ロシアのウクライナ侵攻と第三次世界大戦:その8

 ロシアにはロシア正教が昔からあるため、聖書の登場人物にちなむ名前をつける人も多い。これは欧米のキリスト教国の人も同じだし、ユダヤ教徒のユダヤ人は旧約聖書にちなむ名前をつけたがる。ロシアでは「ミハエル」という名前があるが、これは欧米では「マイケル」や「ミシェル」となり、その元は大天使「ミカエル」である。ソ連の最後の大統領で洗礼を受けていた「ミハエル・ゴルバチョフ」も同じだ

 王様でいうなら「ピョートル大帝」なんてアメリカでは「ピーター」だし、イタリアでは「ピエトロ」で、元はイエスの12使徒の「ペテロ」である。「マリア」なんてイエスの母のマリアだし、「オリヴィア」はOliva(オリーブ)が語源で、ノアの箱舟で鳩が加えてきたオリーブの枝で平和のシンボル。男の子ならは「オリバー」。ラファエルはキリスト教の三大天使の一人にちなんだ名前だし、フランチェスコ、マッティアもキリスト教の聖人にちなんだ名前と、挙げていたらきりが無い。

 

 「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」  

 

  

 

 第4代ロシア連邦大統領だが、実は大統領選の時でもプーチンの家系は明らかにされなかった。 だからこそプーチンには過去が存在せず、新たな時代の象徴のように見られてたことも事実なのだが、ロシアのジャーナリストたちが必死に調べたが、「プーチン」という名字がどこから来たのかを探し当てることができなかったというのだ。さらに世界中でプーチン大統領以外にプーチンという名を名乗った有名人はいない。
 この名字は19世紀中ごろに初めて登場したという説や、伝統的家系の血筋だったという説もあるのだが、どうも噂話の類で想像の域を出ない。ネット上で検索してもプーチンという名字に関する情報は皆無に等しい。ただ、その中で面白い記事があった。それには、「プーチンという名字はトベル地域のプーチン一族から由来しています 地位の高い家の非嫡出子はよく省略名を付けられます」とあった。「省略名」という意味は、たとえば父親が王侯貴族で「○○○プーチン」という苗字だった場合、非嫡出子なら「プーチン」と省略するということなのだ。

 

 ウラジーミル・プーチンは、かの「怪僧ラスプーチン」の末裔とも「生まれ変わり」という噂があるのだが、もし先祖が「ラスプーチン」の子孫なら「プーチン」という姓になる可能性があるということ。しかしながら「ラスプーチン」は王侯貴族ではない。やはり違うのかと思いつつも、「ラスプーチン」は王侯貴族の女性たちと夜な夜なまぐわっていたとされ、王族を含む貴族に、特に女性に寵愛を受けたことで権力を握った人物だった。それを王族のスキャンダルとして嫌った人間たちに殺されている。プーチンは祖父のことまでは分かっているのだが、それ以前の出自は謎のままである。

 

 「ラスプーチン」と「プーチン」をつながる部分はほとんどない。唯一の接点は「サンクトペテルブルク」である。「ラスプーチン」が田舎からでてきて住んだのが王都「サンクトペテルブルク」。プーチンの生まれは旧レニングラードで現在の「サンクトペテルブルク」。そこで副市長になってからモスクワへ呼ばれる。

 
  

 

 祖父より前の出自は謎に包まれているのだが、祖父の記録は残っている。

 

 「プーチンの父方の祖父であるスピリドン・イワノヴィチ・プーチン(1879年12月 – 1965年3月)はプロの料理人であり、ヨシフ・スターリンのダーチャ(別荘)の1つにて給仕しており、それ以前はウラジーミル・レーニンに仕えていた」

 

   

 

 プーチンの祖父は控えめでまじめな男だったようだ。スピリドンは、1917年に革命が起こるまで、サンクトペテルブルグの洒落たレストランでシェフとして働いていて、評判が良かったとなっている。革命後、彼はレーニンのシェフとして登用され、レーニンが死去した後には、スターリンの邸宅で働き始めている。プーチンの祖父はソ連の恐ろしい時代をうまく生き抜き、プーチンの父親を生んでいる。つまり革命前、年齢こそ若かったが、ラスプーチンと同時期に「サンクトペテルブルク」にいたのだ。

 だが、残念ながら「ラスプーチン」と「プーチン」をつなぐ線はここで途切れる。そこから先は一切情報がないと思ったら、なんとプーチンの自伝に書いてあった。

 

 以下wikipediaより抜粋(※現在は削除されている) 

 >プーチンの父方の祖父(父の父)は、プロの料理人で、スターリンのダーチャ(別荘)の一つでスターリンに給仕していた。 

 >それ以前は、ラスプーチン、レーニンに仕えていた。このことはプーチンの自伝で明かされた。 

 >プーチンの祖父はスターリンの秘書で、祖父の代では姓が『ラスプーチン』だったためプーチンを名乗るようになったという話もある。

 

 「プーチン」の祖父は「ラスプーチン」に仕えていた?祖父の代では姓が『ラスプーチン』だった?

 

「ラスプーチン」の予言

 

 1894年、ニコライ2世の戴冠式はモスクワのウスペンスキー聖堂で行わた。ニコライ2世が選んだ女性はドイツヘッセン大公の娘(母はイギリスヴィクトリア女王の次女)改名アレクサンドラだった。皇帝夫妻は結婚して翌年から1年おきに子供が産まれるが、オリガ・タチアナ・マリア・アナスタシアの4人、全員が女の子で10年間、後継者に恵まれなかったのである。

 だが1903年にペテルブルグ建都200年記念行事を終え、サーロフ修道院に巡礼に出かけた時、ニコライ2世は教会の「長老(スターレツ)」から予言を与えられる。

 

 「長く待ち望んでいるロシア皇帝の後継者の誕生は、1年とかからないだろう」

 

 こう公言した「長老」こそ、グレゴリー・ラスプーチンであった。見事に予言は的中し、1904年8月12日に皇太子アレクセイが誕生したのだ。

 

 死ぬ数週間前にラスプーチンはこうも予言している。

 

 「愚か者達には、私が誰だか判らない。魔術師だってもしかしたらそうかもしれない。彼らは多くの魔術師達を焼き殺してきた、だから私を焼き殺そうとするのだ。もし彼らが、私を焼き殺せばロシアは終わりだ。彼らは我々を一緒に埋葬する事になる」

 

 超魔界帝国の逆襲 : グリゴリー・ラスプーチン~ロマノフ王朝を影で牛耳った怪僧~

 

 1916年12月17日、ラスプーチンはユスポフ一派によって暗殺される。そして1918年にはロマノフ皇帝一家7人(ニコライ2世、アレクサンドラ元皇后、オリガ元皇女、タチアナ元皇女、マリア元皇女、アナスタシア元皇女、アレクセイ元皇太子)がエカテリンブルグにて銃殺された。

 

 ラスプーチンは「予知能力」があり、それを「予言」として皇帝一家に与えたのか。はたまた神の声が聞こえ「預言」を授かったのか。今となっては分からない。だが、先祖の性が「ラスプーチン」だった「プーチン」は、今やロシアを帝国にしようとしている。ウクライナへの侵攻はロシア帝国を復活させるための最も重要な場所である。そこにはラスプーチンとは異なる一つの預言が関わってくる。