世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎 その40

 出雲大社に祀られている国津神の「大国主命」とは、最初に日本を治めた物部系の古神道の祖である「徐福」が正体で、「じょふく」=「ジョセフ」の暗号から「イスラエル=ヤコブ」の12人の子供の末っ子「ヨセフ」の名前と物語が投影されていた。さらに「大国主命」が救った「因幡の白兎」の話とは、「徐福」が海を渡って持ち込んだ「契約の聖櫃アーク」の話であった。「記紀神話」の大国主命の話に「徐福=ヨセフ」が投影されているのであれば、そこには古代の「出雲」と「エジプト」をつなぐ関係が浮かび上がってくるのである。

 

◆上古出雲の大神殿と大ピラミッドの謎

 

 エジプトのギザの砂漠にある3大ピラミッドは、その前に坐すスフィンクスとともに、古代エジプトを象徴する建造物である。一般的に造営時期は現在より約4500年くらい前の、紀元前2500年頃とされ、いずれもエジプト第4王朝期に建設されている。古代エジプト王国のファラオの墓陵であり、被葬者はクフ王、カフラー王、メンカウラー王とされるが、これは間違いである。なぜなら三大ピラミッドとは「絶対三神」を祀る神殿であり、その構造が表しているのは「カッバーラ=生命の樹」だからである。

 

3大ピラミッド

 

 この3大ピラミッドはオリオン座の「三ツ星」を表したものであるとする「オリオン説」が存在する。実際に、ナイル川を「天の川」に見立てると三大ピラミッドの位置がオリオン座の三ツ星の位置とほぼ一致するという。これはロバート・ボーヴァルとアドリアン・ギルバートが提唱したもので、グラハム・ハンコックもこの説を取りいれている。

 このギザのピラミッドと出雲大社には深い関係性がある。出雲大社の社伝では、上古の出雲大社の社殿は現在の24メートルの4倍の高さの96メートルだったと伝える。だが、木造建築での96メートルというのは現実的ではないが、いったいどこからこの高さの巨大建築物の話が出てきたのか?

 

 本居宣長が『玉勝間』に引いたところによれば、かつての本殿は現状の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈 (48m)、さらに上古(神代の後、平安より前)には32丈(96m)であったという伝承があるとされる。同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた9本もの柱の上に社が建つというものになっている。さすがにこれは何かの間違いであるとされてきたのだが、それが本当だった証拠が出雲大社の境内から出土してしまった。この「金輪造営図」にある9本の太い柱の跡を示す、杉の大木3本を鉄の輪で一組にした「棟持柱」(宇豆柱:うずばしら)が発見されたのだ。

 

大林組の復元図に基ずく上古の本殿の大きさの比較図

 

 調査では直径が最大で約6mもある柱穴には、大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界にも例のない掘立柱の地下構造も明らかになった。柱の配置や構造は、出雲大社宮司の千家国造家に伝わる「金輪御造営差図」に描かれたものとよく似ており、鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱の跡である可能性が高いとのこと。このニュースは歴史ファンにも幅広く知られ、出雲の社伝に伝えられてきた、平安時代には現在の二倍の高さ・48mもの高さを誇る巨大神殿があったという伝承を裏付ける物証の一つとして俄然・注目を浴びたのだ。

 だが、さらに社伝によれば上古の時代には32丈、高さが96mもあったという伝承がある。俄に信じがたい話であるが、実際に48mの神殿の実在性が明らかになった訳だから全くの荒唐無稽な話だとも断定はできない。では、96mもの巨大神殿が仮に存在したとして、いったいどのような建物の構造と形であったのか。また、そんな巨大な建造物を重機・クレーンもない時代にどのように建造したのか。現代の建築会社であっても全く見当がつかないのが実情である。

 上の比較図を見ると、平安時代の16丈(48m)の本殿、そして江戸時代の延享元年(1744)に建立された現在に伝わる高さは8丈(24m)の本殿ともに、上古の高さと比べると非常にも小さく見えるが、それでも現在の本殿は7階建てのビルに相当する高さである。それが96mともなると26階建てに匹敵し、1968年に建設された日本最初の高層ビル「霞が関ビル」が36階建ての高さが147mだから、それまでの
歴史上一番高い建物だったということになる。

 単なる高さ比べでいうなら飛鳥時代の大官大寺、東大寺七重塔、平安時代の法勝寺八角九重塔、そして109mと日本史上最高の高さを誇った相国寺七重塔等々の仏教塔婆の方が高いが、塔の場合、頭上の「法輪」の部分が塔の三分の一から四分の一ほどを占め、法輪を除くと本体の高さは一気に下がる。また日本の塔は内部が床を張らない構造がほとんど(近世以前)で出雲大社本殿のように頭頂部に床を張って人間が入れる建物ではない。従って実質、上古の出雲大社の本殿が一番だったということになるのだ。

 

 さて、この上古時代の高さ96mというのは、いったい何を元にしたのかといえば、それはギザの大ピラミッドなのである。

 

大ピラミッドの内部構造

 

 ギザの3大ピラミッドを「神社」のように南から北方向に見た場合、向かって右位置に来る「大ピラミッド」を人の顔の輪郭にすると興味深いことが分る。仮に「大ピラミッド」の内部を透過できるとして、ちょうどヒトの目の位置に「重力拡散の間(※重力拡散装置)」とそこに石棺の「箱」があり、そこから「大回廊」が一直線に下に延び、「王妃の間」に至るように見える。

 


「重力拡散の間」

 

 北斜面側に入口がある「大ピラミッド」の内部構造は、北から見た中心線の左=西側にしか内部構造が発見されていないが、エジプト考古学の吉村作治氏は、早稲田大学の教授時代、独自の電波探査で「大ピラミッド」の中心線から東にも「王の間(玄室)」「王妃の間」「地下の間」「大回廊」が対象位置に存在すると主張した。そのことから、巨大な三角形の内部に両眼があり、その両眼から涙が落ちる構造を確認できると主張している。

 この吉村作治氏の発見を大ピラミッドの構造に当てはめると、非常に面白い構造になってしまう。なぜなら、それは日本のヒト顔「へのへのもへの /  へのへのもへじ」だからである。

 

 

 

 「重力拡散の間」の三角屋根が「眉=へ」で、梯子(はしご)構造が「目=の」となり、「も=鼻」の位置が、2017年に宇宙船「ミューオン」の観測から確認できた中心線上の未知の空間とする。へのへの最後の「へ」は中心線上にある別の「未知の間」で、全体として「眉・目・鼻・口」のヒト顔が出来上がるが、東日本のへのへの最後の「じ」は上開きの「陽」で東を、西日本では「の」は下開きの「陰」で西を指す陰陽構造で、「He」はヤハウェを表す。

 

 次に「大スフィンクス」の東から西に並ぶ「3大ピラミッド」を見ると、右位置にやはり「大ピラミッド」が見えるが、なぜ変わらず「大ピラミッド」が見えるかというと、「3大ピラミッド」の並びが45度の角度で傾斜しているからだ。すると、「大ピラミッド」の東傾斜面から内部を透過した構造が見える筈で、そこに「重力拡散の間」の真の姿は「髙」の字、つまり「高島屋」のロゴである「亠」の「ヘ」の構造と確認でき、梯子構造が「目」となり、そこから斜め下に「大回廊」が見え、行き着いた位置の奥に「王妃の間」がある。この構造は「大ピラミッド」を南から北方向に見ても出てこず、あくまで「大スフィンクス」から見た場合のみ確認できる構造である。

 

「重力拡散の間」の構造=「高」の字

 

 これと「出雲大社」が無縁でないのは、「王の間」に至る「大回廊」の頂点が地上48メートルにあり、「重力拡散の間」は48メートルの位置に立っている事だ。古代の「出雲大社」は言い伝えでは16丈(48メートル)の高さで、そこへの通路が長さ109メートルの斜面で、高さ・長さ・角度が「大ピラミッド」内部の「大回廊」と全て一致する。これは48メートルの高さから15キロ沖に浮かぶ「隠岐」を拝した「拝殿」だと分るのである。

 

16丈(48メートル)の高さだった「出雲大社」

 

 出雲の話から脱線するが、ギザの三大ピラミッドとは「絶対三神」を祀る神殿であり、その構造が表しているのは「カッバーラ=生命の樹」だからだと書いたが、実は三大ピラミッドの前に坐す「大スフィンクス」とは「狛犬」である。元々は口を開けた「阿」のスフィンクスと、口を閉じた「吽」のスフィンクスの2体のスフィンクスが存在したことが分かっている。「阿吽」(あ・うん)なのである。

 

 日本の神社の基本構造は、鳥居、参道、手水舎、2体の狛犬、周囲を囲む瑞垣(玉垣)、拝殿、本殿、であるが、この構造はモーセの時代の「幕屋」の構造である。幕屋の内側には手水舎と同じ「洗盤」があり、その奥にある「聖所」=「拝殿」には「7本首の燭台メノラー」が置かれ、その後ろに「三種の神器」を入れた「契約の聖櫃アーク」が置かれる「至聖所」は「本殿」である。

 神社の本殿に三神が祀られ、「鏡」が置かれているのは、もちろん「十戒の石版」と「アーク」、つまり神が降り立つ場所を示している。

 

モーセの「幕屋」

 

 三大ピラミッドはモーセの幕屋より1000年以上前に建造されたものだが、それを建造したのはエジプト人ではない。ノアの箱舟の「ノア」の曽祖父「エノク」である。血統的にはイスラエル人の祖先であり、日本人の祖先でもある。つまり、日本の宮大工のDNAの中には、まだ古代エジプトという国ができる以前のギザの地に建てた3大ピラミッドの記憶が刻まれているのである。だから出雲大社をはじめ、日本の神社の構造にはモーセの幕屋も3大ピラミッドの要素も加わっているのである。

 

 さらには、3大ピラミッドはオリオン座の「三ツ星」を表したものであると書いたが、3大ピラミッドは古代エジプトの絶対3神「オシリス」「イシス」「ホルス」の神殿であり、それは「御父:エル・エルヨーン」「御子:ヤハウェ=イエス・キリスト」「聖霊:ルーハ」を象徴し、日本の造化三神「 天御中主神 」「 高御産巣日神  」「神産巣日神 」も表している。

 3大ピラミッドの配置はオリオン座の三ツ星に対応しており、ナイル川を天の川に見立てているが、「伊勢神宮」の配置もそのルーツはエジプトの3大ピラミッドである。
 

 伊勢神宮は「内宮」と「外宮」の他に、封印された第3の伊勢神宮であり、伊勢本宮である「伊雑宮」が3つの社としてライン上に配置されているが、これら伊勢三宮は南北線に対して斜めに並んでオリオン座の三ツ星に対応し、五十鈴川が天の川に対応している。だが、伊勢三宮は、カッバーラの奥義である「生命の樹」の鏡像反転によって、エジプトの3大ピラミッドの配置とは線対称で逆になっているのだ。

 

3大ピラミッドと伊勢三宮

 

 伊勢神宮の配置は、エジプトの3大ピラミッドと「鏡合わせ」の構造になっているのである。それはすなわち、伊勢神宮を建立した者たちの中に、古代エジプトにいた者たちがいたことを示しているのである。そして、伊勢神宮、出雲大社のそれぞれの「うしろの正面」が「籠神社」であり、その「籠神社」の元宮こそが「隠岐」である。つまり、日本の神道が始まった地が隠岐だということなのである。
 

<つづく>