「大晦日」と「お正月」の謎 その26

 

 「最後の晩餐」はユダヤ教徒だったイエスと弟子たちが「過越祭」を祝ったことでもある。つまり、イエスが弟子たちとワインとともに食べた「パン」とは「種無しパン」の「マッツォ」である。奴隷から解放され、エジプトから「約束の地」へと旅に出るのた時に持っていったのも「焼いていない種無しパン」の「マッツォ」で、日本ではそれを「餅」(モチ)と呼んで継承している。
 「十番目の災い」がやってくるとともに、エジプトから引っ越し準備もせなばならず。悠長にパンをふっくらと焼いている時間などなかったのである。なぜなら100万から300万人ものイスラエル人たちが「民族の大移動」を始めるからである。

 

◆「年越しそば・引っ越しそば」と「マッツォ・マナ」

 

 出エジプトの最後の夜には特別な儀式が行われた。後のユダヤ教の過越祭の原型となる祭礼では、各家庭で「羊」が生贄として捧げられた。と同時に、儀式で食されるパンにも特別な指令が下る。通常、小麦を練って作った団子に種=イースト菌を入れて発酵、ふっくらと焼くのが定番だが、創造神ヤハウェは種を入れるなと語った。元の団子のような状態のパンを用意して、これを食べよと命じた。それが「マッツォ」である。

 

 日本には伝統色として小麦で作った団子はあるが、大晦日から正月にかけて団子を食べる習慣はない。ひとつだけ姿は異なるが、種を入れないパンに相当する食物がある。それは「そば」である。日本人は年越の夜、そばを食べる。「年越そば」だ。なぜ年越しの大晦日にそばをたべるのか。年末の大掃除や正月の準備で大忙しなので、食事は簡素に済ませる。翌日の正月からは豪勢なおせち料理が待っているから、大晦日はそばで十分だという。

 

 同じ理由でそばを食べる機会が「引っ越し」である。年越も引っ越しも共に「越」、つまり「過越」なのである。出エジプトとは大いなる「引っ越し」であり、「約束の地」へと民族を挙げて引っ越すのである。この記憶が受け継ぐとともに、小麦のなかった日本では、素材と形を変えて「年越し」と「引っ越し」の際に食べる「越しそば」として今日まで伝承されているのである!

 

「越しそば」

 

 蕎麦には「わさび」を入れて食べる。これは何故かといえば、モーセがイスラエル人たちに命じた食べ方に起源がある。モーセは「種なしパンに苦菜を添えて食べよ」と言っている。この「苦菜」こそが「わさび」なのである。「いやいや私は温かいそばだから、わさびは入れない」というかもしれない。だが、温かいそばにも「みょうが」や「三つ葉」、「ねぎ」を入れて食べるはずだ。それが「苦菜」の象徴なのである。

 

 さらに「引っ越しそば」は本来、餅(もち)だった。近所に配ったのは「餅」であった。年越から一夜明ければ、そばではなく餅を食べた。雑煮やお汁粉など、餅は正月料理の定番。過越祭において食される種なしパンは、本来そばというよりは団子であり、餅である。麦と米の違いはあれど、意味するところは同じである。

 

 さらに出エジプトを始めて1ヶ月も過ぎた頃になると食べ物が底を尽き始める。彼らはエリムとシナイとの間にあるシンの荒野に入りるが、その時、イスラエルの全会衆は、この荒野でモーセとアロンに向かって不平を言う。

 

 イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」(「出エジプト記」16章3節)

 

 せっかく奴隷から解放されたのに、1ヶ月で不満たらたらなのである。だが、こうした身勝手なイスラエル人たちの声に絶対神ヤハウェが応える。

 「主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを試みるためである。六日目に彼らが持ち帰って調えるものは、日ごとに集める分の二倍である。」」(「出エジプト記」16章4〜5節)

 

 この天から降ってきた白いウエハースのような食べ物とされたのが「マナ」である。日本でいう「おまんま=御飯」のことで、その「マナ」を調理するのが「マナ板」である。この故事を元にした食べ物が「米」なのである。その米から「餅」が作られ、ふかした米を三角形に握るのが「オムスビ」であり、その三角形が示すのはカッバーラの奥義「生命の樹」の天界の三角形で、「天界=高天原」に坐す「造化三神」(ぞうかさんしん)たる独り神の三柱で、アメノミナカヌシ(天之御中主)、タカミムスヒ(高御産巣日)、カムムスヒ(神産巣日)を象徴。さらに「ムスビ」の2柱の神が結界を結んでいる状態を作っているのだ。だからこそ、おにぎりの定番は「梅干し」=「太陽」なのである!

 

梅干し=太陽のおむすび

 

 「おむすび」を包むものは古来から「笹」の葉で、原初の弁当箱は「竹」を割ったものである。「竹」はイエス・キリストの象徴である。「箱」の形となったのは安土桃山時代の話で、もちろん「弁当箱」とは、弁当を保存し持ち運ぶために使用する「箱」であり、その起源は「出エジプト」にある。

 

 日本文化の根本には全て「旧約聖書」と「新約聖書」の故事が反映されている。それを千数百年もずっと続けてきたことの意味は、民族の出自を忘れるなということに加え、自分たちの神を十字架にしたことを決して忘れてはならないということ。さらにその「言葉」と「行為」が「預言」となっているからである。「聖書」に書かれていることは。未来に再び起きることの「雛形」であり、その「預言」を成就させる民族が大和民族なのである。

 

 極端にいえば、大和民族の使命、そして大和民族とは「その日」が来るための「預言」のために存在してきたといっても過言ではない。では、その「預言」とは何か。それは近未来にもう一度起こることとなる「出エジプト」、つまり「出ニッポン」である!

 

 

 

◆「みさき」と「不死鳥」と「トート神=エノク」
 

 「出ニッポン」の際に重要な役割を担うのが「鳥」である。「烏」であり「鳩」となるが、ある時は主役として現れ、またある時は前触れとしても登場するはずである。「鳥」を表す「ささぎ」「さぎ」に、接尾語の「ちょ」がついて「さぎちょう(左義長)」だと書いた。そして「さぎ」は古代の巨大な天皇陵である「みささぎ(御陵)」にもつながっていると。「さぎ」は鳥の「鷺」(さぎ)でもあり、古代より「鳥」は天と血を行き交い、神の出現の前触れや道先の役割として登場してきた。

 

 「道先」とは「ミサキ」と読む。「ミサキ」はミサキは高位の神霊に従属しており、神や神霊が人間界に現れる際に、その予兆や使いのような役割を果たす霊的存在の総称で、その名称は主神の先鋒を意味する「御先」(みさき)に由来する。記紀神話に登場する「八咫烏」もこの「道先=御先(ミサキ)」の一種で、神武東征の際に熊野で道に迷った神武天皇を八咫烏が先導して大和に導いている。この八咫烏のように、重要なことや神の降臨に先駆けて現れるものがミサキとされているが、天孫降臨では「猿田彦神」(さるたひこ)や「天宇受賣命」(アメノウズメ)「道先=御先」を務めている。

 

「八咫烏」

 

 ミサキは神の眷属として様々な動物の姿をとるが、カラスに限らず「鳥の姿」とされることが多い精霊である。「神の遣い=伝令」としての聖なる存在である鳥と、疫病などをもたらす災厄としての鳥。古い起源をもつ神霊は、必ず「祝い」と「呪い」という神道の呪詛の両面をもち、太陽の化身たる「八咫烏」は、神の「魁」(さきがけ)としての「ミサキ」となる。つまり「出ニッポン」において、裏神道秘密結社「八咫烏」がその先導役として我々の前に姿をさらすこととなる。そうしなけれが、「契約の箱アーク」を日本から担ぎ出すことができないからで、その道先案内役の「八咫烏」とともに歩むのが、まだ「籠」の中から飛び立っていない「白い鳩」たるラストエンペラー「天皇徳仁陛下」となる。


 さらに「みささぎ」という言葉は「身(み)捧(ささ)ぐ」が由来とも考えられ、生贄の子羊を神前に捧げて焼く古代ユダヤの「燔祭」(はんさい)の意味が込められている。燔祭の起源は、ヘブライ人の始祖アブラハムが、神の命令通りに息子イサクを捧げて殺そうとした故事だが、「火にかけて炎とともに天に昇る」という考え方は、「どんど焼き=左義長」にも共通する。「ミサキ」を「ミ・イサク」、つまり「イサクを出自とする」という意味の古代ヘブライ語だとすれば、「どんど焼き=左義長」とは古代ユダヤの「燔祭」という意味で、旧約の話となる。また、これを方や新約の話で考えれば、「神の子羊」であり人類のために燔祭にかけられたのは「イエス・キリスト」である。よって、「どんど焼き=左義長」とはイエスへの感謝と謝罪を意味する神事となる。

 

 だが、これだけでは「預言」とはならない。「鳥」が戻ってこなければダメなのである。古代エジプト神話には、「不死の霊鳥」である「ベンヌ」が登場する。長い嘴をした黄金色に輝く「青鷺」(アオサギ)で、「鷺の頭をした人間の姿」でも表された。さらにアトゥム、ラー、オシリスの魂であるとも考えられている。つまり、「ベンヌ」とは「神霊」であり、太陽の紅蓮の炎に焼き尽くされ、灰の中から復活する不死鳥=フェニックスであり、鳥の頭を持つ神トート、つまりエノクのことなのである。

 

 

 エノクはエノクの民とともに、彼の町ごと天に取り上げられた。エノクが死んだとは書かれていない。エノクは戻ってくるのである。終わりの日に、「出ニッポン」が成し遂げられた後に、エノクの民が住む町が再び地上に戻ってくるのである。つまり「どんど焼き=左義長」というのは、太陽の中に住む「青鷺=トート神=不死鳥」であるエノクを、エノクの民とともに太陽から呼び戻すための神事だったのだ!

 

<つづく>