「大晦日」と「お正月」の謎 その20

 

 「鏡餅」を供える形は「御鏡」(おかがみ)の四角い「三方」(さんぽう)の箱の上に「丸餅」(まるもち)を2段乗せた形とされている。その上に(ダイダイ)、また裏白(うらじろ)、昆布を飾る。昆布は「よろこぶ」の意と「子生(こぶ)」で天の父の一人子であるイエスが生まれる=再生したことを喜んだという意味が込められている。

 

 研究者によっては記紀神話を元に、「鏡餅=八咫鏡」、「橙=八尺瓊勾玉」、「串柿=草薙の剣」にそれぞれ見立てているとするが、そんな甘いものものではない。「餅つき」が十字架に掛けられて、両手首と両足にハンマーで釘を打たれて絶命したイエス・キリストの話を伝える神事だったことを思えば、正月の行事とは徹頭徹尾「旧約聖書」と「新約聖書」の故事を戒めとして再現している神事なのだということが分かる。

 

 

「神饌餅つき神事」と「きび団子」

 

 広島県尾道市山波町に「山波艮神社」(さんばうしとらじんじゃ)という社がある。ここでは、例年10月に「餅つき神事」が行われる。その昔、「吉備津彦」(きびつひこ)が山波(さんば)へ上陸し、村人が餅をついて差し上げたと伝えられていて、五穀豊穣を感謝して行なわれる行事である。

 

  若者たちが海水で身を清めた後、木臼を杉の丸太で担ぎ、「木槍音頭」や「伊勢音頭」を囃しながら町を練り歩く。その後に木臼を「サスリ」と呼ばれる立杵で「エト、エト、トエサ」の掛け声で餅つきを行うという。この掛け声はヘブライ語であろう。意味は分からないし、きっと地元の人も意味をしらずにずっと使ってきたのだろうと思う。

 全国で行われる他の「餅つき神事」においても同様なのであるが、こねられた餅を皆で一緒に杵で掲げる。なんでこんなことをするのだろうか。兵庫県神戸市須磨区多井畑字宮脇に鎮座する「多井畑厄除八幡宮」(たいのはたやくよけはちまんぐう)、地元では通称「多井畑厄神」と呼ばれ親しまれており、同じような「餅つき神事」が行われる。ここは日本最古の厄除けの霊地である。

 

 ここの餅つきは「神饌餅つき神事」と呼ばれ、1月18日からの「多井畑厄除八幡宮厄除祭」に奉納する御供物として「神饌餅」(しんせんもち)を作る「餅つき神事」である。ここのもまた不思議な神事で、8人の神主役の方々が、「エイトエイト」の掛け声とともに杵で持ち餅をついていくのだ。要は「山波艮神社」の「エト、エト、トエサ」の掛け声と同じなのである。

 


「多井畑厄除八幡宮」の「神饌餅つき神事」


 「神饌餅」の「神饌」(しんせん)とは、神社や神棚に供える供物のことである。「御饌」(みけ)あるいは「御贄」(みにえ)とも呼ばれる。「御贄」とは旧約でいえばアブラハムが息子イサクを「神に捧げる生贄」にしようとしたことであり、新約でいえば人類の代わりに生贄となったイエス・キリストの象徴である。基本的な話であるが、一年の節目に行われる日本の祭は「神事と祭礼」から成り立ち、神事を行う際にはその土地の人々が特別な恩恵を享受した食物を神饌として捧げ、神迎えを行ってきた。捧げられる神饌は主食である米に加え、酒、海の幸、山の幸、その季節に採れる旬の食物、地域の名産、祭神と所縁のあるものなどが選ばれ、儀式の終わった後には捧げたものを共にいただくことにより、神との一体感を持ち、加護と恩恵を得ようする直会(なおらい)とよばれる儀式が行われる。

 

  「鏡餅」が「御饌」とされたのは7世紀頃と考えられる。江戸時代の『和漢三才図会』(1712年成立)に記されている天武天皇4年(675年)からの習俗として、「しとき餅」の項に「御鏡是也」と解説された祭餅の図があるが、これは、稗(ひえ)や黍餅(きびもち)のことで、きび団子の類である。古人は黍や稗を多用したが、江戸時代には鏡に似せて糯米で円形に作ったため、俗に「御鏡」と呼ばれたとある。つまり、最初はもち米ではなくて、稗や黍の団子だったというのである。

 「きび団子」といえば「桃太郎」だが、「きび」は、漢字では「黍」と書くが、
「粢」とも書く。「粢」の意味は以下のように3種類ある。

  ①きび。イネ科の穀物。また、穀物の総称。

  ②もち。米で作ったもち。

  ③しとぎ。神前に供える穀物。
 

 「きび」と「もち」はそのままだが、「しとぎ」とは何なのか。「しとぎ」は「水に浸した生米をつき砕いて、種々の形に固めた食物。神饌(しんせん)に用いるが、古代の米食法の一種といわれ、後世は、もち米を蒸して少しつき、卵形に丸めたものもいう。」となっている。そのまま読めば「お餅」ということだ。また、「しとぎ」とは「しとき」ともいう。この「しとき」という語はアイヌにも伝わっている。アイヌ文化では、黍や粟の団子を「シト」と呼び、「タマサイ」(女性用の首飾り)のペンダントヘッドに相当する円い金属の板(円鏡)を「シトキ」と呼ぶという。

 

アイヌの「しとき」

 

 まとめるとこうなる。「鏡餅=神饌=きび団子=しとぎ=しとき」で、さらにアイヌ文化では、きび団子を「シト」と呼んでいる。もし、この「シト」を「使徒」と置き換えたら「イエスの12使徒」となる。強引かもしれないが、なにせ桃太郎が「狗・雉・猿」という家来に与えたものが「きび団子」なのである。「団」(ダン)とは「 同じ目的をもって集まった人のかたまり。また、その組織」をいい、 「応援団」「議員団」「サーカス団」「事業団」「探偵団」などの言葉に使われる。

 

 前回の連載”世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎の終盤でも書いたが、桃太郎の家来は「雉=金鵄=三羽烏=八咫烏のトップ3人」、「狗=天狗=物部系八咫烏」、「猿=申=秦氏系八咫烏」なのである。そして八咫烏の中核組織である12人からなる「大烏」はイエス・キリストの12使徒の組織である。イエスの子の団体ということなのだ。ということは、「鏡餅」を供えるという行事は「終末預言」を成就させるための神事という意味になる!

 この視点から考えれば、「鏡餅」をお供えする際の残りの飾りの中にも同じような仕掛けが施されているはずなのである。
 

◆「橙」と「串柿」に隠された意味 
 

  鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に「床の間」が作られるようになった室町時代以降である。当時、武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えた。「鏡餅」の供え方だが、「三方」に半紙を敷き、その上に「裏白」(羊歯の一種)を載せ、大小2つの餅を重ね、譲葉(ゆずりは)・熨斗鮑(のしあわび)・海老・昆布・・干しするめ・橙・串柿などを載せるのが通例となり、これは「具足餅」(ぐそくもち)と呼ばれた。鏡餅の飾り方は地域によって様々であり、串柿が無い地域や、餅と餅の間に譲葉を挟む地域、昆布とスルメを細かく切ったものを米に混ぜて半紙でくるんだ物を乗せる地域などもある。

 

 「橙」(だいだい)は「太陽」を示し、太陽神たる「天照大神=イエス・キリスト」の象徴だと書いたが、さらにいえば「三本脚の八咫烏」も太陽の象徴であり、記紀神話における神武天皇の弓矢に降りてきた眩く光り輝く鳶(とび)は「金鵄」(きんし)とされ、3人の大烏の象徴かつイエス・キリスト=ヤハウェが降臨したことの象徴である。ならば、「太陽」たる「橙」は「金鵄」であり、イエス・キリスト=ヤハウェであり、天皇陛下の象徴ともなる。

 

 なにせ「橙」とは「木+登」で、カッバーラの奥義である「生命の樹」を登った場所=天界=高天原=太陽のことなのである。さらに「きび団子」を「シト」と呼ぶが、「しと」とは「紫都」 とも書く。その意味は《「紫」は紫微垣 (しびえん) のことで、天帝の座の意。天子の居所のある所》とあるからだ。天の子イエスが坐す太陽のことなのである!

 

 この意味をさらに補っているのが「串柿」である。「草薙の剣」に見立てた物が「串柿」であるとされるが、これも「草薙の剣」の象徴ではない。

鏡餅の「串柿」と「橙」

 

 たまたま見つけた画像だが、上の画像を見ると、もはや完全に「ヒトガタ」である。それも「T十字に掛かった人」にしか見えない。「譲葉」(ゆずりは)は新葉が生長して古い葉が落ち、 新旧交代が はっきりしていることから 「譲る葉っぱ」、 それが「譲葉」になった。 新しい葉が出てくると古い葉を落とす植物のうちの代表的な木登ることである。すなわち旧約の神ヤハウェの一神教から原始キリスト教の絶対三神へと改宗したことを指している。

 

 その意味で考えると、「串柿」には別の意味が発生する。「串柿」は10個の丸い干し柿を串で貫いている。これはカッバーラの奥義である「生命の樹」の球体セフィロトの数である10を示している。そこにもう一つの隠されたセフィロトである「ダアト」=「隠された叡智」を「橙」で示しているのである。よって「鏡餅」とは「生命の樹」の象徴なのである!なにせ餅は神饌で神の魂の依代でもある。そして「木」も神自体を示している。つまり2枚の鏡餅と橙で「絶対3神の木」を示し、さらに生命の樹の奥義たる天界の三角形を大中小の「山」の形でも示していることになるのだ。これには参った。

 

 だが、カッバーラの奥義は底なしである。さらに「鏡餅」には象徴が隠されている。それは10個の丸い干し柿を串で貫いた「串柿」は「失われたイスラエル10支族」の意味も込められているのだ!4世紀に渡来したとされる「神武天皇=応神天皇」は失われたイスラエル10支族の大王で、渡来した時にはまだ「原始ユダヤ教徒」だったが、原始キリスト教徒「秦氏」の大王でもあった「武内宿禰・建内宿禰・竹内宿禰」(たけのうちのすくね)にバプテスマ(洗礼)を受けて原始キリスト教に改宗した王である。

 

 この「イスラエル10支族」=「串柿」「南朝ユダ2支族」=「鏡餅」、さらに12支族には属さない祭祀のみを行う「レビ族」を象徴しているのが「橙」である。初代「レビ族」の天皇は「竹内宿禰」であり、その直系の末裔である現在の天皇徳仁陛下も「レビ族」で、その天皇を裏から守っているのが「金鵄」である。「鏡餅」とは、この日本にイスラエル13支族が全て揃っているということを意味していたのである!

 

<つづく>