世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎 その23

 

◆空海の出自

 

 「真魚」(まお)という幼名を持っていた弘法大師・空海は、宝亀5年(774年)、現在の香川県である讃岐国多度郡屏風浦で生まれたとされている。父は郡司・佐伯田公、母は安斗智徳の娘で名は「玉依御前」(たまよりごぜん)である。父方の「佐伯氏」とは「秦氏」である。

 空海の謎の一つに、なぜ官僧でなかった空海は「遣唐使」になれたのか、というものがある。当時、中国に渡って仏法を学ぶには莫大な費用が必要だった。現在の金額にして数億円レベルの話で、それが一民間の僧侶であった空海がどうやって工面をしたのかということについては未だに謎のままとなっている。

 

幼少の頃の「空海」を描いた絵

 だが、父方が「秦氏」で、その親類筋から援助を受けていたというのなら理解できる。なにせ秦氏は殖産豪族であり、莫大な財産を手にしていた一族である。後の「平安京」となった「山城」の地は秦氏の土地だったし、土壌改良の工事も自腹で秦氏が受け持っていた。人足に関わる費用も秦氏が負担をしており、一族の力を結集して創り上げられたのが「平安京」だった。この秦氏が一族を挙げて支援した若者こそ空海である。

 空海は延暦7年(788年)、平城京に上る。上京後は、中央の佐伯氏で「佐伯今毛人」(さえきのいまえみし)が建てた氏寺の「佐伯院」に滞在している。この「佐伯今毛人」は公家であり、姓(かばね)は「宿禰」(すくね)である。「東大寺」の造営に参画、巧みに役民を使うことで「東大寺」と「大仏殿」の造営の中心的役割を果たし、「聖武天皇」の信任を受けて天平勝宝4年(752年)年4月の大仏開眼会の後、東大寺の長官になった人物である。

 

 さらに姓が「宿禰」ということは、当時の行政長官であり、現在でいえば総理大臣である。「宿禰」は古代日本における称号の一つだが、大和朝廷初期では武人や行政官を表す称号として用いられていたもの。主に「物部氏」「秦氏」「蘇我氏」の先祖に「宿禰」の称号が与えられており、「宿禰」が冠された最初の人物は「武内宿禰」(たけのうちのすくね)である。つまり平城京の最重要人物が空海の親類だった訳で、その意味ではサラブレッドだったといえるのだ。

 一方、母方の祖父は「安斗智徳」(あとのちとこ)である。安斗智徳は飛鳥時代の人物で、姓は連で後に「宿禰」が与えられている。つまり母方の祖父も叔父も総理大臣だった完璧なサラブレッドで、まるで祖父に岸信介、叔父に佐藤栄作を持つ安部晋三みたいな話だ(笑)。だが、空海はそんな下世話な人物ではない。

 

空海の母「玉依御前」

 

 だが、空海の母「玉依御前」は、生誕年も没年も不明である。さらに母と同様、祖父・安斗智徳も生誕年も没年も不明で、安斗智徳の母も「不詳」なのである。いったい空海の血筋はどうなっているのか。とどめが安斗智徳には生母不詳の子女として、阿刀夕張と阿刀大足の二人の男子、そして空海の父・佐伯田公の妻となった「玉依御前」である。いつ生まれたのか死んだのかも分からない祖父と名前も不詳の祖母から生まれた母から生まれたのが「空海」なる人物なのだ。そして、母方の安斗氏「阿刀」(あとう)とも書く。ここが重要な暗号である。

 

 

◆物部氏と秦氏の呪術王「空海」

 

 空海は延暦8年(789年)、15歳で桓武天皇の皇子「伊予親王」の家庭教師であった母方の叔父である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学んでいる。つまり子供の頃の空海の指導をしていたのは母方の叔父であったのだ。実はこの「阿刀氏」の祖は、天降りしたとされる物部氏の祖・「饒速日命」(にぎはやひ)に従った「天磐船」(あめのいはふね)の船長の「天津羽原」(あまつはばら)という海人族とされている。

 つまり、空海の父方は讃岐(香川県)の「佐伯氏」=「秦氏」だが、母方の「阿刀氏」一族は「物部氏」と同祖の伝承を持つ古代の海人族だったというのだ。この「阿刀氏」について、民俗学者の谷川健一氏は著書『古代の地名』に次のように記している。

 「阿刀という氏姓の元は安曇(あずみ)で、朝鮮半島との海運を掌握した安曇氏の本拠は志賀島だが、移動するとともにその姓も変化した。奈良や近江では安堵(あど)に、難波や大和では阿刀になった」

 

 ここに書かれている「安曇氏」(あずみし)とは、安曇野(あずみの)を拓いたという一族で、そのの起源は非常に古い。「古事記」には安曇一族の祖神は「綿津見命」(わたつみのみこと、わだつみのみこと)とその子の「穂高見命」(ほたかみのみこと)であると書かれている。この「綿津見命」(わたつみ)とは何者なのか。
 福岡県の博多湾周辺には、その昔「わたつみ」と呼ばれる海洋族がいた。「わた」は「海」で、「つ」は「の」。「み」は「神」を意味する古語で、
「わたつみ」とは「海の神」となる。また「つみ」とは「住む」という意味もあるため、「わたつみ」とは「海に住む人」、つまり「海洋族」ということになる。また「神」の音読み「じん」は「人」と同じえあるから「海人」とも呼ばれるようになったという。そして「海人」とは「あま」と読むみ、「海部」(あまべ)とも書く。

 

空海

 

 お分かりだろう。空海の母方の出自は単なる物部氏ではなく、物部氏の王族にして本伊勢「籠神社」の神官「海部氏」だったということなのである!だからこそ、海部氏の「媛巫女」「真名井御前」から「籠神社」の宝珠「潮満珠・潮干珠」を授けられたのである。

 

 そして空海の父方・母方ともに「宿禰」の称号を持っていた人物である。「宿禰」とはイスラエル人の祭祀を扱う聖別された一族「レビ族」の王を表している。なぜなら、イスラエル人の至宝「契約の聖櫃アーク」を担げるのは「レビ族」のみで、それを指示する人物を古代日本では「宿禰」と称して正体を封印したからである。「レビ族」とは大預言者モーセの兄「アロンの末裔」のことでもあるが、その「レビ族」に指示を与えられるのは「モーセの末裔」のみである!

 つまり、「空海」とは「空」で「鳥=原始キリスト教徒=秦氏」を指し、「海」で「亀=原始ユダヤ教徒=物部氏」を表すことで、物部氏(海部氏)と秦氏の王家の地を引く人物であるということなのである!だからこそ、空海は「物部氏と秦氏」の王家の血を引く者として唐に送り出され、そこで「密教」という秘密の仏教であり、正体は「カッバーラ」の呪術体系を全て継承して日本に戻ってきたのである。

 

 これは大変なことになってきた。ここまま進むと「空海」の謎解きで一向に「隠岐」に進めない(笑)。あと1回だけ「空海」の話にお付き合いいただく。なぜなら、空海の母親「玉依御前」とは「玉依姫」(たまよりひめ)と呼ばれて巫女であり、「玉依姫」とは「竜宮城」の「乙姫」の妹とされ、「神武天皇」の母でもあるからだ。そしてその「竜宮城」こそが「隠岐」と深くつながっているからである。

 

 

<つづく>