世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎 その18
伊雜宮と籠神社は「カゴメ唄」にある「鶴と亀」であり、伊勢神宮の「後ろの正面」の位置関係であることを暗示していた。そして、「鶴と亀が統べる」ことで、天照大神を祀る伊勢神宮の秘密が明らかになり、隠されてきた本宮や御神体の正体が白日の元に晒されることとなり、日本人はその正体を悟ることになる。そして「後ろの正面、だあれ」で、神道の最高神、天照大神とはいったい誰なのか、その正体を理解し、その御姿を目にする時がやってくる。それは「天岩戸が開く」ということである。
◆「天岩戸開き」と「陰の烏」と「陽の鳩」
「カゴメ唄」の暗号は籠神社に封印された預言であり、それが夜明けの晩に出るということは、この世が最も暗くなったとき、再び「天岩戸」が開くということになる。さらに「カゴメ唄」の「籠の中の鳥」は上の「△」と下の「▽」の三角の 2種類がいて、下向きが「陰」で偶数たる「八の鳥」の「八咫烏」となり、「漢波羅秘密組織」として表には現れてはいないものの既に籠からは放たれている。だが、上向きの「陽」の鳥はまだ出ていない。その鳥は奇数たる「九」を名に持つ鳥=「鳩」が正体となる。
このことが示している「籠」とは「ノアの箱舟」を象徴することが分かる。なぜならアララテ山たどり着いたノアは最初に「烏」(カラス)を放ち、最後に「鳩」を放ったとあるからだ。
「40日後、ノアは烏を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった」
ノアの箱舟
「烏」(カラス)は鳥という時から横棒が一つ少ない。「鳩」は「九+鳥」である。ノアが地上から水が引いたかを確認するために、最初に放ったのは「烏」で、その後に「鳩」を放った。「二度目に放った鳩は戻ってこなかったから、既に放たれているではないか」と思われるかもしれないが、これは「カッバーラの象徴」である。「八」も「九」も「人間」であり「神」を象徴しているのだ。
「八」は「ヤ」であり「ヤハウェ」でもあるが、日本の神社で「稲荷」に次ぐ2番目に多い7817社を誇るのが、八幡神信仰の「八幡神社」である。「八幡神」は古くは皇室守護神の一柱で、天照大神を「武」の面から補佐するという位置付けがなされた序列第二位の皇祖神でもある。
この「八幡」は「ハチマン」と読ませるが本来は「ヤハタ」「ヤワタ」である。「八幡製鉄所」が「ヤハタ」と読みように、昔は「ハチマン」ではなく「ヤハタ、ヤハダ」と呼んでいた。「ヤハタ」は「イヤ・ハタ(弥・秦)」であり、「八幡=ヤハタ」の語源はヘブライ語・アラム語で「ユダヤ」を意味する「イェフダー」「ヤーダ」(Yehudah)である。つまり「ユダヤの神」を意味するのが「八幡神」なのである。
全国の八幡神社の総本宮は大分の「宇佐神宮」(宇佐八幡)であり、その次に「石清水八幡宮」「筥崎宮」「鶴岡八幡宮」という序列となっているが、八幡神社には「鳩文字」を使った「扁額」(へんがく)が飾られている。
「鶴岡八幡宮」の本宮楼門に掲げられた「鳩文字」扁額
鎌倉の鶴岡八幡宮の本宮(上宮)楼門にはしっかりと鳩文字を使った「八」の扁額が掲げられたているが、額の「八」の字は、神聖な神の使いとされている二羽の鳩で表現されている。「鳩」は八幡神社の神使だからだ。扁額以外にも全国の八幡神社では建物の彫刻、屋根飾りなどにも「鳩」の姿が入れられている。少々変わったところでは「狛犬」ならぬ「狛鳩」が坐している八幡神社すらあるのだ。
左は埼玉県比企郡小川町にある「八幡神社」の親子の鳩の「狛鳩」で、右は京都市左京区にある「三宅八幡宮」の「狛鳩」である。なかなか「狛鳩」は見かけないものだが、これも「見せながら隠す」という神道の奥義である。しかし、なぜ八幡神社ではここまで「鳩」を神聖視するかといえば、それは宇佐八幡神である応神天皇の神霊は、山頂の巨石から「金色の鷹」となって出現し、鍛冶の翁、三歳の童子へと変わり、後に「金鳩」に変じたとされるからである。
「鳩」は八幡神社の神使であるとされるが、それは使いではなく「神」そのものなのである。山頂の巨石から「金色の鷹」となって出現したとは、シナイ山でモーセの前に現れた神「ヤハウェ」を象徴、それが、鍛冶の翁になったというのは現人神として現れた「天照大神=イエス・キリスト」のことを象徴。さらに三歳の童子へと変わったというのは、ヤハウェの一神教だったユダヤ教徒「物部氏」が、「秦氏」がもたらした三神教の「原始キリスト教」へ改宗したことを象徴しているのだ。なぜなら、「童子」が表すのは「子供のような素直な心で自分を受け入れなさい」ということだからで、「お前たちの神ヤハウェとは自分のことである」と物部氏に告げ、それを受け入れて改宗したという意味なのである。
「あなた方も悔い改めて子供たちのようにならない限り、決して天の御国には入れません。だから、この子供のように、自分を低くする者が天の御国で一番偉い人です。また、誰でも、このような子供のひとりをわたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。」(「新約聖書」マタイによる福音書 18:3)
伊雑宮の「御田植祭」では3人の「童子」が神田での行事でも、最後の「千秋楽の仕舞」でも舞う。男の子が2人と女装をした男の子である。女装をした男の子は女神とされている「天照大神」を象徴、他の2人の男の子と合わせて「絶対三神」を象徴しているのである。伊雑宮は物部氏系の神社だった。それが「絶対三神」を受け入れた神社へと改宗したのである。だからこそ「御田植祭」の元となった故事に「真名鶴」という「鶴=鳥」が登場しているだ。
伊雑宮「御田植祭」の三人の童子
「御田植祭」で太鼓を叩く赤い着物の女の子とは、まだ天岩戸にお隠れになっている「天照大神」を表す。なぜなら本来は男神であるはずの「天照大神」が女神のままだからだ。それが男神として現れることが「天岩戸開き」となるのである。
宇佐八幡の「童子」は最後に「金鳩」に変じたとというのは、「預言」なのである。「籠の中」としてまだ放たれていない「鳩」のことなのであり、天岩戸が開く時に光り輝きながら再臨する「天照大神」の象徴なのである。親子の鳩の「狛鳩」も同様に、親鳩と子鳩で二羽の鳥であり、親が「翁」を、子鳩が「三歳の童子」を象徴しているのだ。だが、まだ続きがある。
◆カッバーラ呪術としての「陰」と「陽」
「かごめかごめ」と2度呼び、「いついつ」で2度呼び、「鶴と亀」で2種類を示し、「すべった」で2つが合わさる。籠の中に封じられた「烏」は黒の陰、鳩は白の陽となり、それを表わしているのが「太極図」である。「太極図」は「黒い鳥」=「カラス」と「白い鳥」=「ハト」を表しているのだ。黒烏の目は白の陽の中で開き、白鳩の目は黒の陰で閉じられて闇のままなのである。
「太極図」
「太極図」は「太陰太極図(陰陽太極図)」といい、 陰と陽のバランスを表した象徴図形である。「陰陽」の二元論であるが、それはこの世のものを、善一元化のために善と悪に分ける「善悪」の二元論ではない。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえるという意味である。「陰の鳥」と「陽の鳥」の両方は放たれないと天岩戸は開かないのである。
「陰陽」を表したものに「不動明王」がある。不動明王は仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。で、大日如来の化身とも言われる存在である。不動明王の両目の「天地眼」では、陰の左目が下を向き、陽の右目が上を向いている。
「不動明王」の両目の「天地眼」
この不動明王の形相のごとくに演技をするのが「歌舞伎」の十八番である「見得」(みえ)における「にらみ」である。テレビなんかでもご覧になっているだろうが、「片側だけ寄目」にするやつだ。「見得」はいかにも歌舞伎らしい大げさな演技法のひとつで、演目の中の「ここ一番」という場面で見せる決めポーズで、いわゆる「見得を切る」と言われる。
「見得」は歌舞伎ならではの演技で、頭を回すと同時に腕や足を踏み出すなどの大きな動作をしたあと、動きを一瞬止める。多くの場合、見得すなわちこの動きを止めた場面が極まったときにはパッタリと「ツケ」を入れて観客の目をひきつける。「カッ」とにらむやつだが、これもカッバーラである。
この不動明王の「にらみ」と同じ仕掛けが「仁王像」である。正式には「金剛力士像」(こんごうりきしぞう)と言うが、通常「仁王」(におう)という名で親しまれ、寺院の境内を守る者として、門の左右に「阿形」(あぎょう)・「吽形」(うんぎょう)の一対で安置されており、寺院の門に配される際に「仁王」の名で呼ばれる
これは神社の狛犬も同じで「阿・吽」=「あ・うん」の2匹の狛犬がおり、口を開けた「阿形像」と、口を結んだ「吽形像」の2体を一対とする。中には「阿」の口の中に「玉」をくわえた狛犬がいたり、両方とも口を結んでいる場合もあるが、片手に「玉」を持っていることで「阿・吽」を分けている。
最古の寺院である大阪の「四天王寺」では、中門で伽藍の守護神として仁王像が「にらみ」をきかせている。向かって右側が赤色の「阿形像」=「那羅延(ならえん)金剛力士」、そして左側が青色の「吽形像」=「蜜迹(みっしゃく)金剛力士」であるが、赤色、青色の仁王像は珍しい。ほとんどの寺院の仁王像は既に色が落ちてしまって単なる木像と思われているからだが、本来は「赤と青」に塗られていたのである。
カッバーラによる仕掛けはまだある。「仁王」(におう)とは「鬼」(おに)の〝逆読み〟の仕掛けである。神道では「鬼=オニ」で、仏教は「仁王=ニオ(ゥ)」と逆にしてあるのだ。「神仏混交(神仏習合)」の時代、「赤鬼」が向かって左の「陰」で、「青鬼」が向かって右の「陽」、「仁王」は向かって左が「吽」で、向かって右が「阿」の配置で、眼光鋭い表情はまさに「鬼神」のごとくで、入り口の門番として「にらみ」をきかせているのである。
さらに「吽」は鳴く牛の二本の角で「円規=コンパス」を示し、「阿」は曲がりくねる意味で「曲がり尺=曲尺」となり、口を閉じた赤鬼の仁王が西で陰の「曲尺」、口を開けた青鬼の仁王が東で陽の「コンパス」で、「フリーメーソン」のシンボルである「曲尺=直角定規」と「コンパス」という仕掛けになっているのだ。
「仁王」とは「二王」とも呼ばれる。「赤と青」は「陰と陽」であり、そして「阿・吽」である。「あ・うん」とは「始まりであり終わりである」ということだ。
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
(『新約聖書』ヨハネの黙示録22章12,13節)
世の始めに神として現れたのは「ヤハウェ」であるが、終わりの日に戻ってくるのはイエス・キリスト=「天照大神」である。「ヨハネの黙示録」にある「終わりの日」に「天岩戸が開く」、「天照大神」が再臨するということなのである。
<つづく>