旧約聖書のイスラエル建国預言 その3


 ユダヤ人キリスト教徒であった預言者ノストラダムスは、「三つの重なりの地」である三重県に鎮座する伊勢神宮にあおる御宝が一度は奪われるが取り返されると預言を残した。

 「三種の神器」と「契約の聖櫃アーク」を伊勢神宮から強奪する命令を下すのは、イギリスのロスチャイルドとアメリカのロックフェラー、そしてその実行部隊が在日米軍である。

 

 インディアナ・ジョーンズの第一弾となった映画「レイダース失われたアーク」では、世界制服を可能とする史上最強の兵器である「契約の聖櫃アーク」をナチスドイツ軍が奪うものの、最後には聖なる神の炎によって、ナチスドイツ軍が全て焼かれてしまう。「契約の聖櫃アーク」は異民族やレビ人以外が触ると神の火によって焼かれてしまう。だからこそ「契約の聖櫃アーク」を持つ民族は敵としてはだかる異民族や異教徒をなぎ倒し、神が与えることを約束した地に入れることになる。だからこそ世界を世界征服したいと考える人間は、どうしても「契約の聖櫃アーク」を手に入れたいのである。

 

   

 

 ノストラダムスはカッバーラを理解した預言者である。だからこそ未来を見せられ、それをカッバーラでしか理解できない難関な四行詩の詩集『諸世紀』として残した。簡単に理解できそうな表現であったなら、バチカンが支配する中世のヨーロッパでは必ず異端の審問にかけられてしまうため、敢えて難解な詩として表現した。

 逆にいえばカッバーラを理解したものであれば『諸世紀』を読み解くことができるのだが、カッバーラを理解していない解読者は迷宮にはまってしまう。

 

 日本に古代から残された神話や唄も同様で、表の意味、裏の意味、真の意味など必ずといっていいほど3種類以上の読み解き方ができる仕掛けがほどこされている。

 その代表的なものが世界の終末に関わる預言書、童謡「カゴメ唄」である。


◆「カゴメ唄」の預言

 童謡「カゴメ唄」は預言である。日本最古の神社であり元伊勢、元出雲でもある神道の要の神社、京都の丹後にある「籠神社」に伝わる唄が「カゴメ唄」である。この唄は日本語で読み解いても意味がよく分からず、子どもの遊びの唄とは思えない恐ろしい音階の唄である。
 「カゴメ唄」もカッバーラで読み解くことで終末預言となっていることが分かるのだが、実は「カゴメ唄」はヘブライ語で読み解くとさらに違う意味が現れる。

 

  

   

 

 『失われた天照大神の大予言『カゴメ唄』の謎』(著:飛鳥昭雄・三神たける)にはこう書かれている。 


 「カゴー・ミィー・カゴー・ミィー カゴーノェ・ナカノェー・トリーヴァ ヒーツィ・ヒーツィ・ディユゥー ヤ・アカー・(の)バニティ・ツー・(と)カァー・(が)・スヴェル フィラッ・(の)・ショーメム・ダーラッ」

 

 このまま読んでも意味はさっぱり分からないのだが、ヘブライ語の意味ではこうなる。

 

 「籠で囲まれ安置されてきたものを解き放て 火がつけられ、燃やされて 神の社が焼失する 守られるべき岩戸は開かれ 封印の意味をなくす」

 

 天岩戸神話をベースにした内容ということであれば、それにゆかりのある神社である伊勢神宮に火が放たれ、その騒動の中で伊勢の御宝が盗まれる。籠に囲まれて封印されてきてというのだから、もちろん伊勢の地下宮に隠されてきた「契約の聖櫃アーク」が盗まれるという預言なのである!

  

 本当はハム(黒人の祖)の末裔であり、ヘブライ人に敵対したカナン人のの末裔、それも神に背くニムロドの末裔であるロスチャイルドやその傍系であるロックフェラーといった偽の白人系のアシュケナジーユダヤ人が、なんでそこまで「契約の聖櫃アーク」を奪おうとするのか。

 

 理由のひとつは第三神殿が完成しないからだ。いくら大層な器を作っても魂をいれなけば、神殿という名のただの建物でしかない。「契約の聖櫃アーク」がなければ神は降りてこないからだ。だが、これは現在の白人系のアシュケナジーユダヤ人が臨んでいることである。

 カナン人のの末裔であるロスチャイルドは、神に敵対するサタンを神と奉じている。だからこそ神の民=「ヤ・ウマト」=「ヤーウェの民」である大和民族を恐れており、神が大和民族に与えた至宝「契約の聖櫃アーク」を奪い、悪の民に逆らう民族を根絶やしにしたいのである。

 

 われわれ日本人は自分たちを「大和民族」と呼ぶが、自分たちのことを「ヤマト」と呼ぶのは日本人とイスラエルにいるユダヤ人だけである。我々が使っている日本語は古代ヘブライ語である。だからこそ古代から伝わる言葉や唄は、旧約聖書の民であったヘブライ人が使っていた古代のヘブライ語があらゆるところに隠されている。

 

 ヘブライ語で意味を読み解くと本来の意味が浮かび上がるというのは、「君が代」も同様で、本来はヘブライ語の歌だったのではないかとも言われている。こうした複数の意味を持たせる構造は和歌も同様で、幾重にも意味を持つ構造となっているのだ。

ユダヤ人が日本に来て一番驚くのは、お祭りで神輿を担ぐ人達が「ソイ・ヤー」と掛け声をかけることである。驚いたユダヤ人と日本人の間では、よくこういったやり取りが行われる。

 「なんで皆さん古代ヘブライ語を使っているんですか?」
 「違うよ日本語だよ」
 「では、どういう意味なんですか?」
 「意味なんてないんだよ。昔からこの掛け声なんだから」
 「なんで意味のない日本語を使うんですか?」 
 「そんなこと言われてもねぇ。じゃあそのヘブライ語ではなんという意味なんだい?」
 「われ、神を奉らん」
 「えっ・・・・」

 

 われわれ日本人はヘブライ語を日常的に「日本語」として話しているが、自分たちがヘブライの民であり神の民であるということを認識している人は少ない。しかし、カナン人たちの末裔は白人系のアシュケナジーユダヤ人を騙し、着々と「第三神殿」の建設の準備を進めている。たとえ「第三神殿」が建設されても、それは必ずカナン人たちの末裔によって略奪され、獣の印を持つ男、偽預言者、悪魔の666が並ぶバール教の神殿にされてしまうのである。