「地球内天体アルザル」と「エイリアン」の謎 その3

 

 1829年、ヤンセン親子は偶然にも身長4メートルの巨人が住む世界に迷い込んでしまったが、ありえないことにそこに住む巨人たちは電動式の車に乗って移動し、通信も行っていたという。こんな話は19世紀には与太話であったが、20世紀に入ると、この話を裏付けるような事件が起きた。それはアメリカ海軍の極探査飛行を行うリチャード・E・バード少将による、北極点への飛行中に起きた。
 

◆北極のハイジャンプ計画

 

 「極点の彼方のあの国を、この目で見てみたい。極点の向こうのあの地域こそ、大いなる未知の中心なのだ」と語った男がいる。彼の名前は「リチャード・E・バード」、アメリカ海軍の少将だった人物である。

 

リチャード・E・バード

 

 リチャード・E・バードは、1926年以降、北極点・南極点の上空を単葉機で飛行することに成功した極地方探査のエキスパートで、世界初の偉業の達成によってアメリカの国民的ヒーローになった人物である。 バード少将は1946~47年に「極点探査」を目的とした「ハイジャンプ作戦」に参加、また1939~50年の間には5度にわたってアメリカ海軍の南極調査の指揮をとった人物としても知られる。この南極飛行の中では無数の不凍湖を発見。当局はこの雪がほとんどない一帯周囲を「シャングリラ」と命名している。

 

 

 バード少将が南極探検隊に加わってその探検の実況を撮影した様子はアメリカで実写映画として制作されている。パラマウントのニュース班専属の撮影技師ウィラード・ヴァン・ダーヴィーアとジョゼフ・ラッカーとが撮影したものを編集し、ジュリアン・ジョンソンが字幕をつけ、伴奏楽と説明まで付せられているニュース映画である。

 この1930年に製作されたバード少将のニュース映画『バード少将の南極探検』は、日本でも映画館で上映されており、日本版では日本語での説明が吹きこまれているのだ。

 


日本上映時の宣伝広告

  ちなみにこの映画、アカデミー賞の「撮影賞」を受賞している作品でもある。つまり、当時のアメリカ人は普通にバード少将のことを認識していたのであり、日本人でも知っている人は知っていたという、あくまでも公の存在だったのである。



米国上映時の宣伝ポスター

 

 1946~1947年にかけて実施された作戦に「ハイジャンプ作戦(Operation Highjump)」がある。これはアメリカ海軍が行った大規模な南極観測プロジェクトで、バード少将が指揮を執った作戦である。極地域における恒久的な基地建設の調査や合衆国のプレゼンスの提示、寒冷地における人員・機材の動作状況の確認・技術研究などを目的としていたもので、参加した人員規模は4,700名、13隻の艦船と多数の航空機により支援されていたという大規模なものであった。

 

「ハイジャンプ作戦」の飛行ルート

 

 バード少将の身にに不可解な事件が起こったのは1947年2月に実施された「ハイジャンプ計画」でのことだった。当時、アラスカの向こうは旧ソ連である。アメリカ軍はまず北極点の制空権を誇示するためにアラスカ基地から北極点上空を過ぎ、2700km地点まで飛行してアラスカ基地にUターンする計画であった。しかし目標地点の2,700km付近で突如白い霧に包まれ、いわゆる「ホワイトアウト」状態になってしまった。

 窓の外は白い闇で、積乱雲の中に突っ込んだような状態となった。しかも、恐ろしいことに高度が徐々に下がり始めた。明らかに機体に異変が起きていた。視界0の状態の中、バード少将は「霧自体が発光している」という謎の怪現象に危険を感じ、通信士に命令してアラスカの基地に向けてSOSを発信しようとした、まさにその時のことだった。白い霧が消え、一気に視界が開けたのだ。

 

バード少将が入り込んだ光る霧

 

 バード少将は息を呑んだ。北極圏の真っ白い世界を航行していたはずなのに、なんとバード少将を乗せた飛行機の眼下には氷原ではなく「亜熱帯の様なジャングル」が広がっていたのだ!

 雪と氷の世界であるはずの北極圏に、鬱蒼とした緑の森が広がっている。どう見ても亜熱帯のジャングル地帯なのだ。バード少将はそこがどこかを確認すべく外気を調べると、飛行機の計器では外気温は外気は氷点下どころか、摂氏20度を示していた。観測機器に異常はない。乗組員すべてが同じ光景を目にしていた。幻覚や錯覚ではないことを確かめたバード少将は、無線を通じて逐一状況を報告する。

 

バードの眼下に広がっていた世界

 

 「こちらバード、今我々の機は北極圏の氷の上ではなく、広大な亜熱帯のジャングルの上空を飛行している―」


 バードは眼下に広がっている信じがたい光景をアラスカ基地に報告するが、基地内ではジョークだと思われてしまう。当初、完全にジョークだと思われ、まともに取り合わない基地の反応に苛立ちを覚えたバードは、再び語気を強めて同じことを報告。この時点で、ようやく基地も事の重大さに気づき始める。

 

 「分かった。報告を続けてくれ」

 

 写真を見ると異様な光景である。まるで南米アマゾンの熱帯地方のジャングルのようである。その大地には大きな川が無数に流れていた。遠くには台地も見え、機体の高度を少し上げると、彼方に地平線が見え、はっきりと分かるほど凸面のラインをしていた。さらに地上にはジャングルだけでなく、人工的な区画の街や道路のようなものも見えたという。

 

 

 バードは「いったい、ここはどこなんだ?」と考えるも、残りの燃料のことが気になり始め、計画通り機体をUターンさせる。すると、前方に霧が噴出しているように見える空間があった。「おそらく、そこからこの異世界に入ったに違いない」。そう判断したバードは、一か八かその霧の中へ機体を突っ込ませると、期待通り飛行機は光る霧に包まれ、気がつくと、再び真っ白な氷原の上空を飛行していた。作戦開始から7時間後、無事に基地に帰還。この間、バード少将はスチールカメラとムービーカメラで見た光景をすべて記録している。

 

 一方、アラスカ基地は大騒動となっていた。バード少将の歴史的な北極飛行を報道しようと、マスコミ関係者が詰めかけていたのだ。そこへ、バード少将の無線が入った。ジャングルのような世界に迷い込んだことなど、すべてを彼らにも聞かれてしまったのだ。帰還したバード少将らは、直ちに上層部から呼び出され詰問されるも、自身でも何が起きたのか、まったくわからない状態だった。

 だが、北極圏探査を行った英雄のはずのバード少将が精神異常者と思われたら困ると考えた上層部は、精神異常者ではないことを示す必要があった。軍部はバード少将が撮影した記録フィルムの一部を公開することで、それを証明しようとする。この時の映像を 映画の合間に流すニュース映画として編集、バード少将自らがナレーションをしながら異世界の映像を紹介する形で映画館で上映したのである。年配のアメリカ人にはこのニュース映画を見たという人がいる。

 

 しかし、その後アメリカ軍はことの重大さを悟り、このニュース映画を封印。バード少将の日記をはじめ通信及び観測データを、すべて最高機密扱いとすることにした。ちなみに。バード少将は1956年に実施された南極上空を飛行する計画にも従事し、その時にも異世界へと侵入することになる。

 

 

◆南極での「ディープフリーズ作戦」

 

「ディープフリーズ作戦」の飛行ルート

 

 北極での「ハイジャンプ計画」から約10年後の1956年1月、アメリカ軍は新たな極地探査飛行「ディープフリーズ作戦」を決行した。それは、南極点を通過した後、約3700kmの地点からUターンして南極大陸にあるアメリカの南極観測基地である「マクマード基地」に帰還するというものだったが、アメリカ軍はこの作戦のパイロット及び指揮官として、またしてもバード小将を抜擢したのである。これは北極から異世界へ迷い込んだバード小将を南極に飛行させたら、再び異世界に引き込まれるのではないかと考えたアメリカ軍の作戦だった、


「ディープフリーズ作戦」は計画通りに進行し、バード少将を乗せた飛行機はなにごともなく順調に飛行を続け、南極点を通過する。だが、その直後にまたも異変が起きた。バード少将は、またもや北極で体験したのと同様の不思議な白い霧に遭遇したのだ。

「現在、私は南極点の彼方2300マイル地点上空を飛行中だが、真下に巨大な大陸が見える。どうやら大陸に侵入したようだ」

 

バード少将が侵入した異世界

 

 南極点からマクマード基地までの間には緑の大地どころか、大陸と見間違う島などどこにもない。そう、バード少将は再び異世界に侵入してしまったのである。あたかもその世界に導かれるように。
 10年前の北極での経験から、そこが異世界であることは、バード少将も理解していた。そしてそれは、基地で無線を聞いている軍の上層部の、期待通りの結果だった。その後、バード少将は無事に帰還するも、情報が洩れるのを恐れた軍の上層部は、バード少将を隔離してしまう。事件の詳細を聞くための厳しい尋問が行なわれ、またも通信記録はもちろんのこと日誌まで没収されてしまった。

 

 バード少将は「ディープフリーズ作戦」から1年後の1957年3月11日に死去する。彼の死ぬ間際に言葉を残している。
 「あの天空の魔法の大陸、永遠の神秘の国よ」

 

 ここに掲載された写真は飛鳥昭雄氏が様々な著作の中で公開している写真だが、これらの写真を入手したのは旧ソ連のKGBである。アメリカによる極探査の結果を手に入れるべく、米ソ冷戦時代の旧ソ連のKGBのスパイたちによって盗み出されていたのである。

 

 

<つづく>