「雛祭り」と終末預言:その6

 

  明日は3月3日の「雛祭り」である。「雛祭り」には必ず「左近桜」の飾りが供えられる。日本人は古来から「桜」を愛する。それは桜の美しさに心惹かれ、春の訪れを告げる神や精霊が宿る存在と考えたり、はかなく散ってゆく命の短さと美しく死にたいと願う「散り際」の死生観を考えさせる対象とされてきたからである。

 

  

 

◆短命さと淡い色の美しさ

 
 そのうっすらとピンクに色づいた桜の花を愛する人は多い。その淡い桜色の姿は、純潔さや可憐さ、そして「儚さ」を持ち合わせた、美しい女性の姿を印象付けるものだ。日本人は元来は派手なものを嫌う。「侘び寂び」(わびさび)という世界観や、「趣(おもむき)という独自の文化を持った日本人には、派手ではない美しさが表現された桜という花はとても愛すべき対象である。
 
 さらに重要なのは「散り際の美しさ」である。皆さんご存知の時代劇「遠山の金さん」でも、「侍は散り際が肝心よ」という名台詞が出てくるが、桜の花は満開になってから散るのは早い。昨日までは満開だったが、雨風が強ければ次の日はすっかり見頃を終えているということもままある。現代の日本人は桜が満開になったのを見て「美しい」と言いながら「お花見」で酒を飲む理由にしてしまっているが、元来、日本人は桜の花びらがはらはらと美しく散ってゆく姿を愛するものであった。これは「明日、どうなるか分からない」という命の儚さが、日本人の心をくすぐるとともに、死ぬときは桜の花のようにきれいに死にたいという死生観が込められており、その後ろには「穢れ」を背負ったまま亡くなりたくないという「穢れ」を嫌う思想が根付いているからである。
 
  
 
 こうした死生観ととも、日本人が桜を愛する理由となっているのが、桜を「春の訪れを告げる神や精霊が宿る存在」と考えてきたことが挙げられる。実はこちらの理由が「サクラ」という名称の元になっているのである。

 

◆「木花咲耶姫」と「磐長姫」 

 

 桜=サクラの「サ」は山神の精を意味している。春に山神である「サ」が里に降り、それを「座」=クラが迎えることで「サ・クラ」となったとされる。古代の日本人は、桜の花が咲く光景を見て、山神が里の田畑に活力を与えてくれると考えたのだ。ゆえに山神である「大山祇神」(おおやまずみのかみ)の娘である「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)が桜の神とされた。

 

   

 

 「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)は、「桜」の美しさとやがて散る「儚さ」を象徴する女神で、記紀の双方の神話にも登場する女神である。 その容姿は非常に美しく、「サクラ」=桜の花の名の語源ともいわれている。 作者不明ではあるものの、平安時代の初期につくられたとされる「竹取物語」のかぐや姫のモデルだとも伝わっている。さらに言えば、富士山の御祭神とされる浅間大神(あさまだいじん)とも同一視されている。

 

 浅間大神はどのような経緯で木花咲耶姫命と同一視されるようになったのか。それは国津神の子を身篭ったのではないかとの疑いをかけられたことで、自らの潔白を晴らさんがために産屋に火を放ち、「三柱の神子」をお産みになったという故事にある。またもや3人の神が登場したが、一方で、木花咲耶姫命は天孫の瓊々杵尊(ニニギノミコト)との間に神子をもうけ、天皇家の始祖である神武天皇に至る系譜の元ともなっている。簡単にいえば日本の出発点にもなっているということだ。

 

 「大山祇神」にはもう一人の娘で木花咲耶姫の姉の「磐長姫」(いわながひめ)がいた。記・紀にみえる女神で、「岩のように永久にかわらない女性」を意味する。 父の大山祇神により妹の木花開耶姫とともに天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻として差し出されたが、天孫ニニギ命は美しい容姿の木花開耶姫だけを娶り、容姿が醜くかった「磐長姫」は返されたという。

 

  

 

「大山祇神」と「磐長姫」による呪詛 

 

 「大山祇神」はイザナギとイザナミの神産みの際に生まれた神で、山を司る力を持っているとされている。「サ・クラ」の話の山の精「サ」である。古事記では大事な娘を無下にされた「大山祇神」は、たいそう怒って瓊瓊杵尊へ恨みの言葉を送る。

 

 「木花咲耶姫命と磐長姫を嫁がせたのには意味があったのだ。木花咲耶姫命は花のように繁栄をもたらすが、花はやがて散っていく。磐長姫は岩のように長く続く命をもたらす。磐長姫が傍にいれば、御子の一族の命は長く続いたのだ。このようなことになって残念だ」

 「大山祇神」が瓊瓊杵尊のもとへ姉妹を嫁がせたのには、ちゃんとした「意味があった」というのだ。そうとも知らず瓊瓊杵尊は容姿だけで全てを判断し、磐長姫を送り返してしまったのである。姉妹が揃っていれば、瓊瓊杵尊は花のように繁栄する子孫と、長く続く命を手に入れられるはずだった。だが、磐長姫を送り返してしまったことで、天津神の一族の命は短く限りあるものになってしまったのである。

 

 この神話には大変深い意味が込められている。「不老長寿」ではなくなってしまったのだ。磐長姫(いわながひめ)の「磐」(いわ)という字には「永久に変わらぬことを祝う」いう意味がある。よって、磐長姫(いわながひめ)の名前には「岩(石)のように永久に変わらぬ女神」といった意味が込められている。言い換えれば、磐長姫(いわながひめ)は「岩のように長く続く命」=「不老長寿」与えることができる神だったという意味なのだ。

 

   


 これは『古事記』による記述だが、『日本書紀』での記述は少し違っていて、瓊瓊杵尊と木花咲耶姫命の子供に磐長姫が呪いをかけたとなっている。磐長姫は「私を妻に娶っていれば、あなたの子孫は長く続く命を得られるはずでした。妹だけを妻に娶るのならば、あなたの子孫の命は花のように短く散っていくでしょう」と瓊瓊杵尊に告げる。やがて木花咲耶姫命は、瓊瓊杵尊との子供を身ごもるが、磐長姫は泣いて唾を吐き、腹の中の子供に呪いをかけた。磐長姫はによって、天津神の子孫は「寿命」という呪いにかけられてしまった。この話から、人間の命は短く限りあるものになったと言われている。

 

 「寿」(じゅ、ことぶき)という字は「ことばで祝うこと。その祝いのことば。命が長いこと。長命。長寿。」という意味がある。通常はお祝いやおめでたい事に使われる字のはずである。しかし「寿命」というのは本来は人間の命はもっと長かったはずなのに「命を短くされた」という神からの呪詛なのである。呪詛には「祝い」と「呪い」の2種類があり、それは日本語という言霊(ことだま)を持つ言葉によってかけられるのだが、このサ」、つまり「寿命」という言葉だけは「祝い」と「呪い」の両方が含まれているのはなぜなのか?

 

 磐長姫から呪詛を掛けられた妹の木花咲耶姫命は、火中で出産するという強さをもつ女神で、そのような状況でも無事に出産したことから安産の神、また火の神として、「富士山」に祀られたとする。木花咲耶姫命は桜の美しさを体現している神様として、富士山本宮浅間大社に祀られ、そこは「儚い命」を象徴する桜の名所にもなっている。富士山とは、つまり「不死の山」である。

 

<つづく>