「大晦日」と「お正月」の謎 その21
まさか「鏡餅」の供え方の中に、「生命の樹」とこの国ににイスラエル13支族が全て揃っているということが象徴されるていたとは想像もしていなかった。神道の呪術をなめていたわけではないのだが、さすがにここまで幾重にも秘密が隠されているとは思っていなかった。なんでもかんでも「カッバーラ」と「生命の樹」としてしまうのは簡単だが、実際にそれを解き明かせているのか、自分ではわからない。
神道の呪術とは必ず「預言」の意味も隠されている。日本に最初に渡来したイスラエル人は徐福とともにやってきた「物部氏」で、その中でもレビ族で王族だっったのが「海部氏」である。彼らはバビロン捕囚からパレスチナの地に戻らなかった「南朝ユダ2支族+レビ族」=「東ユダヤ人」で、ユダヤ人ユダヤ教徒である。その後に合流したのが神武天皇が率いてきた騎馬民族の「北朝イスラエル10支族」で、ユダヤ人ユダヤ教徒だったが、渡来した跡で原始キリスト教徒に改宗したユダヤ人である。さらに応神天皇の御代に大量に朝鮮半島から渡来したのが、バビロン捕囚からパレスチナの地に戻った残りの「南朝ユダ2支族+レビ族」の「秦氏」で、イエスの磔刑の場にいた「エルサレム教団」の末裔である。そしてこの国を原始キリスト教国家に仕上げたのである。
現在も原始キリスト教徒、原始キリスト教に改宗したユダヤ教徒とが混ざって「神道」と「古神道」の儀式を脈々と続けているのである。よって、あらゆる神事の中に、旧約の神の故事と新約の神の故事が投影され、さらにそれらが一体となった「預言」にもなっている構造なのである。
◆「三方」は何を意味しているのか
「鏡餅」をお供えする木の台のことを「三方」(さんぼう)という。「三方」とは、神道の神事において使われる、神饌を載せるための台である。古代には、高貴な人物に物を献上する際にも使用された。寺院でも同様のものが使われるが、この場合は三宝(仏・法・僧)にかけて「三宝」と書かれることもある。実際に三方を検索すると三宝で出てくる場合も多い。
三方=三宝
「三方」は通常は檜などの「素木」(しらき)による木製で、「折敷」(おしき)と呼ばれる盆の下に直方体状の台(胴)がついた形をしている。台の三方向に「眼像」(くりかた)と呼ばれる穴があいていることから、「三方」と呼ばれる。元々は「折敷」と台は分離していて使用するときに台の上に「折敷」を載せており、台に載せずに折敷だけで使用することもあった。今日では折敷と台が完全に結合したものが使用されており、折敷だけで使用するものは三方とは別に用意するようになっており、台の穴の意匠に決まりはないが、宝珠の形がよく用いられる。
「宝珠」の図柄
ここまで来たら、「三方=三宝」とはユダヤ三種の神器を象徴する神具だということが分かる。なにせ「三宝」とはっきり言っており、さらに台の穴の形が「宝珠」というのだ。 宝珠とはそのまま「宝とすべき珠。たからの珠。」のことで、民族の宝物を意味している。もちろん「三種の神器」のことである。
だが、日本の宝は「三種の神器」だけではない。日本には「イエスの聖骸布」以外、全てのユダヤの神宝がある。中でも最も重要な宝は「璽」(じ)で表される「契約の聖櫃アーク」である。
「契約の聖櫃アーク」
「契約の聖櫃アーク」は大預言者モーセが絶対神ヤハウェの命を受けて作らせた箱であり、その中に「三種の神器」を入れて運んだ「神輿」である。本物のアークは「御船」(みふね)と呼ばれ、現在は伊勢内宮の地下殿に「十戒の石板」とともに安置されている。日本の全国の神社にレプリカがあり、全国で祭りの際には氏子たちが「ソイ・ヤー!」とヘブライ語で「我、神(ヤハウェ)を奉らん」と言いながら担いでいる。
「三方・三宝」は元々は折敷=「蓋」と台=「箱」は分離していたとなっている。これは日本に「契約の聖櫃アーク」が持ち込まれた際、物部氏が「箱」が本物のアークを、秦氏が「蓋」が本物のアークを持ってきて、神武天皇が大和に入る時に大和の豪族ナガスネヒコと「箱合わせ」をしたという故事に由来している。つまり、蓋と箱を「合わせた」と言っているのである。それを伝える字が「合」という漢字である。
「契約の聖櫃アーク」の蓋には2体の羽の生えたケルビムが鎮座している。「ケルビム」は旧約聖書で神殿の奉仕者としての天使と考えられているもので、 人間、獅子、牡牛、鷲の顔と四枚の翼をつけた姿で表わされる。 またカトリックでは、知識をつかさどる天使である「智天使」(ちてんし)と考え、「天使の階級」では第二位に位置づけられる。
「三方・三宝」の蓋である「折敷」(おしき)と呼ばれる盆にはケルビムに相当する「羽」がついていない。これはどういうことなのか。元々「折敷」には、「器の下に敷き込むもの」という意味がある。語源については、柏などの植物の葉を折り敷いて食器代わりにしていたことに由来するという。つまり「葉=羽」を「折る=折りたたむ」でケルビムを象徴させているのである。だからこそ「鏡餅」には「譲葉」(ゆずりは)を敷くのである。
◆御節料理の起源
「正月」といえばやはり「おせち料理」である。「御節」(おせちの)起源は弥生時代もしくは平安時代といわれる。中国から季節の変わり目とする暦がもたらされ、節ごとに収穫を神に感謝してお供え物をする風習が生まれた。宮中では季節の変わり目となる「節日」(せちにち)に儀式と宴会を行うことで、これを「節会(せちえ)」と呼んで開かれたのが始まりと言われている。
「元日(1月1日)」、「白馬(あおうま:1月7日)」、「踏歌(とうか):1月16日」、「端午(たんご):5月5日」、「豊明(とよのあかり:11月)」は「五節会」(ごせちえ)と呼ばれて重要視され、振る舞われた料理を「御節供」(おせちく)といったそうで、「御節」(おせち)の語源となったとされている。
「おせち料理」
「おせち料理」は、三段重ねの「お重」に入れられて振る舞われることが多い。地域によっては四段や五段の「お重」を使う場合もあるが、それぞれの「お重」に入れる料理というのは決められている。
・一の重の意味:一の重は栗きんとんのように甘めの口取りと酒のつまみになるような祝い肴を入れる。
・二の重の意味:二の重は縁起を担いで海の幸と焼き物を入れ、さらに、酢の物や和え物を入れる。
・三の重の意味:三の重は山の幸を多く用いた煮物を入れる。
これら三重の重箱に詰める料理の内容を見てゆこう。
◆一の重:「一の重」には“祝い肴”と“口取り”を詰める。
数の子・黒豆・田作り・たたきごぼう・伊達巻・蒲鉾・栗きんとん・昆布巻き・など
■数の子:数の子はニシンの卵で、「二親から大勢の子が出る」という言葉をかけて、子孫繁栄を願っている。
■黒 豆:豆は健康や丈夫という意味を表す語句。それにちなみまめまめしく働くようにと願いを込めている。
■昆布巻:よろこぶという語呂合わせの縁起物。
■栗金飩:「栗きんとん」は武士が戦で縁起を担ぐため、昆布とともに勝負運を願って勝ち栗を用いていた。栗黄金色が宝のようで、豊かな年になるようにとの願いが込められている。
■伊達巻:長崎の「カステラかまぼこ」がしゃれた人を意味する伊達者の身に付けていた着物のようだったので伊達巻となった。また重要な書を巻き物にすることから、形を巻き物として捉えて知識が豊富になるようにと願いが込められている。
■田作り:田作りは畑の肥やしに使用できるほど多く取れたため、五穀豊穣の意味合いを持つようになった。
■蒲 鉾:紅白のかまぼこは日の出を象徴する色と形。赤色は喜びやめでたさ、白色は神聖な意味がある。
◆二の重:「二の重」には“酢の物”と“焼き物”を詰める。
酢れんこん・紅白なます・海老・鯛やブリなどの焼き魚・など
■紅白なます:なますは生魚と人参と大根を酢で和えた料理だったため、なますと名前が付けられ、祝いの意味と口直しとしての役割もある。
■ブ リ:ぶりは出世魚と呼ばれることから、将来出世できるようにと願いを込められている。特に西日本で正月に欠かせない魚となっている。
■鯛 :鯛は「めでたい」との語呂合わせで祝い膳には欠かせない料理。
■海 老:海老のように背中が丸くなるまで長生きができるようにとの願いを込めて入れられる。
◆三の重:「三の重」には山の幸を多く用いた“煮物”を詰める。
お煮しめ・筑前煮・など
■蓮 根:蓮根に穴が開いていることから先々の見通しが効くことを祈って。
■里 芋:里芋は親芋から子芋がたくさんできることから子孫繁栄への願い。
■八つ頭:その名前から組織の頭となって出世ができるようにと祈られている。
■くわい:くわいは大きい芽が出るため、めでたいと語呂合わせで用いられる。
■牛 蒡:牛蒡は土の中に長く細く根を張るため、代々続くようにと願われる。
以上のように、「不老長寿」「子孫繁栄」「五穀豊穣」の意味を込め、徹底して「縁起担ぎ」と「ダジャレ」を用いている。要は「秘密の意味」が込められているということだが、そもそも「縁起担ぎ」とは何なのかということだ。「縁起」には大別して三つの意味がある。1つ目は仏教の中心思想の「縁起」。2つ目は神社仏閣などのいわゆる「いわれ」。そして3つ目が「縁起がよい、縁起を担ぐ」などの「縁起」は日常的な迷信、ジンクスなどの類を含んでいる。通常は3つ目の話だが、なにせ「お正月」には随所に神道の奥義が隠されている。そんな簡単な話で片付けわけがない。つまり、ポイントとなるのは2つ目の神社仏閣の「いわれ」である。
わが国における寺社の「霊験」(れいげん)や由来、沿革を説明したもので、「歴史的縁起」と「物語的縁起」があり、あくまで中心は唱導を目的とした後者の方である。前者は開創縁起およびその後の変遷と国家提出用の財産目録にすぎない。これに対して12世紀末前後から、庶民に寺社霊験を語る後者が、「念仏聖」(ねんぶつひじり)や「絵解き僧」の唱導活動によって全国に拡大されてきた。まぁ仏教を中心としているが、日本の仏教というのは、「仏教」の姿をした「原始キリスト教」である。内容は庶民に啓蒙するための誇張された「物語的霊験譚」(れいげんたん)で、換言すれば叙事伝説といえる。つまり、「聖書の叙事伝説」なのである。全てはそこを紐解けば本当の姿を現すのである。
<つづく>