上白石萌音と伊勢神宮式年遷宮」神事の謎!

 

 いきなり「上白石萌音と伊勢神宮の神事」ってどういう関係だ?という声が聞こえてきそうだ(笑)。いったいぜんたい上白石萌音と伊勢神宮の神事のどこがどうつながるんだ?と思われるだろうし、ご本人にも全国の上白石萌音ファンの方々にも「聞き捨てならない話」と言われそうだ(笑)。まぁ、多分こんなことを考えているのは日本で僕だけだろうと思うので、オヤジの戯言ぐらいに考えて気楽に読んでいただければと思う。

 

   

   ※参照:マイナビニュース

 

◆「日の丸」を背負える女優

 上白石萌音という女優さんは、本当に素晴らしい女優さんだ。この人は「日の丸」を背負える数少ない女優の一人だと思う。「日の丸」を背負えるというのは、日本を代表するということ。「いやいや、もっと有名な女優がいるだろう」というご意見もあるとは思うが、”「日の丸」を背負える”という意味は演技者としてだけでなく、呪術的な意味も含めて「大和民族としてのあるべき姿」を体現できるという意味なのだ。

 

 その意味では、もちろん在日の女優さんには「日の丸」を背負えないし、単純に有名になりたいという目的でアイドルから女優に転身してやっているような人には無理である。「日の丸」は重すぎて背負うことができないし、その意味は本当に重い。だからこそ上白石萌音という女優さんはこの国の神様に選ばれた女優さんとうことなのである。

 

 

   

 

◆上白石萌音の声が持つ「救い」と「癒し」

 僕が彼女のファンになったのはまだ最近の話だ。なんでファンになったのかといえば、彼女の「歌声」の響きと「存在感」である。もちろん表情も素晴らしいし、演技力も格段に磨かれてきたのだろうと思うが、彼女が他の女優と圧倒的に異なるのは「歌」の響きなのだ。舞台から始まり、ミュージカル映画にも出演、歌手としても活動する数少ない女優さんであることは事実だが、これは上手い、下手の話ではなく、彼女の歌声の中には「救い」と「癒し」があるのだ。特別な声の持ち主といえる。

 

 きれいな女優さんやスタイルのいい女優さんは数多いる。その点、彼女は身長も低いし、お世辞にも「美人」という顔立ちではない(失礼!)。笑顔は抜群に可愛らしいが、目尻に小じわも出たりする。鼻も高いわけじゃないし。顔も丸くて平安時代の女性のようだ。と、ホメているのか貶しているのか分からない文章でファンの方には申し訳ないが、彼女の「歌声」には人の魂を揺り動かす「音」を放つという極めて重要な資質を持っている。そこが他の女優さんとは次元が異なるのだ。

 

 「いやいや、『白石』なら白石麻衣だって歌ってた女優さんじゃないか」なんていう声も聞こえてきそうである。彼女も素敵な女優さんだが、「日の丸」は重すぎて背負うことはできないし、残念ながらピンで活動してきた方でないと「日の丸」は重すぎて背負えないのだ。TVドラマや映画の主演女優というのは、全ての責任を背負わなければいけない存在であるが、正直、彼女が全てを背負うのは難しいと思う。女優としての存在感もそうだが、これは生まれ持った星が違うということなのだ。

 

  

 

◆「上白石」という苗字

 

 「上白石萌音」という字を分解してみよう。まずは姓の「上白石」からだ。

 

「上」はカミであるから「神」である。神様は鳥の姿(羽をもつ天使の姿:象徴)で頭の上に降りてくるから、頭に生える毛は「髪」=カミである。神官や相撲の行事がかぶる帽子は「烏帽子」(えぼし)といい、烏(からす)=神の遣いが頭に降りてきたことを表している。

 

 さらに分解すると、「上」は「卜+一」。「卜」は「卜占」(ぼくせん)で「 うらなうこと。易を立ててうらなうこと。」の意味で使われ、「卜占」(ぼくせん)を専業とする一族を「卜部」「占部」(うらべ)という。「一」はもちろんイチであるが、この場合はと土地=場所をも意味する。

 つまり「上」(カミ)の字には、上の世界(=天界)にいる神様、神様のメッセージ(占い)は天から降ろされるという意味も含まれた字である。

 

 次に「白石」。この白石こそ、伊勢神宮に関わる神事に由来する文字である!もちろん「白」+「石」の組み合わせである。

「白」という漢字には、「雪のように光を反射した際に明るく感じられる色」や「清らかで濁りがない」などの意味がある。

 

 ○汚れや濁りがなく清い

  例:潔白(けっぱく)、純白(じゅんぱく)、白紙(はくし)、明白(めいはく)、精白(せいはく)

 ○明るい

  例:白昼(はくちゅう)、漂白(ひょうはく)、白日(はくじつ)

 ○申す・告げる・言う

  例:告白(こくはく)、白状(はくじょう)、自白(じはく)、建白(けんぱく)、関白(かんぱく)

 ○何も無い

  例:空白(くうはく)、白紙(はくし)、余白(よはく)

 

 「石」という字は、「がんだれ(厂)」の下に「口」と書く。「がんだれ」は山の崖の形を描いた象形文字で、険しい断崖は人が近寄りがたく、そこは、神の住まう聖なる場所であると考えられていた。その下に記された「口」という字は、白川静博士の解釈によると、神への祈りの言葉を納める器(「口」=さい)を意味するという。


 つまり「石」とはもともと、神の霊が宿る場所を示した漢字であり、その意味の裏には「石工」(いしく)=フリーメーソン=神の王国を地上に作る存在にも関係する。但し、イギリス発祥の近代フリーメーソン(悪の秘密結社などといわれるが)のことではなく、古代から連綿と続く本当のフリーメーソンの方のことである。「上白石萌音」からフリーメーソンに話がとんだが、「上」「白」「石」の全てが「神」に関わる文字なのである。

 

◆萌音という名前

 

 「萌」は「草木の芽が出る」ことを意味する漢字で。字を分解すれば、植物を表す「くさかんむり」と光を表す「明」。この2つがくっついて「光を浴びて、草木の芽が出てくる様子」を表し、「萌える」の言葉になる。さらに芽が出るというのは新しい生命の始まりでもあるので、「萌芽(ほうが)」という言葉があるように「(物事の)起こり始め」「兆し」といった意味ももつようになった。また、これらから派生して、新たに生えたばかりの植物の色を「萌黄色(もえぎいろ)」と呼ぶようになり、平安時代には「若さ」を象徴する色ともいわれた。

 

 「音」字は、「口から出た声」を意味する会意文字。元々は「言」という漢字の下の「口」が、神様への祈りの祝詞を入れる器(「口」=さい)を表している。そして、神への祈りに対しての神様からの答えが「口」(さい)の中の横棒で表されているという。つまり、「音」とは「人や神の声」を表しているのである。ちなみに「音楽」となれば、「楽」は「楽器の音」を表しており、神の声や人の声、楽器を奏でる「音」は、人々を喜ばせたり笑顔にさせたりすることから、「たのしい」という意味に「楽」の漢字が後から当てはめられたとする。

 

  

 

 「萌音」という文字だけの意味でいえば、「光を浴びて、草木の芽が出てくる様子を喜んだ人や神の声」となる。ここまで「上白石萌音」という名前=文字は全て神に関わる意味をもつ文字だということが分かる。

 

 

◆音=言葉=言霊=呪術

 

 聖書には「初めにことばがあった」という言葉が書かれている。これは、神が天地創造のとき最初に「光あれ」という言葉を発したことに由来しているのだが、この世界と神との関わりの最初に「ことば」があったということである。その最初の「ことば」は「アー」である。ひらがなの最初は「あ」(阿)であり、おわりは「ん」(吽)、つまり「あ・うん」(阿吽)であり、サンスクリット語では「オウム」となる。新約聖書の中に、イエス・キリストは自らのことを指し示す言葉として「私はアルファであるオメガである」とある。これは「初め」であり「終わり」であるという意味であるが、その解き明かしはまた改めて機会を改める。

 

 日本語という言葉は、古来より「言霊」(ことだま)が込められているとされ、それを「言の葉」(ことのは)と書く。音は神の発した声であり、人の発する声でもある。だから大和民族の発する「言葉」は呪術となる!これを理解しないと、「音」という漢字の意味も理解できないし、実は多くの漢字に隠されたさらに細かい裏の意味も分からないのである。

 

◆伊勢神宮と式年遷宮

 

   

 

 「伊勢神宮」は日本全国にある8万を超える神社の宗廟であり、伊勢地方にある125の社(やしろ)から成り立つ神社群のこと。正式には「神宮」(じんぐう)であり、日本全国の神宮の中の神宮ということだ。伊勢神宮には20年に一度、全ての社殿を建て替え、神宝を新調して大御神にお遷り願う神宮最大の神事である「式年遷宮」(しきねんせんぐう)という行事が行われる。

 

  

 

 「式年遷宮」は、まずは天照大神を祀る内宮(ないくう:皇大神宮)、外宮(げくう:豊受大神宮)から開始され、別宮・摂社・末社と残り123へと進むため、125社全ての建て替えが終わるには9年もの時間がかかる。この式年遷宮は、第40代の天武天皇の御代に定められ、妻である持統天皇が最初に実施したとされている。

 

式年遷宮の「お白石持神事」と世界終末預言

 

 式年遷宮の一連の儀式の中に「お白石持神事」がある。お白石持(おしらいしもち)またはお白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)と呼ばれる神事で、式年遷宮を構成する祭事の1つであり最後の祭事である。 式年遷宮によって新しく建てられた伊勢神宮の正殿の敷地に、「白い石を敷き詰める」という不思議な行事である。

 

  

 

 行事に参加する人たちは式年遷宮の最後の「遷御」(せんぎょ)の前に伊勢湾で身を清め、純白の法被を着て宮川流域でとれた丸い白石を積んだ樽荷を伊勢神宮まで引いていく。五十鈴川の宇治橋の前で神宮に引き渡す。その後、人々は橋を渡り、白石を受け取り、内宮正殿に入り正殿の前に一人一人自分の石を置いていく。まるで白石1個が運ぶ人を表しているような、なんとも不思議な行事なのである。

 

  

 

  

 

 この「お白石持神事」と同じことが「新約聖書」の記述の中にもあるのだ!

 

 「勝利を得るものには隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受け取る者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている」

 (ヨハネ黙示録2-17)

 

 伊勢神宮の謎については改めて書くことにするが、結論をいえば伊勢神宮とは「イエス・キリストの宮」のことである!内宮の手前に流れる「五十鈴川」(いすずがわ)とは「イエズス・キリストの川」であり(だから十字架の十が入っている)、そこで「禊」(みそぎ)という名の「バプテスマ」を受ける。「伊勢」(いせ)とは「イスラエル」のことであり、125の社は天皇陛下の数と同じ。つまり現天皇・徳仁(なるひと)陛下は、歴代の天皇の最後の「ラスト・エンペラー」となる。

 

 その解き明かしから、式年遷宮で手にする白石とは、この世が終わる時、イエスによって救われる者に与えられる白い小石を意味するのである。そのためには禊=バプテスマを受け、神宮に入って自分の新しい別名を受けねばならない。世界の終末が近づいた時、日本中の神社は一斉にイエスの神殿と化すことができるよう、全国の神社を創建した秦氏一族による国仕掛けが施されており、伊勢神宮の存在も漢字の仕掛けも全て「預言」である。

 

 「新約聖書」の最後にある終末の日の預言書『ヨハネ黙示録』にはこうある。

 

「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼らの名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す」

 (ヨハネ黙示録3-5)

 

 聖書を読む限り、救われる道とは、天界の三神「御父・御子・精霊」の存在を三位三体から明らかにし、絶対神ヤハウェ(エホバ)=イエスと認める預言者がいる所を探すことである。そこでバプテスマを受け、イエスの神殿で「命の書」に名前を書き込む儀式を行うことだが、神道的には神社に行くこととなる。

 伊勢神宮がまだその体制に入っていない。伊勢神宮にスイッチが入るには、裏の伊勢神宮であり神道を裏側から支える京都の「賀茂神社」(上賀茂・下鴨)の準備が整わない限りだめなのである。この下鴨神社でも「お白石持神事」が行われており、その他の全国の神社でも行っているところもある。全ては「聖書」の預言に従って行われている行事なのである。

 

◆「上白石萌音」と「お白石持神事」

 

 まさかの「上白石萌音」から伊勢神宮の「お白石持神事」という展開で驚かれたと思うが、きっと終末の世に救いをもたらす神=天照大神=イエス・キリストと同様に、人間の中にも終末の世の恐怖や不安の中で、人々に「癒し」や「救い」を与える「音」を奏でる存在がいるはずである。それは一人ではないが、「上白石萌音」という人はきっとその中の一人であるはずだと考えている。そうでなけらば、彼女は女優としての演技や、歌手として歌=音を通じて、人の魂を揺さぶるような存在にはなっていなかったはずだ。

 

   

 

 この投稿を書くにあたって、「上白石萌音」のことをWikiで見てみたら、次のようなことが書かれていた。

 「子供の頃から歌ったり踊ったりすることが好きで、名前の「萌音」は「音楽が好きになってほしい」との願いをこめて名付けられ、母親のお腹の中にいる頃から音楽に囲まれた環境で育った。言葉を覚えるのが早く、2歳になる前にはペラペラと話し、同時期に歌も歌い始めていたという」

 

 「上白石萌音」はこの世の終わりの「お白石持神事」のために生まれてきた存在なのかもしれない。そうでなければ、この終末の時代の日本という国に生まれ、多くの人に感動や癒し、救いを与えるような職業には就いていない。この世に偶然はない!ましてや全ての預言が封印されしこの国の、「令和」の時代に大きな存在になることはないのだ。「令和」は本物と偽物を分け、偽物や悪行を行う全ての日本人を駆逐する天照大神の命令が下った時代を意味している。だからこそ余計にこの令和で階段をひとつ上がった「上白石萌音」という女優・歌手にはこれからもさらなる活躍をして欲しいと願っている。