が苦くなって多くの人が死ぬ。ちなみに”苦よもぎ”とは、ロシア語で「チェルノブイリ」である。第四のラッパは太陽の三分の一、月の三分の一、空の星の三分の一が打たれ、その分だけ昼も夜も暗くなってしまう。

 

「七つのラッパ吹き」の絵画

 

 問題はその後である。第五のラッパも前半までは「天変地異」の預言であるが、その後は違う。1つの星が天から地に落ち、底知れぬ所まで通じる穴を開け、底知れぬ所の使を王としているイナゴ達が大きな煙とともに飛び出し、額に神の印のない人達を襲い、さそりにさされる時のような苦痛を五カ月間与えるというのだ。これは「王に導かれた軍団=イナゴ」が、神に逆らった人間たちを直接攻撃してくる話である。この軍団とは「エイリアン」のことであり、エイリアンとはイスラエル10支族のことである。彼らは終わりの日に戻ってくるのである!

 

<つづく>