「創造力とは、才能ではない。それは、やり方だ」

ジョン・クリーズ

 

 ジョン・クリーズをご存知だろうか?僕が大好きだったシュールな演技がお得意のイギリスのコメディアンで喜劇俳優だった人だ。日本でもむかしTV放送されていて、かのタモリを世に出した番組「モンティ・パイソン」のメンバーだ小学生が見る番組としてはシュールすぎたが、子供のころからシュールな子供だったので毎週の放送を楽しみに見ていた。

 

 

 

 創作活動をする方々にとって「欠乏」というのは非常に悩ましい問題だ。「金欠」というお金の問題は常に付いて回る。素晴らしい映画を作りたくても予算ないとか、いい音楽を作っても宣伝費がないとか、何か新たな創造的な活動を始めたいと思っても、先立つものは金、なんていうことになる。

 

 もちろん「欠乏」というのはお金だけの話ではない。才能に乏しい、知識に乏しい、人脈に乏しいなど、創作活動を仕事にしようと思ったのなら、どれかが欠けるとなかなか上手く運ばない。最近は映画業界における、とんでもなくひどいセクハラ・パワハラ事案が世の中から叩かれているが、そのいくつかの話を読むと完全に「欠乏」した状態だということが分かる。何が欠乏していたかといえば、「義理と人情とモラル」である。

 

 だいたいお笑いの世界なんて裏側はモラルなんてない世界だ。お笑い芸人にモラルを求めているのは暇な視聴者であって、片やTVを見ながら「最近のお笑いは丸くなった」なんてモラルを求めるのとは反対のことを求めていたりする(笑)。今の日本のお笑いは尺が短いお笑いしか作れない人ばかりだが、これはTV業界の尺に合わせたせいで、結果として芸人としても短命という短い尺の芸人が大量生産・離散を続けている。

 

 まぁといったら失礼だが、映画業界でなんで今さらセクハラ・パワハラなんてことを訴えているか?のなんて思うのは僕だけではないだろう。音楽や映画、そしてTVなどのエンタメの世界で従事した人にとって、セクハラ・パワハラ事案なんていうのは当たり前すぎて、みんな本当のことは言わなかっただけである。

 

 「〇〇は☓☓社長が手篭めにした女」

 「〇〇エンターテインメントの女性シンガーのオーディションは全員パンティを脱がされる」

 「☓☓マネジメントのマネージャーは売り出したいアイドルをすぐに抱かせる」

 「入時間が遅れて〇〇監督にぶん殴られて肋骨が折れた」

 

 なんて話が多すぎて僕も覚えていない。上の話なんて現在の話だが、そんな事実はやる側もやられた側も基本は「墓場まで持ってゆく」というのがルールだったからだ。僕がいう「義理と人情とモラル」の「モラル」の部分である。「そんなものはモラルとは言えない」なんて幻想の中にいる人たちがうるさいことを言う視聴者だったり訴えてしまう人たちだ。

 

 やられた側が恨むのは当たり前の話だが、なんで最近はすぐに「被害者」が声を上げてしまうのかといえば、もちろんSNSというツールを与えられているからだが、ひとつは本人に「覚悟がない」という点。そして、やった側の人間にも「義理と人情が足りない」ということなのだ。どっちもどっちということだ。

 

 「覚悟がない」というのは、「その世界で成功するまで決してやめない」という覚悟だ。最初から上手くいくやつなんていうのは0.1%くらいの話で、普通は99.99%くらいは上手くいかない。上手くいくやつというのは相当の「強運」の持ち主で、自分の才能を一瞬にして見分けてくれて、自分を引っ張り上げてくれる人と巡り会えたやつで、たとえ巡り会えてもその後に巡り合う人や会社によって命運は分かれる。そこも「運」である。

 

 だが、この「運」を自分に引っ張り込むのは、ほとんど妄想に近い自分の確固たる信念だ(笑)。自分で自分に発破をかけ続ける人だけに「運命の女神」は微笑むからなのだ。だが、最近はSNSのフォロワーが多いと気軽にモデル(風)になれたり、どう考えてもアイドルにはなれないような素材の子でも自称アイドルになれてしまったりする。結果、悲惨な末路をたどるのだ。

 

 先日、新聞記事で沖縄アクターズスクールの創設者マキノさんのインタビューを読んだ。オーディションに来た子の付添として会場にいた小学生の安室奈美恵を見て、一瞬で「この娘はスターになる」と確信し、帰り際に声をかけ、「スクールに通いたいなら特待生にしてあげるから授業料は一切いらないよ」と言ったそうだ。すぐにスクールに通うこになったが、貧乏だった安室奈美恵は、片道1.5時間、往復3時間歩いて毎日スクールに通ったと書いてあったが、小学生ながら「覚悟」を持っていたんだなぁと関心した。こういう子に「運命の女神」は微笑むのだと思う。

 

 

 やった側の人間に「義理と人情が足りない」というのは、「やっちゃったら面倒を見る」という業界ルールの鉄則を守らない輩が増えてしまったということ。芸能の世界では、自分が「お手付き」をしてしまった子は、「必ずスターにする」まで面倒を見ないといけないという暗黙のルールがあった。それを破ったら、そいつがこの世界から放り出されるというのが「ルール」だったのだ。やられてしまった子も「この人について行けば必ずスターになれる」と信じて付き合うのだ。そうして「スター」として輝いた人たちは現在もお元気であるし、「その時」の話は墓場まで持っていく覚悟だから、過去にその手の「暴露」はしていない。

 

 芸能の世界の「モラル」というのは「鉄のルール」のことなのである。それを守れない、守らない人が増えすぎてしまったということだ。後は芸能界に巣食う民族的な問題で、そこは本当の日本人ではないからルールなんかはない。しっかり守っている人は日本の芸能界で確固たる地位を築いているが・・・。

 

◆「欠乏状態」は逆手にとる

 

 さて、創作活動をする方々にとって「欠乏」という状態は悩ましい問題だが、何かに困窮しているのなら、それを逆手にとることが大切だ。いまあるものをフル活用してチャレンジするということだ。新たなツールや新たな人脈を手に入れるなんてことを考えていたら何も進まない。だから、いま自分がもっている才能、ツール、人脈を駆使してみることだ。

 ここにも「絶対諦めない」という覚悟は必須だ。「しつこいなぁ…」と言われるくらいが丁度いい。「しつこさ」というのは「やる気」の現れだからだ。それを「しつこい」と言う人とは付き合う必要はない。そんなしつこいあなたを「面白い奴」とか「頑張ってるなぁ」と思ってくれる人が見つけられたら「運」は巡ってくる。だから、諦めてはいけない。

 

 貧乏くさくても構わない。たとえ「ツール」や「お金」がなくても、自分が持っているツールと才能を活かして、貧乏なりに最大限面白い作品を作ったり、表現したりすれば、必ずその面白さを見つけてくれる人が現れる。最初はうまくいかないだろうし、認めてくれる人も少ないだろう。もしかするとそんな状況に自信を失ってしまう可能性もある。

 だが、試練が来たら耐えよう。「大きく成功する人間には必ず試練が訪れる」と言い聞かせるのだ。そう自分に発破をかけ続ける人にだけ「運命の女神」は訪れる。自信を失おうが、批判されようが、拒絶されようが、そんな状況でも諦めずに粘り強く続けた人だけに「大いなる創造」が生まれるタイミングが訪れるのだ。